山中湖での一件を受けて、俺は特別講義を開くことにした。
放課後に学校の視聴覚室を貸し切り、野クルの大垣さん、犬山さんと各務原さんに今回同行した斉藤さんにソロキャンプをする志摩さんを集める。
「起立、気をつけ、礼!」
「「「「「お願いします。」」」」」
大垣さんの号令で他の四人が俺に一礼した。
「はい、お願いします。ということで今日は低体温症と凍傷についての講義します。」
俺は初めてだが教鞭を振るう。
「まず、低体温症についてだね。低体温症はおおざっぱにいうと深部体温が35℃以下になると発症します。」
「どのような症状が出るんですか?」
「良い質問だね。志摩さん……えー激しい震えに始まり、判断能力低下と錯乱、さらに筋肉の硬直、呼吸と脈拍数も下がり多臓器不全を起こし最終的に死に至ります。」
「飯田さん親子に助けて貰ったアタシらは、運が良かったのか……」
「そうだね、大垣さん。中等症以上で死亡率は40%に跳ね上ります。」
「じゃあ、低体温症を防ぐためには体をあっためんといかんねぇー」
「基本的だけど、それが一番の解決策だね。」
「千代さん、凍傷とは何ですか?」
「じゃあ、これを見て貰おう……」
俺はパソコンを操作してスクリーンに画像を映した。
そこに映し出された画像は、両手それぞれの指の第一または第二関節から先が、炭のように黒ずんで変色している。
「う……」
あまりの酷い状態に各務原さんは目を背けた。
「凍傷とは皮膚に寒冷が直接作用したときに、組織が凍ることによって生じる傷害であり、多くは厳寒下、強風また高冷地でなってしまうことが多いんだ。登山中の遭難、冬季スポーツ時スキー靴等の不適合などによる足の小趾の外側、母趾の先端の凍傷、寒冷地の学童の耳、手、幼児の頬などさまざまだ。」
「千代さん、この画像はいったいどういう状況なんですか?」
斉藤さんが聞く。
「この画像は一番ひどいモノで、凍傷により指先に血液が通うことが出来ずに筋肉や骨、また細胞が壊死してまったんだよ。これは全部切断しないといけないレベルだ。」
「アタシたち、冬のキャンプに馴れてきて調子乗ってたんだな……」
「私は良くソロキャンプするから、改めて気をつけるようにしないといけないな。」
「私もリンちゃんみたいにソロキャンプしたかったんだけどな~千代さんのお話を聞いて怖くなっちゃった……」
「あーえっと各務原さん?勘違いしちゃいけないよ?自分は冬にキャンプをするなとは言っていない。むしろアウトドアは自然とふれあう数少ないチャンスだ。だけどそれと同時に危険も伴うから、ちゃんと準備と対策をしようね?ってこと……」
「なでしこはソロキャンプをしたいの?」
「うん!リンちゃんみたいにソロキャンガールをやってみたいんだよー!」
「何だよ、それ……」
「まあ、自分もフォローできるところは協力するよ。」
「やったー!」
「なでしこちゃんもソロキャンデビューかぁ♪」
講習の合間にみんなで和気あいあいと話していると、職員会議を終えた鳥羽先生と大町先生がやってきた。
「あ、鳥羽先生。お疲れ様です。」
「おつかれさまー」
「あれ?大町先生も千代さんの特別講習に参加するんッスか?」
「ああ、先生も登山部の顧問してるからな……元自衛官の千代さんの話はためになるんだよ。」
「なんかそう言われると照れくさいですね。」
「では千代さん、他に話しておきたいことはありますか?」
「じゃあー最後に情報収集をすること無く、その上準備不足で厳冬期の冬山に入った結果、悲惨な結果になった事例を話します。」
俺は前もってまとめていた資料や画像をスクリーンに映す。
その後、俺の講義は一時間ほどで終わった。
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特別講義から数日たった放課後……
「これはだいぶひどいなー」
図書室の隅っこで俺は修繕作業をしていた。
木製本棚の本を置く板が長年の使用で劣化し、真っ二つに折れていたのだ。
「うーむ、これは新しい板をはめ込んだ方が良いな……」
持っていたスケールで高さ、幅、奥行きを測る。
そんなことをしていると、楽しそうに話す、聞き覚えのある声がした。
「なーなでしこ……ソロキャン行くって、本気なの?」
「うん!今週末に行こうと思うんだ。バイトも休みだから。」
それは各務原さんと志摩さんであった。
「なんでまた……」
「ほら……お正月にリンちゃん、『ソロキャンプはみんなでやるキャンプと全く違うアウトドアだ。』って言ってたでしょ?」
「私、そんなこと言ったっけ?」
「うん。今日はリンちゃんにソロキャンの始め方をじっくり聞こうと思って……」
二人の話しを盗み聞いてしまったが、なるほど、志摩さんは各務原さんを焚き付けていたのか。
「よし、あとははめ込む板を買いに行けば良いか……」
今日の仕事は終わりだ。
図書室唯一の出入り口に向かうと、カウンターに居る志摩さんに声をかけられる。
「千代さん、どうでした?」
「折れた板を代えないといけないね。明日の午前中には修理は終わるよ。」
「そうなんですね。ありがとうございます。」
「お礼なんてとんでもない。仕事だから当然のことだよ。それで各務原さんはどうなの?ソロキャンの準備は?」
「うーん、いろんな場所に行ってみたいけど……私もリンちゃんや千代さんみたいに免許取りたいな。」
彼女の言葉に想像を膨らませてみた。
「あーー」
各務原さんが原付の免許を取得する。
ツーリングに行って、途中で道に迷って、ガス欠起こして、立ちゴケからの引き起こし不能……気づいたら、初めて出会ったあの本栖湖を思い出していた。
「えっと……」
「あ、千代さんが言いたいことは分かってます。リンちゃんも絶対に取るなって!凄い伝わってくるよ……」
「確かに家族のみんなからも反対されそう……」
「でもいつか取ろうよ。」
「はい!でも今回はリンちゃんの原付にリヤカー付けて運んでもらおう!」
「重くて進まなくなるだろう。」
「じゃあ、千代さんの車の後ろにリヤカーを……」
「そこはおとなしく車に乗ろうよ……」
「えへへ……」
「じゃあ、自分は事務室に戻るから。二人とも下校時刻までには帰るんだよ?」
「「はーい。」」
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そして週末が来た。
今日俺は桜さんとデートをする。
待ち合わせ場所は桜さんの自宅だ。
ロクダボで彼女の家を目指す。
途中でソロキャンに行くのであろう装備満載の水色ビーノに乗る志摩さんを見かける。
「あ、志摩さん……キャンプに行くんだ。」
その後、桜さんの自宅へと到着した。
インターホンを押すと桜さんが出る。
「千代です。お待たせしました。」
『すぐに行きますね。』
桜さんが玄関に現れた。
「じゃあ、お母さん。いってくるね。」
「ええ、気をつけてね。」
親子のやりとりを見てると微笑ましくなるよね?
そんなことを思っていると、背後に人の気配を感じたかと思えば急に声を掛けられた。
「おはよう。千代くん……♪」
振り向くとそこにいたのは、桜さんの父親だった。
「しゅ、修一朗さんッ!!?」
「そんなにかしこまって……気軽にお義父さんと呼んでくれても良いんだよ?」
「ハハハ……」
グイグイと来る修一朗さんに、思わず苦笑い……
「キミは本当に乗り物が好きなんだねぇ?」
「え?ええ……こんなのに乗れるのは若い内だと思っているので、楽しめる時に楽しまないと……」
「でもね?お父さん。彼、そんなこと言ってるけどジェットコースターとか苦手なんだよ……♪」
「ああー!桜さん!それは言わない約束でしょー!」
「フフ♪さあ行きましょ♪」
小悪魔的な笑みで桜さんは自身の車に乗り込む。
「すいません。今日はお嬢さんをお借りします。」
「ああ、楽しんで来なさい。」
「いってきます。」
俺は桜さんの隣に座った。
俺たちは彼女のご両親に見送られながら出発する。
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「あの?桜さん……」
「何でしょう?」
「どうしてバラしちゃったんですか?あれほど秘密してくれって頼んだのに……」
「え?あ~あのジェットコースターが怖いってことですか?別に良いじゃないですか?」
「でも男にはプライドってもんが…………」
「可愛いプライドですね♪」
「もう。いいです……」
「あれ?すねました?」
え?俺ってそんなにからかいがいがあるの?
これでは男としての威厳が皆無じゃないか。
「すねてません。」
桜さんに対して、俺は細やかな抵抗する。
と言っても、ただ頬を膨らませた仏頂面で流れる景色を見るだけどね……
「ホント千代さんって可愛い♪」
「むぅ………それで桜さん、今日はどこに連れてってくれるんですか?」
「今日は奈良田湖の温泉郷を歩いて古民家カフェに行こうかなっと……」
俺を乗せた車は桜さんの運転で一路、奈良田湖の温泉郷へと向かう。
「そういえば妹さんもキャンプに向かわれたんですよね?」
「ええ、朝早くにたくさんの荷物を背負って……」
休憩を挟みつつ、俺たちは1時間半ほど掛けて奈良田湖に着いた。
奈良田湖とは富士川水系早川を上り、南アルプスの山中に存在する、山梨県営の発電用ダムでせき止められた湖であり、名前の由来はダム湖の底に沈んだ辺境の集落、奈良田地区にちなんで名付けられている。
「おおー!きれいなエメラルドグリーンだ。」
「いい天気でさらに映えますよね?もうすぐ着きますよ。」
目的地に到着した。
車を駐車場に止めて、俺たちは車から降りる。
「私のオススメする古民家カフェはこの先です。」
彼女はおもむろに俺の手を取った。
「あ……////」
突然なことに間の抜けた声を出してしまう。
「さあ、行きましょう♪」
桜さんはニッコリと笑い、そして俺の手を引きカフェを目指した。
次回に続く。
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