娼館オズマ   作:とりなんこつ

12 / 40
第十二話 娼館の親仁が捕まった話

 

 

 古今東西、居心地の良い牢屋なんてものを俺は知らない。

 ボロボロで気を失った俺がぶち込まれたそこも、例に漏れず酷い有様だ。

 

 湿った凸凹の石畳はヌルヌルして、寝床替わりに部屋の隅に積まれた藁も、じっとりと重く饐えた臭い。

 明り取りと通気口を兼ねた鉄格子のはまった窓も、手が届きにくい高いところにあるので、全体的に薄暗いまま。

 こんな日当たりの悪い腐った部屋の中にいっちゃあ、間違いなく健康を害するだろう。

 もっとも、そういう懲罰や自白を促す意味を込めての酷い環境だってのは俺も承知している。

 

 寝藁の上で目覚めた俺は、服もボロボロのままだ。蝗どもに齧られた傷はかなり乱雑な治療がされていた。いきなり感染症とかっての心配はないとは思いたい。

 

 ガチャリと音がする。

 見れば、看守らしき男が鉄格子越しに鍵を外していた。

 

「出ろ」

 

 有無を言わせず牢屋から出された。

 どうも俺が目を覚ますタイミングをうかがっていたらしい。

 重たい手枷をはめられたまま俺が連れていかれたのは、これまた日当たりの悪い湿っぽい部屋だ。

 灯りを補うためか蝋燭が立てられ、無骨なテーブルと椅子が正面にあり、既に誰かが着席している。

 これから俺を尋問しようってことか。

 

 厳つい男がジロリと見上げてくる。

 俺を連れてきた男が、肩を押し付けるようにして俺を椅子へと座らせた。

 

「…貴様、名は」

 

「へい。尾妻連太郎っていうつまらない野郎でして」

 

 薄気味悪さを隠し、俺はハキハキと答える。

 

「オズマ? あまり聞かぬ名だな」

 

「まあ、ここいらじゃ珍しいでしょうねえ」

 

 東の国あたりには結構この手の名前があると聞いたことがある。生憎俺は行ったことはないけどな。

 

「して、貴様は何者だ」

 

「へい。大聖皇国はヒエロの街で、しがない娼館の主を勤めさせて頂いてやす」

 

「その娼館の親仁が、なにゆえに国境に寝そべっていたのだ?」

 

「国元で、うちの店の娼婦たちに従軍要請がありましてね。ほら、いまグルレルフと皇国が睨み合っているって話でしょ? そんで連中を引きつれて、補給陣地入りさせましてね…」

 

 ここまでは嘘をつく必要もないので、俺の舌はためらいもなく良く回る。

 

「そんで従軍して一か月も経つと、俺も色々と気が塞ぎこみましてね。気晴らしに、遠乗りがてら国境(くにざかい)あたりまで来たら、なんぞたくさんの虫に襲われてまして。そしたら動転したらしい馬から放り出された挙句、虫にも喰われまくったようで、散々ですわ」

 

 一気にそこまでベラベラと喋ってから、勢いのまま俺は逆に切り返す。

 

「というか、あっしを助けて連れてきてくださったらしい貴方様はどちらの方で? むしろ、ここは何処なんです?」

 

 わずかに鬱陶しそうな表情を浮かべ、男は答える。

 

「ここはカナルタインだ」

 

「なんと! ドライゼン王国一の辺境都市で!?」

 

 少々わざとらしいほど驚いて見せる俺。

 ドライゼンの首都に比べて規模は劣りこそすれ、国境の護りであり、軍事的にも経済的にも要衝であるカナルタインはかなり栄えている街だ。

 まあ、蝗の死骸の真ん中でぶっ倒れていた俺を真っ先に運びこむところとしちゃ妥当だろう。

 同時に、俺が見た兵隊たちは、ここカナルタインから派兵されたと思われた。

 

「…良く喋る男だな」

 

「お気に障ったら申し訳ありやせん。なにせ商売がら口八丁でないといけないものでして」

 

「………」

 

 鋭い目つきで睨まれ、さすがに俺もそれ以上口をつぐむ。

 同時に、害のない愛想笑いを浮かべながら、目前の男も観察していた。

 ずんぐりとした体型に口ひげは、ドワーフ並みだ。

 得てしてこのような風体の人間は、職務に実直な石頭で、不正を嫌うタイプと見定める。

 買収とかいった下世話な手段は通じなさそうだ。

 

「ただの遠乗りで皇国の国境と緩衝地帯を越えて、我が国土まで至ったと?」

 

「そこはそれ、ちょいと興が乗り過ぎましてね…」

 

 誤魔化しを許さない官吏の眼差しを真っ向から受けて立つ。こちとらだって、もう何年も冒険者の荒くれどもを相手にしてきているんだ。この程度で怯んでたまるかよ。

 

「それよか、なんなんですか、あの虫の群れァ?」

 

「訊かれていないこと以外喋るなッ!」

 

「…すいやせん」

 

 一応、しおらしく謝罪する俺。 

 

「虚言を用いたり、我々を謀ろうとしているなら身の為にならんぞ」

 

「滅相もございやせん」

 

 慇懃に頭を下げ、心の中で腕を組む。

 あの蝗について、ドライゼン側が知っていたのかどうかはまだ判断がつかない。

 この石頭の尋問官にはまだ知らされていないのか、それとも…。

 

「貴様の行動履歴はまた吟味する。それとは別に、貴様の身分を保証できるのか?」

 

「あ、はい、それでしたら」

 

 俺は、カナルタインにある娼館の名前を口にする。

 かつてそこの主人たちが、こぞって俺の店の視察に来たことがあった。

 温泉はあっても、そこと娼館をくっつけて運営している店は珍しいんだとよ。

 

「ほかにも、こちらに滞在している冒険者の方には、うちの店のご贔屓がいるかも知れやせん。その方たちにも訊ねて貰えれば…」

 

 身元の引き受けまではともかく、保証くらいはして貰えるはずだ。

 ただの娼館の親仁だと証明されれば、牢に繋いでおく理由はない。

 

「その言葉に相違はないな?」

 

「ええ。もちろん」

 

 力強く頷く俺に、石頭は「ふんッ」と鼻を鳴らす。

 

「連れていけ」

 

 この部屋まで引っ張ってきた男に肩を掴まれ、俺は元の牢へと逆戻り。

 湿った藁の寝床はともかく、床に出来た溝にはチロチロと水が流れていて、なんだかよく分からない汚れがついている。

 一応の水洗トイレってヤツだろうが、あまり使いたくねえもんだ。

 

 手枷はそのままの不自由な格好で寝藁に横になる。

 最高に上手くはまれば、俺がこの牢からおさらばするのはそう遠くないはずだ。

 しかし、晴れて自由の身になった俺が、駐屯地へ戻ってめでたしめでたしとはすんなり行くとも思えない。

 少なくとも、俺はドライゼンの軍隊を見ちまっている。

 それに、あの蝗みたいな化け物との関連性も謎のままだ。

 

 素直に考えるなら、軍隊は蝗害を討伐するために派遣されたと見るべきだろう。

 だが、そう考えた場合、クラーラの予言で動いた俺の行動とほぼ同時に行動を起こしていた部分が気にかかる。

 

 もう一つは、たまさかドライゼンの軍隊が動いた方向に蝗害が発生した可能性。

 そしたらそしたで、軍は何を目的で派兵されてたのかって話だ。

 

 最悪なのは先の二つの合わせ技。

 もしそうだった場合、駐屯地はおろか大聖皇国軍そのものがヤバイことに―――。

 

「いや、それは流石に考えすぎか…」

 

 俺は頭を振る。

 この世界にも軍事協定みたいなものは存在するし、国際世論もある。

 戦争をするにはそれなりの建前を用意しなきゃいけないわけで、無視をして突っ走れば周辺諸国からの軍事的圧力、経済制裁でタコ殴りってのは、俺がいた元の世界と一緒だ。

 

 まあ、勝てば官軍的に周辺の弱国を併呑してきた前科がドライゼンにはあるが、大聖皇国も列強の一つである。

 さすがに皇国相手に迂闊に戦端を開くにはリスクが高すぎるだろうよ。

 

 心配事は多かったが、何はともあれいきなり首をバッサリといかれなくて俺も一安心ってところだ。

 考えてみりゃ別に国境を侵したわけでもねえし、傍目にも明確な罪は犯してないしな。

 

 あと何度か尋問されるだろうが、今のところボロを出したつもりはない。

 このままの勢いで押し通せば、ほぼ確実に解放されるはずだ。

 もっとも、軍隊を見たことに関して言い含められるか鼻薬を嗅がされるか。

 解放されたとて、監視が何かがつくのは目に見えているし、様子を探る意味でも、しばらくこの街に滞在することになるかねえ…?

 

 そんなことを考えつつ、大きな欠伸なんぞしていた俺は、思い返すに呑気としか言いようがない。

 

 けどよ、まさかその日のうちに、例の石頭の尋問官が牢の前に来て慇懃な態度を取るなんて予想できるか?

 おまけに、言われた台詞には、俺は本気で耳を疑ってしまう。

 

「オズマ殿。この街の領主であられるコーウェン伯爵が面談を求められています」

 

 

 

 

 牢を出された俺は、小奇麗な部屋に通された。

 さすがに風呂とはいかなかったが、(タライ)に張った生ぬるい水で身体を拭う。

 蝗に齧られた傷は瘡蓋になっていて、なんともむず痒い。

 その上に渡された服を着れば、それなりに小ざっぱりとした格好になった。

 まあ、服の良し悪しなんて、捕らえらた身で文句を言っても始まらないしな。

 

 階段を上って出た先で、目が眩んだ。

 お天道様を拝むのも、随分久しぶりな気がした。

 柔らかく頬を撫でる風が、なんとも心地よい。濁っていない空気を胸いっぱい吸い込む。

 

「…こちらです」

 

 先導役を務めるのは例の石頭。

 慇懃かつ丁重な案内っぷりではあるが、俺を見る目はやはり不審である。

 そりゃそうだろう。

 伯爵でこの街の領主ってことは、ここら一帯の辺境の王様だぜ?

 それが一介の娼館の親仁を呼び出して、いったい何の用があるって話だ。

 

 俺の背後には装備を固めた兵士がぞろぞろと四人もついてきている。

 そちらも気になったが、俺としては歩かされる街路の両方に高い壁がそびえているのに閉口した。

 せっかくカナルタインの街並みを眺められるかと思っていたのに。

 なんでも不世出の建築家クルクヌキの手によって広場に設置された『四つ子の大噴水』は、それは見事な出来栄えらしいし。

 

 結構な距離を歩かされたと思う。

 辻々に衛兵が立っているところから要人用の通路だろう。予想通り、間もなく巨大な門構えの屋敷が見えてきた。

 そこは一際厳重に警備されているようで、十中八九、俺を呼びつけた伯爵様とやらの屋敷に違いあるまい。

 デカくて頑丈そうな門を潜り、屋敷の玄関までの距離も遠い。

 道々の庭木やら花壇やらも綺麗に整備されていた。

 

 そして肝腎の屋敷の中へと入れば、その豪華さに俺は圧倒される。

 寒村の村人が(むしろ)みたい布団に寝て襤褸(ボロ)を着ている一方で、都会のお偉いさんの屋敷は贅を尽くしたこの世ならぬ華美に満ちている。まさに桃源郷だ。

 この世界の生活レベルは、本当に両極端であることをしみじみと思い知る。

 

「こちらです」

 

 石頭とは屋敷の門で別れたが、そこから引き継いだ家令みたいな爺様に案内されたのは、奥まった部屋の装飾された扉の前だ。

 

 静かに扉が開け放たれた。

 室内は踝まで埋まりそうな深い絨毯の上に、キラキラと光がモザイク模様を描いている。

 入ってすぐ右手の中庭に面している壁は、全てガラス張りだった。

 そんで上には巨大なシャンデリア。

 長方形の長いテーブルがずずいっと奥まで伸びていて、その真正面に男が座っている。

 立派な服を着こんだ男は食事中らしい。俺に気づいた風もなくナイフとフォークを動かし続けている。

 

「…控えよ。クラウス・コーウェン伯爵様なるぞ」

 

 立ち尽くす俺に向かって左手の方から声が飛んできて、驚く。

 見れば家令の爺様じゃない。鋭い目つきの若い男が俺を睨んでいる。

 騎士らしいが、軽装の鎧の胸に赤羽が非常に存在感を主張していた。

 …声を掛けられるまで、まるで気配を感じなかったぞ?

 

「よい」

 

そこでようやく俺に気づいたらしい。正面の男が、手を止めて顔を上げている。

 

「しかし…!」

 

「そのままで構わぬと言っている」

 

 不満そうに訴える若い騎士を黙らせ、クラウス・コーウェン伯爵は俺を見てくる。

 そのままで良いといわれた手前、改めて膝を折るのもどうなんだ?

 結局俺は伯爵を見返してから、軽く一礼。

 

 骨ばった顔に鷲鼻に片眼鏡をして、齢の頃は確実に50を超えているだろう。

 いかにも貴族然とした面相とはもちろん初対面だ。

 なのに―――どうして俺は既視感を覚えたのだろう?

 

「…お初にお目にかかります、コーウェン伯爵様」

 

 優雅に口元を拭ってから、さも今気づいたような声音が返ってくる。

 

「貴殿が、オズマレンタローか」

 

「はッ」

 

 しげしげと俺を眺めるようにしてから、コーウェン伯爵は言う。

 

「私はちょうど食事中でね。良かったら、君も一緒にどうかね?」

 

「はあ…」

 

 肩透かしを食らった感が否めない。お偉いさんが呼んでいるってことで身構えていたからな。

 結果として気の抜けた返事をしてしまった俺だが、一緒に大人しくしていた腹の虫まで騒ぎだしている。

 

「では、遠慮なくご相伴に預かります」

 

 そそくさと真正面の椅子に座る俺。

 なんとも手の込んだ料理がまだ湯気を立てている。予め俺が来ることを想定して準備させていたに違いない。

 ならば、有難く頂戴しなきゃマナー違反ってやつだぜ。

 

 さっそく魚のソテーらしきものを頬張る。

 こってりとしたソースが、ことのほか美味だ。

 野趣あふれる猪らしい肉も、表面の皮が照りでパリッとしていて香ばしい。

 新鮮な食材に贅沢に調味料が使われているのが分かる。

 ついぞ市井の店では味わえないような高級料理に違いない。

 

 遠慮なく口へ放り込み―――しっかりと噛んで噛んで噛みまくる。

 俺がどれくらい気を失っていたか分からないが、しばらく腹にものを入れてなかったからな。本当なら粥とかから一番だろうが、豪華な料理も咀嚼しまくれば胃袋への負担を軽減できるだろう。

 そうやって、ひとしきり腹の虫を満足させただろうか。

 

「…美味いかね?」

 

「ええ、堪能させて頂いてます」

 

 一応、それなりに礼儀を弁えた言葉遣いを続ける俺。

 こちらを見てくるコーウェン伯爵は、穏やかな笑みを湛えている。

 

「君の身の上に起きたことについては、報告を受けている。とんだ災難だったな」

 

 室内が静かなこともあるが、よく通る声だ。

 

「恐れ入ります」

 

 答えつつ、俺がまだ多少身構えていたと思う。

 わざわざ俺を呼びつけて、飯をご馳走するだけってことはないだろ?

 

 様子を伺う俺の前で、伯爵はグラスからワインらしきものを口に含む。

 それから軽く咳をすると、改めて俺に視線を向けてきた。

 

「報告では、君は市井で娼館を経営しているとあったが」

 

「ええ。その通りで」

 

「実のところ、私は気軽に娼館へと行けない身でね…」

 

 そのままジッと俺を見てくる伯爵に、色々と察するところがった。

 もしかして、俺を呼び立てしたのはそっちが理由なのか?

 

「…どうぞ何でもお訊きください。お耳汚しになるかもしれませんが…」

 

 案の上、伯爵はニッコリとする。

 

「君は経営者であるわけだが、女衒のようなこともしているのかね?」

 

 いきなりの質問に、俺は驚きつつ苦笑してしまう。

 

「伯爵様も、随分と俗な言葉をご存じでらっしゃるんですねえ」

 

 女衒ってのは、要はこれといった女を見初めて娼婦としてスカウトする人間のことだ。

 日本の昔の吉原があった時分など、手八丁口八丁で借金を抱えた女たちを苦界へと誘い込み、追い金を重ねて文字通り死ぬまで働かせるよう差配した外道なヤツもいたそうだぜ。

 

「生憎と、あっしの店は、食い詰めて流れてきた娘っ子どもを拾っては磨いている具合で、特に阿漕な真似をしているつもりはないんですがね」

 

「ふむ。それでは玉石混合となるだろう? 石の娘はどうなる?」

 

「どんな娘も、磨けばそれなりのモノに成りやす。逆に、どんな玉に見えても、本人が娼婦の仕事を嫌がるってんなら、まあ、うちの店の下働きですわ」

 

「それでは経営は厳しかろう」

 

「まあ、店の売りは他にもあるんで、どうにかトントンって感じですかね」

 

「ふうむ」

 

 尖り気味の顎を撫でる仕草をする、ドライゼン王国の辺境伯。

 対して俺は市井の娼館の親仁。

 身分の差は雲泥でだ。

 それが一緒のテーブルを囲んでいるってんだから、不思議というか面白いというか。

 

「して、君が娼館を始めようと思った至った理由はなんなのだ?」

 

「さいですね…」

 

 伯爵の問い掛けはごく当たり前のものに思えて、俺的に素直に答えていいか悩む質問だ。

 動機、と言われると、自分でもはっきりと言葉にするのは難しい。

 

 宛てもなく市井を彷徨う子供たち。

 孤児院に入れれば幸運で、街角で物乞いをして糊口を凌ぐのが大半だ。

 そのまま病を得て野垂れ死にする幼子たちに、俺は守れなかった村の娘っ子を重ねる。

 だからって、俺に孤児院の運営なんか出来るわけがない。仮にしたとしても、別の稼ぎがないならいずれはジリ貧だ。

 ならば、俺諸共に働く場所を作ってやらねえと。

 

 その果てに辿り着いたのが娼館だったわけだが、これ以上詳しくってなると、やっぱり説明しづれえや。

 

「…まあ、食い詰めたガキどもを見捨てられなかった、ってとこですかね」

 

「ほう! 慈善事業とでも言いたいわけかね?」

 

「そんな滅相もありやせん。あっしがない知恵を絞った結果とだけ。

 …今日の所はこれで勘弁願えませんか?」

 

「ふうむ」

 

 それ以上は追及してこなかったことに、俺は胸を撫でおろす。

 

「なかなか興味深い話であった」

 

 手酌で二つのワイングラスに酒を注ぐ伯爵がいる。

 そのうちの一つを、ずいっとテーブルの前に押しやるようにすると、例の壁際の騎士がスタスタと歩いて近づいた。

 騎士は酒の満たされたグラスを捧げ持つようにして、俺の前まで持ってきてくれる。

 

「話の礼だ」

 

 伯爵自身もグラスを持ちながら言う。

 深いルビー色の液体は、おそらく貴族様しか口に出来ない高級なヤツだろう。

 きっとメッツァーあたりなら、涎を零して喜ぶだろうぜ。

 

「頂きやす」

 

 細いグラスの脚を摘まみながら、俺はずっと伝法口調で話していたことに気づく。

 本来なら不敬極まりないことだが、別に咎められてないし、いまさら謝るのもなんだ。

 グッと呷ると、なんとも言えない濃厚な渋みと苦みが喉を焼く。

 なるほど、ついぞ市井でお目にかかったことのない味のする酒である。

 

「時に君は、自分が殺されるとかいう不安は覚えないものなのかな?」

 

 不意に伯爵がそんなことを言ってきたものだから、思わず咽そうになる。

 

「こんな市井のケチな男一人、殺したところで何が変わるってわけでもないんじゃねえですかね?」

 

 愛想笑いを返しつつ、俺はドライゼンの軍事行動を目撃していたことを思いだす。

 あれが秘密裡な作戦とかだったら、口封じで毒殺とかされる可能性は十分だ。

 でも、飯は食いまくったけれど、なんともねえぞ? いや、まさか、遅効性の毒か…?

 

「安心したまえ。食事に毒なんぞもってはおらんよ」

 

「はあ、まあ」

 

 見透かすように言われてしどろもどろになる俺に、伯爵が笑いかけてきた言葉はとても聞き捨てに出来るものではなかった。

 

「わたしとて、せっかくこの世界へと渡ってきた客人をそう簡単に殺そうとは思わんよ」

 

「…はい?」

 

「君は、落人(おちうど)―――こちらとは異なる世界からやってきた人間なのだろう?」

 

 

 

 

 

 落人ってのは、戦に負けて逃げ出した人間、つまりは落ち武者と同義語だ。

 しかし、異世界から転移してきたって台詞も続けられると、額面通りには受け取れない。

 

 驚きと疑問を掻き立てられ、俺は動揺する。

 しらばっくれるか、素直に認めるか。

 それとも―――。

 

「………」

 

 沈黙を選んだ俺だが、結局は遠まわしな肯定となってしまう。

 

「まずは君の名前だ。貴族でもないのに姓を持ち、かつ『オズマレンタロー』などという特徴的な名前は、特に落人に多いからな」

 

「すいやせん。時に、その『落人』ってのはどういう意味なんです?」

 

「言葉通りの意味だが?」

 

 尖り気味の顎を撫でながら笑うコーウェン伯爵に、背筋を一瞬薄ら寒いものが駆け抜ける。

 好々爺といった風情は変わらぬまま、目つきだけがまるで別人に替わったかのよう。

 

「一つ、面白い話をしよう」

 

 笑顔のくせに目だけは笑わず、伯爵は俺を見据えてくる。

 

「この世界の上には、巨大な門が存在することを、君は知っているかね?」

 

「…は?」

 

 この世界は、空に月が二つあったりと、実にファンタジーだ。

 だけれども、巨大な門なんてもんは今まで一度も見たことも聞いたこともない。

 

「もっとも『門』といっても抽象的な表現だ。概念的なものに近い。

おそらくこちらの世界の人間は、誰一人その存在にも気づかず、通ることもなく死んでいくことだろう」

 

「それと落人ってのは一体どういう関係があるってんです!?」

 

 我知らず、俺は立ち上がって声を張り上げていた。

 

 気づいたら、この世界へと俺は飛ばされていた。

 異世界転移なんて一口で言ってしまえばそれまでだが、その原因や理由は今でも知りたくないわけじゃあない。

 

「生憎と、落人が落ちてきた理由や原因は私にも分からない。だが、確かなのは、君は間違いなく元の世界から落ちてきたことだ」

 

 つまりは、元いた世界には無数の穴が開いていて、運が悪いのか何なのか、そこに足を突っ込んだ人間は、こっちの世界まで落ちてくるってことか?

 だから落人。ってまんまじゃねえかよ。

 …種を明かせば、(ひね)りもへったくれもない説明と仕組みだな。

 

「それじゃあ、門ってのはなんなんですかね?」

 

「門の存在は、はっきりいって謎だ。何ものの意思によって存在するのかすら分からん。だがそれは、落人にとっての例外のない通過儀礼となる」

 

「…?」

 

「門を通過した落人は、一つ何かを得て、一つ何かを失う。これは唯一無二の鉄則にして摂理なのだよ」

 

 ―――テーブルに置いたままの手が震えた。

 

 俺の手は、触れたものの命を瞬時に奪う死神の手。

 そして俺は、こちらの世界に来る前の自分自身の記憶だけがすっぽりと抜け落ちている。いくら思い出そうとしても全然駄目で、かつて医者や高僧にも診てもらったことはあったが、皆が皆まとめて匙をぶん投げている。

 

 この二つが、つまりは俺が得て、俺が失ったもの―――?

 

「時に、オズマレンタロー。君が得た『力』なんなのかね?」

 

「…さ、さあ? 伯爵様がなにをおっしゃっているのか、俺ァさっぱり…」

 

 俺は全力でとぼける。

 何にせよ、この場で俺の力を馬鹿正直に語るのは愚策だ。

 こんな物騒な力、馬鹿は利用しようと考えるかも知れないが、少しでも頭が回るやつなら真っ先に殺すだろう。

 

「君は国境付近で倒れていたとのことだったな」

 

「へえ。そのようで」

 

「そして、君の周辺には、大量の虫の死骸が転がっていたと報告があがっている。

 …君の落人としての力を行使した結果ではないのかね?」

 

「いやいや、俺はいきなり虫に襲われて動転して気を失っちまいましたから…」

 

 腰が引ける。これ以上ここにいちゃ不味いと、頭の奥で何かが警鐘を鳴らしている。

 そんな俺の様子を見て、コーウェン伯爵は苦笑した。

 

「ふむ。2()0()()()()()()()()()()()()()()、今回は気を失って倒れたということか」

 

「…てめえ。今、なんて言いやがった?」

 

 まるで、魔物のようにその声は俺の口から転がりでた。

 ヤバイことを口走った自覚はある。だが、頭の中は怒りで満たされていて、(タガ)なんぞ一瞬で弾け飛んでいる。無視することなんぞ出来るはずもねえ。

 

「20年前は、確かレン・オズマと名乗っていたそうだな。売り出し中の冒険者だったそうじゃないか」

 

「………」

 

「なぜそれを、という顔つきだな? もちろん調べさせたからだ」

 

 そういったコーウェンの野郎の顔から、笑みが徐々に薄れていく。

 

「まったく、君のおかげでせっかくの私の手妻は二度も台無しに…」

 

 冷笑とともに発せられたその台詞に、俺は頭の中で何かがブチ切れる音を確かに聞いた。

 テーブルへと飛び乗る。

 そのまま料理と皿を蹴散らして、テーブルの上をコーウェンへと向かって一直線。

 

「全ててめえの差し金だったってのかあッ!!」

 

 燃える村。横たわる少女。泣きすがる少年。

 怒りの叫びをぶちまけつつ、薄ら笑いを浮かべるコーウェンへ向けて両手を伸ばす。

 

 てめえは殺す。

 殺して罪を贖わせてやるッ!

 

 その指先が、コーウェンの顔面へと触れる寸前。

 

「がッ!?」

 

 激痛が走り、俺の両の手首が捻じ曲がる。

 

「無礼者ッ!!」

 

 いつの間にか若い騎士が立っていた。

 抜き放たれた剣に、俺は両手首を叩き落されたことを知る。

 返す刃を倒れた俺に向ける騎士に対し、

 

「アシュレイ。止めよ」

 

 アシュレイと呼ばれた騎士は、不満そうにコーウェンへと喰ってかかっている。

 

「しかしッ! 伯爵様を害そうとした大罪人ですぞッ!」

 

「その通りだ」

 

 痛みに悶絶する俺をしても、ゾッとするような笑みを浮かべるコーウェンがいる。

 

「ゆえに、罰を与えなければならん」

 

 なるほど、こっちが野郎の本当の顔ってやつか。

 その相手にペラペラと歓談するなんざ、俺の人を見る目も錆びついちまったもんだぜ…!!

 

「…けッ。拷問にでもかけようってのか?」

 

「生憎と、私はそんな趣味はなくてね。第一、罰なら既に与えている」

 

「………」

 

 もしかして俺の両手首を圧し折ったことを言っているのか?

 

「言っただろう。()()には毒をもったりしていない、と」

 

 脂汗を流しながら俺はコーウェンの台詞の意味を吟味する。

 食事には? じゃあ…。

 

「まさか、あの酒は…!」

 

 そういえば、俺に酒を飲むように促したくせに、コーウェンの野郎は口をつけていない…!!

 

「【ヒュドラの毒】入りの酒だ。まわった毒はゆっくりと全身を蝕み、四肢と内臓を腐らせていく。いかなる解毒の魔法も秘薬も通じないぞ?」

 

 冷酷な表情はそのままに、声にたっぷりの愉悦を込めてコーウェンは言う。

 

「もはや助かる術はない。…オズマレンタロー。おまえは苦しみ抜いた果てに死ぬのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。