プロローグ
夢を見ている。
真っ白な空間に、俺が一人で立っている。
その空間は、俺以外には誰もいない。
俺は、胸の前に両腕を広げて、なにかを、抱えている。
俺は、手に持った
なぜだかわからないが、そんな使命感だけが俺の胸の内に湧き上がる。
でも、アイツを倒すためには、必要なんだ。
俺が持っているだけじゃ、だめなんだ。
天に、海に、獣に、魔に、そして龍に。
人である俺は彼らに、
~
焦燥感とともに、俺は目が覚めた。
光が掻き消えるようにして夢から覚めた俺の目の前に広がるのは、黒々とした闇だ。
限界までリクライニングを倒したトラックの運転席で、俺は仮眠をとっていた。
背中ににじむ寝汗がすぐに冷えて、気持ち悪い。
なにか夢を見ていた気がするが、どんな夢だったか忘れてしまった。
そこは山腹のサービスエリア。
排気ガスの煤塵まみれの長距離トラックが、闇の中で鼻先を並べている。
俺は運転席を降り、SAの自販機で缶コーヒーを買った。
夏も終わり、深夜はかなり肌寒くなってきている。
自販機前の常夜灯に照らされ、缶コーヒーが立てる湯気が白く光る。
時刻は深夜2時を回ったところだった。
同じく休憩中の、夜行バスの運転手と軽い挨拶を交わす。
このSAでは彼のような顔なじみが何人かいる。通いなれた旅路だった。
コーヒーをすすりながら、彼と世間話をし始める。
コーヒーを持つ肩は重い。
息を吸い込む横隔膜の裏で、背中がピシリと痛むのを感じる。
持病の、狭心症の気配を感じる。
今夜はいつもの薬を飲んでいない。薬はうっかり家に置き忘れてきてしまった。
そんな俺の様子をみて、夜行バスの彼はにやりと笑い、軽い体操に誘ってくる。
世間話をしながら10分ほど身体を動かして、彼はバスに戻っていった。
俺も、飲み干したコーヒーの缶を捨てて、自分のトラックに戻る。
車内は暖かい。
運転席に座ると、すっと意識が切り替わる。
クラッチペダルに足先が触れ、シフトレバーを握る。
身体に流れる血に、アドレナリンがじわりと混ざるのを感じる。
目がさえる。
夜の高速道路は慣れた道だが、5tトラックの広いフロントガラスをゆったりと流れる視界は、飽きもせず、好きだ。
カーオーディオからはお気に入りの曲が流れ出す。
2速の低い唸りを全身で感じながら、トラックが滑るように動き出す。
出発しよう。
~
俺は、運転中はたいてい、歌を歌っている。
お気に入りの古い曲のこともあれば、流行りの新しい曲のこともある。
歌が好きだった。
小学校ではクラスの音楽発表会で誰よりも声を出した。いつも優しい音楽の先生に褒められるのが好きだった。
中学校では合唱コンクールが、楽しみだった。
女子に言われるまでもなく、積極的に練習に参加した。三年間連続で俺の所属するクラスが一位だったのが、今でも誇りだ。
高校では軽音部に入り、伴奏ギターを自ら弾きながら歌う弾き語りを磨いた。
文化祭では得意の歌を披露した。翌日からしばらくモテた。
俺が歌で生きていくことを志したのは自然な流れだった。
苦い思い出がよみがえり、胸が痛む。
山腹のSAで会った夜行バスの運転手の話を思いだす。
――今夜の夜行には、上京して歌手を目指すのだという少女が乗っているんだよ――
そのとき、俺は口に広がる苦い思い出をすすぐように、残った缶コーヒーを一気にあおったのだった。
そんなことを思い出して咳き込みながら、落ち着くのを待ってまた歌い始める。
トラックの運転手は、誰にもはばからず、こうしてたとえ一日中でも歌っていられる。
これでいいんだ。少なくともオフィス勤務のサラリーマンでは、こうはいかない。
俺はたぶん、一生、歌いながら生きるだろう。
~
時刻は午後。
俺はラジオをききながらトラックを走らせる。
積み荷の納品を終えて車庫に向かっているところだ。
どうやら首都高はいつもの事故らしい。このままでは帰宅が大幅に遅れそうだ。仕方なく迂回することにした。
下道に降りて法定速度で進む。
鈍い頭痛がする。肩こりがひどい。心臓が脈動する裏で、背中に引き攣るような痛みを感じる。
早く薬を飲まなければ。
症状自体は、いつもの狭心症だ。薬を飲めば楽になるはずだ。
今日のような雨の日は、症状がでることが多いのに、なぜ薬を家に置き忘れたのだろうか。失敗だった。
歩道と並走する片道一車線の道に入った。
実は、このあたりは俺の出身高校のあるあたりだ。
懐かしい気持ちは、あるにはある。
しかしどうにも、長距離を走るトラック運転手となってからは、この通りからどこかよそよそしい、俺を歓迎していないような気配を感じるようになってしまった。
積み荷の納入先には近道だが、人通りも少なくないので、あまり使わない。
しかも今日は大雨で視界が悪い。ハンドルを握る手に力が入った。肩から首筋を抜けて頭まで、鋭い頭痛が走る。
肩こりが酷くなると、こうして片頭痛も出るのだ。
歌を歌いながら、痛みをごまかす。
――ふと、遠くの歩道で
ぎくりとした。理由はわからない。
最近はこういうことが多い。徹夜の日はなおさらだ。誰ともなく責められている気持ちになる。俺の人生で、この世のあらゆる人間の中で、自分を一番責めたのは他でもない自分自身だろうに。
三人の男女の制服が、俺の通っていた高校の制服に似ているせいかもしれない。
ぎくりとした拍子に、だろうか。
「あ、? あ、やばい」
これは、心臓まひだ。医者に説明されたのに。
狭心症の痛みがひどいときは気をつけろと。心筋梗塞の状態が長く続き、痛みに慣れた状態は危険だと、医者に説明されたのに。
今日はいつもの薬を飲んでいない。心臓の脈動がおかしい。
あっという間に意識が白く染まり始める。姿勢を維持できなくなり、俺はハンドルに突っ伏した。
薄れゆく意識の中で、俺は、ブレーキペダル、? を、踏み込んだ。
おれのトラックの、行く先には。
白く染まった視界の先には、人が――。
~
事故後、警察が事故車のログを調査したところ、事故の原因とみられるトラックは家屋の外壁に衝突する100m手前で
事故付近で保護された少年の証言では、外壁に衝突する前に歩道にいた少年の友人2人と、少年を引き倒して救助した通行人1人を撥ねたとされる。
事故当時の現場では、少年を救助したという通行人とみられる男性と、トラック運転手が救急搬送されたが、いずれも搬送先の病院で死亡が確認された。
通行人の男性は内臓破裂による出血性のショック死である。身元を特定できるものを所持しておらず、身元は明らかになっていない。
トラック運転手の死因は事故によるものではなく、心筋梗塞による心臓麻痺とみられる。
なお少年の証言にある友人2人は事故直後の時点から行方不明であり、事故から1週間経った今も発見されていない。
少年は、事故の際に強い光を見たと証言しており、警察は事件との関係を調査している――
狭心症とかの症状は適当です。
医学的に正しくなくても許して。許してヒヤシンス。