無職転生異譚 トラックマン・ブルース   作:kyosim

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第二話:銀槌の北王

「おはよう、ガキども。あたしはローレンシアだ。

お前たちの父親アイザックの、師匠の一人、といったところか。

今は『銀(つい)』の北王ローラで通してんだ。よろしくな。」

 

ローラ、と名乗ったその女性は果たして、父の元カノではなかった。

朝食の食卓に同席したローラは、俺たちにそう自己紹介をしてくれた。

 

意外なことに、彼女は父の師匠らしい。

しかしローラの見た目は若く、20代半ばぐらいに見える。

中背だが筋肉質で、端正な顔に意思の強そうな鳶色の瞳を光らせている。

サラリと長いあでやかな銀髪は、ポニーテールにしていた。

 

二つ名の銀槌というのは、昨日の夜に玄関で彼女が手に握っていた、銀色の棍棒のことだろうか。

北王ということは、北神流だ。父が北聖なので、父よりも強いのだろう。

 

くだけた口調とリラックスした様子は堂々としたものだ。

父も母も姿勢を崩した彼女の様子を咎めるでもなく、尊敬の混じった視線を向けている。

 

「父さんのお師匠様でしたか。でも、ローラさんは父さんよりお若い、ですよね? もしかして、長命な種族でいらっしゃるのですか?」 

 

兄のウォルターが丁寧な口調で問いかける。

ウォルターはさすがの社交性だ。相手をよく見て、言葉遣いも変えることができる。

8歳でこれは、よくできた子だと言わざるを得ない。

いや、弟の俺から言うことではないが。

 

「はあん、若く見えるかい? そりゃ嬉しいね。

教えてやりなよアイザック、あたしは何歳だい?」

 

ローラはにやりと笑って父の方に横目を流す。

いきなり話を振られた父は、片方の眉をピクリと吊り上げて、苦笑いを浮かべた。

 

「こら、ウォルター。ご婦人のお歳を詮索する真似はやめておくように。」

「あ……。申し訳ありません。」

ウォルターがハッとして目を伏せ、謝罪を述べる。

 

父はさらに苦笑を深めて続けた。

「まあ、それは相手が()()()()()()であって、ローラ殿には関係ないがな。」

おお、珍しくパパンが毒づいている。ローラはローラで肩をすくめているし、なかなか気安い仲のようだ。

 

「やれやれ、私もあなたの年齢は詳しく知らないのですがね。

私が聞いたローラ殿の武勇伝は古いものが多い。

最も古いものはたしか、人族と魔族の国境戦で、人族側について100の魔族を1人で蹴散らしたとか……」

 

「おう。それがあたしの生まれたばっかりのころの話だね。

あたしの初陣でね、あの勇者カールマンと共闘だったんだよ。

あたしの参加した人間軍が国境で魔王軍を引き止めてる間に、カールマンは単身、不死の魔王に決闘を挑んだんだ。」

 

「あ! それ知ってます。」

 

俺はその話をきいて、ピンときた。北神英雄譚の一つだ。

冒険者ギルドに来ていた吟遊詩人(怪しい白フードの女性だった)が歌っていた。

北神カールマンと不死の魔王といったら、あれしかないだろう。

 

「へえ、知ってるんだ? じゃあ歴史の授業だ。

その戦は、甲龍暦何年のころだい?」

ローラはいたずらっぽい目で俺に問いをかけた。

 

俺は吟遊詩人の詩を思い出した。

目をつぶり、腹から息を吸って、吟遊詩人から教わった詩を歌った。

 

 

屍山血河(しざんけつが)に住み居たる

酔生夢死(すいせいむし)の蒙き鬼

不死の魔王の盃に

不覚の影を落とせるは

 

千山万河(せんざんばんが)を踏み来たる

一生一死(いっしょういっし)の北の雄

不死の魔王の(ししむら)

不治の疵をぞ刻みけり……

 

 

うーむ。対句と脚韻の美しい、声に出して読みたい人間語というやつだ。

 

これは、北神カールマンが不死の魔王を打倒した物語の一節であり、吟遊詩人はそれをラプラス戦役直後の出来事だと言っていた。

 

「えーと、北神カールマンが不死の魔王を打倒したのがラプラス戦役直後で、甲龍暦はラプラス戦役終結後に甲龍王ペルギウスの活躍を讃えて制定されたものだから……。

……答えは甲龍歴0年頃、じゃないですか?」

俺は、歌い終えるとそう答えた。

 

「ひえー、なんだいあんたの息子は。よおく勉強してるじゃないか。」

ローラはぱちぱち、と拍手しながら、肩をすくめて呆れたようにしている。

母さんはローラと一緒に拍手をしながら、にっこりとしている。

 

父と兄は驚いた表情で俺の方を見ていた。

俺は途端に恥ずかしくなってきた。

いや、急に歌いだしたのは確かに変な奴だと、自分でも思う。

 

しかし、父はふっと息を付くとローラの方を見て答えた。

「驚きましたかな? 賢い、自慢の息子です。人族はローラ殿が思う以上に成長が早いのですよ。」

 

そして、俺の方に向くと、俺の頭を撫でながら褒めてくれた。

「エメリオ、よくぞ覚えたな。お前のその記憶力は、これからの人生でお前を大いに助けてくれるだろう。」

俺は恥ずかしさ半分、照れ半分で、合わせて顔面が真っ赤になるのを感じる。

 

ローラは、俺の方に向き直って言った。

「いや、驚いたよ。すまないね、馬鹿にしたわけじゃない。感心したのさ。」

そういって俺に笑いかけた。含むところのない、気持ちのいい笑顔だ。

 

「正解だ。

あんたのいう通り、その戦の時点では、甲龍暦はまだ始まってもいない。

400年前、ラプラス戦役の末期戦であたしは、一兵卒として国境戦に参加した。

結局、アトーフェがあっという間にバラバラにされて決着がついたってんで、魔王軍はさっさと引き上げていったのさ。

だから、そん時は100人も倒してないねえ。あたしもまだ生まれたばっかりで弱かったもの。」

と、ローラは答え合わせをしてくれる。

 

それにしても驚きだ。この世界に転生してから5年、この世界には色んな種族がいるということを知識では知っていたが、こうして400歳超えの人物を目の当たりにすると……。

なんというか、感動だ。

このどう見ても20歳そこそこにしか見えない女性が、400歳……。

 

俺と兄はちらっと目を合わせて、驚きを共有した。そしてなんとも言えない畏敬の念を込めてローラの顔を眺める。

 

「ところで今の歌は、あれだね。治らずの疵の剣技、不治疵北神流の伝説のやつだろう?」

 

ローラが何気ない感じで振ってくる。

ん? 何の伝説だって?

俺が首をかしげていると、ローラは説明してくれた。

 

「ああ、なんだ知らなかったのか。いいかい、北神流っていうのはそもそも、特定の型があるもんじゃない。これは知ってるね?」

俺はうなずいた。

父は北聖で、つまり北神流の階級の内、神級、帝級、王級に次いで強い階級だそうだ。

しかし、その戦い方は騎士の戦い方であって、乗馬して長大な剣で戦ったり、盾を使ったりするもので「剣道」という感じではない。

 

「広く伝わっている北神流は兵法だったり、戦闘に際しての心構えだったり、闘気の纏い方だったりだ。要は北神流開祖の勇者カールマン・ライバックの生き方の模倣さ。」

 

俺と兄はなるほど、とうなずいている。

 

「ところが、勇者カールマンの使う剣技には()があったのさ。それが、不治疵北神流だ。」

「あの……、どうして型は受け継がれなかったんでしょうか。」

 

兄が問いかける。気になるところだ。

ローラは古い記憶を思い出すように、目を細めて机の模様に目線を向け、言った。

 

「勇者カールマンは天才だった。

それゆえに、奴は自分の使っている剣技を人に教える手段を持たなかったんだ。

()()は、感覚的な闘気操作が必要で、理論立てて説明できるものじゃあなかったらしい。

結局、あいつの感覚的な説明を理解できて、不治疵北神流を()()引き継ぐことができたのは、1人だけだ。」

「1人、ですか。それは?」

 

「ああ。アトーフェラトーフェ・()()()()()だ。勇者カールマンに調伏されて、やつの妻になった、“不死の魔王”さ。奴らの息子アレックスは使い手だが、直接教えを受けたわけではないらしい。」

 

ふぁっ!?

え、勇者と魔王の婚姻譚なの? これ。ま、まおゆう……。

ロマンだ。詳しく。

 

「北神カールマンは自分が倒した魔王と結婚したんですか!? 詳しく聞かせてください!」

「あーん? そこかい? 歴史は詳しいのに、妙なところを知らないねえ。こりゃ有名な話さ。

勇者カールマンは倒した魔王を妻に迎え、奴らの息子は北神二世として世界各地で英雄譚を築き上げた。

北神二世がなんで強いのかっていったら、不治疵北神流剣技と不死魔王の血という、最強の矛と最強の盾を両方もってたからさ。寿命も長いから活動範囲も広いしね。

例えば王龍王討伐の伝説は、北神二世が100歳を超えてからの話だよ。」

 

王龍王討伐の伝説といわれても、何のことだかわからない。

俺は興味がむくむくと湧いてきた。恥のかきついでだ、いろいろ聞いておきたい。

今の世に歴史書や吟遊詩人の詩としてしか伝えられていない、ラプラス戦役後の話や北神英雄譚を、実際に経験してきた人から聞く、絶好の機会だ。

 

「えっと、ローラさんはさっきから北神カールマンを勇者カールマンって言ってますけど、何か理由があるんですか?」

「ああ、そりゃ簡単さ。カールマンは息子と孫がいて、そいつらも北神を名乗っててややこしいからね。奴ら三代のうち、『勇者』の称号をもっているのは、一世だけだ。分かりやすいだろ?」

「なるほど! えっとじゃあ……。」

 

俺がさらにローラを質問攻めにしようとしていると、父が俺に視線を向けて、静止した。

 

「エメリオよ、長くなるだろうから、今朝はそのあたりでな。

ところで、ローラ殿はなぜこの時期に当家に? 何か御用がありましたか。」

 

父が肝心の、ローラの用件を訊いた。

 

なぜこの時期に、というのは気になるところである。ベリル領は冬は完全に雪に閉ざされる。雪下ろしや雪かきをしながら、部屋に引き籠って木彫り細工や編み物をして暮らすのがベリル領民の一般的な生活だ。

これからベリル領に滞在しても、あまりいい生活はできないはずだが……。

ところが、ローラはあたりまえと言わんばかりに答えた。

 

「ああ。こんなド田舎でやることといったら、そりゃ決まってるさ。

湯治だよ。」

 

 

ベリル領には温泉が湧く――らしい。

 

酸化鉄を豊富に含む泉質で、ベリル領の人々は飲み薬として活用している。

だがその血のように赤い泉に浸かろうという者はおらず、入浴する文化はないのだとか。

 

転生してから5年、風呂に入りたくても屋敷にはないので井戸の水浴びと濡れタオルで我慢してきたが、まさか目と鼻の先に温泉があるとは衝撃だった。

 

ローラは()()()100年前にここらの温泉を見つけ、それ以来よく入浴しに来るようになったらしい。父や祖父はその恩恵にあずかり、ローラから北神流の修行をつけてもらったという。湯治で滞在する間の食料代や世話代として。

 

ローラは温泉の湧く山を一つ所有しており、その麓に別荘の小屋を持っているのだという。その小屋には温泉が引き入れてあり、冬の間存分に湯治を堪能できるのだとか。

 

俺は一も二もなく、父とローラに提案した。

 

「あの、父さん。ローラさんの滞在中に僕が温泉小屋に泊まり込んで、ローラさんのお世話をするのはいかがでしょうか。ローラさんには昔話をいろいろと聞きたくて……。」

 

ローラは意外そうな表情をして、父の方を向く。

 

父は少し考えた後、

「うむ。よい機会だろう。エメリオよ、ローラ殿のお世話をして差し上げろ。温泉小屋にはレピュシアに付いてもらおうと思う。エメリオはその手伝いをしろ。」

といって、すんなりと許可してくれた。

 

ちなみにレピュシアとは、雪兎さんのことだ。彼女も付いてくれるのであれば、心配することは何もない。

 

「ローラ殿。エメリオと我が家の使用人を1人お付けするので、この冬はゆっくりと滞在してくだされ。代わりに、エメリオには昔話をしてやって下さい。」

 

ローラは嬉しそうに笑顔を浮かべ、答える。

「そりゃ助かるね。

けど、昔話っていっても、あたしの記憶はうろ覚えも多いもんだ、あんまり期待しないでおくれよ?」

 

「それで十分です! ありがとうございます!」

俺は勢いよく頭を下げた。

父もうなずく。

 

「それと、エメリオには剣の稽古を。

このエメリオは5歳になり、剣の修行を始めようとしておったところでしてな。

私の代わりに基礎を教えてやってくだされば助かります。

また、数日ごとに私とウォルターが出向きますので、その時に我らにも剣の指導をいただければと存じます。」

「おう、わかったよ。任しときな。」

 

こうして、俺の温泉合宿が決まった。

 

 

その日の内に、俺と雪兎さんと、そして母さんはローラの別荘へ向かった。

人が住むための支度をするのだ。

 

ローラ本人は俺たちの案内をした後、屋敷に戻って父と兄の剣の稽古をつけている。

母さんは俺たちの護衛だ。狩りの時にも使うデカい強弓(ごうきゅう)を肩にかけて付いてきてくれた。

 

屋敷から温泉小屋までは片道3時間ほどの距離だった。これは5歳の俺にあわせた時間であり、ローラは走れば30分かからないと言っていた。

 

温泉小屋は平屋(ひらや)2室のこじんまりとしたログハウスで、最低限のものしか置いていない。

幸いにして屋根はしっかりと残っていたので、掃除するだけで住めるようになるだろう。

 

入口の扉を開けるとキッチンがある。この部屋は8畳ほどの広さで、食卓とソファも置いてある、いわゆるダイニング・キッチンだ。

この部屋の奥には入り口とは別の扉があり、そこを開けると寝室だった。こちらも8畳ほど。

部屋の一角にはベッドが置いてある。ベッド、といってもマットレスなしの木枠だけであり、ふとんらしきものはない。

壁にはクマの魔物のでかい毛皮が掛けてある。あの毛皮をかぶって寝れば暖かいだろう。

ベッドの向かいには暖炉があり、簡易な煙突で屋外につながっている。周りは森林なので、薪集めには事欠かないはずだ。

 

寝室の奥にはもう一つ扉があり、そこを開けると外の小道につながっていた。

この奥が……温泉だろうか。

 

山奥の小屋にしては広い、現代っ子も納得の立派な1DKだ。ただし、ここに3人が住むとなると少し狭いか? 俺は5歳で身体が小さいので、実質は雪兎さんとローラの2人だけのようなものだが。

 

雪兎さんは、屋敷から持ち出した鉄なべや食器類をおろして、一通り小屋の中を確認すると、言った。

「私は足りないものの買い出しをしてきますので、エメリオさんは暖炉の確認と、部屋の掃き掃除をお願いしますね。奥様は……」

 

母さんはうーん、と少し考えて、言った。

「わたしはじゃあ……、レピュシアについて行こうかしら。この辺りには今は魔物はいないみたいだし、エメリオ一人でも大丈夫そうだわ。」

 

おっと、俺一人か。

母さんと雪兎さんの鋭い感覚で魔物がいないと分かっていても、少し不安である。

 

二人が街へ降りて行ってから、俺は早速、部屋の掃除を始めることにした。

キッチンの片隅には箒が立てかけてあるが、これは使わない。

 

転生してからの5年間、俺は遊んでいたわけではないのだ。

では何をしていたかというと、魔術を独学で学んでいたのだ。

 

箒を使わずにどうやって掃除をするか?

今から魔術修行の成果の一端をお見せしよう。

 

 

まず小屋の室内にたまった埃を外に出す。

 

俺は風魔法で小さい渦巻状の風を起こす。詠唱はない。

身体の真横に両手を伸ばしてぐるりと周り、自分の周りに渦を巻くように風を吹かせる。

 

渦に巻かれて、足元には埃が集まっていく。

そして、俺は渦を維持したままゆっくりと歩きだす。足元の埃と一緒に寝室からキッチンを経て、開けてあった出入口から外に出た。

 

あっという間に部屋の掃き掃除完了である。

 

魔法の習得は、俺が2歳のころに(さかのぼ)る。

我が屋敷には、ラノア魔法大学発行の初級・中級魔術の教本が置いてあった。

この世界では本は貴重である。魔術教本のような量産される実用書でも、おいそれと手に入るものではないらしい。

ただ、父はラノア王国の騎士なので、騎士叙任の際に証の騎士剣とともに下賜されたそうだ。ラノア王国は魔術の研究に力を入れており、大学運営とともに魔術の普及にも尽力しているのだとか。

 

2歳からその魔術教本を読み進めて、昨日5歳になるまでに風の中級魔術を無詠唱で発動させることができるようになった。

無詠唱はこの世界では一般的ではないらしい。しかし俺は、詠唱をしたときに自分の中を流れていく魔力を感じながら、その魔力の流れを詠唱なしでも再現できることに気が付いた。

 

その後試行錯誤を続けて、無詠唱で中級魔術まで発動できるようになったというわけだ。

しかし、そもそも初級魔術や中級魔術として教本に記されているのは、戦闘で使うことを想定された攻撃魔術だけだ。

 

俺はそれに違和感があった。自分の中の魔力をうまく操る方法をマスターすれば、もっと多用途に魔術を応用できる。俺はそう確信して、いろいろと工夫をしてみることにした。

風魔術は俺にとって相性がよかった。先ほどの掃除魔術も、思い付きで試したらあっさりできたものだ。

 

部屋の埃を外に出し終えたので、次は暖炉の点検だ。煙突に腐葉土化しつつある細かい枯れ葉が詰まっていた。

暖炉側から風を送り込んで、詰まった枯れ葉を屋外に吹き飛ばした。

 

掃除完了です……。

ということで、言いつけられた掃除はものの5分でおわってしまった。

 

追加で小屋のアップグレードをしよう。

小屋はログハウスなので、湿った建材を乾燥させて虫を(いぶ)し出しておこう。火魔術と風魔術を応用して、熱風を生み出し、小屋の室内を熱風で満たした。

 

俺自身は外にでて、部屋の温度を上げていく。大体70℃くらいが目安だ。

パキパキ、と小屋が乾燥していく。毛皮についているであろう虫も、これで殺せるはずだ。

 

ついでに、熱風が漏れ出している部分を小屋の外から探して、土魔術で埋めていく。

こうすれば暖炉の熱も逃げにくいはずだ。

出入口の扉はパッキンのようなものがほしいところだが、ないものは仕方ない。

 

しばらく熱風を起こし、建材の鳴る音がおさまってきた。あとは余熱で乾燥させれば十分だ。

 

俺は寝室の扉から続く小道の先へ向かってみた。

 

「おっ!これが噂の!」

 

そう。噂の温泉である。

 

平らな岩を敷き詰めた底に、大きい石を積み上げた縁。野趣あふれる石造りの浴槽だ。

崖に面したその浴槽は、眼前には連なる山々と大森林が、眼下には街にそそぎこむ河の源流となる清流と、丸く削られた石が並ぶ河原が見える。

 

まごうことなき露天風呂だ。

 

浴槽の一角には、崖を這わせた(とい)が口を開いており、そこから源泉を引いていることが予想できる。

しかし、今は湯は出ておらず、浴槽はカラだ。

 

詰まっているのだろうか。

俺は手ごろな枝を手に持つと、樋につながる配管を一定間隔で叩いてみた。

 

コン

コン、コン……。

ゴン……、ゴツ。

 

ここだ。鈍い音がする。

俺は土魔術を使って、配管の詰まったその部分から先を取り換えることにした。

 

土魔術で配管を柔らかくし、風魔術で切断する。

断面となった配管の先端からはお湯が噴出した。

 

「あっち! 危ねー。」

 

飛び散った熱水が少しかかったが、大事には至らなかった。

お湯を吹き出す配管の断面から少しずつ伸ばすように、土魔術で新しい配管を取り付けていく。

 

配管の先端を樋につなぎ、樋から浴槽にお湯が流れ込むようにした。

トトトトッ……と小気味よい音を立てて浴槽にお湯がたまっていく。

 

温泉の準備ができた。

部屋の掃除と暖炉の整備、さらに小屋の乾燥を終えた。

風呂のお湯も溜まったときたら、残るやるべきことは一つだけだ。

 

 

俺は5年ぶりに入浴した。

字面にするとかなりやばい。前世の現代人からしたら、どこのホームレスだよって感じだ。

いや、ホームレスだって銭湯や公共機関の風呂を借りて入浴しているだろう。

 

はぇー。

言葉にならないうめき声をあげて肩まで湯につかる。

この世界に転生してから唯一、前世の方がよかったと思っていた風呂問題が、ついに解決したのだ。

温泉による身体的なリラックスと、精神的な解放感が合わさって、俺の幸せは有頂天となった。

 

しばらく、全身湯につかったり、上がって浴槽の縁の岩に座って足湯をしたりを繰り返して自律神経を整えていく。

何度目かの時に、それは起こった。

 

背後から足音がしたのだ。

 

「お? なあんだお前、先に入ってたのか。

小さいくせして、温泉の良さがわかるとは、恐れ入るね。」

 

そんな声に振り返ると、片手に手桶を握った――

 

――全裸のローラの姿があった。

 

一瞬思考がぴしりと停止する。

 

ハッと気づいた時には、ローラは手桶で湯を(すく)って浴び、体を軽く洗ってドボンと浴槽に浸かっていた。

「あ~。生き返るぅ。」

 

うろたえるな。俺は5歳だ。5歳の子どもは、女性の裸にうろたえない。

 

「あ、ローラさん。お疲れさまです。お先いただいてます。」

アホか俺は。つい場末の銭湯のおっさんみたいなセリフが出てしまった。

 

しかしローラは気にした様子もない。

大きく手を開いて縁にかけ、頭も縁に預けて目を閉じている。

この姿勢は、やばい。

ローラの形の良いおムネがゆらゆらと、水面を出たり入ったりしている。

両腕を大きく開いているので遮るものは何もない。

 

俺は5tトラックのクラッチペダルとシフトレバーの感覚を思い出す。

今から深夜の300㎞の旅路を行くのだ。東名高速だ。そうだ、落ち着いて意識を切り替えるんだ。

スッと意識が切り替わる。

 

ヨシ。

 

落ち着いた。

 

「あれ、ローラさん。父さんと兄さんの修行はどうなったんですか?」

 

「んあ? とっくに終わったよ。

あたしは屋敷から酒樽をもらってここまで走ってきたところさ。

あんた、あとで酒を注いで持ってきてくれるかい?」

 

なんと、俺が温冷交代浴で整っている間に、そんなに時間が経っていたというのか。

うーむ、迂闊。

そんなことを考えながらも俺の目線は、夕日を鮮やかに照り返すローラの白い肌から離れない。

引き締まったウエストのくびれに、大きく張り出したお尻、むっちりとしたふともも、スラリと長い脚。

筋肉を覆い隠すような程好い皮下脂肪に、ふっくらと形よく大きな胸、そして桜色の……

 

いかんいかん。

 

「あ、お酒ですね。わかりました。

僕はもう十分あったまったので、いま注いできますね。」

 

そういって俺はザバっと身体を浴槽から引き揚げた。

ローラは目を閉じたままよろしく~と答える。

俺はササっと服を着て、小屋に戻った。

 

母さんと雪兎さんはまだ買い出しから戻っていないようだ。

小屋のキッチンにはローラが屋敷から運んできたという酒樽が二つ、置いてあった。

雪兎さんが持ってきた荷物の中から木製のジョッキを出して、樽から酒を注いでいく。

 

酒はエールで、ホップではなく松葉で香りづけをしたベリル領の地酒だ。

大酒を飲みそうな人なので、注いだ分ではたぶん足りないだろう。

しかし樽は大きく俺では持ち運べそうにないので、足りなければその都度注いで持っていくことにしよう。

 

「ローラさん、持ってきましたよ。」

「おう、ありがとさん。それで、何が聞きたいんだっけか?」

「あ、早速ありがとうございます。えっと、ローラさんの生の体験談なら何でもいいんですけど……。

例えば、苦難の末に強敵を倒したとか、大国の王宮に招かれたことがあるとか……。」

 

ローラはうーん、と唸って眉根を寄せている。

そして手に持ったジョッキからぐいっと酒をあおると、話始めた。

「じゃあ、あたしが初めて、緑竜(グリーンドラゴン)と戦ったときの話をしようかねえ。」

 

 

「と、いうわけであたしは武器と全財産をかなぐり捨てて、這う這うの体で逃げ出したってわけさ。」

「えーっ。じゃあ、そのお宝は手に入らなかったんですか。」

「そうさ、ひとっつもね。あいつは緑竜の中でも特に財宝とかひかり物が好きな奴だった。あんたも、旅をするときゃ気を付けなよ。」

 

それはまるで、運悪く黒塗りの高級車に追突して身ぐるみを剥がれるような話だった。

ていうかローラ、普通に語りうまいな。

起承転結というか、丁寧な導入に山ありオチありで聞き入ってしまった。

なお、この間にエールのおかわりが3回入った。

 

俺はこの冬の内にローラの冒険譚を聞けるだけ聞きだして、ノートにまとめるつもりだ。

そこから使える話を選別して、歌にしようと思っているが、この分だとかなり充実したネタ帳になりそうだ。

 

 

その後、母さんと雪兎さんがリアカーを引いて帰ってきたので、ローラも風呂を上がって荷揚げをした。

二人は当面の保存食糧と、マットレス替わりに使う寝藁、そして掛布団を買ってきた。

リアカーは車輪を外して、そのまま俺の簡易ベッドとして使うそうだ。

 

「えっと、レピュシアさんはどうやって寝るんですか?」

 

「わたしは、床にそのまま寝藁を敷いて寝ようかなと……。」

 

む。我が屋敷の誇りある使用人をそのような扱いにするわけにはいかぬ。

と、父なら言うだろうなと思いながら、俺は言った。

 

「僕が床で寝ますよ。レピュシアさんは簡易ベッド(リアカー)をつかってください。

ちょっと工夫してみようと思います。」

「ええ? でもそういうわけには……。」

 

雪兎さんは難色を示しているが、話を聞いていたローラが口をはさむ。

「おんなに寝床を譲るなんて、小さいのに男らしくて、いいじゃないか。任せてやりなよ。」

 

少し語弊があるものの、その言葉に「え~と、じゃあ……。」なんて言って雪兎さんは折れてくれた。

 

というかあれだな、今冷静になって気づいたが、俺はこの冬、この美女二人とひとつ屋根の下で暮らすんだよな。

大丈夫か? 大丈夫か俺の理性は。




次話、温泉合宿に続く。
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