「意外とやるじゃない、あなた。薬以外にも取り柄があったのね」
「それはどうも」
怒るな怒るな、と、自分に言い聞かせながら猫猫は礼の形を取った。相手は朱家の雛女こと朱慧月。本来の主である朱貴妃なき今、この朱駒宮で一番偉いお方である。
彼女は、ろくに働く気がないどころか邪魔をしている奴さえいる女官たちに代わり、鷲官による朱駒宮捜索を手伝っていた。もちろん自分で手を動かすわけではなく、あれはどこにある、などの問い合わせに答えたり、騒ぎに乗じた不心得者がいないか見張るのが主だが。
(本来なら側近の仕事だよなあ)
黄玲琳を擁する黄麒宮で言えば冬雪や、皇后・絹秀の筆頭女官。玲琳や絹秀は室(へや)にいて時折彼女らに指示を出す程度でいい。
では慧月の側近である莉莉はといえば、先ほど見た通り、慧月と手分けをしてあくせく働いており。
猫の手も借りたいところに飛び込んできたのが猫猫、そしてその容赦ない罵倒と脅しにより、女官たちはどうにかこうにか動き出した。
「あくまでも一時的な対処に過ぎませんが、今回の捜索に関しては乗り切れるかと。壬氏様も監視や指示だしにはかなりうるさい方のようですから」
「……なら、良かったわ。わたくしには正直、どこになにがあるかなんて半分もわからないし、女官たちに口うるさく言う権利もないもの」
(おや、意外としおらしい)
莉莉の代わりに雛女について室に向かいながら、猫猫は目を丸くした。
「てっきり、他の女官たちとも罵りあいを演じていらっしゃるかと」
「はあ!? わたくしをいったい誰だと思っているのかしら!?」
(朱慧月)
「……女官たちには、今までのことを謝ったわ。わたくしの態度がひどかったのは、れっきとした事実だもの。でも、それで許してもらえるかは話が別でしょう?」
「そうですね。特に、ドブネズミと呼ばれるくらい嫌われていれば」
突然謝罪されたところでなにかの作為を疑うか、あれだけやっておいて困ったら頭を下げるのかと侮蔑するのがせいぜいだろう。見直してくれるとしたら莉莉や冬雪のように頑張る姿を近くで見られる者くらいである。
なお、黄玲琳は最初から慧月を見損なっていないので例外とする。
室には物が溢れており、かつ、見るからに散らかっていた。
「ああもう、捜索への協力意外にもやることが山積みだっていうのに!」
そばかすの雛女がわめくのを聞き流し、猫猫は手近な卓の上に置かれた木簡の束を手に取った。
「ああ、朱駒宮の予算に関する通達ですか。こっちは料理人や下働きからの費用申請。朱貴妃さま宛ての請求書……これ、私が見ないほうがいいですか?」
「別にいいわよ、好きに見て頂戴。黄玲琳がゆすりのねたに使うところなんて想像できないし、冬雪ならそんな回りくどい手は使わないでしょう」
「ああ、冬雪さまなら物理ですね」
ふむふむなるほど、と、目を通していく猫猫。その様子を見て慧月は目を細めた。
「あなた、もしかして数字は得意なの?」
「金はあって困るものではありませんので、金勘定は自然と覚えました。なにせ欲しい物が多かったので、小遣いのやりくりは欠かせません」
「欲しい物ね。どうせ薬の材料かなにかでしょうけど……あなた、軍師殿のお嬢様よね? 欲しい物なんていくらでも買ってもらえたんじゃないの?」
「父は私と母にいくらでも金を使う性質ですが、それではいくらなんでも破綻しますので、母が財布の紐を締めていました。こちらは逆に『自分の金は自分で稼げ』という人でして」
元妓女だけにそのあたりの人生観は地に足がついている。というか、あの人は基本的に碁と将棋、それから父以外のことが二の次だ。
「これはなかなか予算のやりくりが厳しそうですね。朱家からの支援金が途絶えたせいですか」
「そうよ。ドブネズミに寄越す金なんてないということでしょう」
宮の運営費は主に「国から配分された予算」と「家からの支援金」の二つによって賄われている。皇后を輩出した黄家や派手好きの金家などは家から多くの金が出るし、質実剛健かつ下位に位置する玄家はおそらくだいぶ絞られているはず。
(で、朱家からの支援金はゼロ、と)
「とはいえ、国からはきちんと予算が下りているのですから、やってやれないことはないのでは?」
「どうやって? 資料を見る限り、このままじゃ今後毎月赤字なのよ!?」
「予算が減ったのに支出がそのままでは赤が出るのは当然です。削れるところは削りましょう。そうですね、例えば人件費とか」
「ちょっと、お金がなかったら人は飢えて死ぬのよ!?」
悲鳴を上げる慧月。こういうところ、決して情のない人物ではないのがわかる。というか、情が深すぎるがゆえに悪い方向へ行くと一直線なのだろう。あと性格はわりと普通に悪い。
「慧月様。考えてみてください。筆頭女官である莉莉には特別な手当がつきますが、それを差し引いても、仕事をしない他の女官に給料を満額与えるのは不満では?」
「それは……そうね」
「そもそも、貴妃さま不在の朱駒宮に今までと同じ人数はいりません。女官たちの実家も、引き取れと言われれば喜んで応じるのでは?」
それから、と、少し考えて、
「手っ取り早く当座の金を得る方法としては、調度品や美術品を売るとか」
「贅沢は宮の気品と威厳を保つためにも必要なのよ!?」
「いや、もう十分過ぎるほどあるじゃないですか。少しくらい売っても問題ないでしょう。今は宮の所蔵品が整理されていますから、ちょうどいい機会です」
鷲官たちの捜索が終わったらもとに戻さないといけないのだから、ついでに目録でも作って、必要ない分は売ってしまえばいい。宮も保管庫もすっきりする。
あとはあれとこれと、と、指折り考えていると、慧月はだんだんと半眼になって、
「けち」
「堅実と言ってください。妓楼も雛宮も、華やかに見えてその実、他人からの援助に頼ったいびつな構造なのですから、締めるところは締めなければ」
「……なるほどね」
頷いた慧月は噛みしめるようにして、
「そうよね。わたくしに予算を寄越さない朱家が悪いんだもの。今はわたくしの宮である以上、好きに運営してなにが悪いの? あいにくわたくしはドブネズミだから、地味な方法しか知らないのよ」
「その意気です、慧月さま。さすが、朱家の方はこういう時に思い切りがいいですね」
なんだか焚きつけてしまっているような気もするが、猫猫の主が介入してもきっと似たようなもの──どころか、もっとひどいことになるはずなので、気にしないことにする。
その後、雛女の決定によって朱駒宮から退職者の希望(僅かながら退職金付き)が募られた。
また、注意・勧告の後も勤務態度が改まらない女官に対しては段階的な減給を実施、地味ながら確実に人件費削減と環境改善に役立った。
〇●〇
宮の捜索が無事終了。結果は通達を待つとして、鷲官たちが大勢で運び出したり並べたりした書物、調度品、美術品、嗜好品等々を、主に莉莉と猫猫の二人で確認、目録化して慧月に確認してもらい、余分なものは売却し。
猫猫は、ようやく主目的である慧月の教育係を始めることができた。
(でもまあ、私、あんまり必要なかったよなあ)
「あなたも黄玲琳もわたくしに厳しすぎるのよ!? こんなに詰め込まれても覚えられるわけがないでしょう!?」
本来の主である黄玲琳が毎日のように茶会に誘ったり将棋をしないかと持ち掛けてくる。そしてそのついでとばかりに慧月にあれこれと楽しそうに教育を施していくからだ。
おかげで雛女は今日も今日とて宮の自室に帰るなり弱音を吐いている。
これに関しては猫猫も正直、興味のない事柄は勉強したくない性質なのであまり人のことは言えないのだが。
「不足していた分を補おうとするのですから、詰め込み気味になるのは仕方ありません」
「それにしたって限度があるでしょう!?」
「まあ、あたしから見ても玲琳様は厳しいです。というか、あたしと猫猫もとばっちりを食らっているというか……」
莉莉が視線を逸らしながら主に同意する。実際、舞の稽古になると猫猫たちも一緒に舞わされたり、書や詩の話になると「自分たちもこれ、覚えておかないとまずいのでは」みたいな圧を感じたりしている。おかげで猫猫の知識が付け焼刃であることがばれそうに──。
猫猫はこほん、と咳ばらいをして話題を逸らした。
「考え方を変えてみてはどうでしょうか」
「は? どういうことよ?」
「傾向と対策に沿って重点的に学習するのです。主に雛女としての実力を求めてくるのは皇太子殿下と金家の雛女・金清佳さまですので、お二人の眼鏡に適うことができれば一定の評価を得られましょう」
皇帝はあまり雛宮には顔を出さないし、皇后・絹秀の求める優秀さは胆力とか根性とか意外性に寄っているため通常の勉強では身につかない。
相手を絞れば少しは楽になるのではという提案に、しかし、慧月は顔をひきつらせ、
「ちょっと待ちなさいよ! 皇太子殿下のご趣味はわからないけれど、金清佳ですって!? あの優等生ぶった性悪の納得する実力なんて『完璧』以外にあるわけないじゃない!」
「……いやあ、それは、まあ。そうなんですけど」
猫猫が目を逸らすと、室に慧月の悲鳴が響いた。
「やっぱり無理なのよ! わたくしが努力したって黄玲琳や金清佳に追いつけるわけがないんだもの!」
「……おい、これ、なんとかしろよ」
「……わかってる」
小突きながら囁いてくる莉莉に同じく小声で返して、
「慧月さま。なにも玲琳さまや清佳さまと同じ実力を身に着ける必要はないかと」
「え?」
きょとんと振り返った少女に、経験から来る助言を試みる。
「私には妓楼・緑青館に、血のつながらない姉が複数おります。特に縁の深い三姫はいずれも名高い妓女ですが、誰もが同じ能力を持っているわけではありません」
白鈴は舞が得意で夜の戦に負けがない、梅梅は碁や将棋を得意としており面倒見が良い性格、女華は性格にきついところがあるが書や詩に通じており知的な会話ができる。
「つまり、慧月さまも慧月なりの長所を手に入れればいいのです」
これは少しは響いたのだろうか。慧月は何度かまばたきを繰り返した後、頷いて、それから莉莉を見た。
「ねえ。わたくしの長所ってなんだと思う?」
尋ねられた利莉は三秒ほど沈黙し、額に汗を浮かべながら答えた。
「……道術、とか?」
「そんなもの得意げに披露したら終わりよ! おしまいよ! 下手をしたら処刑だわ!」
「まあまあまあ」
「まあまあまあまあ」
二人で必死に宥めた。
「慧月様の身体は頑丈じゃないですか。玲琳様も慧月様の身体にいた時は弧旋舞なんて踊ってましたし、運動量の多い舞の才能はあるかも」
「道術を用いる才覚をなにかに活かせないでしょうか。人と異なる感覚を持っているのならば、詩や絵画にも応用がきけば──そうだ、異国語でもかじってみますか?」
対策が合っているかはいまいちわからないものの、そうやってあれこれ言っているととりあえず慧月の癇癪は収まり、(いつもそうではあるのだが)最終的にはしっかりと勉強や鍛錬に励みだした。
途中、玲琳のわがままで何度か短期間の入れ替わりを挟んだりしつつ、慧月の元に新たな一報が届いて──。
〇●〇
「そんな……豊穣祭を南領で……!? 無理よ、ただでさえいっぱいいっぱいなのに、この上豊穣祭を取り仕切るなんて……!」
五家の領地のいずれかで行われるならわしの豊穣祭が、よりによって朱家の管轄である南領で行われることに決定したのだ。
雛宮の行事として行われるため、当然、仕切りは朱駒宮。
朱家からの支援を打ち切られている今、慧月は孤立無援の状態で、失敗できない行事に立ち向かわなければならなくなった。
(これは……誰かの嫌がらせか?)
意図は絞れない。というか、誰がどう動いていてもおかしくない。なにしろ朱慧月に恨みを持つである者は数多くいる。
ともあれ、今の朱駒宮に真っ向から豊穣祭に取り組む能力がないのは間違いない、今すべきことは、
「黄家に協力を仰ぎましょう、慧月さま。こういう時のために私が朱駒宮に遣わされたのです」
「というか、玲琳様なら向こうから手伝いに来てくれそうですよね」
猫猫たちの予想通り、黄玲琳は協力を快諾。準備や段取りについてあれこれ助言をくれることになったうえ、豊穣祭に同行する礼武官も黄家の直系から出すと言ってくれた。
玲琳には兄が二人おり、どちらも優秀な武官なのだ。
「黄景行さまと黄景彰さまですね。あの方々ならば間違いありません。見た目も実力も申し分ないお方です。まあ、少々性格に難があるかもしれませんが──」
「無理よ」
「は?」
「だって、わたくし、黄玲琳の身体に入っていた時に、あることないこと、わたくしの悪口を文にしたためてしまったのだもの!」
「私と冬雪さまの目を盗んでよくもまあ、そんな無駄なことができましたね慧月さま」
豊穣祭、どうやら平穏無事にはいかなさそうである。