人に興味なかったけど羅漢と出会って入れ込んだなら、ちょっと間違えただけで指送りつけることになるのも納得できる……かもしれない?
となると猫猫も冬雪と同じく玄+黄のハイブリッドなのでヤンデレムーブする可能性が……?
「お帰りなさい莉莉! まあまあ、それに猫──黄麒宮の女官の方まで! もしやわたくしに嫌がらせをしに来てくださったのですか!?」
(いや、嫌がらせをしに『来てくださった』はおかしいですよ、玲琳さま)
朱慧月の身体に入った黄玲琳は相変わらずというか、むしろ普段以上にはっちゃけていた。
猫猫は辺りの景色を見渡して感嘆のため息をつく。
「これはまた、派手にやりましたね」
話に聞いたあばら家は、聞いていた通り廃屋寸前の状態だった。だというのにざっと掃き清められ、整理整頓をされると「まあ、住むだけなら十分か……?」と思える程度にまともに見えるから不思議である。
さらに驚くべきは家の前にある『畑』である。
元は荒地だったはずのそこは、好き放題に生えていたとみられる作物が種類別に植えかえられ、整然とした姿となっている。謙遜抜きに、猫猫ではこうはいかない。こんな宝の山──もとい、雑多な植物の棲み処を見たら、まず間違いなく「薬に使えるもの」を夢中で採取してしまう。
どうやらあばら家は元は食糧庫かなにかだったらしい。
加えて、最低限の温情は与えられたらしく──水や油、塩はまともなものが運び込まれていた。
(いらなかったな、差し入れ)
「大したものではございませんが、嫌がらせの品です。よろしければお納めください」
「まあまあ、これはご丁寧に。……まあ、塩と種ですのね! 嬉しいことに塩と塩が重なってしまったようです。これはひょっとして……もっと塩を摂れという天啓……!?」
(本当に楽しそうだな玲琳さま)
体調を心配する必要がなくなったせいだろうか。その表情、仕草からは溢れんばかりの活力が感じられる。あんな死にかけ、どころか死の寸前みたいな身体でなんとかかんとか生きていられた御仁が健康な肉体を手に入れればこうもなろう。
うんうんと、猫猫は頷いた。げに素晴らしきは黄玲琳の根性である。
「いやいやいや、なに普通に打ち解けてんだよ、おかしいだろ!? なんだよこれ、道術でも使ったのか!?」
「まあ、莉莉ったら。わたくしには道術なんて使えませんわ」
「朱慧月さまの仰る通りです。私は道術など信じておりませんが……見たままを論理的に解釈すれば、ここにもともと生えていた植物を慧月さまが植え替えたということになります。ならば不思議なことは何もないでしょう?」
「たった半日かそこらでここまで作業が進むのはだいぶ不思議だろ!?」
「まあ、それは私もそう思いますが」
玲琳だから仕方ない。大方、背に腹は代えられない状況と、知識でしか知らないことを試してみたい欲求が重なったのだろう。彼女に仕えていると自分がまだまだ努力できると突き付けられているようで耳が痛いが。
「……玲琳さま。朱慧月と身体が入れ替わっていることは、まだ秘密のほうがよろしいでしょうか?」
耳打ちした猫猫に、玲琳はほんの少し驚いたような表情を浮かべてから、
「お名前は存じませんが、立ち話もなんですのでどうぞ中へ。莉莉も一緒に。ちょうど芋が揚がったところだったのです」
案内された内部には思った以上に豪華な食事が並んでおり、
「これは思う存分腹を膨らませられそうですね」
「そうでしょう? さあさあ遠慮なさらず。二人でも食べきれないくらいの量ですので、お客様が来てくださって助かりました」
「では、遠慮なく」
思ったよりここまでの道のりが遠かったため、宮での夕食時を逃してしまいそうだ。ここはお言葉に甘えておくのが正解と見た。
芋揚げをはじめとする料理は素材の代わり映えこそ乏しかったものの、油と塩をたっぷり使って食いごたえのある味に仕上がっている。
「いいですね、これ。庶民の屋台を思い出す味ですが、ああいった場ではこんなにいい塩と油は使えません。ここにしかない特別な味と言っていいかと」
「うふふ、嬉しいことを言ってくれますね。あ、莉莉も、たくさんありますのでどんどん食べてくださいね」
「だから! おかしいだろあんたたち!? なんで当たり前のように打ち解けてるんだよ!?」
きょとん、とした猫猫は、同じような顔をした玲琳と顔を見合わせた。だって、ねえ? とでも言いたげな目くばせをしていると、莉莉はなにを思ったのか、さらに苛立ちを強めてしまったようだった。
「あたしがおかしいのか……!? ああもう、なにが正しいのかわからなくなる……!!」
「落ち着いてくださいませ、莉莉さま。あまり深く考えすぎても特になることは多くありません」
「莉莉でいい! あんたのほうが格上だろ!? ……っていうか、あんたが一番おかしいんだよ!?」
勢いで言ってしまったのか、莉莉は言ったあとで玲琳を見て硬直した。いや、ほんとにこいつよりおかしいか? と思っているのがなんとなくわかって、猫猫は、わかる、と内心で相槌を打った。
(いろんな意味で玲琳さまはおかしいからな。私はいたって真っ当な人間だが)
「長い物には巻かれるのが賢い生き方というものです。……もちろん、泥船からはいち早く逃げ出す知恵も必要ですが」
「したり顔で説教を始めるな! あんたがあたしより賢いとか絶対認めないからな!?」
嫌われたものである。しかし、猫猫は莉莉に反感を抱かなかった。学がないせい、と言ってしまうと身も蓋もないが、歯に衣着せぬ素直な言動には好感が持てる。腹の底にある感情の読みあいをしなくていい相手というのはとても貴重だ。
要約すると、
(からかうと面白い性質だな、こいつ)
打てば響く人材というのは貴重である。いや、本当に。上の言ったことに疑問を呈してくれる部下、という言い方をすればその重要性がわかるのではあるまいか。
なお、そんなことを考えながらついつい長居してしまった猫猫は、帰った後、朱慧月を敵視する冬雪から強めに怒られた。
〇●〇
それから数日。猫猫は、玲琳の身体に入った朱慧月を献身的に看護した。主である玲琳の身体が死んでしまうのは寝覚めが悪い。それに自業自得とはいえ、弱っている人間を見捨てるのは薬屋として心苦しい。
慧月は、日を重ねるにつれだんだんと「これはおかしい」と感じ始めたようだった。
確かに、彼女の目論見通り、玲琳を気遣う皇太子・尭明は連日見舞いに来た。将来の夫から想いの籠もった気づかいを受けるのは心が躍っただろうし、受けた想いを返しているという意味では、慧月はむしろ元の持ち主よりも優秀だったかもしれないが。
しっかり休んでいるにもかかわらずなかなか全快しない体調について、慧月も彼女なりに違和感を覚えていて。
「……どういうことか、説明しなさい。黄玲琳は皆から羨まれる儚いお姫様じゃなかったわけ!?」
「仰ることは、間違ってはおりません。ただ……あなたさまは、玲琳さまの虚弱さを過小評価していらっしゃいます」
いつまで経っても下がらない熱をおかしいと感じているようだが、玲琳にとって多少熱があるくらいのことは「いつものこと」である。医局で使うような薬棚に薬が満載されているのがなんのためか、専属の薬師を有しているのはなぜか考えてみて欲しい。
というか、猫猫がいるおかげでまがりなりにも症状への対処はできているのだ。
解熱の薬を過剰摂取にならないように処方し、弱った身体でも食べやすい食事を考え、過呼吸を起こした慧月に対処方法を教えた。根本原因が身体の弱さにあるため根治はできないが、だいぶ楽にはなっているはず。
これで辛い辛いと言うのは覚悟、あるいは根性が足りていないのではないか。
(にしても……なんか、違和感はあるんだよな)
当初のただの風邪だと思っていた。実際、薬の処方によってある程度症状の緩和はできている。にもかかわらず、症状がいっこうに収まりきらない。ある一定のところで留まり続け、慧月を蝕んでいる。
まるで、治りかけるたびに新たな風邪をひき続けているような。
別の症状であることも疑っているが、想定される別の病とも症状がズレている。猫猫の知らない未知の病が存在しない、などとは思わないが……小骨が喉に引っ掛かっているかのようなむずむずが収まらない。
おかしいと考え始めるとあれこれ気になってくるもので。
(っていうか、この人、辛いって言うわりにぎゃあぎゃあ騒ぎすぎというか……意外と元気じゃないか?)
玲琳が、ごくごく小さな命の炎を必死につなぎ止め、なんでもない振りを続けていたのとはまた違う。
小さな炎に絶えず燃料を振りかけ、燃え上がらせているような、どこかから活力が湧いて出ているような。その使い道が文句を言うことでなければ感嘆に値する、ある種の強靭な精神力。
もちろんこんな分析は、泣き言ばっかりだなこいつ、と、意外と頑張るなこいつ、が両立している時点でなんの役にも立たないのだが。
「黄玲琳も黄玲琳も。どうして、入れ替わったわたくしがこんな目に遭わないといけないの」
「そう仰いますが、皇太子殿下のお見舞いに喜んでいらしたではありませんか」
「それとこれとは別よ!」
(めんどくせえなこいつ)
嘆息。
「お辛いのでしたら、入れ替わりを解除してはいかがです?」
「それじゃあ、わたくしが黄玲琳殺害未遂の咎を背負っただけじゃない」
「自業自得では」
「お前、その慇懃な口調、ひょっとしてわたくしを馬鹿にしているでしょう?」
「おお、良く気づいたな。褒めてやるよ」
いつかぶっ殺してやる、とばかりにきっと睨まれたものの、利用価値があると判断されたのかそれ以上の行為はなにもなかった。
〇●〇
(あっちはあっちで気になるんだよなあ)
表向き、朱慧月は謹慎ということになっている。
朱家の領域のはずれにあるあばら家で暮らし、己の罪の重さを直視させる──下級女官とはいえ傍付きも用意しているのだから死にはしない。玲琳と違って慧月は生気に溢れた人物だから猶更だ。
こう聞くと筋が通っているように見える。……しかし、雛女に対する処遇としてはだいぶ重い。
「慧月さま。あなた、料理はできますか?」
「は? いきなり何よ? ……まあ、知っての通り、もともとはそれほど尊い身分でもなかったしね。簡単な料理くらいならできるわよ。それがなに?」
あるとき尋ねた結果はこれである。まあそれなら数日放置するくらい大丈夫か……? いや、保護者である貴妃はあのあばら家が元食糧庫だと把握していたのか? 把握していたとして、慧月に芋を掘り出して調理する気概があると本気で思っていたのか?
人は、思った以上に脆い。水も摂れない状況なら三日もあればわりと死ねる。玲琳に聞いたところによると水や塩、油は鷲官と交渉して手に入れたそうだが、逆に言うと、交渉できなかったら手に入らなかったということだ。
猫猫なら、あるいは玲琳の身体が弱くなければ、食料がなくともそのへんの蛇でも捕まえて調理するくらいはしただろうが……普通の女子にそれを求めるのは酷だ。泣きながら塩を舐めて過ごすことになってもおかしくない。つまり、一晩もあれば反省させるには十分。
それが、すでに数日。
本当に、貴妃は反省を促すつもりで処分を下したのか? 話によれば、虫さえも慈しむほど慈悲深い性格らしいが。
……というわけで、猫猫は休憩時間を利用して差し入れを持って行くことにした。
朱慧月に持っていくと言うと角が立つので、名目上は他の宮にいる知人に差し入れ、代わりに情報収集を行ってくるという形だ。莉莉は他の宮の女官なので嘘は言っていない。
厨房で作ってもらった点心(おやつ)を持って例のあばら家に顔を出せば──何故か、屋内には壬氏とかいう鷲官長とその部下、さらには泣き崩れる莉莉と宥める玲琳がいた。
振り返った壬氏が、点心を持った他の宮の女官に怪訝そうな表情を浮かべ……それから、にやりと面白そうな顔になる。
「ああ、また会ったな、黄麒宮の中級女官。どうしてここへ? もしや、この場に知り合いでもいるのかな?」
「ええ、まあ。友人を励ますつもりで来たのですが、どうやら間が悪かったようで」
それではまた、と、立ち去ろうとしたものの、当然それを見逃してもらえるはずもなく。
「待て。念のため、軽く話を聞かせてもらおう」
(だよなあ)
長いものには巻かれる、そうでなければ命がいくつあっても足りない。
上位者に対する礼を取って、猫猫は恭しく答える。
「かしこまりました。どうぞ、なんなりとお聞きください」