「一佳成分が足りない」
職場体験最終日の朝、俺はまた誰もいない食堂でそう呟いた。
…いや、1人いるな。ぐるぐるメガネをかけた博士みたいな人が。初めて見る顔だ…どこで買ったんだろあのメガネ…。
そんなことはどうでもいいっ!!!
俺に不足しているのはメガネなんかじゃない!拳藤一佳の存在そのものだ!
思えばこの1週間、辛かったなあ。
いつもみたいに一佳に起こされることもなく、無骨なスマホのアラーム音で目を覚ます毎日。
1人で朝食をかき込んだらすぐにナガンに呼ばれ、ヴィランたちと戦う日々。
疲れて帰ってきて風呂に入ったらバタンキュー。それが職場体験の1日の過ごし方だった。
それ故に!それ故にだ!俺は満たされていなかった!今まで当たり前だったものが当たり前じゃなくなった時、人はこうも荒んでしまうものなのか!俺の心は穏やかではない。
一佳の微笑みが、一佳の温もりが、一佳の香りが、今の俺には恋しい。
「という訳で、電話をかけるぞ」
会いたい顔を見たいと思いつつ、向こうも忙しいだろうなーと考えて連絡はとっていなかったがもう知らん。俺はもう我慢の限界なんだ。声聞くだけじゃ物足りないからビデオ通話にしてやろう。けひひ、一佳めビックリするだろうな。
通話アプリを起動して、一佳に電話をかける。独自のBGMが流れ始め、相手を呼び出すこの時間がじれったい。
数秒後、心から待ち望んだ最愛の幼馴染の顔が画面に映し出された。
『…おはよう。どうした?急に電話なんかしてきて』
「えっ…?天使…!?」
画面の一佳が「はぁ?」という顔をする。
いかん、心の底から間違えた。
「いやなに、元気でやってんのかなって。妻のことを最優先に考えるのが、旦那の務めだからな」
『結婚した覚えないけど』
「間違いない」
『朝っぱらからどんなテンションしてんだよ』
ごもっともである。このツッコミがないと、やはりいつもの調子が出ないってもんだ。何だか懐かしくも感じる一佳の声に、どこか安心感を覚える自分がいた。
『心配しなくても、こっちはこっちで楽しくやってるよ。…まあ、ホントにヒーロー活動として正しいのか分からないこともあるけど。そっちはどうなの?』
「ひたすらヴィラン退治」
『公安だもんなぁ…』
苦笑する一佳。その後、思いついたようにとある話題について話は始めた。
『ニュース見てるか?一般市民の自殺者が増えてるってやつ』
「ん、見てるよ。気づけば大事になってるよな」
そうそうそれそれ、と一佳が画面の向こうでコクコクと首を上下に振る。
最近、世間を騒がせているとあるニュースがある。それが、いま一佳が言った市民の自殺数が極端に増加しているというものだ。初めは地方番組で流れるニュースくらいだったが、ものの数日で全国区にまでその波紋は広がり、今や知らない人はいないとされるまで広まっている。
「そうだよ。なんかお前のいる場所に徐々に近づいていってるらしいよ」
「おー、そうなのか。そりゃ大変だ」
「ちょっと、なんだよそのテキトーな反応は。こっちは心配してやってんのに」
俺の薄い反応にムッとする一佳。そんな表情も愛おしい。
「大丈夫さ一佳。この一連のニュースは今日で終わる」
言い切ると、一佳は首を横に傾けた。
「どういうことだ…?」
「詳しくは、夕方のニュースを要チェックだ」
○
─前日、夜。俺とナガンは公安施設のとある一室に呼び出されていた。
四角に囲まれたテーブルとモニターしかない簡素な部屋、いま使ってる部屋と似ている。必要最低限の物しか置かないんだろう。それに何だか薄暗い…心無しかジメッとしてない?大丈夫?カビとかその辺に生えてないかなこの部屋。
「急に呼び出してすまなかったわね、ナガン。それに愛生くん…いえ、今はサイコと呼ぶべきね」
俺たちを待っていた女性、公安委員会の会長が口を開く。薄い金髪をオールバックにした会長…見るからに厳しそうだ。会うのは初日以来か。
「顔を見せれなくてごめんなさいね。あなたの働きぶりはナガンから聞いてるわ。なかなか見所があって面白い子だってね」
からかうような声で会長は言った。レディ・ナガン、そんな風に俺を見ていたのか。正直もっと厳しい評価とかされてるのかと思ってた。
チラリとナガンの方を見ると、照れくさそうに頬をポリポリしていた。
オホン、と会長がひとつ咳払いをした。
「それで、こんな時間に2人をここに呼んだのも…」
会長がパソコンを開いてカタカタし始めると、壁に埋め込んであるモニターがパッと点灯した。そこに映し出されたのは2人の人物…。ボサボサの長髪男と、ゴスロリ風な黒髪のツインテール女だった。
「次はコイツらか」
ナガンが小さく呟いた。それに対し会長がコクリと頷く。
「"ウィンザー・ハム"と"メモリー・スノウ"。最近、自殺者が増えているっていうニュースは聞いたことあるでしょう。そしてその現場には季節外れの黒い雪が積もっている」
「この2人の仕業だってことですか?」
「その通り」
モニターに映る2人の顔をじっと見る。どこで撮ってきたんだという野暮なツッコミはひとまず置いといて、ウィンザーハムは雑に伸ばされたいかにも傷んでそうな髪に、痩せこけた頬が特徴的だ。だが、前髪の奥の瞳にはギラギラした何かが垣間見える。相当な野心があると見た。
対してメモリースノウは、パッと見キレイな顔立ちをしていると思った。雪のように白い肌…いや白すぎて青く見えるなこれ。見るからにいいとこのお嬢様って印象…熱々の紅茶とかぶっかけてきそうだ。
「どんな個性だ」
「まだ確定した訳じゃなく予想にはなるけど─」
ナガンの質問に対し、会長は淡々と答える。
ウィンザー・ハム、個性『行動操作』。自身の声を聞かせた人の行動を操ることができる。クソ強個性だと思ったけど、操るには声を耳の奥深くを超えて脳の辺りまで響かせなければならない為、至近距離で聞かせなければ効果は発動しないらしい。距離を取って戦えば何とかなりそうだ。
メモリー・スノウ、個性『記憶強奪』。他者の記憶を奪うことができる。恐ろしい力だが、これだけ聞くと戦闘に何の役に立つのだと思うが、真骨頂は別にある。どうやら、奪った記憶に刻まれた個性を使うことができるらしい。そのため、対敵時には複数の個性を駆使してくるとのこと。
「あくまで予想だけど、事前情報が無いよりはマシでしょう。備えておけばあなた達2人なら問題は無いはず」
「私は特に問題ねーが、どっちかと言うと隣のヒヨっ子だな。現場での対応力も大事だが、事前に対策くらい練っといた方がいい」
ナガンが俺を親指で指す。そうだな、ごもっともな意見だ。いつもみたいに考え無しにその場の状況で戦うのではなく、事前に敵の情報があるなら色々とやれることはあるはずだ。
「…どう戦う?」
ナガンの視線がこちらに注がれる。期待が混じっているような気がした。それに応えるように、俺は口を開いた。
「ロン毛は右ストレートでぶっ飛ばす。ゴスロリは左ストレートでぶっ飛ばす」
「コイツはこーゆー奴なんだよ会長」
「私は嫌いじゃない」
「会長もダメだこりゃ」
ナガンの深いため息が漏れた。まぁそうだな、今日は眠りながら対策を考えるとしよう。行き当たりばったりで対処していい期間はもう終わってるんだ。
「それじゃあ明日、2人とも頼んだわ。サイコも無理はしない程度によろしくね」
「うす。おやすみなさいっす」
そう言って部屋から出ていこうと背中を向ける会長に頭を下げる。去り際に会長はもう1度だけ俺の方を見て、部屋から出て行った。
○
side:メモリー・スノウ
紅茶にいちばん合うのは暖かな日差し。
緑豊かな芝生が広がるお庭、そこにパラソルの付いたテーブルを用意して、焼き菓子と一緒に嗜むアフタヌーンティーは格別です。
「…毎日やって飽きないのか、それ」
「無粋なことを聞きますのね」
ビジネスパートナーと呼べる彼、ウィンザー・ハムさんは私の姿を見てそう言った。
「淑女におけるティータイムとは、それすなわち人生における晴れ舞台のようなもの。ライオンが我が子を奈落に突き落とすように、親亀が子どもの卵を浜辺に産み置き去りにするように、自然の摂理なんですわ」
「そうか。こんな都会のビルの屋上でやるのも、おかしな話だけどな」
…痛いところをつきますわね、このお方。
仕方ありませんわ。こんな都会の真っ只中に、目に優しい色をした広大な地が広がっているわけありませんもの。それでも私がティーを嗜むのは、それが私だから。形成された記憶が、私をそうさせるのです。
すす…と今日のお紅茶を1杯。ハイ、今日も格別でございますわ。この1杯の為に生きていると言っても過言ではないのです。
「今日も良い日ですわ!」
やれやれ、と言うようにウィンザーハムさんは私を見ていた。その後、ビルの屋上から眼下を見下ろす。
「おかしいと思わないか?こんな真昼間なのに、誰も外を歩いていない。いくら平日だからといっても、人っ子1人いないのは違和感だが」
…確かに、彼の言う通りですわ。先程から都会の喧騒らしきものが聞こえません。いつもならもっとうるさいくらいなのに、今日はやけにしんと静まり返っている。
「まあそんな日もあるか」
「そんな日もありますわ。お紅茶はいかが?」
私たちは楽観的でした。
人生なんてそんなもの。予定通りに行かないことが当たり前。そう考えることで、いくらか気持ちは楽になる。窮屈で縛られた生き方は嫌いですの。
「今日の紅茶は海外から取り寄せたものですわ。ご賞味あれ」
「いいもん飲んでんな」
ポットからカップに紅茶を注ぎ、ウィンザーハムさんにそれを渡そうとした時、パリン!と音を立ててカップが割れた。
「あちっ!」
「あらあらまあまあ…何事ですの…?」
不自然な割れ方。まだ壊れるほど使ってはいないティーカップでした。そうとなれば、外的要因があるのでしょう。
「お楽しみのところ、邪魔して悪かったな。見つけたぜロン毛とゴスロリコンビ」
空からそう声が降ってきた。
2人して見上げると、そこには宙に浮く1人の少年の姿が。
「誰だあのガキ」
「知りませんわ。あなたのお友達では?」
「…オレに友と呼べる者はいない」
「あら、失礼しましたわ」
悲しい現実を教えられつつ、私は少年の方へ首を向ける。空中からゆっくりと屋上へ降りてきたその子は、私たちから視線を外さないでいる。
「ウィンザー・ハムにメモリー・スノウだな。アンタらのわるだくみはもうこれまでだ」
「は?」
「俺のナックルパンチが火を吹くぜ」
「うふふ…可愛い坊やね…」
「え…あ…そ、そすか…?」
照れてタジタジになってるその子は、恐らくヒーローでしょう。遂に足取りを掴まれましたか。けれど、まだ幼さが残っている。
「1人でノコノコと。油断しすぎなんじゃないのか?」
ウィンザーハムさんが少年の懐に飛び込もうと屈んだ瞬間、焼き菓子などが乗っていた私のテーブルが破壊される音がしました。
「!?」
『そこから1ミリでも動いてみろ。お次はその身体に今のをぶち込んでやる。大人しく投降しろ』
コンクリートのビルに突き刺さった銃弾のようなものから、女性の声がしました。スナイパーがいますのね。どこからか、私たちをいつでも貫けるよう準備しているということ。
「バックにはおっかない姉ちゃんもいるんだ。このまま大人しくしといた方が身のためだと思うけど」
「そうはいきませんわ」
私は椅子に立てかけておいたオーダーメイドの傘を拾い、それをバッと広げる。
遂に現れた追っ手。それも2人。あれだけ大々的に報道されていたのだ、いつかは来ると思っていた。
「邪魔をするなら消す」
「私のティータイムを汚したこと、後悔させてあげますわ。私はいちごのショートケーキように甘くはないですわよ」
「歯ァ食いしばれよ。そんなアンタらは修正してやる!」
ちょうどいい、この子も私の一部になってもらうとしましょうか。
さて…どんな記憶をくださるのかしら。