与えられた銀朱の衣は、入れ替わり解消前に玲琳が自ら繕ってくれたらしく──纏えば、まるで誂えたように馴染んだ。
上等な衣も上級女官の地位も興味はなかったが、悪くない。
玲琳や冬雪から持たされた大量の『挨拶の品』を抱えて朱駒宮へ。すると宮は、門をくぐる前にわかるほど慌ただしさに包まれていた。
「ああ、そうか。鷲官による宮の捜索が続いているのか」
「なんだ、まるで他人事だな」
独り言に反応する声に、猫猫はげっと心中で毒づく。鷲官らしい武装に、似つかわしくないほどの美貌。女の装いもさぞかし似合うであろう鷲官の長が門からこちらに歩いてくる。
「ごきげんよう、壬氏さま」
「ああ」
最低限取り繕って挨拶。壬氏はそれに軽く応じながら、悪戯をする男児のような笑みを浮かべて。
「銀朱の衣など纏って、黄麒宮を追い出されでもしたのか?」
「違います。というか、玲琳さまの名で届けが出ているのでは?」
「聞いている。形式としては黄麒宮から朱駒宮への短期貸し出しだな。また珍しい制度を利用したものだ」
「他家の者を宮に入れるなど、工作してくれと言わんばかりですからね」
懸念を吹き飛ばすほど雛女同士の仲が良いか、あるいは人手が足りないか。今回の場合はその両方である。
「ところで、このようなところで油を売っていてよろしいのですか?」
猫猫は、今も忙しく働いている鷲官たちを見ながら尋ねた。宮の捜索となればあれこれ物を動かしたり運び出したりと大変な重労働である。人手はいくらあっても足りないくらいだろう。しかし壬氏はどうということもないかのように、
「私は指示を出す立場だからな。あくせく動いているとむしろ下の者に気を遣われてしまう」
「それはまあ、そうなのでしょうけれど」
例外的な措置で宮を移動してきた女官を牽制、あるいは探るために敢えてそうしているのではないか? ついそう考えてしまう程度には食えない男だ。なにをどこまで考えているのか読みづらい。
思わばあの時もそうだったと、朱貴妃告発の件で取り調べを受けた時のことを思い出す。
〇●〇
「単刀直入に聞く。黄玲琳と朱慧月は入れ替わっているのだろう?」
何故か四阿(あずまや)に連れていかれた猫猫は、着席して向かい合うなり確信を突かれた。
完璧に知らん顔ができたか、正直自信がない。だというのにぶっこんできた当人はいい笑顔なのだから気に入らない。
「なにを仰るかと思えば」
答える声は若干上ずっていた。
「仰っている意味がわかりかねます。玲琳さまと朱慧月さまは顔立ちも異なりますので、仮に着衣を入れ替えたとしてもすぐにわかるかと」
「確かにそうだな。入れ替わったのが『人間丸ごとならば』だが」
(こいつ)
確信を持っていやがる。
「先入観を排して考えてみれば、簡単な話だ。乞巧節の事件以降、朱慧月は『人が変わったように』才覚を見せ始め、黄玲琳は殿下に違和感を抱かせる行いが増えた。いかにも奇妙な出来事だが、素直に『中身が入れ替わったのだ』と考えれば納得がゆく」
「本気で仰っているのですか? 人の中身だけが入れ替わるなど、常識的に考えてあるはずがないで──」
「道術」
ぎくりと、猫猫は身体を硬直させた。壬氏は当然その隙を見逃さず、不敵な笑みと共にさらに猫猫を追い詰めてくる。
「部下から話を聞いた。お前達が茶会で示した証拠品の香炉、あれは道術の使用を示唆する物だろう?」
「まじない、願掛けの類はすべて道術に通じるものでしょう? ただの嫌がらせと、実際に効力があったものの区別はどうつけるのです?」
「話の流れからして、追い詰めようとした相手は朱貴妃で間違いない。あの方が道術を用いて黄玲琳を呪ったのだとして、それを看破できる人間は誰か? 素直に考えれば朱家の雛女である朱慧月だ」
明確な根拠はあるのかと問う猫猫に、壬氏は淡々と状況証拠を積み重ねてくる。厄介だが、これならばしらばっくれることは可能か? と思ったその時、
「実を言えば、確信に至った根拠はある。……朱慧月が破魔の弓を引いた夜、殿下は紫龍泉の水をかの雛女に届けに行った。その際に見たのだ。『水面に映る黄玲琳の顔』をな」
(玲琳さま、そんな話聞いていませんが!?)
猫猫たちが作戦会議を終えた後くらいか? 雛女二人はだいぶお疲れだっただろうから、大した対応はできなかっただろう。もしかしたら莉莉に謝られた挙句、慧月(中身は玲琳)の寝顔を見た程度かもしれない。
いざ決戦に挑む前だったのでうっかり伝え忘れていたのか。
これは、もうしらばっくれられそうにない。猫猫は小さくため息をついた。
「安心しろ。誰にも口外するつもりはない」
「信じる根拠がありませんし、そもそも誰に聞かれているかわかりません」
「わざわざ四阿に移動したのは何故だと思う? ここに近づく者がいればすぐにわかる。内緒話をするならば密室に籠もるよりも、いっそ開けた場所に赴くほうが良い」
なるほど。逢引にも使われるように、四阿というのは案外安心感が強い。
「実は、皇太子殿下がだいぶ参っていてな。強引に問い詰めようにも、朱慧月は翌日いそいそと茶会に出かけていくわ、かと思えば貴妃が罪人となるわでそれどころではなかった」
「……その節はご迷惑をおかけしました」
「いや、こちらも宮の捜索をすぐに快諾できずにすまなかった。……ともかく、そういうわけで殿下を安心させてやりたいのだ。まあ、放っておいても痺れを切らして問い詰めに向かわれるかもしれないが」
じゃあそれでいいだろ、と言いたくなるのを堪えて、猫猫は首を振った。
「信用してよろしいのですね?」
「無論だ。私は皇太子殿下と一対一で話のできる立場であり、かつ、翻意を抱く事のできない立場でもある。あの方の害になるような行動を取る事はない」
「……そういうことであれば、お話いたします。確かに、黄玲琳さまと朱慧月さまは道術により入れ替わっておられます。というのも……」
〇●〇
「本当に、お前は面白い動きをするな。漢羅漢大尉の娘……名前は、猫猫といったか?」
笑みを浮かべて頬に触れてこようとする壬氏。鳥肌のような感覚に襲われた猫猫は一歩下がり、礼を取る。
「下賤の者ゆえ、お手を触れないようお願い申し上げます」
「軍師の娘が下賤の者なら、後宮女官の大部分も下賤だが」
(くっ、妓楼育ちの薬屋で通しておけば良かった。……まあ、雛女付きのための箔付けの意味もあったからな)
確か、鷲官長はかなりの要職だ。具体的には、最下級妃であれば娶ることが可能なほど。つまり壬氏が望み、皇太子が許可を出せば、朱慧月は彼の妻になる公算が高い。……雛女付きの女官であればもっと簡単に娶れるだろう。
壬氏に憧れる女が多いのは、なにも美貌だけが理由ではないのだ。
と、そこで猫猫、それから壬氏のもとに歩いてくる人の気配。
「鷲官長様、こちらにいらしたのですね。……っと、ああ、来ていたのか。ようこそ朱駒宮へ。と言っても見ての通り立て込んでいるけどな」
朱慧月の筆頭女官──莉莉は、鷲官長に対する礼を取った後で、猫猫に向けて親し気に話しかけてきた。二人の纏う銀朱の衣は、作者が同じだけあってどこか似通ったものを感じる。
「仕方ない。というか、せっかく来たんだから手伝わせてくれ。こう見えて、それなりに力仕事にも慣れてる」
「それは助かる。なにせ人手が足りなくてな」
肩を竦めた莉莉は宮のほうに視線を向けて眉を寄せた。合わせて壬氏まで苦笑いを浮かべるあたり、だいぶ『立て込んでいる』のだろう。
(さて、鬼が出るか蛇が出るか)
踏み込んだ朱駒宮はだいぶ荒れていた。と言っても見るからに汚れているとか散らかっているわけではない。捜索のためにそうなっている部分はあるものの、さすがに普段から掃除くらいはしているのだろう。
問題は、鷲官たちに対する女官の対応だ。
「あら、素敵な鷲官様。お仕事に精が出ますこと。いかがでしょう? お疲れでしょうし、お茶を飲んで休憩なさいませんこと? 茶菓子も用意しておりますわ」
「ちょっと、あなた! その燭台は乱暴に扱わないで頂戴! まったく、鷲官と言ってもしょせんは男ね。動作の一つ一つが雑なのよ」
「ああ、朱貴妃様が罪を犯されたなどとまだ信じられませんわ……っ。その上、罪の証拠を探すなどと、まるで、あのドブネズミが貴妃様を罪人に仕立て上げようとしているかのよう!」
朱貴妃の失脚を仕方ないと胸の内で処理し、それよりも手近な鷲官に取り入ろうとする者。
宮の中での地位に固執し、下っ端の鷲官相手に威張り散らす者。
朱貴妃への思慕が強いあまり、皇太后や皇太子への疑念を口にし、自分たちの雛女である朱慧月までこき下ろす者。
意図して妨害している雰囲気はあまりないものの、全体的に感情的かつ、手よりも口が動いている。鷲官としても宮の内情を知る女官たちをあまり無下にはできず、結果、たびたび手を止めることになっている。
「ああもう……! だから、あんたたちは大人しくしてろって言ってるだろ! 鷲官への協力は雛女様からの指示でもあるんだぞ!」
「あら、妃を売ったドブネズミとその筆頭女官がなにを偉そうに」
(ああ、そういうやつね)
各宮には『雛女』と『妃』がそれぞれ存在する。黄麒宮の場合は雛女である黄玲琳と、皇太后である黄絹秀だ。人手が足りない場合は協力するし掃除などは分担して行われるものの、指揮系統は分かれているし筆頭女官はそれぞれにいる。
貴妃付きの女官だった者たちにとって「勝手に雛女が任命した下級あがりの雛女付き筆頭女官」など従うべき対象ではないし、雛女付きの女官だった者たちはドブネズミ時代の朱慧月から罵声、いじめ、嫌がらせを直接的に受けている。
結果、朱慧月と、それから莉莉は朱駒宮内で孤立しているというわけである。
(半分以上、慧月さまの自業自得ではあるが……仕事が滞るのも困るんだよな)
猫猫は、言い争いになりそうな場に割って入った。
「失礼いたします。先にご挨拶させていただいてもよろしいでしょうか」
「は? なによあなた。見ない顔ね」
「はい。私は漢猫猫。黄麒宮より応援として遣わされて参りました。しばらくの間、朱慧月さま付きの女官としてお世話になります」
「ちなみにこいつは私の補佐役兼、雛女様の教育係だ。貴妃様のいないこの宮では実質、二番目に偉い女官だからな」
異例の妃失脚により指揮系統を一本化せざるを得なくなった以上、女官たちが慧月に従うのは本来当然のことなのだが、
「ふん、黄家の人間の力なんて必要ないわ。帰って頂戴。というか、誰の許可を得て宮の敷居を跨いでいるのかしら」
「そうよそうよ。勝手なことをしないでくれないかしら!?」
(気持ちはわかるが、文句を聞いてやる気はない)
「許可ならば雛女さまから得ております。こちらの衣も正式に賜ったものですので、抗議されても困ります」
しかしそこは感情の起伏が激しい朱家の者たち、この程度で納得するはずもなく。
「だいたい、そこの庶民の下につくくらいだからあなたも身分が低いんでしょう? 育ちの悪さが態度に出ているもの」
「雛女が低俗なら女官も低俗、これでは朱駒宮自体の品位が落ちてしまうじゃない」
朱家としては、貴妃があんなことになってしまった以上、少しでも挽回を図りたい。あるいは、損害をできるだけ抑えたい。となれば、朱慧月への支援をいっさいやめて雛女の座から退かせ代役を立てるのが妥当。ゆえに外部からの改善も期待できない。ならば、
「おい。さっきから聞いてりゃ勝手なことばかりぺらぺらと。お前らの仕事はなんだ? 雛女さまの世話ができないってんならさっさとこんなところ辞めちまえ」
無理やりにでも叩き直すしかない。
女官というのは上に行くほど良家の令嬢出が多くなる。汚い言葉遣いに慣れていないものも多いため、猫猫の発した、良くドスの利いた声にみな動揺した。
「な……っ。あなた、いきなり何を……っ!?」
「言っておくけどな、こっちは『黄玲琳さま』『朱慧月さま』お二人の合意のうえで派遣されてきてるんだ。そしてそのことは鷲官長さまや皇太后さまも承認してる。意味はわかるな? お前らの対応次第では『朱家は黄家の厚意を踏みにじった』という結果が残るんだぞ」
猫猫は、文句だけ言って手を動かさない人間が嫌いだ。気まぐれに振舞っていても金になるのは妓女の中でも一握りの傑物くらいである。
「雛宮の女官は五家ゆかりの人間しか務められない。逆に言えば、黄家ゆかりの者が朱駒宮に仕えることは問題ない。おら、クビになりたい奴は望み通りにしてやるから一人ずつ名前を言っていけ。残らず雛女さまに報告してやる」
思い切り脅かしてやったらひとまず女官たちの態度は改善され、鷲官たちから大いに感謝された。代わりに猫猫はめちゃくちゃ嫌われたし、脅しの効果は日を追うごとに消えていったが。