病床の朱慧月は、病弱な玲琳の身体のせいで半身を起こすのも辛い状態。そのため贈答品の確認には猫猫が品物を一つずつ寝台の傍まで運んでやる必要があった。
(いや。もしかしたら玲琳様の病弱さが原因じゃないかもしれない)
憶測でものを言ってはいけない。
逆に言うと、内々で済む範囲であれば確かめておくに越したことはない。幸い慧月も協力してくれているのだ。
(莉莉を唆して『朱慧月』を害そうとした犯人は金家の雅容を名乗っていた)
遠回しな方法で雛女を狙うやり口。
(仮に『黄玲琳』が本当に呪われているのだとすれば……犯人は慧月さまと同様、尋常ではない手段を用いている。入れ替わりに気づかれている可能性は?)
確証はないが、猫猫は運ぶ贈答品を金家優先で選んだ。その甲斐あってか、芳しい結果は、慧月が音を上げる前に出た。
「……間違いない、これだわ」
弱々しい声で、しかし、はっきりとした怒りを讃えながら、慧月が呟く。
金家からの見舞い品として贈られた香炉。猫猫の目には、売れば高いだろうな、としか映らないのだが、道術に通じている慧月には人には見えないもの、感じられないものがわかるらしい。
(しかし本当に当たりが出るとは)
「どうすればよろしいですか? 壊せば症状が消えるものなのでしょうか?」
猫猫の問いに、慧月はしばし考えてから返した。
「壊しても、呪い自体は消えない。既に呪いは完成しているの。依代を壊しても、無差別に暴れだすだけで死ぬわけじゃない」
「無差別って」
「それを壊した途端、あんたに襲い掛かるかもしれないってこと」
ぞっとするようなことを言う。とはいえ、
「あなたの症状が和らぐのなら、ひとまず意味はあるのでは? 一人一人の被害は軽くなるのでしょう?」
「……そうね。この苦しさが少しでも和らぐなら」
暗に「やれ」とお墨付きが出たので、猫猫は遠慮なく、香炉を床に叩きつけた。
幸い陶器の器だったためそれであっけなくごみと化してくれる。これが金属器ならば骨が折れただろう。
ほっと息を吐いた途端、ぞくりと悪寒に襲われたのは果たして気のせいか。ともあれ猫猫はあらためて慧月に向き直る。
「いかがですか、慧月さま?」
「……わからない。けれど、心なしか身体が軽くなったような気がする」
多少なりとも効果はあったか。まったく、道術だの呪いだのというものはつくづく厄介だ。薬を用いても治らない病などどうすればいいというのか。
猫猫がままならない現実に内心毒を吐いていると、慌ただしい足音が廊下から響いてきた。
「何事ですか、玲琳様!?」
飛び込んできた冬雪の切羽詰まった表情に、やっべ、と舌を巻くも、今さら遅い。
〇●〇
雛女への贈り物を割ってしまうとは何事か、とこっぴどく叱られた。慧月が取りなしてくれなければ降格、あるいは解雇もありえたかもしれない。なにせ冬雪はただでさえ心労で気が昂っているのだ。
しかし、結果的に言えば、この慧月の取りなしが最悪だった。
雛女が命じて香炉を割らせた。何故? 香炉が呪いの依り代になっていたから。……と、順序立てて説明した結果、極めて現実的ではない理論展開が成され、冬雪がとうとう『今の黄玲琳』に対する疑いを形にしてしまった。
要するに、入れ替わりが露見した。
自害、あるいは慧月を殺害せんばかりに激昂した冬雪をなんとか宥めて話をしたところ、彼女は真っ最中の中元節の儀に乱入、『黄玲琳』の容体急変を報告、皇后の見舞いを求め、帰ってきたばかりとのことだった。
「……猫猫。お前は、知っていたのか? 知っていて何故、黙っていた!?」
「言っても信じていただけないと思ったからです。理屈で説明できる現象ではありませんし、当時の冬雪さまは『朱慧月』への怒りに燃えていらっしゃいましたので」
これを聞いた冬雪はさらに嘆きと怒りを強めた。死なない程度、痕が残らず治療可能な拷問も心得ていると慧月を痛めつけようとする彼女を、猫猫は薬屋として必死に止めた。単なる罪人ならともかく、身体は主のものであるし、慧月は重要参考人である。
「それで、朱慧月──玲琳さまはなんと?」
「……あの方は、玲琳様──朱慧月への見舞いを希望し、殿下と皇后陛下に食い下がっておられた。国宝である破魔の弓を夜を徹して引く事を条件に見舞いを許され、笑顔でそれを了承していた」
そこまで語った冬雪はがたった立ち上がってどこかに駆けて行こうとする。
「落ち着いてくださいませ、冬雪さま! 言ってどうなさるおつもりですか!?」
「離せ! 伏して詫び、あの方が死ねと言うのであれば死ぬ! そうでなければ気が済まぬ!」
「駄目です! 今邪魔をしたら、玲琳さまの見舞いも成立しなくなってしまいます!」
すると最悪、黄玲琳の身体が死に、入れ替わりを解消できなくなってしまう。まあ、玲琳に近い腕前を持つ猫猫が手を尽くした後なので、たとえ薬湯を用意されたとしても効果があるかはわからないが。
(ああ、そうか。今なら効くかもしれないな)
猫猫は腕をさすり、冬雪が同じような仕草をしているのを見ながら思った。
「それにしても破魔の弓ですか。しょせん気休め、迷信だと思っていましたが……ひょっとするとこれもまた効果があるものなのでしょうか?」
尋ねられた慧月はいまだ苦しそうにしつつも、幾分か和らいだ表情で。
「弓自体の霊験は知らないけれど、儀式には一定の効果があるはずよ。呪いを弱めるには清らかなものを用いるのが定番だもの」
弓は神事に用いられることもある。国宝である破魔の弓となれば、その弦の音まで神聖なものとして扱われそうだ。
「他にはどんなものが有効なのですか?」
「かけるほうはともかく、祓うほうは詳しいわけじゃ……まあ、一般に儀式に使われるようなものじゃないの? 舞とか、鈴とか、清水とか、詩とか」
(舞? 弓? 詩? それ、玲琳さまが弱った時にやっている鍛錬じゃないのか?)
まさかあれが玲琳を襲う病魔をこれまで退けていたとでもいうのか? そんな非現実的な。いやしかし、実例を見てしまった以上は頭ごなしに否定することもできない。薬師としての指導が逆効果だったというのはあまりにも不服だが。
「舞に弓だと? それで玲琳様のお身体が楽になるというのなら、私は」
「止めはしませんが、ほどほどにしてくださいね、冬雪さま。あなたが倒れては、玲琳さまのお世話が滞ってしまいます」
猫猫はあらためて慧月へ薬を処方し、それから少し出かけることにした。
「あんた、どこへ行くのよ?」
「玲琳さまへ差し入れを。冬雪さまがこのご様子では、あの方も相当無茶をされていそうですので」
「ちょっと、この女を放置されたらわたくしが殺されかねないじゃないの!?」
「まあ、そうなったらそうなったということで」
半ば冗談だったのだが、慧月はこれにあからさまな悲鳴を上げた。
〇●〇
慧月のための薬を煎じたり、差し入れを用意したり、他の女官たちに指示を出したりしていたらそれなりの時間が経ってしまった。
朱慧月──の身体に入った黄玲琳が破魔の弓を引くその場所は、規則正しく響く弦の音のおかげで簡単にわかった。
「だから、せめて食事だけはしてくださいってば!」
一心不乱に弓と的に向き合う朱家の雛女にぎゃあぎゃあと説教を垂れているのは、心情的にどこか連帯感を覚えずにはいられない、朱家の下級女官あらため上級女官。
「そういう時は無理やり口に突っ込んでしまえばいいんだよ」
「あ?」
無造作な助言に振り返った莉莉が、ぱっと表情を輝かせ──それから猫猫の格好を見て怪訝そうになる。
「あんた、なんだよその格好は」
「見ての通り、舞のための衣装だよ。いちおうお前の分も用意してある」
「は? なんであたしの分まで!?」
「快復祈願」
答えつつ、持ってきた点心を四つに割って玲琳の口に突っ込む。弓の邪魔をされないのであればやぶさかではないのか、さすがの雛女ももぐもぐと口を動かしてくれて。
「猫猫。慧……黄玲琳様のご容体は?」
「『朱慧月さま』はどうやら何者かにより呪いをかけられておいでのようです。悪しきものを祓うには、破魔の弓の音が効果的でございます故、我々としてもあなたさまにせめてものお力添えをさせていただきたく」
「は? あんた頭でもおかしくなったのか? ……いや、それより前に、いま、なんて」
莉莉がなにかに気づいたようにはっとするも、猫猫はそれどころではなかった。恭しく玲琳へあるものを差し出すので精いっぱいだったのだ。
「これは……指貫き、ですか?」
「包帯の一巻きでも感覚が鈍ることは百も承知でございます。しかしながら、いたずらに御身を傷つけることは避けていただきたく」
既に玲琳の手は裂傷を生む寸前まで来ている。裂いた衣を包帯代わりに応急処置を行っているものの、その程度では長くはもつまい。そして、今の身体を傷つけることはすなわち、朱慧月の身体を傷物にするということだ。
「なんでしたら傷に効く軟膏も用意してありますが」
「それには及びません。……黄麒宮からの差し入れ、ありがたくお受けいたしますわ」
なんとか、この御仁に保身を優先してもらえたかと、猫猫がほっと息を吐いたその時、
「あなたがついていてくださるのでしたら、慧月様もさぞやご安心でしょう。さすがはわたくしが見込んだ薬師です。……やはり、猫猫にも藤黄の衣を差し上げなくてはいけませんね」
正面から褒められるのには慣れていない。猫猫は背を丸くしながら礼を取った。
「もったいないお言葉でございます」
「うふふ。ところで、そんな格好をしているということは舞を披露してくださるのかしら? わたくし、とても興味があるのですけれど」
それにしてもこの方は、本当に痛いところをついてくる。柄ではないという自覚はあるのだ。妓楼の三姫におだてられても、やり手婆にせっつかれても、頑なに乗り気でない態度を崩さなかったというのに、こうして自分から衣装を纏っているなんて。
「……舞が薬になるというのなら、試してみるのもまた一興かと」
そこで、一人さまざまな表情で葛藤を繰り返していた莉莉が割って入ってくる。
「薬……? っ、そうか! まじないめいた行いが、黄玲琳様を救うかもしれないって言いたいんだな?」
「残念なことに、どうやらそのようでございまして」
もしも効果が実証されてしまえば、これからは舞の練習も真面目にしなければならなくなるわけで。なんともこの世はままならない。
「一人よりも二人。どうせなら道連れをと思って、お前のぶんも持ってきた。ここでの頑張りを認められれば、お前とこの方の評価も上がるかもしれない。やってみる価値はあるんじゃないか?」
「……まったく、嫌な言い方をしやがって」
言いたいことはあるだろう。本当は確かめたいことだらけだろう。それでも、朱慧月付きの上級女官となった、なんだかんだ言いながらも素直で真面目な少女は、決意を露わに一歩を踏み出した。
「いいよ、舞ってやる。だけど、あたしは真面目に練習したことなんてないからな」
「ふふ、いいのですよ莉莉。心を込めて舞えば、きっとその想いは天に通じます」
「そういうこと。妓女だって、『下手なのに一生懸命なのが気に入った』と客が付くことはある」
こうして、舞のための衣装に着替えた莉莉は、猫猫と共に、玲琳の傍で舞いはじめた。
弓弦の音に混じって、二人の慣らす鈴の音が響く。その様は、確かにある種の儀式めいていた。
いったん始めてしまえば、舞うのもそれほど嫌いではない。
僅かな会話の間以外、本当に一心不乱に弓を引き続けた玲琳のようにはいかなかったものの、結局、猫猫は一刻ほどの間、莉莉に舞のしかたを教えながら身体を動かし続け。
「……此度のお心遣い、心より感謝いたします。お陰様であの方の症状は、快方に向かってございます」
悲壮な顔をした冬雪が報告にきたところで、傍仕えが二人も抜けるのはよろしくなかろうと宮に戻ることにした。すると、肌に汗を浮かべた莉莉に衣装の裾を掴まれて。
「なあ、あんた、もしかして前から知ってたのか?」
「……さあ、どうだろうな。それより、雛女さまのお傍にいてやれよ。それは今、お前にしかできない仕事だ」
宮に戻ると、猫猫は真っ先に慧月へと尋ねた。
「それで、あなたに呪いをかけた人物とは誰なのですか?」
尋ねつつも、およそ推測はできていた。
入れ替わりと呪い。怪しげな術の出所がそれぞれ別の宮と考えるよりも、同じ宮と考えるほうが自然。加えて言えば、金家を隠れ蓑に使うことで追及から逃れやすくもなる。
『雅容』とは、もう少し凝った偽名の付け方があったのではなかろうか。
「あの呪いをかけられる人間は、わたくしともう一人しかいない。……呪いをかけたのは、朱貴妃様よ」