娼館オズマ   作:とりなんこつ

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閑話 ある娼婦見習いの話 1

 ――わたしがこの街へ来た時のことは、今でもはっきりと覚えています。

 

 

 

 

 あれは、今から四年ほど前の、まだ陽も昇らない早朝の事でした。

 お父さんが「ロサ、街まで出掛けるぞ」と、わたしを起こしました。再来月に控えたクラエス姉さんの結婚式の買い物に行くそうです。

 

 少しだけ寝ぼけていたわたしでしたが、一気に目が覚めました。

 だって、いままで街まで連れていって貰ったことなんてなかったのですから。

 そしてお母さんは、姉さんの御下がりの綺麗な服を着せてくれました。胸のところの長いリボンがとっても素敵で、でも特別な日にしか着ない大切な服です。

 

「ええ、ロサ、とっても可愛いわ。身体に気をつけて行ってっらしゃい」

  

 お母さんはわたしの頬っぺたを挟んでおでこにキスをしてくれました。お父さんも優しく頭を撫でてくれたので、安心しました。

 二人とも、夕べ遅くまで大きな声で言い合いしていたみたいだけど、きっと仲直りしたんだなあって……。

 

 乗り合い馬車に乗せてもらっただけで、胸がドキドキします。

 馬車の窓から見える森の景色も、いつもナカングの実や山苺を取りにいったときと全然違って見えるんです。

 春先のお日様もポカポカと気持ちよくて、窓から入ってくる風も心地よくて、はしゃぎ疲れたわたしはいつの間にか眠ってしまったようです。

 

「ほら、ロサ。着いたよ、起きるんだ」

 

 肩を揺すられて目を覚ますと、大きな門の前に馬車は止まっていました。

 お父さんに抱っこしてもらって降りて、槍を持った門番の人に挨拶して中に入ると、思わず声が出ます。

 

「うわあ……!!」

 

 大きな噴水のある広場を真っすぐ進んだ大通りに、数えきれないくらいのお店が見えました。

 きれいな花を売っているお店。服とか売っているお店。

 食べ物屋さんのお店もたくさん並んでいて、まるでお祭りのようです。

 ううん、わたしの住んでいる村の秋祭りの何倍も大きな大きなお祭りです!

 

 そして、信じられないくらいたくさんの人が歩いているのにもびっくりで、少し怖くなります。

 村では見かけないような格好の鎧を着た人。お坊さんみたいな人。あの耳がとがっている人は、もしかしてエルフさん……?

 

「行くぞ」

 

 キョロキョロするわたしの手を繋いでお父さんが歩き出します。

 

「……お腹は減ってないか?」

 

 夢見心地のまま頷くと、お父さんは近くの食堂みたいなところへと連れていってくれました。

 そこで食べさせてもらったパンケーキは、白いクリームがかけられていて今まで食べたことがないくらい甘くてフワフワでした。

 お父さんはビールを飲みながら言います。

 

「お母さんには内緒だよ?」

 

「うん!」

 

 お腹もいっぱいになってから、お店が並んでいる大通りを進みます。

 見たこともない果物やお野菜。キラキラとお星さまみたいに輝くアクセサリー。

 あ、この首飾り、クラエス姉さんに似あいそう……。

 

 夢中で見回していると、お人形を売っているお店を見つけました。

 そこに吊るされていた可愛い女の子のお人形の前に、わたしの足は止まります。

 

「……ロサ? それが欲しいのかい?」

 

 お父さんが言ってきたけれど、わたしは慌てて首を振りました。

 だって、今日は、クラエス姉さんのお買い物に来ているんだから……。

 

 なのにお父さんはお人形を買ってくれたんです!

 お父さんはしゃがむと、お人形をわたしに渡してくれました。

 

「……ロサ」

 

「うん! お母さんにはないしょだよね!」

 

 そういうと、お父さんはちょっとだけ驚いたみたい。

 頭をグシグシと撫でられてからまた歩きます。

 

 大通りを抜けると、大きな建物が見えてきました。

 村長さんの家よりずっと大きくて、それがたくさん。

 

 その中でも一番立派に見える建物に、お父さんに手を引かれて向かいます。

 

「これってお店なの……?」

 

 あんまり大きな建物なので驚きました。

 まるで昔話の王様が住んでいそうな建物です。

 入口が二つあるみたいなのにも驚きましたけれど、わたしたちが向かったのは正面からぐるりと回った裏口みたいなところでした。

 そしてその扉の前で女の子が掃除をしています。

 お父さんが声をかけて名前を告げると、女の子が頷いて扉を開き、わたしたちを中へと入れてくれました。

 

 建物の中もとても広く、天井も高かったです。

 お父さんに手を引かれて歩きながら長い廊下を進み、それから階段を三つくらい上って行くと、大きな両開きのドアの前につきました。

 案内してくれた女の子がドアを叩きます。

 

「入れ」

 

 ドアが開くと、すぐ近くに真っ黒な服を着た男の人が立っていました。

 わたしを見てにこっと笑ってくれたけれど、入れと声を出したのはこの人ではないみたい。

 部屋の奥にあるソファーから、こちらを見てくるもう一人の男の人がいます。

 

 ……お父さんと同じくらいの年かな? ううん、それよりも若いのかな?

 

「オズマさん、このたびはどうも……」

 

 ソファーの近くまで進んで、お父さんがペコペコと頭を下げます。

 オズマさんと呼ばれた男の人は、ジロリとわたしを見たあと溜息をつきました。

 

「まあ、遠いところを良くいらっしゃったとは言えねえが、まずは座りなせえ」

 

 なんだか不思議な言葉使いをする人です。

 

「ほら、ロサ。おまえも」

 

 お父さんと並んでソファーに座ると、すごいフカフカでした。

 

「……娘さんを前に口幅ったいが、本当に本気かい?」

 

「はい。よくよく妻とも話し合った結果です」

 

「そうですかい……」

 

 またオズマさんは溜息をつくと、

 

「本人は納得してるんで?」

 

「それは……」

 

「子は親に従って当たり前ってわけかい。……いや、それは『こっちの世界』に限った話でもねえか」

 

 よく意味が分からないことを言って、オズマさんはポケットから革袋を取り出してテーブルに載せました。

 お父さんが大喜びで立ち上がります。

 

「ありがとうございます! これで無事、娘を嫁がせてやることが出来ます!」

 

「その為に、もう一人の娘を売るってか」

 

 ……え?

 オズマさんが言っている意味が分かりません。

 売る? 娘? それって誰のこと?

 

「し、仕方ないんです! 私だってこんなことはしたくはない! でも、このたびの縁談を纏めなければ、吹けば飛ぶような私のような個人商会なぞ……!!」

 

「………」

 

「そ、それにこのお金は一時的にお借りするだけですから! すぐに貯めて必ず……!」

 

「娘を質草扱いするんじゃねえ!!」

 

 ドン! とオズマさんがテーブルを叩き、その音にわたしは人形をギュッと抱きしめて固まります。

 

「おい、ツイゴさんよ。黙って聞いてりゃ都合の良いことをペラペラペラペラと。

 そもそも娘の持参金を用立てられなかったのは、てめえの取引の目が潰れたのは巡り合わせが悪かったにせよ、苦し紛れに博打に手を出したからだろうがッ!」

  

「……う!」

 

「こっちはとうに調べがついてるんだぜ? そんなてめえの尻ぬぐいを娘にさせようってだけで大概だってのに、金は借りたつもりだなんてお為ごかし、寝言は寝てから言いやがれッ!!」

 

「………」

 

 お父さんが真っ青な顔で震えています。わたしは思わず叫んでいました。

 

「お父さんをいじめないで下さい!」

 

 すると、オズマさんはわたしを見ました。

 なんだかとても悲しそうな顔に、ドキっとします。

 

「いい子じゃねえか。健気じゃねえか。おまえさんを信じ切ってこんな悪所までついてきたんだぜ? こんな娘を見て、それでも思い直すつもりはないのかい?」

 

「私は……! 私は……!」

 

 立ったままぶるぶると震えるお父さんに、オズマさんはゆっくりと語り掛けます。

 

「いいかい、ツイゴさん。この金を手にしたが最後、金輪際この娘とは縁を切ってもらうぜ。

 そうなったら、今後ヒエロに足を踏み入れるのもご法度だ。

 親でもなければ子でもねえ。今まで培ってきた情も何もかも、一切合切水に流して二度とは元に戻らねえ。 

 ……こんな可愛らしい娘を前に、それだけの覚悟があるのかい?」

 

 お父さんは青い顔でオズマさんを見ました。

 それから、震える手を伸ばし――テーブルの上の革袋を大事そうに胸に抱え込んでいます。

 

「お父さん……?」

 

 お父さんは返事をしてくれません。

 わたしに背を向けたまま部屋の入口まで歩くと、振り返ることなくポツリと言いました。

 

「……ロサ。元気でな」

 

 ドアが開いて、閉まって、お父さんはいなくなってしまいました。

 人形を抱きしめたまま、きっとわたしも真っ青な顔をしていたはずです。

 

「ロサって言うのかい、おまえの名は?」

 

 オズマさんがじっとわたしを見てきます。

 頷いて、わたしは尋ねていました。

 

「お、お父さんはどこにいったんですか!? もどってくるんですよね?」

 

「……悪いが、おめえの親父さんはもうおまえの親父じゃなくなった」

 

「え?」

 

「おまえはうちに売られたんだよ」

 

「………」

 

 目の前が真っ暗になりました。

 

 

 

 

 

 それからきっとわたしはすごく泣き叫んだと思います。

 どうやっても涙が止められなくて、お父さんがわたしを売ったことが信じられなくて、お母さんたちに二度と会えないと思うと悲しくて。

 

 気づいたら、わたしはオズマさんに抱きかかえられていました。

 

「……落ち着いたかい?」

 

 少し困った顔だったけれど、とても優しい声。

 

「お父さんは、ほんとうにわたしを……?」

 

 ガサガサの枯れた声で、わたしはもう一度尋ねたと思います。

 

「そうだ。悪いが本当だぜ」

 

 また喉の奥から悲しい気持ちがこみ上げてきたけれど、オズマさんが頭を撫でてくれました。

 

「ああ、もう泣くなって。……サヤ、いないか!?」

 

 ドアを開けて女の子が入ってきました。お父さんとわたしを一緒に案内してくれた女の子です。

 

「悪いが、この子を風呂に入れてやって、それからここの段取りも教えてやってくれ」

 

「分かりました」

 

 スカートの裾を摘まんでぺこりと頭を下げると、

 

「じゃあ、ロサちゃん? 行きましょ」

 

 女の子――サヤさんに手を引かれて、わたしはオズマさんのいる部屋を出ました。

 来るときは広くて立派な建物だと思ったけれど、いまは大きすぎて魔物がぽっかりと口を開けているような感じがして足がすくみます。

 

「大丈夫だから」

 

 くすりと、手を繋いだままサヤさんが笑いました。

 そのまま手を引かれてどこをどう歩いたのか良くわかりません。

 階段をいくつも降りて、扉の前でサヤさんが足を止めます。

 

 扉を開けると、そこにはたくさんの棚が並べてありました。

 そしてその棚には、いくつもの編みカゴが。

 カゴは村の作物を収穫するものより一回りは小さくて、棚の数は村長さんの倉庫よりたくさん。

 

「さあ、服を脱ぎましょう?」

 

 そういってサヤさんはするすると着ていた服を脱ぎます。

 わたしが戸惑っていると、手の中の人形を取り上げて、服を脱がせてくれました。

 

「それじゃあこっちね」

 

 二人して裸で奥の扉の前に。 

 扉の中から、なんだかほっこりとしたお湯の匂い。

 

「わあ……!」

 

 開けられた中を見て、わたしは驚きました。

 顔に吹き付けてくる湯気にも驚いたのだけれど、広い広い床が凹んだところには、たっぷりのお湯が張ってあるんです!

 

 ……これってお風呂なの?

 でも、こんな熱気と湯気なんて、年に一回だけ貸して貰える村長さんの家の蒸し風呂と全然違います。

 

 驚くわたしを、サヤさんは近くの椅子に座らせます。

 ざばーっとお湯を頭からかけられて、ごわごわしていた頬っぺたの涙も流されました。

 それから何度もお湯を掛けられて、わたしは固まっているしかありません。

 だって、そんなたくさんのお湯をただ頭からかけるなんて、なんてもったいない……!

 

 身体を洗い終えると、また手を引かれてたっぷりと溜められたお湯の中へと誘われます。

 

「どうしたの? 入らないの?」

 

 サヤさんがお湯の中へで手招きしているけど、わたしはそれどころじゃありませんでした。

 こんなたくさんのお湯を沸かすなんて、どれだけ大変でお金がかかることでしょうか。

 

 なのに、気づいたらお風呂の中にいました。

 全身を温かいお湯に包まれるのは、きっと初めての体験で。

 とてもとても気持ちが良いのですが、すごく悪いことをしている気分になってソワソワしてきました。

 するとサヤさんが笑って教えてくれました。

 

「ここはお風呂なんだけど、温泉なんだって」

 

 温泉とは、地面から勝手に温かいお湯が沸いてくる場所をいうのだそうです。

 なので、薪を拾ってきて割ったりする必要もなくて、いつでもたっぷり使える――と説明してもらっても、わたしはお風呂の中でまだビクビクしていたと思います。

 

 すると湯気が動いて、サヤさんとは別の声がしました。

 

「ん~、誰ー?」

 

 女の人の声。

 わたしたちより先にお風呂に浸かっていたようです。

 そして、湯気をかき分けて見えてきたその人の顔に、わたしはただただ驚くしかありません。

 

 

 ――女神さまがいました。

 

 栗色のくるくるの長い巻き毛に宝石みたいにお湯がキラキラと輝いていて。

 村の薬師のチェイニーお婆さんがいつもわたしたちに話してくれる、女神アルメニアさまにそっくりじゃないですか!

 

 もちろん、アルメニアさまのお姿なんて、わたしが勝手に想像しているものです。

 けれど、わたしの目前に現れた綺麗な女の人は、わたしが思い描いていた想像そのままでした。

 

「あ、ペリンダさん。おはようございます」

 

 呆然としてるわたしの隣で、サヤさんが挨拶しています。

 ボーっとしたまま、もうお昼はとっくに過ぎているのに、なんでおはようございますなのかな? なんて考えているわたし。

 

「あら、新入りの子かしら?」

 

 女神さまに、いいえ、ペリンダさんからそう声をかけられても、わたしはひたすら夢見心地です。

 サヤさんに肩のあたりをツンツンと突かれて、ようやく我に返りました。

 

「ろろろロサって言います!」

 

「ロロロロサちゃん?」

 

「ろ、ロサです!」

 

「へえ……」

 

 ペリンダさんがじっくりとわたしを見てきました。

 大きな瞳に長い睫毛まで見えるくらい近くまで来て。

 それこそ、ペリンダさんの目の中にわたしが映るくらい近くに来て、ペリンダさんはふっと笑います。

 

「まだ小さいのね。まあ、ここに来たのには色々と事情があるんでしょうけれど」

 

 そう言われて、フワフワしていた頭の中も、すーっと一気に冷たくなりました。

 温かいお湯の中にいるのに、急に何も感じなくなります。

 

 そう、わたしは今日、お父さんに売られたんです。

 売られたら、もう二度と家には帰れない?

 姉さんの結婚式もあるのに?

 わたしだけ、もう、姉さんにも会えない。お母さんにも会えない。

 会いたい。会いたいよ。お母さん、姉さん、お父さん……!!

 

 気づいたときには、またグズグズとわたしの目から涙がこぼれていました。

 そんなわたしの頬を、ペリンダさんが拭ってくれます。

 

「そうよ、好きなだけ泣いておきなさい」

 

 言われて、ますます悲しくなるわたしでしたが、ペリンダさんにぎゅっと抱きしめられました。

 

「それでも明日が来るわ。どんなにつらくても、生きているなら生きていかなきゃ」

 

 ……ペリンダさんもお父さんに売られたんですか?

 ふとそんなことを思ってしまいました。

 そして、そう口に出さずとも、わたしが考えたことは伝わってしまったようです。

 

「あいにくとアタシは親の顔も知らないけどね」

 

「え……」

 

「だから、親の顔を知っているあんたは、アタシより幸せものよ」

 

「け、けど……!」

 

「もちろん親に捨てられたなら悲しくなるのは当たり前。でもね、血の繋がりだけが親子じゃないわ」

 

 ペリンダさんはふわっと花が咲いたように笑って、

 

「それに、ここに来たあなたは、きっと運がいいよ?」

 

 え?

 わたし、お父さんに売られたんですよ?

 それのに、運が良い?

 ……そんなの、全然意味がわかりません。

 

「うん。不幸だけど、幸運かもね。あなたも、アタシも」

 

 ペリンダさんはもう一度笑い、その隣でサヤさんもニコニコしています。

 うーんと首をひねったわたしは、その日、初めてお風呂でのぼせるという体験をすることになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 血の繋がりだけが親子じゃない。

 不幸だけど、幸運。

 

 ……わたしがその言葉の本当の意味を知るのは、もう少しあとのことになります。

  

 

 

 

 

 

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