無職転生異譚 トラックマン・ブルース   作:kyosim

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【風韻】ふういん
趣があること。風趣。


第五話:闇の森

『風韻』ティアナ・トゥック・アスファロスには、人生の目標がある。

 

ティアナは古代長耳族(ハイエルフ)の系譜、大森林でも有数の名家であるアスファロス家に生まれた。

長耳族に貴族制度はないが、古代長耳族の血を引くアスファロス家は高い魔術的素養を受け継ぐことも多く、尊敬を集める家系だった。

 

そんなアスファロス家の現当主アルトリウスは変わり者だった。

代々の血統を継ぐのではなく、小人族(ホビット)の女性トゥラン・トゥックを妻に迎えたのだ。

トゥランの生家トゥック家も、小人族の中では名家ではある。

彼らは大森林の他種族交流で知り合い、親交を深める中で恋に落ちたのだという。

 

幸か不幸か、現代において古代長耳族の血統は散逸し、もはや純血が失われて久しい。

薄まった古代長耳族の血を躍起になって守ることをよしとしない若者たちが多数派を占める時世において、この婚姻は一部の保守派の諦めとともに、おおむね歓迎された。

そうしてトゥランは愛する夫や理解ある親族たちに恵まれ、幸せな一生を送ったのだった。

 

しかし、皮肉なことに、この美しき異種婚姻譚の結実たる彼らの愛娘ティアナには、耐え難いコンプレックスを残すこととなった。

長耳族の父と小人族の母には理解できない、呪いともいえるコンプレックス――

 

小人族の特徴を強く受け継いだティアナは、同年代の長耳族の中でもひときわ背が小さく、そして、小人族と同様に()()()()()

 

ティアナは長耳族たちの暮らす街で、長耳族として育てられた。

ティアナの目から見て、周囲に暮らす人々のスラリと長い背や手足、うぶげひとつない白い肌は美しく見えた。しかも自分の()()の肌ですら。

その事実はティアナに深いコンプレックスを植え付けることになった。

 

実のところ、彼女の肌に生えた毛はうぶげ程度であり、人間族や小人族の女性と比較しても、毛はむしろ薄い方である。

しかし、彼女の毛の色は黒色(ブルネット)であり、白い肌に目立ちやすいことも災いしたのかもしれない。

周りに長耳族しかいない彼女にとっては、黒い毛が少しでも生えているだけで耐え難い屈辱だった。

結果、ティアナは肌を人目に触れさせないように、蒸し暑い雨季であっても深く着込んだ。

 

そんなティアナは、周囲の男たちの目には奥ゆかしく清楚な性格に映った。

またアスファロス家という名家の姫であることもあって、若い男たちはティアナにこぞって言い寄った。

しかしティアナにとって、そんな男たちに自分の毛深い肌をさらすのは恐怖でしかなかった。

自分の醜い肌を見たとたんに、男たちは失望して去っていくだろう。

そして仲間の男たちに自分の醜さを言いふらすに違いない。

そんな被害妄想はティアナのなかで膨らみ続けた。

 

結局ティアナは母のトゥランを看取ったあと、大森林を去った。

せめてこの毛の生える肌を、毛が生えないようにするまで故郷には帰るまい。

そう決意して、彼女は脱毛のための魔術を手に入れることを誓った。

 

そうして彼女は最果ての地、ラノア魔法大学の門を叩いたのだった。

 

魔法大学を訪れた際にすでに聖級魔術師であったティアナは、研究員(スカラー)として招かれた。

研究成果の一部を大学に納める代わりに、大学の蔵書や設備を利用できるという地位だ。

彼女は、表向きは風属性や火属性の魔術の研究成果を大学に納め、一方で脱毛の呪いを研究した。

 

大学の図書館には呪いについての書物も多かった。

ティアナは、思わず目を背けたくなるような吐き気を催す冒涜的な書物や、荒唐無稽な狂人の日記を数多く紐解いていった。

そしてついに、攻撃対象の毛を一本残らず脱毛させるという恐ろしい魔術を手に入れたのだ。

その名も『毛枯れの呪(カーズ・オブ・ディファイル)』。

 

もともとは敵国の農地に放ち植物を枯らせ、作物をとれなくさせる儀式魔法であったそうだ。

これを人に向けて放つと、体中の毛という毛が抜けおち、生への執着を失い、最終的には死に至るという。

実に冒涜的な呪術だ。

 

この魔術は、もちろんこのままでは使えない。

だが、ティアナは目標達成に向けて確かな一歩を踏み出したことを確信した。

あとは対象範囲を首より下の毛に限定し、生きる気力を失うなどの副作用をなくすように改良するだけだ。

そのためには呪いの発動原理の解明と、正確な魔力制御が必要だ。

 

発動原理の研究は進めるとして、魔力制御については、魔法陣か、あるいは最上級の杖が必要だ。

これらのうち魔法陣は専門外だ。もし魔法陣で制御するとしたら、詳しい人物に依頼しなければならない。

しかし高い金を払って協力を依頼するのが脱毛では、どんな噂が立つかわからない。これは論外だ。

残る選択肢は、杖だ。

 

最高級の杖は、魔法大学の先生や、王族・貴族にしか手に入らない。

自分が最高級の杖を手に入れるためには、故郷の大森林に帰って親の伝手に頼るか、自前で調達するしかない。

父親に頼るのは、いやだ。

 

調べたところラノアの東、森林地帯の一騎士領が、最高級の杖の原材料を産出しているらしい。

その騎士領の名を、ベリル領という。

流れの吟遊詩人(白フードの怪しい女性)に聞いたところによると、その杖は遠くアスラの王家にも納められる逸品であるとか。

なんとかその杖を手に入れられないか。

 

そうしてティアナはベリル領にやってきた。

杖工房を訪れたが、予想はしていた通りそうやすやすとは売ってもらえそうにない。

 

しかし神の啓示か、はたまた噂を聞きつけた領主さまの思し召しか。

街の冒険者ギルドには、領主の信用を得られそうな依頼。

領主の息子に魔術を教えるという仕事が張り出されているではないか。

 

これは千載一遇の機会。ティアナは一も二もなく飛びついたのだった。

 

 

 

 

あっという間に6か月が経った。

 

あれから、俺は順調に上級魔術を習得しつつある。

北神流の修行は午前中だけであるため、剣術の方は一日中剣術修行をしている兄にやや水をあけられている。

しかし、父は俺の魔術修行を好意的に考えてくれているらしい。

父としては、兄が前衛、俺が後衛で戦えば他領との戦争でも有利に戦える、とでも思っているのかもしれない。

 

俺は午前中に剣術、午後から上級魔術を学び、夕食後の夜の時間にティアナさんの無詠唱魔術を指導している。

この半年で、ティアナさんはようやく魔術を発動するときの魔力の流れをつかみかけているようだ。

体の中を流れる魔力の流れを感じることができるようになりさえすれば、後はそれを詠唱なしで再現するだけだ。

ティアナさんが無詠唱魔術を習得する日も近いかもしれない。

 

今日は快晴の秋の一日。収穫祭の日だ。

冬ごもりに向けて食料の備蓄を多めに取らなければならないベリル領にとって、領民たちが贅沢な食事ができる最後の祭りである。

 

俺はその日、街はずれの、お祭り会場の広場に来ていた。

その広場では収穫されたばかりの作物に加えて、母が張り切って捕ってきたイノシシやシカなどの肉が大いに振舞われた。領民たちは楽しそうに舌鼓を打っている。

 

俺は広場の中心に設営された天幕の前で、歌を披露していた。

リュートを使った弾き語りで、風魔術を使ってリュートの音と歌声を少し大きくした。

ただし歌に魔力をのせることはしていない。呪歌(あれ)は強すぎるからな。

 

 

土を捏り 瑞き麦穂の種まきて

水を引き 明き陽向に雨を乞い

風を知り 白き厳霊の鐘を聞き

火を篝り 古き御森と囁きあう

 

春に覚め 夏に育ち

秋に恵み 冬に眠れ

 

歌え踊れ 満たせよ腹を

冬の長き 眠りの前に

 

眠り就きせば 春を夢見よ

冬来たりなば 春遠からじ

 

 

歌のネタは、ティアナさんから聞かせてもらった小人族の歌だ。

獣神語の歌詞だったので、節に合わせてうまいこと人間語に直すのに苦労した。

ティアナさんは翻訳に協力してくれた上に、今日は一緒に歌ってくれた。

 

彼女の歌声は涼やかなソプラノだ。

長年歌いなれた歌だからか、込める情緒もたっぷり。

俺は少し下の音程でハモリを歌った。

今日の主役は、ティアナさんだ。

 

聴衆の反応は上々で、特に子どもたちからは何度もアンコールをせがまれたものだ。

結局、ほとんど一日中歌っていた。

 

それでも全く苦にならなかった。

歌を歌って人に聞いてもらえるというのは、こんなに楽しいことだったとは。

転生させてくれた神様がいるとしたらお礼をしないといけないな。

 

 

その日の晩のことだ。

領主屋敷の自室で、ティアナさんの無詠唱魔術の練習に付き合っていると、不思議な声が聞こえてきた。

 

『エメリオ……』

 

誰かが呼んでいる声が聞こえる。

 

「あの、ティアナさん?」

「ん? どうかしましたか、エメリオ。」

「いや、あれ? 僕のこと呼びましたか?」

「いえ、呼んでませんよ。」

 

『エメリオ……ティアナ……』

 

呼び声は、俺だけではなくティアナさんも呼んでいる。

 

声の主はティアナさんではない。

しかも、このどこからともなく聞こえてくる感じ……。

『地獄耳』を使って遠くの会話を聞き取る感じに似ているな。

これは声じゃなくて、魔力を飛ばしてきているのだろうか?

 

『エメリオ……ティアナ……こっちに来てくれ……。』

 

こっちってどっちだよ。

 

「あの……、ティアナさん。ティアナさんはこれ、聞こえてないですよね?」

「……? さっきから、どうしたんですか?」

「いえ。空耳かな?」

「はあ。」

 

実を言うと今日の収穫祭は、前世の暦ではハロウィンごろにあたる。

ひょっとして、お化けとかじゃないだろうな。

異世界のお化けとか結構やばそうだが。

 

()()()だ……。二人で……来てくれ……。』

 

闇の森か。間違いない。

お化けだなこりゃ。

闇の森とは、今日のお祭りがあった広場から、南に程なく行ったところにある鬱蒼とした森である。

 

この世界において森は魔物の住処であり、熟練の冒険者でもよっぽどでなければ近寄らない。

しかも頭に「闇の」なんてつく森は、大抵ろくでもないモノが住み着いているのがオキマリだ。

 

父いわく、たまに闇の森から迷い出てきたトゥレントから極上の杖素材が取れるらしい。

しかし領主として、冒険者ギルドで闇の森での採取依頼を出すのは禁じているそうだ。

稀少素材の保護とか価格吊り上げのためかと思ったが、どうやら()()()()()からというのがその理由らしい。

 

『来てくれ……。頼む……。』

『来てくれ』『お願いだ』『来てくれ』

『こっちへ来てくれ』『頼むよ』

 

しかしさっきから複数の声が同時に話しかけてきているように感じる。

これを無視するにも少しうるさいな。

そもそも、行って何をすればいいというのだろうか。

 

『頼む……。来てくれ……。』

『安全は保障する』『生きて返すよ』

『大丈夫だから』『来てくれ……』

 

……。どうしようか。

 

「あの、ティアナさん。明日の午後からなんですが、少し行きたいところがあるんです。」

「あら、いいですよ。ここのところお休みもなかったですからね。

エメリオは今日も大活躍でしたし。」

「ありがとうございます。では、明日の午後は僕についてきてください。」

「わかりました、どこに連れて行ってもらえるか、楽しみですね。」

 

とりあえず、明日の日中に様子を見に行ってみよう。

 

 

闇の森は、領主屋敷から2時間ほど歩いたところにその入り口がある。

温泉のある山々から街をはさんでちょうど反対側にあり、赤竜山脈を背負って広がる、広大な森だ。

その森には、赤竜山脈の氷河が溶け出した川が流れ込んでいる。その川の水には赤竜たちの死骸から染み出した膨大な魔力が含まれており、その水を吸って育った木々は、意思を持って()()()()()()ようになるらしい。

 

ティアナさんには、行きたい場所というのが森であるということを伝えてある。

少し警戒していたが、俺一人でいくと危ないといって、ついてきてくれた。

 

『ありがとう……まっすぐ森に入ってくれ……。』

 

例の声はまだ続いており、俺を案内している。

 

「えー、ティアナさん。今日ここに来た理由なんですが。

実は、昨日の夜から僕たちを呼ぶ声がきこえてまして。

邪悪なものかもしれませんが、延々話しかけられるのも迷惑なので来てみた次第です。」

 

俺は森に入る前に、ティアナさんに事情を説明しておくことにした。

 

「はあ、なるほど。昨日の夜様子がおかしかったのは、そういうわけですか。」

「すみません。それで、少しでも危険がありそうだったら、引きかえそうと思ってます。」

「賛成ですね。私の故郷の大森林でも、集落から離れて一人になった人は大抵ひどい目に合っていましたから。森に深入りすると危険というのは、どこの世でも同じだと思います。」

 

やはりティアナさんとしても、森は危険なので入るべきではないらしい。

 

『危険は遠ざけた……。』『安全だよ』『大丈夫だ』

『君たちに危害を加えるものは、近寄れません。』

『まっすぐ、こちらへ来てくれ……。』

 

「うーん、その声いわく、一応、安全は確保できているみたいです。」

「はあ。その声の主が安全ならば、ですよね?」

「まったくその通りです。警戒しながら、進みましょう。」

 

 

俺たちは声の案内に従って、森の中をまっすぐに進んでいった。

ティアナさんの提案で、一定間隔で俺の魔力を籠めた石を置いて進んでいる。いざとなったらその石の魔力をたどって森を抜けるというわけだ。

森に入ってからは、声が言っていた通りというべきか、危険なことは拍子抜けするほど何もなかった。

 

30分ほど進んだだろうか。

たどり着いた先にはすさまじく目を引くものがあった。

 

キノコだ。

 

カサを大きく開き、その裏に無数のヒダを走らせる、とてつもなく巨大なキノコがあった。あまりの大きさに、俺たちはその巨大キノコのカサの裏側を見上げることしかできず、カサの上面には目が届かない。

風でカサが揺れるたびに、そのヒダの間からは霧のように細かい粉――胞子だろうか?――がサラサラと零れ落ちている。

 

ほの暗い森の中にあって、菌体はうっすらと燐光を放っているようにも見える。

キノコの根本の地面はふかふかした白いじゅうたんのような、菌糸らしきモノで覆われており、その白いじゅうたんはキノコから数メートル離れた位置に立つ俺たちの足元まで広がっていた。

 

声はここから聞こえていたようだ。

このくそデカキノコが俺たちを呼んだのだろうか。

果てしなく不気味な姿であり、正直今にもUターンして帰宅したい。

 

『「まってくれ」「帰らないで」「まって」「お願いだ」「まって」「一緒にいよう」「話をきいてくれ」「帰り道は隠しちゃったよ」「まって」「そんなことよりおなかすいた」「まって」』

 

そんな俺の心を読んだかのように、声が続けた。

先ほどより声の数が増えている。

異口同音に、しつこいほどに俺を引き留める言葉を伝えてくる。

 

これは、罠だったのだろうか。俺は戦いに備えて手に魔力を集中させた。

声が聞こえないというティアナさんも、俺の様子をみて警戒を深め、すぐに魔術を放てるように臨戦態勢になっている。

 

『「戦わないよ」「話をきいて」「にげないで」「危害は加えません」「戦わないよ」「話をしよう」「ぼくはねむいよ」「話をしよう」

 「エメリオ」「ティアナ」「君たちに」「願い事が」「あるんだ」』

 

最後の言葉は複数の言葉が連なり、一つの文章を紡ぎだしていた。

願い事とは、何のことだろうか。

収穫祭で歌った歌を近くでもう一度聞かせてほしいとかなら大歓迎だが。

しかしながら――

 

『「話をするよ」「ぼくがするよ」「わたしがするよ」「話をきいてね」「願いをかなえて」「僕がするよ」「わたしが話をするよ」「何の話だっけ?」「話を聞いてね」』

 

――そこで話された巨大キノコの話は、想像を絶するものだった。

 

 

『「君たちには、私たち複数の思念のうち4つの思念だけを残して、残り全てを削除してもらいたいんだ。」』

 

 

『「順を追って話をするよ。私が生まれたのはおよそ一万年前のことだ。」

「そのころ、この世界にはもともと人間族が住まう平野しかなかったそうだ」

「わたしの故郷の獣界は、怒れる龍神の手によって滅び、獣族と森林は人神の導きによってこの人界に招き入れられた。」

「そのとき、滅んだ獣界に住んでいたボクの母体が飛ばした一粒の胞子が、一粒の木の種子にくっついて、ボクはこの人界に移住することができた」

「次いで海族と水が、天族と空が、魔族と魔力が、人界には流れ着き」

「最後に龍族と山々が流れ着いた。」

「もともと植物の腐葉土や、獣の糞や死骸だけを食べていた我らは、水を、空気を、そして魔力を食らうように変化していった。なによりも、たどり着いたこの人界で、我々は()()を手に入れた。」

「思念は、この森全体を覆うすべての地中に広がった私たちの菌糸体によって形成されるニューラルネットワーク上に独立に存在している。菌糸体だけではなく、我々との共生を許してくれた木々や昆虫、トゥレントなどの魔物たちも、私たちの思念を構成するニューラルネットワークの一部だ。」

「思念は僕たちを強くしてくれた。思念によって、僕たちはより効率よく水を飲み、空気を吸い、魔力を行使する方法を研ぎ澄ましていった。」

「私たちは思念をもっと発展させようと思った。菌体の細胞は分裂して無数に増えていたが、当時の思念はオリジナルの一つだけだった。」

「おはなし長いね。むつかしくて、ぼくにはわからないよ。」

「思念の増設には成功した。一の思念は二の思念となり、四となり、八となった。思念を増やせば増やすほど、私たちは多角的にかつ並列して外界の情報を処理することができるようになった。これこそが、人間族の強み、数と協力の強みだと思った。」

「私たちの思念は増え続け、今では千を超える思念が存在している。」

 

「ところで、僕たちのオリジナルは、思念を増やすにあたり一つのルールを定めていたんだ。」

「私たちは、全ての思念の一致によってのみ、思念を削除できるという、ルールだ。」

「このルールのもと、情報の処理に適さない思念や、古くなった思念、増やしたものの活用されなくなった思念を削除して、自らをより洗練していったんです。」

「その間、削除対象となった思念が全体の意に背いて削除を逃れようとすることは、なかった。削除されることで全体の情報処理能力が向上するのなら、どの思念もが喜んで削除を受け入れた。」

 

「しかし、問題が生じた。」

「問題が生じた」「エラーが生じた」「最悪の事態だった」「ルールには例外はない」「ルールを犯すことはできない」「ルールは破るもの?」「ルールには従わなくてはならない」

 

「問題とは、私たちのオリジナルの思念のことだ。」

「その思念は、一万年の長きに渡る生の果てに摩耗したか」

「あるいは自らの思念を複製して増やすという魂を割くような行為に耐えかねたか」

「もしくは削除すべきでない情報を含んでいた思念を、当の思念すら気づかぬままに削除してしまったか。」

「いずれにせよ、オリジナルの思念は論理性を失い、削除を拒むようになった。オリジナルそのものも情報処理に適切ではなく活用もされない思念となり、しかし思念の削除のための議決権を備えたままの度し難い思念となり果てたのだ」

 

「私たちはその思念のことを、“イノセント”と呼んでいる」

「ぼくのこと?」

 

「問題は、イノセントが削除に同意しないばかりか、さらに思念を生み出し続けていることだ。そうして生まれた思念は、幸いにして論理性を備えた通常の思念だが。」

「しかし、このままでは我々は増え続ける思念を削除することができず、思念のためのリソースを圧迫され」

「一の思念に占めるリソースが最も小さき獣の脳神経の容量さえをも下回り」

「私たちは白痴となり果てるだろう」

 

「それは、避けなくてはならない。」

「破滅だ」「破滅は避けなければならない」「白痴となり生きたまま死ぬのはいやだ」「いやだ」「たすけてくれ」「死にたくない」「破滅だ」』

 

 

俺は巨大キノコの話をきいて、一言も発することができないでいた。

とんでもない話である。

俺たちの想像も及ばないような神話の時代から生きていて、思念を手に入れた巨大キノコが、その思念の自己増殖バグによって破滅しそうになっているなんて。

 

しかもその“イノセント”も普通に喋っている。妙に文脈に沿わない変な思念が一つあるな、と思っていたが、そいつがどうやらイノセントらしい。

俺はしばらく時間をもらい、ティアナさんに今聞いた話を説明した。

 

ティアナさんも目をむいて驚いている。ただ、驚いているのは話の内容であって、キノコが話したこと自体に疑いを向ける様子はない。どうやら年を経た粘族の魔物やトゥレントたちは普通に喋るらしい。

 

「なぜ、イノセントだけではなく、4つの思念を残してすべてを削除するんでしょうか。その理由がわかりません。」

「確かに……。聞いてみましょう」

 

『我々は、一万年の長きを過ごす中で、4つの思念で協調して演算することが最も安定すると理解したのだ。』

『結局、千を超える思念となった今でも4つの思念を一の演算単位として稼働しているんだよ』

『ゆえに、私たちのうち4つの思念を残して他を削除することで、最も安定する演算系でリソースを分け合うことができるのです。』

『それによって、私たちはより高度な演算能力を手に入れることができるだろう。』

 

「――とのことです、ティアナさん。」

「なるほど……? わかるようなわからないような。ああ、あとエメリオ。4つの思念を残してそれ以外を削除するといっても、方法がわかりません。キノコは私たちに何を望んでいるんでしょうか?」

「それはまだ言われていないと思います。聞いてみましょう。」

 

 

『「君たちに望むのは、4つの工程だ」「4つだね」「だいたい、4つだよ」「4つでなくてはならない」「4つで足りる」「最後の工程はいらないよ」「4の工程で完了する」

 

「4つの工程について、順を追って説明しよう。」

 

「第1の工程を説明しよう。第1の工程で、君たちには我々の命名権(ネーミングライツ)が譲渡される。命名権の譲渡は、我々の思念のうち4分の3の同意が必要だ。君たちは命名権に基づき、我々の内、イノセントを除く4つの思念に名前を付ける。これで第1の工程は終了し、次に第2の工程に進んでもらう。」

 

「第2の工程を説明するね。第2の工程で、君たちには僕たちの複製権(コピーライツ)が譲渡される。複製権の譲渡は、命名権を持つ者に対し可能であり、かつ僕たちの思念のうち16分の15の同意が必要だ。複製権に基づき、君たちはイノセントの思念情報を、僕たちが魔力を蓄えて形成した魔石に複製する。これで第2の工程は終了し、次に第3の工程に進んでほしい。」

 

「第3の工程を説明します。第3の工程で、君たちには私たちの防護壁(プロテクトウォール)の解除コードが譲渡されます。解除コードの譲渡は、命名権及び複製権を持つ者に対し可能であり、かつ私たちの思念のうち1024分の1023の同意が必要です。解除コードを用いて、君たちは命名した4つの思念だけを防護壁の保護対象に変更し、イノセントを含む残り1020の思念を削除する。これで第3の工程は終了し、次に第4の工程に進んでいただきます。」

 

「第4の工程を説明する。第4の工程で、君たちには命名権、複製権、及び防護壁の解除コードを放棄してもらう。これらの放棄は、私たちの同意を必要としない。ただし事前に、第1から第4の工程を完遂することを、君たちの信ずる神に誓ってもらう。第1から第4の工程のうちいずれかの工程を実行しなかった場合、口にするのもおぞましき呪いが、君たちの身に降りかかるであろう。」

 

「すべての工程を完了したら、あなた方には謝礼のしるしを差し上げます。

望むものがあれば、それに近いものを。なければ、私たちが差し上げ得る最上のものを。」』

 

 

難しい内容だったが、俺はかろうじてティアナさんに伝えた。

話をききながら、俺は思ったことがある。

俺はそれを巨大キノコに対して質問してみた。

 

「第二の工程で、イノセントの複製は何のために必要なんですか?」

『イノセントは、これでも我々のオリジナルだ。削除して除去せねばならないものの、いざというときのために圧縮して思念情報を保存しておく必要があると考えたのだ。』

 

「そうですか……。あと、第三の工程で削除そのものの方法がわかりません。魔術や武器でなんとかなるものなんですか?」

『削除には、()()()()()が必要です。』

「特殊な……呪術?」

『「ティアナが使える呪術だ。」「ティアナが持っている」「ティアナに頼みたい」「特殊な呪術だ」「ティアナが詠唱を知っているよ」』

 

なるほど、それでキノコの声が聞こえる俺だけではなく、ティアナさんも呼ばれたのかもしれない。

 

「えっと、ティアナさん。削除の方法は、ティアナさんが詠唱を知っているという特殊な呪術が必要だそうですが……。何か心当たりはありますか?」

「え……? あ。」

 

ティアナさんは小さく声を上げたまま、目をつむり眉根を寄せて考え込んでしまった。

やはり何か心当たりがあるらしい。

しかし、呪術か。呪いというからには、何か後ろ暗い事情があって習得したのかもしれない。

俺に聞かれたくない事情があるだろう。

 

「ティアナさん。俺は、このキノコの手助けをしてもいいかな、と思っています。

随分困っているみたいですし、今のところ誠実な感じです。謝礼もあるみたいですからね。」

「……。」

「それで、ティアナさんのお力が必要になりそうですが、その……。呪術、に関して俺は何も聞きません。聞かれたくない事情があるでしょうから。

ですから、キノコの願いを聞くかどうかは、ティアナさんが決めてください。」

 

ティアナさんは、俺の言ったことにうなずくと、意を決したように口を引き締めてキノコの方に向き直った。

 

「キノコさん。謝礼としてあなたたちが用意できる最上のものというのは、どのようなものでしょうか?」

『魔石と杖だ。魔石は、我々が一万年の長きに渡り魔力を溜めて形成したものの一部を。杖は、我々との共生を選んでくれたトゥレントのうち最も年経たものの一部を。君たち二人分差し上げることができる。』

 

俺は、キノコの言葉をティアナさんに伝える。この謝礼はティアナさんにとって渡りに船というか、まさしく望んでいたものだろう。

「! ……キノコさん。あなたの言う呪術というのは、『毛枯れの呪(カーズ・オブ・ディファイル)』、のことですね?」

 

『「そうだ」「そうだよ」「詠唱を持ってきてくれてありがとう」「その通りです」「それだよ」「それだね」「また毛の話してる」「それだよ」』

 

「……わかりました。お手伝いしましょう。」

「ティアナさん……。いいんですね?」

「ええ。事情があって詠唱を知る機会がありましたが、後ろ暗いことはありません。

だからエメリオ。――できれば怖がらないでいてくれると嬉しいです。」

 

ティアナさんは俺の方に向き直ると、不安げに、それでいて覚悟を決めたような目線を俺に向けてそういった。

怖がらないで、か。それは愚問だ。

 

「もちろんです、ティアナさん。僕は短い間ですがティアナさんと一緒に暮らして、ティアナさんのことを少しは分かったつもりです。

ティアナさんは、とてもいい人です。呪術の詠唱をたまたま知っているからといって、怖がったりしません。」

「エメリオ……。ありがとうございます。」

 

よし。話はまとまった。

 

「キノコさん。俺たちは、あなたの依頼を引き受けます。命名、複製と、防護壁の限定解除は僕が引き受けます。」

「削除は、私が引き受けましょう。」

 

『「ありがとう、エメリオ、ティアナ。」「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」――』




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   |  彡⌒ミ
   \ (´・ω・`)また毛の話してる……
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