「さて、説明してもらおうか? 黄麒宮の女官がなぜこんなところを訪れる?」
猫猫は壁際に追い詰められていた。
鷲官長──壬氏はとてもにこやかな笑顔である。無駄に顔が良いのであまり近づけないで欲しい。勘違いが起きたらどうするのだ。しないが。
「その前に、私にも状況をお教え願えませんでしょうか」
「後で彼女らから聞くといい。……人には言いたくない事もあるかもしれない」
(ほう)
案外、気配りはできる方らしい。これで、好奇心をくすぐられるとぐいぐい来る性質を抑えてくれるとなおいいのだが。
あばら家の隅に移動しただけのこの状況、莉莉たちを放置しておくのも居心地が悪いし、お上に逆らうと後が怖い。勿体ぶらず答えてしまうか。
「先ほど申し上げた通り、友人への差し入れです。……そちらの莉莉さまとは先日、身の上話で意気投合しまして」
「身の上話? 同郷だったのか?」
「そういうわけではありませんが。私の母は元妓女で、莉莉様の母君は異国の踊り子でございます」
「……なるほど、な」
壬氏は目を細めると、猫猫から身を離した。後ろではらはらしながら見守っていた体格の良い宦官がほっとしたように息を吐く。上司のせいでだいぶ苦労していると見た。
「君はたしか、黄玲琳様の体調管理を任されている女官だったな。あの方の具合はどうだ?」
「尭明殿下がご存じの通りでございます。快復には今しばらく時間がかかるかと」
「そうか」
痛ましさと安堵の入り混じった表情を浮かべると、壬氏は宦官を伴ってあばら家を後にした。
やっと静かになったと振り返れば、泣き止んだ莉莉と、それから玲琳(身体は慧月)がじっと猫猫を見ていた。なんだこの状況。居たたまれなくなったので、手にしたままだった点心の籠を示して尋ねる。
「冷めてしまいましたが、食べますか?」
結局、点心は軽く蒸して温め直した。
莉莉たちから話を聞いたところによると、金家の上級女官が莉莉を使い、朱慧月への嫌がらせを企てていたらしい。いや、刃物を使って雛女を害させようとするのはもはや嫌がらせの域を超えているか。
それにしても……女が群れるとどこでもこういう事態が発生する。
「それにしても、妙な話ですね。その雅容さまとやらも、莉莉さまから自分の名が出る可能性くらい考えているでしょうに」
「……あたしの話なんて信用されないって、あいつは言ってた。悔しいけどその通りだと思う」
(果たして本当にそうか? あの壬氏という男はそこまで馬鹿じゃないだろう)
金家風の意匠が施された上等な簪で釣られ、その簪を証拠に盗人だと訴える……そういう話ではあるが、それでは「我らが宮の警備は、他家の下級女官に奥まで侵入される程度」と自ら主張することになる。
(というか、そこまで入れたのに簪一本だけ持って帰るのはおかしい)
なにか、他の意図があるような気がする。
猫猫が思考の海に落ちていると、玲琳がはっきりとした口調で言った。
「そのようなことはどうでも良いのです」
(お?)
「今すべきは、わたくしの莉莉をここまで追い詰めた不届き者に『おとしまえ』をつけていただくこと」
なるほど。売られた喧嘩を買うのは大事だ。やられっぱなしだと舐められてつけ入られる……ではなく。
「あの、れい……じゃなかった、慧月さま?」
「うふふ。人を貶めて良いのは、同じことをされる覚悟があるということでしょう? 雅容様にはたっぷりと、じっくりと、それを思い知っていただかなくては」
笑顔だ。にもかかわらず、どうしようもなく恐ろしい。仕えた日数は短いとはいえ、玲琳の女官である猫猫も初めて見る笑い方。猫猫は莉莉と視線を交わし合い、どちらからともなく頷いた。これを放っておいたらまずいことになる。
「おいあんた、絶対ろくでもないこと考えてるだろ!? 話がややこしくなるから大人しくしててください!」
「下手に動けば朱慧月の名はさらに地に落ちることになるでしょう。それは慧月さまとて本意ではないのでは?」
二人がかりの説得により、玲琳はなんとか思いとどまってくれた。ひとまず、莉莉が出向いてもらいものを返し、話をつけてくることに。
暇を見て出てきただけの猫猫は、出かける莉莉と一緒にあばら家を出ることにした。
暗くなった空の下、歩く二人の間にしばし言葉はなく。
「……その、なんだ。悪かったな。変なところ見せちまって」
「お気になさらず。好奇心で首を突っ込むのは私の悪い癖でして」
主のことはあまり言えないというわけだ。
隣を歩く莉莉が、くくっ、と、こらえきれなかった笑いを吐き出して。
「ほんと変わってるな、あんた。……っていうか、いつまでそんなかしこまった話し方してるんだよ? その、なんだ。有人なんだろ、あたしたちは?」
「そうだな。そっちが気にしないなら、私としてもこっちの方が気が楽だ」
軍師の娘で、元妓女の娘で、貧乏な薬師の弟子で、『緑青館』の三姫からかわいがられていて。猫猫に「同じ境遇かつ、同じ年頃の同性」などというものは今までいなかった。だから、友人、というものがどんなものかは実感として知らない。
体裁の良い言い方として咄嗟に口にしてしまっただけの言葉だったが……向こうが良いと言っているのだから良いのだろう。少なくとも別の名を考えなくても良い程度には、受け入れられたに違いない。
「でも、気をつけろよ。相手の出方がわからない。強硬手段に出てくる可能性もある」
「わかってるって。最悪でも雛女様に迷惑がかからないようにする」
(いや、自分の身の心配もしろよ)
「……お前になにかあった場合、慧月さまがどんな行動を取るか。考えた上で行動してくれればいい」
「……うわ。おい、怖いこと言うなよ!? 絶対まずいことになるだろそれ!?」
現状を同じように認識できる相手がいたのは幸いである。
いずれにせよここまで首を突っ込んでしまったのだ。展開も気になるので、莉莉には「明日も顔を出す」と約束し、別れた。
すっかり帰りが遅くなってしまったせいで冬雪にはまた怒られた。
慧月(身体は玲琳)からは何をしていたのかと尋ねられた。彼女に誤魔化しても仕方ないので、他の女官のいないところで素直に話した。
「下級女官の莉莉さまが金家の上級女官に罠をかけられ、玲琳さまはたいそうご立腹です。場合によっては朱家と金家のいざこざに発展するかもしれません」
「はぁ!? いったいなにをやってるのよあの女は!?」
憤った慧月は猫猫に退室を命じた。一礼して部屋を後にすれば、慧月が炎に向かってなにやら話しかけるのが見えた。のぞき見、盗み聞きをするのもまずいとそれ以上は見なかったが。
(あれが道術か。非論理的だが、実在すると証明されたものを認めないのもまた非論理的か)
だからその夜、慧月と玲琳との間で交わされた言葉を猫猫は知らない。
〇●〇
「猫猫! 莉莉と一緒にわたくしの先生になってくださいませ!」
「は?」
翌日。連日あばら家を訪問するのはさすがにまずいか、うまい言い訳はないものかと考えていると、意外にも慧月から助け舟が出た。不便を強いられている朱慧月にお見舞いを持って行くようにと猫猫に命じてくれたのだ。
情報収集ついでに暴走を止めて来いという意味なのはわかったのでありがたく拝命した。まあ、臥せっている人間が見舞いとはこれいかにという話だが、残念なことにとても黄玲琳らしい気の回し方である。
農耕生活で不足する肉類を持ってあばら家を訪問すれば、笑顔で針仕事をする玲琳と、その傍らでひたすら踊らされる莉莉の姿があった。
なんとか聞きだしたところによると昨夜、雅容なる上級女官は姿を現さなかったらしい。さりとて莉莉が鷲官に捕まるようなことはなく、状況は動かぬまま持ち越された。
次手として、玲琳は近く行われる中元節の儀にて金家の雛女と直接対峙することを選択したらしい。で、手持ちの材料で莉莉と自分の衣をでっち上げつつ、手札を増やしておくためと称して莉莉から胡旋舞を最中。
気の毒にも「母の舞を詳細に思い出す作業」に励まされる莉莉が救いの神、あるいは道連れを見つけたように笑顔をになったのも頷ける。
「それにしても胡旋舞ですか。それはいくら慧月さまでも守備範囲外ですね」
胡旋舞は大きな円運動を含む大胆な舞だ。玲琳の得意とする繊細・優美な舞とは性質が異なる。本人としては学ぶ気はあっただろうが、身体の弱い彼女では体力の消耗に耐えきれない。そしてその問題点は入れ替わりという超常現象によって解決している。
「うふふ。猫猫もそういうの得意でしょう? 良ければわたくしに教えてもらえないかしら」
「あんたも母親から教わったのか? 助かる。この人、細部まで思い出さないと許してくれそうにないんだ」
「いや、私も得意ってわけじゃあないんだが」
ついでに言うと、教わった相手は母・鳳仙ではなく『緑青館』の三姫である。
「なんだ、舞えないのか?」
「一応、それなりには舞える。ただ、商品になるほどじゃあない。それにあんたの母親が舞っていたのとまったく同じとは限らないだろ」
「でしたら二つとも教えてもらいましょう! 楽しみが二倍でとても素晴らしいですね!」
「あ」
「う」
こうなった玲琳は止まらない。彼女は、猫猫と莉莉がああだこうだと悩みながら披露した舞を見事に理解、解釈、再構築して見事な舞として再現してみせた。
(不敬だが、今の玲琳さまなら姐ちゃんたちとも肩を並べられるだろうな)
莉莉が母から教わった胡旋舞は異国の雰囲気を大きく残すもので、やはり猫猫が教わったものとはだいぶ違った。なかなかに興味深いものの、『緑青館』で語ろうものなら質問責めに遭うことうけあいなので、それだけはやめようと心に誓う。
「ああ、本当にわたくしの女官はみな優秀ですね! 惚れ惚れしてしまいます!」
(おいおい)
猫猫は呆れた。照れくさいのもあるが、彼女の場合、完全に本気で言っているから始末が悪い。それにそんな言い方をしたら莉莉が怪しむだろう。
案の定、莉莉は猫猫を見てなにか言いたげにしてきた。
「なあ、ひょっとして……いや、なんでもない」
(聞きたくないってことなら、無理に教える必要もない)
これで、舞台は中元節の儀に移る。
朱家の雛女から「うちの女官がこんな被害を受けた」と同じ雛女に訴えるならむしろ手続きとしては真っ当だ。催しの場で挙げる話題ではないだろうが、自主謹慎中の身ではそうでもしないと他家の雛女には会えない。
(金家の雛女……金清佳がどう出るか、それによって状況が動くだろう)
なお、猫猫はその中元節の儀に出席できない。
「成功を心よりお祈り申し上げます、莉莉上級女官さま」
「お前も来いよ!? なに他人事みたいに言ってるんだよ!?」
「いや、玲琳さまは欠席だし」
〇●〇
「ああっ、わたくし悲しゅうございます! お従兄様の目を喜ばせたい、愛でていただきたいと、ただそればかりを思い精進してまいりましたのに!」
(玲琳さまはそんなことは言わない)
中元節の儀に関して、黄玲琳は先の一件から続く体調不良を理由に欠席。当然、玲琳付きの女官たちも不参加となった。
喚く体力があるなら参加できるだろう、とは、今回に関しては言えない。中元節の儀では、各雛女が豊穣を祈る舞を行うならわしとなっている。慧月の技量を考えても体調不良で欠席の方がまだましである。
(舞も詩も刺繍もへたくそで、これからどうやって誤魔化し続けるつもりだったんだこの人)
しかし、すぐにそんな悠長なことを言っていられなくなった。
「はぁっ、はぁっ……なに、いったい、なんだっていうのよ……!」
慧月、つまり玲琳の身体がみるみるうちに体調を崩していったからだ。
熱は上がり、呼吸は乱れ、認識の混乱、幻覚、痙攣まで。薬を飲ませてもろくに効果が現れない。別の病と勘違いしている? いや違う、そもそも症状の出方が急すぎる。食べたものに原因があることを考え吐かせてもみたものの、それでも改善しない。
入れ替わりが起きてからずっと感じていた違和感が急激に膨れ上がったような事態。
(理屈では説明のつかない現象。その原因となりうるものを、私は知っている)
決めつけるわけにはいかない、が、可能性の一つとして、猫猫は慧月に尋ねた。
「道術の中に、他者を病ませるものはありますか? 今、あなたが受けている症状を引き起こすような」
「あるけど……それがなに?」
朦朧とする中で答えた慧月だったが、すぐにその意味に気づいたようだった。はっとして、しばしの逡巡の後、猫猫に指示を出す。
「最近、黄玲琳あてに贈られてきた品物を見せなさい。今すぐ」