「千晴が入院?」
夏休みのとある日。八百万からそう聞いた私は、すぐに行動に移した。
聞くとバカなあいつは自分から花火の筒の中に入っていって、夜空の星になったらしい。全く、何歳になってもやることなすことが昔から変わらない。
行って私が説教してやらねば。千晴の道を正しい方向へ導けるのは私だけ。そう思い、千晴が入院している病院へ向かおうとしたその足が一瞬止まった。
今の千晴には、私との思い出がない。
職場体験から帰ってきた日から、千晴の中には私がいない。
その事実が、私の足を地面に根を張らせた。
私が行ってもしょうがないんじゃないか…だって、今の千晴にとって私はせいぜいただの隣のクラスの女子。関係の薄い人がお見舞いに来たって。
…いや、それでも行くんだ。
例え千晴の中に私が居なくても、私の中に千晴は居る。
一緒にいない時間が多いけど、私は千晴を想っている。
それだけあれば充分だ。
私は強い1歩を踏み出した。
全ては、最愛の幼馴染に会いに行く為に。
○
おっす、俺の名前は愛生千晴。
ひょんなことから病院に入院することになったんだ。
そこで退屈な入院生活を送っていたら、突如として女子がお見舞いに来てくれた!しかも2人!
嬉しさや気恥しさもある俺だったが、そんな考えとは裏腹に2人の女子の間には火花が散っていた。
俺はただ、見守ることしか出来ない…。
「とりあえず、そこからどこっか?」
視線はそらさず、拳藤が不気味に口角を吊り上げながら言う。口元はギリ笑ってはいるが、目が笑ってない。絶対零度の冷たさがそこにはあった。
「ノーウェイですわ。今から千晴さんのお身体を優しく拭いてあげるところですもの」
対する黒雪はお淑やかに粛々と返答をした。やけに余裕のある表情…手綱は私が握っているとでもいうようだった。
「それに、傷ついた殿方のお世話をしてあげるのが淑女の務めではなくって?千晴さん…こんなに辛そうで…。私が癒してあげないと」
「はぅあ!」
ツンと黒雪が俺の体に指を置いた。その些細な刺激も、今の俺の体には響いてしまう。
「…わざわざアンタがする必要ないんじゃない?看護師の人もいるんだし、余計なお世話ってやつだろ」
コツコツと拳藤が俺たちのいるベッドへ近づく。拳藤からは凄みを感じる。奴には筆舌しがたい凄みがある。
「何か勘違いしてません?どうやら私が無理やり千晴さんのお世話をしていると思っているのかも知れませんが、これは千晴さんからお願いされてやってることですのよ?そう、お願いされてね」
「え…」
「そうなの?」
拳藤が俺に視線を向ける。ひゅんと心臓が縮まる感覚がした。
「あ…ここまでのことをしてとは…言って──」
「──言いましたよねぇ?私にフルーツを食べさせて欲しいって。一緒に身体も拭いて欲しいって。その口で」
黒雪にもギロリと睨まれる。それだけで体温が少し下がった気がした。まるで蛇に睨まれた蛙の気分だ。
「可愛かったですわ。私が切ったフルーツをモグモグと食べる千晴さんは。まるで夫婦のような気持ちでしたの」
「は?」
「うぉい!ちょっと待てぃ!何かさっきから話の盛り方がえげつないんだけどっ!?」
思わずベッドから飛び跳ねる。痛みとか今は知らない。このまま黒雪の思うがままに話を進めさせたら、色々とマズイ気がしてきた。
「──見たところ、お見舞いの品の1つも持ってきて無さそうですが」
え、まだ続くの?もう辞めようよ、みんな仲良くしようよ、ファミリーになろうよ。
黒雪の挑発的な物言いに、拳藤の眉がピクリとしたのが見えた。拳藤は何も答えず、無言で掛けていた鞄の中から何かを取り出す。
「あるけど?お見舞いの品」
「な…なんですのそれは…?」
「ああーっ!"押忍!クソ男ヒーロー伝"の最新巻じゃねーか!」
拳藤が鞄から取り出した物に、俺は思わず子どものように声を張り上げる。差し出されたそれを受け取り、恍惚の表情で見つめる。
説明しよう。"押忍!クソ男ヒーロー伝"とは、武道と親の脛をかじり尽くした主人公が、曲がりなりにも立派なヒーローを目指して奮闘するバトル漫画である。世間ではクソ漫画認定されているためファンの肩身は狭いが、そんなマイノリティによって何とか首の皮1枚繋がって連載している漫画である。
「ちょうど今日が発売日なんだよな。サンキュー拳藤!ってか、俺がこの漫画好きだってよく知ってたな」
「えーと…A組の奴から聞いたんだよ!」
なるほどね!そーいや前に皆にオススメしたことあったな。その時はセンスを疑われたけども。別にいいさ、俺は1人で楽しむ派なんだ。
「くっ…不覚…!」
黒雪が悔しそうな表情を見せる。すると、誰かの携帯から着信音が流れ始めた。デフォルトで設定されている音だ。
「もう時間ですか」
どうやら黒雪のだったらしく、彼女は携帯を取り出して時間を確認するとそう呟いた。ベッドから下り、くるりと俺の方へ向き直ってニコリと笑った顔を見せる。
「それでは千晴さん、ごきげんよう。また会いにきますわ」
「おー、気ぃつけてな」
黒雪は病室の扉に手をかけた後、一瞬だけ拳藤の方を見た。そのまま何も言わずに部屋から出て行く。
嵐のような展開だったな。まだ脳みそが追いついていない。
そして、病室に残されたのは。
「拳藤も突っ立ってないで、そこに座ったら?」
「うん、そうさせてもらうよ」
俺と拳藤の2人だけの空間が、そこには広がっていた。
○
時が経てば傷は癒える、なんて言葉は信じない。
だって、私の心についた傷は一生消えることは無いから。
好きな人から自分との思い出が消えるなんてこと、そんなことは時が癒してくれるものじゃない。
そして、彼の記憶を時が戻してくれるなんてことはありえない。
だから私は、もう1度同じ時間を過ごしたいと思った。
同じ時間を共にしたら、新しい思い出が生まれる。
今までもそうだったように、その積み重ねが私と千晴の関係を作った。
なら、もう1回同じことをするだけなんだ。
例えそれで千晴が振り向いてくれなかったとしても、何もしないよりはずっといい。
ただ、好きな人のそばにいたいだけなんだ。
静寂が室内を満たしている。何を話したら良いのか分からず、私は携帯をいじる振りをして言葉を探していた。
千晴は今なにを考えているのかな、そう思ってチラリと目線を向けるとそこには。
「むう、なかなか乙な展開になってきたものだな」
漫画に夢中な幼馴染がいた。
相変わらずな様子に呆れつつ、どこか安心する。記憶と一緒に、いつもの千晴もどこかへ行ってしまっているんじゃないかと思っていたからだ。変わらない幼馴染がそこにはいた。
「拳藤もこの漫画好きなのか?」
「え?うーん、どうかな。1回読んだことあるけど、あんまし好みじゃなかった記憶が」
私が持ってきた漫画、押忍!クソ男ヒーロー伝は昔千晴に嫌という程勧められたことがある。渋々読んでみたが、はっきり言って面白くなかった。これを面白いと思う奴は正気か?と思うくらいに。
「そ、そっか。楽しんでるのは俺だけだったか」
微妙に申し訳なさそうな顔をする千晴。これも見たことのある顔だ。漫画を読む時には体を丸くして読むことや、単行本を思い切り広げて読む姿。こまめに水分を取る目を擦る時の仕草、ページをめくるスピード。その全てを私は覚えている。千晴のことは何でも知っている、ずっと見てきたから。
漫画を読み耽る千晴に、自然と目がいく。あまり見すぎるとかえって怪しまれると思いつつも、視線を外すことが出来なかった。記憶を失ってから生まれた2人の溝を埋めるかのように、私の心を千晴で満たしたかった。
──こんなに、こんなに想っているのに、千晴の中に私はいないんだ。
今の千晴にとって、私はただのクラスメイト。それ以上でも、それ以下でもない。そんな私が、ここであなたと同じ時間を重ねても無意味なのかもしれない。前までは"一佳"と呼んでくれていた声も、今は距離を感じる。
学校が終われば一目散に隣のクラスまで駆けてきていたあの日々も、休みの日の夜は必ず電話をしてくれたあの時も、何があっても横に居てくれたあなたが、今はとても遠い。
積み重なった想いをこれ以上押さえつけることなんて、今の私には出来ない。感情がとめどなく溢れ出てきてしまう。
もう、他の誰かと帰る千晴の背中を見るのは辛いんだ。
「ねぇ、千晴」
小さくか細い声だった。でも、千晴はそれを拾って顔を向けてくれる。
「ほんとに覚えてないの?」
そんなことを聞いてもどうしようもないのにと、頭では理解しつつも感情を止めることは出来なかった。
「1人で学校に行くのも、1人で家に帰るのも、少しだけなら我慢できてたんだよ」
頭のおかしい奴だと思われるかもしれない。大した関係性のない奴にこんなこと言われても、ただ困らせるだけだ。それでも。
千晴を想って、毎日枕を濡らしていることを知って欲しかった。
「寂しい…寂しいよ…千晴…」
目に溜まった涙が、俯いたことで頬を流れ伝う。本人を前にして押し殺してきた様々な思いが、決壊するかのように流れ出てきてしまう。
「私とのこと…思い出してよ…」
いま千晴がどんな表情で、どんな感情でいるかは分からない。私のぶちまけられた感情を見て、どう思っているかなんて想像もつかない。
「拳藤、俺…」
千晴が口を開く。その後に続く言葉が怖くて、私はおもむろに立ち上がった。千晴からの言葉で、私たちの関係が決まってしまうかもしれなかったから。
「…ごめん」
これ以上この場所に居られない。私は鞄を手に取って千晴の病室から飛び出した。院内を駆け、街中を駆け、驚いたような表情で私を見る他人のことなんて1ミリも気にならなかった。
そして気づけば、近所の公園にたどり着いていた。ちょうど10年前、千晴に想いを告げられた思い出の場所。
大きな木が私を見下ろしている。それを背に私はその場にうずくまった。
「何やってんだろ…私…」
抱え込んでいた感情を吐き出しても、ちっとも心は晴れなかった。