朱貴妃の凶行により茶会の場は騒然となった。
皇后・黄絹秀は朱貴妃──雅媚を取り押さえたまま、金家・藍家・玄家の者たちに詫びを告げ、強制的に場をお開きとした。
雛女・妃と入れ替わりで鷲官が駆けつけ、乱心の妃を拘束。
猫猫たちは事情聴取のために残されていたため、雅媚が捕らえられる様をしっかり目撃することになった。
(なんとかうまくいって良かった……が)
部下に少し遅れた鷲官長・壬氏の登場まで見せつけられなくても。
こちらを──どういうわけか特に猫猫を見て、ふっと笑った彼はすぐに雅媚へと向き直った。大人しく拘束されていた妃は、壬氏の到着が「早すぎる」ことに目を見開いて。
「……宮の捜索という話は、嘘だったのですね?」
絹秀殺害に失敗した雅媚はすでに憑き物が落ちており、これ以上なにかをすることはないだろう。それでも、告発者の一人である猫猫は戦々恐々とする。
「まったくの嘘ではございません。壬氏様へ直談判したものの、根拠が不足していると保留にされていただけです」
証拠が増え、余罪まで増えたので、衣の捜索はこれからしっかり行われるだろう。
雅媚の処遇については沙汰次第だが──まず間違いなく妃からは失脚だ。
雛女である慧月には、まあ大した罰は下るまい。なにせ上役である朱貴妃を勇気をもって告発したのだから。
〇●〇
猫猫たちに対する事情聴取は長きにわたったものの、大事なく終わった。
雅媚の企てに関して玲琳は被害者。慧月も玲琳を傷つけた件は獣尋の儀で片付いており、以後の件に関してはむしろ命を狙われた側。破魔の弓の一件もあるので共犯を疑われる余地はほとんどない。
(ちなみに雛女である玲琳と慧月はそれぞれの部屋で聴取を受けた。まあ、病み上がりの割に玲琳中身慧月はずいぶんぴんぴんしていたが)
入れ替わり、というか道術関連を隠すのが一苦労だったが、ここはあらかじめ口裏を合わせていた。茶会で両雛女が共闘したのは猫猫と莉莉が橋渡しした結果であり、朱慧月の献身に感動した黄玲琳は彼女を許したという筋書き。
中身が逆になってはいるものの、両者の心情に嘘はない。
朱貴妃──雅媚への処分は「妃位の剥奪」「財産の没収」および「後宮からの追放処分」となった。皇后殺害を企てたのだ、今後の人生は決して明るくはないだろうが。
(まあ、命があっただけめっけものだな)
伝え聞いた話を総合するに、犯行の動機は怨恨。
絹秀の子(尭明)と雅媚の子(赤子のうちに死去)は同時期に生まれており、生まれた時から龍気(初代皇帝が持っていたとされる不思議な力)を纏っていた尭明が優先されたせいで雅媚の子は命を落とした。
子を喪った雅媚を絹秀は見舞わなかったが、それを金家の淑妃が騒ぎ立てたという話もある。
黄絹秀は雛女時代、最下位の成績だったらしい。しかし、その献身を現皇帝に認められて皇后となった。その抜擢がなければ皇后の座に就くのは雅媚のはずだった。
立場が逆ならば、生きていたのは雅媚の子のほうだったかもしれない。
子を産まない妃に大した価値はない。皇帝の寵愛を得られない女など無用。たとえ友人同士であろうと必ず序列はついてまわり、ひいてはそれは家同士の力関係に影響する。
後宮という仕組みが、かつて純粋な雛女だった者を権謀術数を駆使する魔物へと変えてしまう。
きっとあの黄絹秀に、雅媚を嘲笑う意図などなかっただろうに、子という拠り所を喪った雅媚は絹秀を憎まずにいられなかった。
(やりきれない話だ)
序列をつけられるのは今代の雛女たちも同じ。
序列第一位の黄玲琳と序列最下位の朱慧月はなんの因果か仲を深めたが──友情は、ほんのちょっとしたことで憎しみに変わってしまうかもしれない。
果たして、彼女たちはこれからも、今の彼女たちのままでいられるのだろうか。
(考えても仕方がないか)
猫猫たち女官は雛女に仕えるのが仕事。解雇を言い渡されるまでは精一杯、役割を果たしていればいい。黄麒宮は職場として居心地がいいので、雇用主である玲琳にはぜひ長きにわたって鷹揚な主でいて欲しい。
……さて。
茶会から数日後、黄玲琳と朱慧月は無事に入れ替わりの解消を果たした。
立会人は冬雪、猫猫、そして莉莉。
慧月の入った玲琳の身体から立ち上る炎、昼間だというのにはっきりわかる強烈な輝きが、それが尋常の出来事でないのを強く示してくれて。現実主義の猫猫としてはひどく不本意ではあるものの、道術の実在をあらためて実感せざるを得なかった。
じっくり観察していると、入れ替わりの前後でそれぞれの表情がはっきり変わるのが興味深い。入れ替わりなんてあるはずがない、という先入観のせいでわからなかったが、中身の違いでこれほど変わるものか。
「うふふ。なんだかこの身体に戻るのも久しぶりですね」
「呑気なことね。わたくしはもう懲り懲りだわ。あなたの身体に入っている間にどれだけ辛い目にあったことか」
自らの身体に戻った二人の反応は両極端。
「自業自得だろ。もとはといえばあんたが玲琳様と入れ替わったせいなんだから」
「なっ、お前、なんて口を利くの。これだから教育のなっていない下級女官は嫌なのよ。わたくしの術のおかげで朱貴妃様の企みを暴くことができたんじゃない」
「ただの結果論だろ。それにおあいにく様、あたしは下級女官じゃなくて上級女官だ。こうして雛女様からいただいた銀朱の衣があるんだからな」
「わ、わたくしはそんなこと許可した覚えはなくてよ!?」
「まあまあ慧月様、それに莉莉も、どうかわたくしに免じて仲良くしてくださいませ」
莉莉に銀朱の衣を渡したのは他でもない玲琳だが、すっかり彼女にほだされている莉莉はこうなると強くは出られない。
「玲琳様の言う通りだ、朱慧月。そもそもお前にはその者以外、まともに従ってくれる女官などいないのだぞ」
「まともに、ねえ? まともに付き従う態度には見えないのだけれど」
「はっ、こっちだってこんな態度の主に仕えるのはごめんだ。解雇するなら今のうちだからな、朱駒宮の主様」
「だから、二人とも落ち着いてくださいって」
またも始まりそうになった言い争いを見かね、猫猫も割って入った。
「彼女の言うことももっともですよ、慧月さま。あなたはこれから、妃の代わりに朱駒宮の差配をすべてこなさなければいけません。おまけに女官からの心証は最悪。まがりなりにも付き合ってくれそうなのはこの莉莉ひとり。
少しくらいご機嫌を取っておいたほうが身のためです」
「そ、そんなことわたくしだってわかっているわよ!」
真っ赤になってぷい、と顔を背けてしまう慧月。
「お前も、この方がこういう方なのはわかってるだろ。これでも随分丸くなったんだ。本当は素直に謝って力を借りたいけど、つい先に憎まれ口が出る。で、そうなるとより一層謝れなくなるわけだ」
「ちょっ、お前、なに勝手なことを言っているのかしら!?」
「ただの推測ですが、それなりに合っているのでは?」
「ぐ……っ」
言い返すに言い返せない、といった様子で慧月は黙った。そんな様子を見ていた玲琳はにっこりと微笑んで。
「まあまあ。猫猫と慧月様も随分仲良しになったのですね」
「仲良くない!」「それはこっちの台詞です」
まあ、別に朱慧月への反感がないのは事実だ。いちいち反応がわかりやすいので相手をしていて楽だし、道術の件を見る限り、学がないだけで、自分の持っている知識の範囲内ではきちんと体系立てた説明もできる。
案外、地頭は悪くないのだろう。
「さて、入れ替わりも済んだことですし、莉莉との約束を果たしましょう。……冬雪?」
「はっ。こちらに用意しております」
答えた冬雪が差し出したのは藤黄──黄家の上級女官に与えられる色の衣だ。受け取った玲琳は手ずからそれを莉莉に差し出して。
「受け取ってくれますか、莉莉?」
「……はい、もちろんです、雛女様」
大事そうに、それを受け取った少女の瞳には涙が浮かんでいるように見えた。
「良かったな。これで朱駒宮を追い出されても黄麒宮で働けるぞ」
「ああ。こっちよりそっちのほうが待遇良さそうだしな。さっさと再就職してしまうか」
「ちょっと! お前にいまいなくなられたらわたくしは本格的に破滅よ!? 黄玲琳、どうしてわたくしの女官を引き抜こうとするのかしら!?」
「まあ、誤解でございます慧月様。わたくしはただ、大好きな莉莉にも藤黄の衣を着てもらえたらなと」
「どこが誤解よ! 思いっきり引き抜きじゃない!」
玲琳には悪いが、これに関しては慧月が正しい、と猫猫も思う。と、そんな思いを感じ取ったわけでもあるまいが、慧月がこちらを睨──もとい、見つめて。
「そっちがその気ならこっちにも考えがあるわ。……ほら、用意なさい」
「はいはい。承知しました、雛女様」
若干面倒臭そうに応じた莉莉がそのまま手渡してくるのは、銀朱色──朱駒宮の上級女官を表す衣である。
売ったら高そうではあるが、そういうことではなく。
「どういう風の吹き回しですか、慧月さま」
「用意したのはわたくしじゃないわ、黄玲琳よ。あなた、しょっちゅう朱家の領域に出入りしていたでしょう? だから、いっそのこと朱家の衣も持っていたほうがいいだろうって」
「では、黄麒宮から解雇されるわけではないのですね」
「猫猫のような優秀な薬師を解雇するはずがありませんわ。その証拠に……冬雪」
「はっ」
今度は玲琳から藤黄の衣を手渡されてしまった。猫猫は、今着ている中級の衣を見下ろして。
「私はこちらのほうが身軽で好みなのですが」
「諦めろ。先日の茶会の席でもそうだが、玲琳様の傍について行事に出席する者が中級女官では体裁が悪い。そもそもお前はある意味、私よりも玲琳様に近い立場だぞ?」
毒見役は玲琳と同じものを、しかも先に食べている……玲琳のことが好きでたまらない冬雪からしたら嫉妬の対象か。
これは、返却するのは無理そうである。
「……わかりました、謹んで頂戴いたします」
一礼して下がった猫猫の肩を、莉莉が叩いた。どういうわけか二人揃って、黄家と朱家、二家の女官をやる権利を得てしまった。
「で、あんたが銀朱の衣を受け取ったってことは、あたしがこき使う権利もあるってことよね? 黄玲琳、こいつをしばらく借りてもいいかしら?」
意地の悪そうな笑顔を浮かべて尋ねる慧月。うん、やはりそういう顔をさせるとよく似合う。……中身はわりとへっぽこだが。
「ええ、構いませんよ。猫猫、慧月様のお手伝いをお願いしますね」
「かしこまりました。玲琳さまの仰せのままに」
「は? え?」
ほら、さっきのも玲琳が困ると思って言っただけで本気ではなかったのだ。玲琳がわざわざ銀朱の衣まで用意したのだからなにかあるに決まっているというのに。
「ちょっと、あなたからもなんとか言いなさいよ! どこの世界に、他家の宮に傍付きを派遣する雛女がいるのよ!」
「ここにおりますが」
「あなたには聞いてないわよ!」
「落ち着け、朱慧月。これはむしろお前にとっていい話だ」
「それは、まあそうだけれど」
ぶつぶつと言いよどむ慧月。黄麒宮が困るのではないかと抗議しているのだから、なんというか変なところで真面目というかお人よしである。……そもそも、雛女として皇太子に尽くす気がなければ嫉妬して入れ替わりなんてしなかったわけで。
「大丈夫です。玲琳さまは下手をすれば私より上の薬師ですし、毒見役は冬雪さまに代わっていただけばいいでしょう。一人いなくなっただけで回らなくなるようならば、体制の側に問題があるのです」
「それはそうだけれど」
現に朱駒宮はまともに動ける女官が一人しかいない状態なのである。
「私が言うことでもないが、猫猫はなかなか使えるぞ。舞や詩をそれなりに修めているし、実家である程度の礼儀作法を仕込まれている。興味のあることしか覚えないせいでムラがあるが、それゆえに知識の範囲が広い。
教育係の真似事くらいはこなせるだろう」
「そうですね。専門には程遠いですが、小さい子供に教える程度の教師役なら、それなりに」
「わたくしは小さい子供並だっていいたいわけね……!」
微妙に喧嘩を売られていることに気づいた慧月はわなわなと肩を震えさせるも、人手が増えることは歓迎のようで。
「わかった。わかったわよ、せっかくだからこき使ってあげる。でも、楽はさせないから覚悟しなさい」
「心得ております。……ええ、楽をしている者の尻を叩くのは当然ですからね」
「うふふ、その意気です猫猫。朱駒宮のみなはさぞかし鍛えがいのある素材でしょうね」
「……は? あの、ちょっと待ちなさいよ。わたくしの宮でなにをするつもりなの?」
「それはもちろん。雛女様の肝いりという名目で、女官たちを叩き直そうかと」
ただ飯食らいの肝を冷やさせるのはなかなか楽しそうだ。猫猫は意気揚々と朱駒宮に乗り込み──やりたい放題やった。