魔法科高校の劣等生・来訪者編クリアRTA   作:まみむ衛門

87 / 96
本日一気に二話投稿しているうちの二話目です
一つ前の話から先にお読みください


13-5

 とにかく、いつきが瀕死であったことだけ確かだ。

 

 数十秒後、駆け付けたUSNA軍のバックアップメンバーの声で意識が戻った幹比古とリーナは大慌てで状況を説明し、USNAの息がかかった都内の大型病院に、いつきとあずさは担ぎ込まれた。

 

 VIP専用の個室に特別に二つのベッドを並べ、二人は緊急入院することとなった。

 

「なんだこれ、信じられない……」

 

 駆け付けた吉田家の術師たちと協力して、いつきのプシオン回復儀式を大規模に行おうとしたとき、幽体の状態を確かめようとした幹比古たちは、自分たちの失敗を疑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――いつきの幽体が、あずさとそっくりなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 確かに瓜二つで、幽体が身体に比例する以上はかなりそっくりになるだろうが、集中しなければ「同一人物」に見えるのはありえない。二人は血を分けたそっくりな姉弟ではあるが、年齢も生活も性別も違う。

 

 だが、「視える」のは確かに、いつきの幽体が、あずさとほぼ同じであるということ。

 

 そしてもう一つが――――隣のベッドで眠り続けるあずさと、目に「視える」ほどに、常に霊的なつながりがあることだった。

 

 双子ですら、こんなことはあり得ない。何かしらの魔法的な措置が施されているとしか思えなかった。

 

 そして回復儀式を中断し会議をした結果、一つの仮説にたどり着く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あずさは、自身の幽体を、いつきの幽体に「投射」したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 二人の幽体のサイズは「ほぼ」が要らないほどに同じであり、健康状態ならば限りなくぴったりと重なり合うだろう。

 

 あずさはこれを利用し、自身と弟に霊的なつながりを作り、そこに自分の幽体を「投射」することで、いつきの霊体を「補修」したのである。

 

 その証拠に、いつきの幽体を深くまで覗いてみると、まるで覆われるように、両脚と左腕が吹き飛んだズタズタの幽体が見えた。あれがいつきの本物の幽体であり、表に見えているのは、あずさが「重ねた」ものだ。これによって、精気も生命が繋がるほどまで回復し、さらに「傷口」も塞がった。

 

「信じられない…………こんな、生命と精神の、深奥みたいな……」

 

 幹比古は呟く。

 

 あずさはいつの間に、こんな術式を身に着けていたのだろうか。

 

 ――彼は知らない。

 

 いや、他の吉田家の術師も、いつきも、そしてあずさ自身も、知らないことである。

 

 幹比古の回復儀式を目の前で見ていたあずさは、精神干渉系魔法とプシオンへの深い感性と、今まで磨いた魔法的な知識により、無意識に、この方法に行きつき、無我夢中で、あの場で実行したのだ。

 

 いわば、幽体の「共有」。これによって、いつきの命は辛うじて繋がれたのである。

 

 もちろん、死の半歩手前まで陥ったいつきも、それを生き永らえさせるほどに精気を「分けた」あずさも、幽体内の精気は、意識を保つことは到底不可能なほどに減っている。

 

 何が起きたのか、どうしてこうなったのか、わからないことだらけだが。

 

 

 今幹比古に出来るのは、二人が一刻も早く健康になるために、回復の儀式を繰り返す事だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつきたちを病院に担ぎ込んだリーナは、即座にUSNA軍本部と秘密回線で交渉を始めた。

 

「日本に来たアメリカ人は、全員即時に帰国よ。異論は認めないわ」

 

 アンジー・シリウスの赤髪鬼ではなく、彼女の本当の姿である、金髪の天使だ。

 

 だというのにその迫力は、秘密兵器であるブリオネイクを構えたアンジー・シリウス以上であった。

 

 当然、そんな急な帰国は不可能だ。

 

 何せ表向きは平和的・学術的な交換留学である。数人なら可能だろうが、3月の期限まで二か月も残して全員帰国は、あまりにも無茶である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日本人の少年が! イツキが! 命を張って! アメリカの責任を取ってくれて! さらにそのあとの気まで遣ってくれたのよ! もし、それに後ろ足で泥をかけるんだったら――――ワタシは、そんな国、滅ぼしてやる……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜を徹しての激闘を乗り越えた、戦乙女の激情。

 

 その美しい顔に浮かぶ鬼の形相は、上官や高級官僚や大臣たちを震え上がらせた。

 

 世界最強の魔法師部隊スターズの隊長、公開戦略級魔法師・十三使徒の一角、知られている中では最大の破壊力を誇る『ヘビィ・メタル・バースト』の使い手。

 

 これに逆らえる人間は、この場にいない。

 

 これにより、USNAの無茶な実験を発端としてデーモンが現れたこと、それがスターズの魔法師たちに憑りついたこと、そして日本とアメリカで吸血鬼として暴れたこと、交換留学が日本に潜む吸血鬼を追いかけるためのダミーであったこと、いつき達の協力もあって日本の問題は解決したこと――真実と虚構を織り交ぜた「情報」は、翌朝には世界中にニュースとして飛び交うことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 そしてその大混乱の中、お世話になった留学先への挨拶すら許されることなく、この度日本に来たUSNA人たちは、死者や吸血鬼となったものを除いて、昼前には一人残らず故郷へと帰国することとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなリーナは、日本からの「お土産」として、特級の貴重品を、幹比古から譲り受けていた。

 

 さっそく、アンジー・シリウスとなったリーナは、帰郷するなり、USNA軍内の優秀な古式魔法師を総動員して集めた場で、その「お土産」を披露する。

 

「これは私が日本で譲り受けた、我が同胞たちを乗っ取り好き放題したデーモン……パラサイトを封印した箱だ」

 

 おおっ、と古式魔法師たちから歓声が上がる。

 

 このマイクロブラックホール消滅実験から日本の吸血鬼事件解決までの流れは、パラサイトの存在を知らなかった現代魔法師界や世間でも大騒ぎだったが、その存在が認知されていた古式魔法師界も騒然となった。

 

 生け捕りの妖魔。現代魔法師にとっても、そして当然古式魔法師にとっても、最高の研究対象だ。

 

「我らがスターズから脱走した兵の数と、日本で倒したパラサイトの数は合わない。つまり、それらは、ここ、我らが国土で跋扈しているということだ」

 

 USNAにおける吸血鬼事件は日本以上に厳しい情報規制がかけられていたが、いつき達が最終決戦を迎える数日前には、隠しきれずにニュースになっていた。

 

「現地の協力者より、憎きパラサイトの性質の情報を得た。これより我らは、こいつをいわば『人質』とし、我が国土を汚す悪鬼どもを、一匹残らず駆逐してやる!」

 

 ウオオオ! と太い歓声が上がる。

 

 隊長かつ戦略級魔法師による宣言は、古式魔法師たちを鼓舞し、化け物との戦いへの士気を上げる。

 

 現場で戦う兵士たちのモチベーションを上げるその姿は、後方で責任を負う指揮官として、お手本のような姿であった。

 

 

 

 

 

 ――なお、彼女が一番最前線で鬼神のごとく活躍することを、この時予想できたのは、シルヴィアだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幹比古たちは、大切な親友・恩人の精気回復に全力を尽くし続け。

 

 リーナは祖国で、いつきと仲間を酷い目に合わせた憎きパラサイトの殲滅作戦を行っていた。

 

 それゆえに、吸血鬼事件の顛末をその目で見てきた人間は、第一高校に誰もいない。ただ、十師族である真由美と克人、警察関係者のエリカとレオが、断片的に知るのみであった。だがその断片ですら、誰もが知りたいと求め、四人は公開してよい情報の精査も含め、すっかり疲弊してしまった。

 

 そうして、あの最終決戦から、二週間と少しが経った頃。

 

 儀式の合間に事情聴取を一人で全て引き受けていた幹比古の証言が、少しずつメディアに流れ始める。

 

 そしてそこで、二人の小さな可愛らしい、そして勇敢な姉弟が、戦いの被害で未だ目覚めないことも知らされたのであった。

 

 誰であるのかは確定的だ。いつきとあずさである。

 

 第一高校を中心に波紋が広がり、特にいつきは九校戦で有名人だったこともあって、まるで作られた物語のような「ヒーローとヒロイン」として、話題に上っていく。

 

 そんな流れの中でも最初の方。

 

 この話を知った金沢の沓子は、酷いショックに包まれた。

 

「い、いつ、い、いつきが……妖魔に襲われて、二週間も寝込んだままじゃと!?」

 

 古式魔法師である彼女は、パラサイトがどのようなものであるのか、大体知っている。なにせ、彼女たちが最も恐れ、代々対策と研究を積んできた、正体不明の化け物だ。

 

 日本を騒がせた吸血鬼の正体がパラサイトで、いつきがそれと戦い、辛うじて退治に成功したが、長いこと意識不明。

 

 聞いた瞬間、脚から力が抜け、立っていられなくなった。傍に愛梨と栞がいなければ、どうなっていたか分からないぐらい、激しく倒れ込んだのだ。

 

「い、いつき……いつき!」

 

 そして彼女は、居ても立ってもいられず、東京行のキャビネットに単身乗り込んだ。どこに入院しているのかは、初詣の折に連絡先を彼の母親と交換したので、それを使って教えてもらった。

 

 ――孤独な個人キャビネットの密室。

 

 その移動時間は、数十年前に比べたら雲泥の差だが、それでも、異様に長く感じた。

 

 座席で体を丸めて座り、不安と恐怖で震える。

 

 どうなってしまったのだろうか。何か自分に出来ることがあったのではないだろうか。一体どうしてこんなことに。

 

 そんな思考がグルグル廻るうちに、少しずつ、一つの自覚が湧いてくる。

 

 

 

 

 

 

「いつき……」

 

 

 

 

 

 彼のことを考えるたびに、心が弾み、全身に熱とエネルギーが湧いてくる。

 

 そして今、彼が失われようとしていると、不安で不安で仕方がない。

 

(嗚呼、そうか、わしは……)

 

 今まで、こんな感情を抱いたことはなかった。

 

 近い感情はある。大親友の愛梨と栞、それによくお世話してくれる先輩の水尾。

 

 だが、自分が彼に向けるものは、明らかに違っていた。

 

 心の友と、大切な先輩。いつきは、心の友だと思っていたが、それだけではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おぬしの事が、大好きじゃったんじゃなっ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんと今更なことか。

 

 失いそうになって初めて、感情に気づいた。

 

 なんとも滑稽だ。

 

 まさか自分が、懸想をしていたなんて。

 

 そうして己の感情に気づくと同時、永遠に思えた移動時間が終わり、東京の駅について、キャビネットが開く。

 

 駅員の制止を無視し、沓子は全力で駆けだし、一刻も早く、愛しい少年に会いたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――この日、彼女が向かう病院では、ちょうど、ある大騒ぎが起きていたところであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 祖国の汚物は全て討伐した。この二週間と少しは激動だった。

 

 今にして思えば、あの夜の公園で吸血鬼を待っていた、酷く寒いながらも温かい時間が、懐かしく思える。

 

 北アメリカ大陸という広大な国土に散らばった吸血鬼を、たったこれだけの期間で殲滅したリーナは、またUSNAのあらゆる上層部に無理を言って、日本に戻ってきていた。

 

 表向きの理由である「吸血鬼事件」が終わった以上、USNA関係者が交換留学生として日本に残り続ける理はない。配慮として日本からの留学生は元々の期間留学するのも自由だが、リーナ達は、留学を中断せざるを得なかった。

 

 だが、ここで、第一高校は独自の動きを見せた。

 

 リーナの三月までの再留学を歓迎することを発表したのだ。

 

 彼女が模範的な生徒であること、吸血鬼と言う恐ろしい存在に立ち向かうために子供の立場で勇気ある任務に参加したこと、そして第一高校の生徒たちと協力して日本中の人間を救ったこと。

 

 これだけの表向きの理由に加え、生徒たちから、まだリーナと一緒にいたいという強い要望が殺到して職員たちの仕事がパンクしたし、明らかにこの件について当事者であろう彼女を第一高校で囲い込みたい下心もある。

 

 そのお迎え態勢たるやすさまじく、ほぼ禁書も同然だったあずさの論文――パラサイトについて明記している――を全世界に無料で公開して一高と吸血鬼事件解決のつながりを大々的にアピールし、クラスと生徒会と風紀委員の席も残しておいてくれている。

 

 そしてリーナは、それを快く受けた。

 

 USNA上層部は難色を示したが、マイクロブラックホール消滅実験強行の尻ぬぐいをした彼女には逆らえず、認めざるを得なくなった。

 

「いつき……また会えるわね」

 

 政府の息がかかった、民間向けに偽装した飛行機のファーストクラスから、空港に降り立つ。

 

 日本の空気は、やけに久しぶりに感じる。一方で、どこにいても、この見上げる空は変わらない。

 

 最初に向かうのは――恩人という言葉では言い表せない想い人が眠る病院だ。

 

 

 

 

 

 ちょうどそのころ、その病院では、医師や看護師が、突然の事態に、大慌てしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、リーナさんに沓子ちゃん様、来てくれたんだ!」

 

「「ええええええええ!!!???」」

 

「院内ではお静かに……」

 

 沓子とリーナ、特に面識のない二人が、ほぼ同時にいつきが眠る病室に偶然入った。

 

 そして飛び込んできたのは、ベッドで身体を起こしている、いつきとあずさだった。

 

 そしてこの姉弟と話していたらしい幹比古は、リーナと沓子が騒ぎすぎて目立つので、なんだか疲れた様子を見せながらも、二人を部屋に招き入れた。

 

「ちょうど一時間ぐらい前に目が覚めたんだよねー」

 

「二週間と四日……もう2月も上旬終わっちゃったね」

 

 当の眠り王子と眠り姫は、ずっとベッドの上で点滴を頼りに寝続けていたせいか、元々華奢なのにすっかりやせ細ってしまったように見えるが、意識は明瞭ではっきりと喋っていて、元気そうだ。

 

「お腹減ったんだけど、これ多分、しばらく離乳食みたいなのだよね? 色がついただけのお湯みたいな」

 

「ああ、うん、なんだかこのマイペースさも懐かしいや、うん……」

 

 いつきの無邪気な問いに、感情の温度差で風邪をひきそうになっている幹比古は、苦笑を浮かべた。その虚空を見つめる遠い目は、よく見ると、充血しているしその周りには涙の痕があった。

 

「いつき!」

 

「イツキ!」

 

 そんな和やかな状況で、ようやく事態を理解した沓子とリーナが、想い人の下に飛び込み、ワンワンと泣き出す。一時間弱前に、幹比古が同じことをやっていた。そして泣き止んだ後、医者やらなにやらの対応に追われ、こうして今疲れ果てているのである。

 

 ――そうして、沓子とリーナが泣き止むまでに、数分かかったのち。

 

 まだ目覚めて間もないので当人であるはずなのに状況をあまり理解していないいつきとあずさ、初めてまたはしばらく空いてのお見舞いなのでほぼ何も知らない沓子とリーナ、この四人に囲まれた幹比古は、全ての説明をする役目を背負わされた。この時ほど、あの「大きい方のシスコン」の存在を欲したことはないだろう。

 

「えーと、まず、四十九院さん向けに説明するべきかな?」

 

 幹比古の説明は、吸血鬼事件の経緯だ。

 

 いつきとあずさが「精神情報のイデアとそこの精霊のような存在」の可能性に行きつき、いつきが幹比古と出会い、そして再会してからの研究の流れ。そして吸血鬼事件が表沙汰になり、研究の成果ですぐにそれがパラサイトの仕業と分かったこと。

 

 そして、吸血鬼を倒すために夜に活動し、そこでUSNAよりの来訪者のリーナと遭遇し、協力関係を結んだこと。

 

 なんやかんやで吸血鬼とパラサイトは日本国内の分は倒せたが、いつきがその過程で犠牲になり、あずさが謎の魔法で彼の命を繋ぎ、代わりに二人とも二週間以上眠り続けたこと。

 

「おぬしらは、何をやっとるんじゃ……無茶が過ぎるぞ……」

 

 途中で挟まったいつきの主張である「何も知らないし対抗手段もない警察や十師族には任せられない」というのは一理ある。だが、その組織の協力を得て、もっと慎重に活動しても良かったのではないだろうか。時間が経てばたつほど犠牲者が増え続けるのは確かだが、急ぎすぎた結果自分たちがこうなっては、元も子もないではないか。

 

「なるほどのう。つまり、そこの金髪のべっぴんさん……リーナ、で良いかの?」

 

「ええ、いいわ」

 

「リーナは、いつき達の恩人と言うわけじゃな……何もできなかったわしが言うのもなんじゃが、礼を言おう」

 

「当然のことをしたまでよ」

 

 リーナはすまし顔でそう言っているが、豊満な胸をやや張り、鼻の穴が少し膨らんで、誇らしげだ。だいぶ気を抜いていると見える。

 

「で、四十九院さんに、一つ聴きたいことがあるんだけど」

 

「ん、なんじゃ?」

 

 幹比古の問いに、聴かれた側の沓子は首をかしげる。今この状況で、自分が何を質問されるのか、全く分からなかった。何せ自身が言う通り、何も役に立たず、蚊帳の外だったのだから。

 

「これ、知ってる?」

 

 いつきのベッドサイドの机から手に取って見せたのは、真っ黒に焦げた、四角い手のひらサイズの布のような何か。

 

 いつきをこの病院に担ぎ込み、病院着に着せ替える過程で、彼が着ていた服の胸ポケットから、これが出てきたのだ。

 

「これは……これは、わしがいつきに渡したお守りじゃ!」

 

 幹比古から受け取った沓子は、大きな目をさらに見開き、信じられないとばかりにまじまじと見る。

 

「これは……火や電気で焼けたわけじゃなかろう。そういう焼け方ではない。そこらの妖魔でもない……もっと恐ろしい、今でも伝説に残るような物の怪……八岐大蛇、牛鬼……禍津神の領域じゃぞ」

 

 これほどの妖魔と、いつき達は戦ったのか。

 

 皇室の血を引き、神祇官のトップ・白川伯王家をルーツとする名家の出身である沓子が知る限りでは、これほどの被害を出せる物の怪は、それこそ、有名な「伝説」のレベルだ。

 

「やっぱりね」

 

 幹比古は納得した表情で頷き、あずさは目を輝かせる。そしていつきに至っては、宝石のような瞳に、何か危ない光が宿り始めた。

 

「パラサイトが合体して、巨大な一つの化け物になった時、僕たちはその全力のプシオン攻撃を受けそうになったんだ。それを……いつきが身代わりになって、一人で受けてさ」

 

「なっ……」

 

 沓子は絶句する。

 

 ただの攻撃ではないという。彼が「全力」というからには、少なくとも普通の攻撃よりもはるかに強力なものだったのだろう。

 

 妖魔の放つプシオンは、自然に漏れ出るものですら「邪気」であり、常人には耐えられない。それを放出する全力の攻撃を、いつきが一人で浴びた。あずさたちを、守るために。

 

「その時に、いつきからものすごい光が出て……あんなの、一瞬で死ぬに決まってるのに、辛うじて生きていたんだ」

 

 幹比古の説明で、この場にいる全員が、どういう話なのか、ようやく理解した。

 

 その結論を、いつきが、明るい声で、口に出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「沓子ちゃん様の御守りが、ボクを守ってくださったんだよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キラキラと輝くいつきの目に宿るのは、この上ない感謝と信仰。もはやそれは、完全に「狂信」のレベルまでたどり着いている。

 

「そうか……そうか、わしが、いつきを……」

 

 あのお守りに込めた気持ちは、今思えば、今までに抱いた何よりも、強いものだったのだろう。

 

 何せ、初めての「恋」だ。あの時はそれに無自覚だが、想いが強いのには変わりない。

 

 だからこそ、離れていても、彼を辛うじて救うことが出来たのだ。

 

 自分に向けられている狂信に彼女だけが気づかないまま、沓子は、しみじみと涙を流す。その姿を、全員が、それぞれ違う感情を浮かべながら見守っていた。

 

「で、その時に、ボクがふと思いついて、あずさお姉ちゃんの『梓弓』でパラサイトを倒しきってもらったんだけど」

 

「今思うと、あれはギリギリだったね。もう少しあっちに余裕があったら、耐えきられていたかも」

 

 強力な退魔の弦音を直接浴びせられてもなお、あの強大な化け物は、きっと耐えきっただろう。何せあの時も、すぐには死ななかったのだから。それまでのダメージの蓄積もまた、無駄ではなかった。

 

「で、そのあとさ…………僕がいつきの治療をしようとしたんだけど……」

 

 ここまでは明るい話。そして続きを話そうとする幹比古の表情は、急に暗くなる。あずさも同じように暗くなり、いつきは笑顔のままだが、やや困ったような様子だ。

 

「四十九院さんの呪符でも防ぎきれなかった攻撃は、いつきの幽体を消しとばしていた。左肘から先と、両脚の膝から先の幽体が、ちぎれ飛んでいたんだ」

 

「そ、そんな……そんなこと、あるのか?」

 

 情報粒子であるサイオンとプシオンには「質量」がない分、情報世界のものを壊す力は弱い。サイオンを固めて弾丸としてエイドスにぶつけても現実の肉体は「痛い」で済むし、達也レベルの『術式解体(グラム・デモリッション)』をぶつけても、魔法式程度ならまだしも、強固な物体のエイドスは壊すことができない。

 

 故に、幽体が傷つく程度はあっても、「壊れる」「吹き飛ぶ」なんてことは、想像できなかった。しかも四肢のうち三つが吹き飛んだとなれば、もはや助かる見込みはない。

 

「それで……私が、幹比古君の術式を真似て、いっくんの治療をしたんです……した、んでしょうか?」

 

 そして幹比古の説明を引きついだあずさは、今一つ自分でも納得していない様子だ。

 

 あの時はなんだか夢中で、何をどうやって、こんなことをしたのか覚えていない。

 

「私といっくんの幽体は、すごくそっくりだったので……重ねれば、もしかしたら、傷が塞げるんじゃないかな、って……」

 

「なんと……おい、吉田の。幽体を見る道具はあるか?」

 

「ちょっと待ってて。はいこれ」

 

 沓子も信じられなかったらしい。

 

 幹比古の呪具を借り、彼とは少し違う手順だが儀式を行って、いつきの幽体を観察する。

 

 そこには、幹比古たちが見たものと同じ様子が映っていた。いつきの身体には、彼ではなく、彼にそっくりなあずさの幽体と同じものが重なっていて、それに覆われるように、左腕と両脚が欠損したいつきの幽体がある。そして、あずさとの間に、強い魔法的つながりも見えた。

 

「姉上殿、これほどの術式……一体どこで……」

 

「そ、そのう、その場で思いついたというか、自分でも何やったかよくわかっていなくてですね……」

 

 唖然とする沓子に、あずさは眉をハの字にして困った様子で答えあぐねている。沓子や幹比古には足元にも及ばないが、幽体、いわば「精神情報のエイドスのようなものを、他者同士でリンクさせる」と理解したリーナもまた、驚きで固まっていた。

 

 あずさはあの瞬間――人間の、動物の、生命の、最も深い所に、足を踏み入れていたのだ。

 

「これでいつきの幽体の欠損はとりあえず塞がって精気の流出もなくなったし、中条先輩と精気を共有したおかげでなんとか命が繋がった。その代償として二人とも深刻な不足に陥って長いこと寝たきりだったんだけど……」

 

「なんやかんやで回復して、こうして起きてるってわけかな? 幹比古君たちが回復儀式ずっとやっててくれたおかげもあるよね、ありがとね」

 

 こうして、いつきは一命をとりとめた。

 

 終わってみれば、五人の誰か一人でも欠けていたら、いや、五人の誰か一人でも何かの役割を背負えないなら――誰か、もしくは全員が、間違いなく死んでいたに違いない。

 

 

 

 

 全体の作戦を立てて、パラサイトを早期に倒しきる無茶を決断し実現した。戦闘でリーダーシップを発揮し、吸血鬼・パラサイト本体の両面で最前線で戦い、最後は全員の命を守った。

 

 

 古式魔法師としての豊富な知識を活かして対パラサイトの研究をリードした。攻守サポート全ての面で活躍し、『迦楼羅炎』での大ダメージや、結界術での時間稼ぎで、短期決戦と全員生存に大きく貢献した。

 

 

 運動や戦闘センスはからきしだが、魔法理論の知識を活かして研究面で大きく貢献し、また戦闘でも後方から精密なサポートで戦局をコントロールしていた。また精神干渉系魔法を使えることを活かし、後方からのアタッカーの役割も担い、最後は、弟の命を救った。

 

 

 圧倒的な力で強力な吸血鬼を粉砕し、対パラサイトでも『仮装行列(パレード)』で回避やダミーで貢献した。

 

 

 そして、戦闘には参加しなかったが、その想いが込められたお守りのおかげで、いつきの命が守られた。

 

 

 

 

 そんな奇跡のようなメンバーが集まって、この偉業が成し遂げられたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――だとしたら。

 

 

 

 

 

 

 

「それで……アナタたちは、なんでそんなに暗い顔をしているの?」

 

 これがどうしても、リーナと沓子の不安を煽る。

 

 パラサイトを倒しきり、全員が生き残り、こうしていつきとあずさも元気に目覚めた。

 

 なら、なぜ……いつきの幽体の話になってから、ずっと暗いのか。

 

「その…………ボクの本当の幽体の……なくなっちゃった左腕と両脚なんだけど、そこはもう、治らないみたい」

 

 完全に吹き飛ばされた。今や技術が発展して、身体ならば義肢はいくらでもある。だが、幽体はそうはいかない。

 

 それでも、あずさのおかげで、精気の流出は抑えられているのだから、問題ないはずだ。

 

 ――そう、あくまで、止まったのは、精気の流出。

 

 魂とも言えるものが、その部分において完全に無くなった。身体的・エイドス的には健康そのもので、医学的には起きた直後のどの検査でもなんら問題なかった。

 

 ただ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分の力で、脚と左腕が、動かせなくなっちゃったんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――魂の支配が及ばない部位は、もはや自分のものではない。

 

「そ、そんな……」

 

「どうして、こんなことがっ……」

 

 沓子とリーナの顔に驚愕と悲嘆が浮かび、また目からボロボロと涙がこぼれ落ちる。幹比古も悲痛な顔で目を逸らし、あずさもまた、弟の不幸を思って、グスグスと泣き始める。

 

 身体とエイドスは健康そのもの。ただ幽体のその部位が破壊されたことで、自分の「意志」では動かせなくなった。動かせるとしたら、意志に関係ない、物質世界的、生物学的な反射だけ。しかも、動かせないのみならず、そこの感覚すらなくなっていた。もはや、温かさも柔らかさも気持ちよさも痛みも、感じることができない。

 

 もはやそこについているのは、いつきのものではない。ただのくっついているだけの「肉」でしかなかった。

 

「……泣かないで、みんな。ボクは、みんなが無事で生きてて、なんならボクもこうして話せるぐらい元気に生きられたから…………これで、満足だよ」

 

 そんな彼が浮かべるのは、天使の笑み。

 

 きっと彼も辛いだろう。

 

 だがそれ以上に、自分が生きていて、みんなが無事に生きていて、こうして集まってくれた、それらが、ただただ嬉しそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてそれゆえに、「なぜこんな彼が」、と、四人の悲嘆は、余計に増すばかりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニュースと風の噂で、「英雄」いつきの容態は、第一高校にも伝わることとなった。生き永らえ目覚めたという奇跡と、魂を破壊されて四肢が動かないという悲劇が、同時に届き、彼を知る者たちは皆、喜びと悲しみに包まれていた。

 

 そして、二月もそろそろ終わりを迎えようかと言う頃。もはや学期末であまり意味はないのだが――

 

 

 

 

 

 

 

 ――この日に、幹比古、リーナ、あずさ、いつきが、一斉に登校を再開した。

 

 

 

 

 

 

「みんな、久しぶりー」

 

 第一高校最寄駅から通学路から校門から廊下まで、彼はすれ違う人すべてに声をかけられ、喜ばれ、そして車椅子の痛々しい姿を哀れまれた。彼の見た目のか弱さと、この状況とは真逆ないつも通りの明るい笑みが、なおさら見る者の感傷を誘う。

 

 そうして、校門まではあずさに、そこからはクラスメイトのリーナに、車椅子を押されて、人気者の可愛らしい少年は、魔法大学付属第一高校1年A組に戻ってきたのであった。

 

 

 

 

 クラスメイトが一斉に彼に集まり、色々と声をかけ、話そうとする。

 

 

 

 そしてその輪に入らず、優雅でおしとやかな笑みを浮かべて、見守る美少女が一人。深雪だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(…………どうしましょう)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その様子とは裏腹に、内心は荒れ狂っていた。

 

 ここ一週間、「裏」では、いつきの周囲を廻って、恐ろしい話が進んでいた。

 

 十師族最凶四葉家と、同じく十師族で権力を振るう謎多き一族の九島家が――パラサイトに興味を示しているのだ。

 

 いや、興味を示す、は遠回しな表現。多少手荒なことをしてでも、パラサイトを「欲している」。

 

 実は、いつき達が吸血鬼退治に出始めて二日目ぐらいには、もう四葉の精鋭密偵たちが、彼らの周囲をしっかり監視していた。リーナと協力したことも、パラサイトを全部倒したことも、一部パラサイトは封印して手元に置いていることも、現場にいたUSNA軍よりも先に知っていた。そしてそれは、四葉から情報を奪うことに成功した九島家も同じだ。

 

 

 

 

 

 

 そう、パラサイトはすべてが退治されたのではなく――二体は、「生け捕り」にされているのである。

 

 

 

 

 

『………………嫌になってきた』

 

 

 

 

 達也の言葉を思い出す。あの兄が、ここまで投げやりになっている通り、相当複雑な状況だ。

 

 達也と深雪は本家から命令を下された。これからじっくりと、主にクラスメイトである幹比古といつきを相手に、封印したパラサイトをどこに置いているのか聞き出し、場合によっては、譲ってもらうよう言われているのだ。

 

 親友と、学校のヒーローを相手に、それをしろ、と命令されている。

 

 ――正直言って、全く乗り気にならないし、難度も無茶そのもの。

 

(ああ、お兄様、お兄様……)

 

 つい一時間前に分かれたばかりだというのに、もう愛しい兄が恋しくて仕方ない。

 

 今すぐにでも、「いつものように」抱き着き、「いつでもやってもらえてるように」頭を撫でてもらい、「どこでもやっているように」言葉と目でお互いの感情を共有したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――この一年間、司波兄妹は、事あるごとに、いつきとあずさの傍にいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――その影響で二人もまた「性別の違うきょうだい」の距離感が大幅に狂ってしまっていることに、未だに自覚はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 舞台の上でスポットライトを浴びながら、あずさは、この一年半と少しのことを思い浮かべる。

 

 いつきが入学してから、学校生活は、色々な意味で彩り豊かになった。

 

 可愛い弟との高校生活。弟の親友も加えた、本格的な研究。九校戦やハロウィンパーティ。

 

 4月のテロ事件もあったし、横浜事変もあったし、パラサイトとの戦いもあった。

 

 そして3月にはリーナとお別れ――それなりの頻度でビデオ通話しているのでお別れ感はないが――して、4月になり、いつきは二年生、自分は最高学年になった。スランプを脱した「神童」の幹比古は一科生に転科となり、サポートが必要ないつきの親友であることを考慮され、同じA組となった。

 

 そして今年度もまた、たくさんの出来事があった。脚や腕が動かなくても、いつきはいつも通り、明るくて、優しくて、かっこよくて、お利口で、可愛い、大好きな弟であった。

 

 そんな日々が続いて、10月の末。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここ京都で、あずさは第一高校の代表として、論文コンペに出場していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 たくさんの観衆に見つめられ、胸が早鐘を打ち、石のような生唾を飲み込む。緊張とスポットライトの熱で、全身に汗が流れてくる。

 

 そして自分に少し遅れて、補佐のいつきと幹比古が登壇し、準備にかかる。いつきは車椅子を幹比古に押されての登場で、その実績と九校戦での人気もあって、あずさ以上に目立ち、会場が少しざわめいた。

 

 刻一刻とスムーズに、舞台の準備が進み、ついに完了する。

 

 そしてブザーが鳴り、発表の時間が来た。

 

『皆さま、初めまして。ただいまより、第一高校代表、私、中条あずさの、研究発表を始めます』

 

 何度も練習した、始まりの言葉。緊張とは裏腹に、体が覚えていて、スラスラと口から流れ出てくる。

 

 そしてここで、あずさは言葉を止めた。

 

 次の言葉も練習してきた。まずはこの発表のタイトルだ。

 

 練習の通りに進めればよい。何も考えなくていい。

 

 だがそれでも、あずさは迷い、不自然な無言の時間が続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(大丈夫だよ、あずさお姉ちゃん)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、「心」に、声が届いた。

 

 大好きな大好きな、今自分の後ろで、車いすに座って、柔らかな笑みを浮かべているであろう弟の声。

 

 以前に聞いた言葉が蘇ったわけでもない。幻聴でもない。当然、いつきが発した言葉でもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の「心」に、弟の「心」が、直接届いているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰にも、幹比古たちや家族にすら話していない、二人だけの秘密。

 

 幽体、つまり魂、精神の情報体、そういったものを、二人は共有している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それ以来、二人は、お互いの思っていることが、テレパシーのように伝わるようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの激闘の後、眠りから目覚めて。真夜中にようやく二人きりになれた病室で、あずさはいつきのベッドに一緒に入り、いつものように抱き合って眠りながら、二人は心の中で、むき出しの本音で、会話していた。

 

 そして、お互いの心の声が全部聞こえると、確信した。

 

 二人は今、精神的に、繋がっているのだ。

 

 確認もした。

 

 長い長い眠りの間――二人は、同じ夢を見ていた。

 

 あの、いつきが小学校に入学した直後から、今までの、二人の人生。まるで走馬灯のように、だが死の直前のような不吉さのない、温かさと優しさに満ち溢れた、幼い二人の今までが、鮮明に思い出されていたのだ。

 

 あのパラサイトとの戦いは、二人の大きな節目になった。その確信があった。

 

 これからは、新しい生活で……そして、変わらない、いや、今まで以上に、深くつながり合った関係になる。

 

(ここは今、あずさお姉ちゃんだけの場所だから)

 

 弟の励ましが届く。

 

 あの時まででも、いつきのことは何でも分かっていると思っていたし、自分のことをいつきが何でもわかってくれてると思っていた。そして心が繋がったことで、それが確信になったし――お互いが思っている以上に、相手のことを知り、想っていたことに気づいた。

 

 大好き、大好き、あずさお姉ちゃん、ボクのお姉ちゃん。

 

 いっくん、大好き、ずっと一緒にいたい、そばにいたい。

 

 言葉でも動作でもなく「心」で、お互いを想い合っていたのである。

 

 その中で、いつきの、周囲への感情も分かった。

 

 

 幹比古君。頼りになる、一番の親友。これからも一緒にいたい。

 

 司波君。すごい人。ちょっと怖い。

 

 司波さん。綺麗ですごい人。なんか最近よそよそしいし、やたらパラサイトのことを聞いてきて挙動不審。

 

 服部先輩。あずさお姉ちゃんの親友。頼りになる先輩。お姉ちゃんと仲良すぎる。

 

 リーナさん。恩人。とっても強くて綺麗な女の子。大切な友達で仲間。幸せになって欲しい。

 

 沓子ちゃん様。ボクたちの神様。

 

 

 リーナと沓子がいつきに抱く気持ちは、傍から見ればよく分かる。そしてなぜか、胸がもやもやする。だけどいつきがどう思っているかを知って、安心し、少し優越感があった。この想いは、あずさは自覚はない。なぜだか怖くて、気づかないように、目を逸らした。

 

 

 こうして大切な弟と、心でつながった。

 

 心細い、注目を浴びる舞台の上でも、大好きないっくんが励ましてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(うん、ありがとね、いっくん)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あずさの心は決まった。

 

『ここで発表の前に、どうしても、お許しいただきたいことがあります』

 

 会場全体が不自然に思うほどの沈黙の末、予定にない言葉があずさから飛び出した。一高関係者は慌てだし、いつきは嬉しそうに笑い、幹比古は舞台装置の影に隠れて「あちゃー」と額に手を当てる。観客席の沓子と下手くそな変装をしているリーナも苦笑いだ。

 

『9か月前、痛ましい事件が、この日本で起きました。パラサイトによる連続殺人事件です』

 

 全員の記憶に新しい事件だった。そしてその解決は、この異常な事件を上回る程の反響を世間に及ぼした。

 

『その中で、こちらにいる、発表の補佐であり私の弟、中条いつきは、私たちを守るために命を懸け、今こうして生きていますが、このように、手足が動かせないでいます』

 

 悲劇のヒーロー。いつきに対する世間の印象は、魔法師社会でもおおむねそのような感じだ。学校に復帰する頃にはテレビの取材にもある程度答えるようになり、その姿が世間に晒されるにつれ、その明るさも健気さとして受け止められ、同情を誘った。

 

 そしてその後、今年の九校戦でも、車いすでも競技に支障がない『アイス・ピラーズ・ブレイク』男子ソロで出場し、決勝では将輝との激闘を繰り広げた。その魔法力の高さゆえに、その「魂」に残った障害が惜しまれた。

 

『今回の研究の動機は、私の大切な弟である彼を治すことでした。だから、この研究に、私の弟の存在は欠かせません』

 

 これはマナー違反だ。正式な学術的な場に、あまりにも相応しくない。普段のあずさならば、こんなことは絶対しない。

 

 それでも、この憧れの舞台で――これだけは、譲ることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『そこで、大変申し訳ございませんが……普段私が彼のことを呼んでいるように、この発表の中でも、弟のことを『いっくん』と呼ぶことを、お許しください』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう言って、あずさは、腰を90度折って、ピョコンと頭を下げる。

 

 ああ、言ってしまった。

 

 だが、後悔はない。これで許されないとしても、仕方のないことだ。

 

 会場も困惑し、どう反応したものか困っている。

 

 あずさの心に不安が満ちたその時――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――会場に、まばらな拍手が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこから、どんどんと大きくなり、ついには会場を揺るがす、万雷の拍手へと変わる。

 

 ――観客たちは、彼女の思いに胸を打たれ、このルール違反を認めた。

 

『――――っ! あ、あり、ありがとうございます!』

 

 また深く腰を折り頭を下げる。もうこれだけで、泣き出してしまいそうだった。

 

 だが、ここからが本番。自分と、大好きないっくんの、大事な大事な夢舞台だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――あずさには、小学生以来待ち望んだこの夢舞台以外にも、もう一つ、夢が出来ていた。

 

 

 

 

 

 

 それは、魔法大学の魔法医学部に進学し――いつきや、同じように困っている人たちを、治す事。

 

 自分の得意がこれ以上ないほどに活かせて、そして色んな人を、何よりも大好きな大好きないっくんを、救うことができる。

 

『それでは、発表に移ります』

 

 小さな口で、すぅ、と息を吸う。

 

 相変わらず身体は小さくて、他人から見れば少ないが、これでも深呼吸だ。

 

 それでも、そのか弱い少女から発せられたとは思えない、芯の通った、力強い言葉が、会場に響き渡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『タイトルは、「精神干渉系魔法を用いた、精神情報のエイドスである幽体の治療」です』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この十数分後、発表のクライマックス。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幹比古のサポートの下、あずさといつきが協力して作り上げて行使した魔法により、いつきはほんの少しだけ、自力で歩き左手を観客に振ることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あずさが夢見た論文コンペの舞台で、彼女の成果は、確かに人々の胸を打ったのであった。




これにて『魔法科高校の劣等生・来訪者編クリアRTA』本編完結です。最後まで読んでくださりありがとうございました!

走者から解き放たれたクリア後の様子を描いた「おま○けのコーナー」も投稿予定(あくまで予定)ですので、そちらもぜひお楽しみください。

また、先日から新作『ポケットモンスター・ソード ホップに敗北RTA 水統一チャート』も投稿を始めました。今作とはまた違った毛色です。ぜひそちらもお読みください。
https://syosetu.org/novel/291060/

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。