「あの…ホントに悪かったよ…。ごめんね姫乃さん…」
姫乃黒雪はまだ怒っていた。清掃のお兄さんに起こされスクリーンを出ると、姫乃はちゃんと出口で待っていた。それからお詫びに美味しいディナーに連れていき、今は外の夜景が綺麗な場所にいる。そこで俺はペコペコと頭を下げ続けていた。
「レディに対してあのようなご冗談を…。人をからかうのも大概にしてください!」
「自分…からかい上手で売ってるもんで…」
「反省の色なし、ですわね?」
ギロリと姫乃の眼光が光る。俺はすぐさま地面に頭を擦り付けて許しを願った。しまった、怒らせすぎてしまったか…。
「あの…どうしたら許してくれる…?」
首だけ上に向けて姫乃を見上げる。髪の毛をクルクルさせながら、姫乃は少し考える素振りを見せた。
「…名前で呼んでください」
「え?」
小声すぎてよく聞き取れなかった。今日割と風も強いし、その音にも負けてたぞ。それに、姫乃本人も明後日の方を向いてるから余計にだ。
「ごめん、よく聞こえなかった」
そう言うと姫乃は肩をビクンと跳ねさせ、ギギギと錆びたロボットのようにこちらを向く。そうそう、人と話す時は顔を向けた方が良いよね。
「そ、その…名前で…」
「ん?名前?名前がどうかしたのか?」
「私のこと、下の名前で呼んで欲しいなぁ…なんて」
「……」
訪れる静寂。下の名前で呼べって…それだけでいいのか?その程度でいいなら、いくらでも呼ぶけど。
「黒雪、そう呼べばいいのか?」
「…ッ!そ、そうですわ!これからわたひのことは、下の名前の黒雪とお呼びなさいッ!」
わたひって、噛んどるやんけ。どんだけテンパってるんだ。けどまあ、それで許してくれるなら安いもんだ。
「そんじゃ黒雪、もう暗くなってきたから帰ろう」
「ひゃ、ひゃい!その…ち、千晴…さん…」
「ん?いま千晴って」
またもや黒雪の肩が跳ね上がる。その後、こちらに顔を向けて強気に言葉を並べてきた。
「そうですわよ!あなたの名前は千晴、私は黒雪!あなたが下のお名前で私を呼ぶのであれば、私もそうするのが条理ではなくって!?何かおかしいところでも!?」
おお、グイグイ来るな。壁際に追い詰められてしまった。そして顔が凄い真っ赤だ。熱計ったら39℃くらいありそうなほどだ。
「別におかしなことなんてないさ。好きなように呼んでくれたらいいよ。──じゃあ、そろそろお家に帰るとするか」
もう時刻は夜の7時。もう少し遊んでいたい気持ちもあるが、女の子を遅くまで連れ回すのも何かと良くないだろう。久々の自由を、黒雪は満喫出来ただろうか?
「待って」
帰路に着こうとしたその時、俺の服の袖を黒雪に引っ張られる。俺は彼女の方を振り向いた。
「最後にあれ、乗ってみたいです」
黒雪が指を指した方。そこには、綺麗にライトアップされた大きな大きな観覧車が街全体を見下ろしていた。
○
男の子と2人きりで過ごしたのは、今日が初めてでした。
漫画や映画、ドラマで夢見ていたデートをしたのも今日が初めてでした。
待ち合わせをして、お昼に同じものを食べて、同じ場所で同じ時間を過ごす。
世の中にはこれを当たり前だと感じている人もいるかもしれませんが、私にとっては新鮮でキラキラと輝く思い出となりました。
「わあ、すごく綺麗ですわ。見てください千晴さん」
「お、ほんとだな。すげー綺麗。なんかドローンが飛んでる」
2人で眼下の光景に目を輝かせる。高層ビルが立ち並ぶ都市の主要部と、それを取り囲むように住宅街が並んでいるのが見えました。まだ光が消えないビル群と、まばらに明かりが灯っている人々の生活の光。これも私にとっては初めてのこと。
「千晴さん、今日は1日付き合ってくださって本当にありがとうございました」
観覧車という小さく狭い空間。対面に座る千晴さんに、私はそう投げかけました。
「私、こういったことをするのが初めてで。誰かと一緒に遊びに行ったり、美味しいご飯を食べたり、同じ景色を見たり。だから、今日は楽しかったです」
「そっか。とりあえずお互いのやりたいことをやったって感じだけど、逆にそれが良かったのかもな」
「はい、とっても」
その後に続く言葉を探す。
「また…こうして2人でどこかへ行きたいです…」
言い終えて思わずハッとする。私はなにを贅沢なことを言っているのだと。そもそも自由に動ける日をいただけたことすら有り得ないことなのに、それ以上を望むなんて。
──私は、元ヴィランなのだから。
思い通りの生活を送るなんて高望みは許されない。ましてや、伝えた相手がヒーローを目指す男の子なら尚更のことでした。分かってはいても、沈む心と同じように俯いてしまう。
「あっ、今の言葉は忘れてください。思わず出てしまっただけで──」
「──今度はどこへ行きたい?」
その優しい物言いに、重い頭をゆっくりと上げてしまった。
「え?」
「まだあるんだろ?誰かと一緒に行ってみたい所が」
「いえ…今日という日の思い出があれば、私はそれで充分ですわ」
危なかった。思わず差し伸べられた手を掴んでしまうところでした。これは掴んではいけない手。汚れた私の手とは違って、純粋で未来のある手。それに甘えることは許されない。
下唇を噛んで、私は気持ちを押しとどめる。私は自分の立場をわきまえて行動しなければ。
「過去は消えないけどさ、大事なのは今だと思うよ」
ギュッと小さな拳を強く握る。どうしてこの人は、こんな私にも──。
「だからさ、後ろばっか見てないでもっと前見て歩いてもいいんじゃないか?黒雪がひどいことをしてしまった以上に、周りの人たちの力になれればそれで良いさ」
救いの手を差し伸べる者がヒーローならば。
こんな私にも優しく微笑みかけてくれるのが、彼の正義なら。
私はこの人に、嘘をつくことはできない。
「…千晴さん、おそらく私はめんどくさい女ですよ?」
今の私は、嬉しさと申し訳なさの混じった表情になっていることでしょう。
だけど、それが今の私。ありのままの姿を、私はこの人に見てもらいたい。
「だったら俺は、鬱陶しい男だぜ?」
「あら、案外似たもの同士なのかもしれませんわね」
観覧車の中で私はゆっくり立ち上がる。そしてそのまま、千晴さんの隣へ腰を下ろす。
「では、お言葉に甘えて贅沢をさせてもらいますわ」
千晴さんの左腕に手を回し、寄りかかるようにその肩に頭を預ける。
「あ、あの…黒雪さん?これはいったい?」
「ふふ…」
困った様子の彼が、何だか可愛く見えてしまう。これは仕返しだ、映画館でからかわれたことの。
彼の胸にそっと手を添える。
「ドキドキしますか?心臓の動きが激しいですよ?」
「しない方が無理あんだろ、この状況的に…」
クスッと笑みをこぼし、回した腕に力を込める。
このまま時が止まればいいのに。私は心の中でそう強く願いました。
○
薄暗い地下室、そこでオレ──死柄木弔はパソコンの画面を注視していた。薄闇に光るデスクトップを食い入るように見つめる。そこに映し出されているのは、観覧車に乗る2人の男女だ。
「ぎぎぎぎ…!愛生千晴ゥゥゥ…!そんな所で女子とイチャイチャしやがってェェェ…!」
画面に映っている男──愛生千晴を睨みつける。コイツとオレには深い因縁があるのだ。そう、過去に雄英の施設であるUSJにて交戦。このクソガキにしてやられたことがあるのだ。
「まだ高校生だろ!こんな遅い時間にそんな所に居ていいのか!?良くねぇよなぁ!警察呼んでやろ!」
手に握っているコントローラーでドローンを操作しながら、オレは文句を垂れる。何故だ、何故オレとアイツでこうも違う。何故オレはこんなカビくさいジメジメした場所で、親指をかじりながらムカつく奴のイチャイチャシーンを見てなきゃいけないんだ。ストレスで髪の毛をむしり取る。
「死柄木弔、それ以上髪をむしるのは危険です。戻せなくなる」
「黒霧!だったらお前の個性で、あのガキのとこ行って無茶苦茶にしてやれ!」
背後からヌッと出てきた男、黒霧に強く言い放つ。しかし、拒否するかのように黒霧は顔を振った。
「それはできません」
「なんでだ!?」
「若者から青春を取り上げるのは許されないからです。何人たりともね」
「お前どっちの味方だよ!!」
命令を拒否されたことにムカつき、オレは黒霧に飛びかかる。だが、こいつはモヤモヤしていまいち実体が掴めない。ひょいと躱され勢いのまま、オレは堅固な壁に顔から激突した。
「くそ…なんでこんな思いしなくちゃいけないんだ…」
「死柄木弔、落ち込まないで。そんなあなたにピッタリなツールがあります」
「ツールだと?」
そう言った黒霧が、スマホを取り出し画面を見せつけてくる。顔に張り付いていた手が邪魔だったのでそれを放り投げ、オレは差し出されたスマホを覗き込んだ。
「なんだこれ…マッチングアプリ…?」
「そうです、死柄木弔!あなたのような引きこもりの日陰者でも、簡単に友達や彼女が作れる代物なのですよ!」
「お前オレのこと馬鹿にしてるだろ」
チッチッチと、黒霧はモヤを指に見立てて振って見せた。
「使い方は簡単です。これに登録して、情報を打ち込んで、後はお互いの条件にマッチした相手と出会うだけ。たったこれだけのことで、コミュニティが広がるんですよ」
「へぇ、世界ってそういう風に出来てるんだ。なんか面白そうだな」
渡されたスマホを操作して登録を進める。名前を打ち込んで、好みのタイプを入力して、と。どうやらこちらから他人にアプローチをかけることも出来るらしい。凄いな、これなら女子に免疫のないオレでも簡単に女子とお話が出来そうだ。
「黒霧ィ、でかした!これでオレも可愛い彼女ができるぜ!」
「そうですとも!さあさあ、善は急げですよ!優良物件はすぐに売り切れてしまいますからね!」
「おっ、そうだな!──ぐへへ…この子も可愛いなあ…この子も清楚っぽくていいなあ…よりどりみどりだあ…」
「にやけヅラが不快なので、このおててを顔に付けといてください」
「おい!」
こうして、オレのマッチングアプリ奮闘記が始まった。
最初は女の子との話し方で手こずったりもしたが、黒霧やドクターに協力してもらいながら、何とか数人とコンタクトを取ることが出来たんだ。
こんなオレでも、女の子たちとキャッキャウフフすることが出来る。そう思うと、何だか心躍るような気分になってきた。
〜2週間後〜
「やりますね死柄木弔。まさか連絡が取れた子たちを一気にこの場に呼びつけるとは」
「へっ、慣れればこんなもんよ。オレも情報社会に生きる若者の1人だからな」
あれから2週間。オレはひたすらマッチングアプリを触り続け、とうとう実際に会うところまでこぎつけた。しかも同時に4人。最早これは才能と言ってもいいかもしれない。
黒霧に小洒落たBARを用意してもらい、そこでオレはグラスを片手に女の子たちを待つ。こういうのはファーストタッチが大事なんだ。そこでミスれば終わりだし、逆に成功すればその後はスムーズだ。
コツコツと階段を降りる複数の音が聞こえてくる。来たな、女の子たちだ。しかも一緒に来ているとみた。
「来たぞ黒霧。1人ずつ、1人ずつ通すんだ。一気に来られたら緊張して何も話せない!」
「しっかりしてくださいよ死柄木弔。分かりました、1人ずつ通しますね」
向こうから扉を開かれるより前に、黒霧が客人の元へ赴く。ピタリと足音が止み、黒霧が説明をしている声がうっすらと聞こえた。扉のすぐ向こうに、オレ好みの女の子たちが居る。
「平常心平常心。吸って…吐いて…。とびきりの笑顔とイケボでだぞ。逃げればひとつ、進めばふたつだ」
練習してきた挨拶を脳内で何度も繰り返す。よし、イメトレはバッチリさ。後は上手く場を繋いで、連絡先を交換したら今日のところはミッションコンプリート。いける、オレならやれる。
コンコンと、小さくノックする音が聞こえてきた。キタ、1人目の女の子だ!
ガチャリと扉が開かれる。オレは入ってきた子をとびきりのスマイルとイケボで出迎えた。
「はじめまして、死柄木弔です。見ての通りBARの経営をしています。今日は来てくれてありがt──」
瞬間、オレの体は石になった。
扉の向こうから入って来た子──否、これは子ではない。野郎だ。何故ならあごひげが生えているからだ。肩に何か細長い得物を担いだロン毛が、オレを見つめていた。
「はじめまして、マグネと申しますぅ。死柄木弔ちゃんね、会いたかったわ〜!」
「オネエじゃねーか!どーなってんだこりゃ!」
予想外の展開に思わず顎が外れる。なんだこれ、どーなってやがる?オレちゃんと女の子と連絡取り合ってたハズだよな?
「まさかこんなすぐに遊べるなんて思ってなかったわ〜。意外とプレイボーイなのね、弔ちゃん」
「ええい触るな触れるな近づくな!なんで男がここに来てんだ、アプリ内の写メはニセモノだったのか!?」
「あれは加工よ」
「加工って言えば済むと思ってるだろ!」
なんなんだこの状況は。開幕意味のわからんことになりやがった。てかオネエを通す黒霧も黒霧だろ。こんな一目見たらすぐ男って分かるやつ、その場で追い返せよ。
「まあまあせっかくの出会いなんだし。仲良くしましょ」
そして距離が近い。なんだコイツ距離感バグってんのか。サングラスの奥の瞳がガチなんだけど。五指で触れてやろうか。
「あの〜死柄木弔。次の子入れても?」
扉から黒霧が顔だけ出してそう聞いてきた。
「ああ、そうだな。こうなったら次に期待だな」
仕切り直しだ。このマグネとかいうオネエは置いといて、残りの3人と楽しむことにしよう。
「失礼しまーす」
「いらっしゃい、よく来たね!遠かっただろうに。良かったらオレがドリンク作ろうk──」
瞬間、またもやオレは石化した。
次に入ってきた子。全身火傷跡だらけの黒髪の…よっぽど女子には見えない…女装してる男だなコレ!
「今は荼毘子で通してる」
「通すなどういう神経してんだ!オネエの次は女装か!被ってんだよ!」
「チッ、やかましい男だな」
「舌打ちした?ねえいま舌打ちしたよな?」
荼毘子とかいうイカレは、カツラを脱ぎ捨て女装を解除した。まぁ普通に男だな。既に呼んだ人の半分が同性なんだけど。マッチングアプリってなに?なんなの?男を集めるツールなの?
「おい荼毘子とやら」
「うるせぇその名前はもう捨てた」
「捨てたの!?ならなんて呼べば…!」
「荼毘でいいぞ。ボサボサ頭」
こいつめ…絶対後で"崩壊"させてやる。マジで見とけよ。オレはやると決めたらやる男だからな。だが、まずはそれよりも次の子を中に入れなければ。
「あ、入りまーす」
「どうぞどうぞ、暑かったよね?冷たいもの出すからそこに座っt──」
入って来た人物の姿を見た瞬間、オレは砂になった。オレが目にしたもの、それは世にも珍妙な──。
「と、トカゲて…。トカゲて!なんでマッチングアプリでトカゲがやって来るんだよ!!」
そこにはバンダナを巻いて背中にイカつい大剣を背負ったトカゲが立っていた。なんだコイツ…もうどこから突っ込んでいいのか分からん…。しかも微妙に口紅塗ってやがる。なんの根拠があってそんなことしてきたの?
「失礼な。オレ…じゃない。ウチはヤモリよ!」
「うるせーっ!論点はそこじゃねーんだよ!中途半端なキャラ作りだけしてきやがって!」
ダメだこりゃ…ため息しか出ない…。なんでこうなる…。必死にマッチングアプリした結果がこれかよ…。
「死柄木弔、そう落ち込まないで。そういう時もありますよ。ぷくく…」
「なに笑ってんだテメー。もういい、全員に帰ってもらえ。もう顔も見たくない」
「まあまあ死柄木弔。まだあと1人残っているではないですか」
黒霧のその言葉にピンとくる。そうだ、オレが今日呼んだのは全部で4人。あと1人、まだ会っていない子がいるんだ。
「しかし、この展開からしてロクな奴が来るとは思えんな…」
「安心してください。私その子の写真を持っていますが、ちゃんと女の子ですよ」
「ホントか?それ見せてくれよ」
「嫌です。来てからのお楽しみです」
「どつくぞお前」
その時、コンコンと扉を叩く音が聞こえた。反射するようにオレはバッと席を立つ。
「噂をすれば、ですね」
「ああ…これがラストチャンスだ。開いてるから入っといでー」
「おじゃましまーす」
ドクンと心臓の跳ねる音がする。ゴクリと生唾を飲み込む。荼毘子の捨てたカツラが視界の端に映る。
これが最後。入ってくる子が女の子じゃなかったら、オレは。
ぴょんと顔を出して、その子はオレと視線を合わせた。薄い金髪の三白眼が特徴的だった。その子は薄く微笑むと、全身をオレたちに見せてくれた。
「トガです、トガヒミコ。お呼ばれして来たのです」
「お…」
「お?」
わなわなと体が震えているのが分かる。入って来た女の子──トガヒミコを見て思わず拳を強く握る。ようやく…ようやくまともな女子がやってきた…。
「女の子だーッ!!!」
オレの歓喜の叫びは、周辺の住宅街にまで響いていたらしい。
「とりあえず、一件落着ですね」
「落着はしてないけどな」
オレと、オネエと、女装男子と、トカゲ。そしてトガヒミコ。
奇妙な縁が今日、ここで繋がることになった。
余談ですが、死柄木弔は開闢行動隊のメンバーを全員マッチングアプリで集めます。