俺が入院していた病院の屋外広場…そこは老若男女様々な患者やその見舞客で溢れている。入院服を着た小さな子どもは走り回り、それを心配そうな目で見つめる親。秋も近づいてきて、心地よくなってきた風を楽しむ老人たち。筋トレに励む若いお兄さん、おもむろにカバディを始める体育会系集団といったように、様々な風景がそこにはあった。
「よ〜し行くぞ〜。フゥ〜!」
例に漏れず、俺もその屋外広場ではしゃいでいる内の1人だ。今俺が嗜んでいるのはコレ、シャボン玉。そう、誰もが知るあのシャボン玉である。高校生にもなってそんなことで遊んでいるのが俺、愛生千晴である。
ただやりたくてやっているだけじゃない。もちろん俺も楽しんでいるが、空に浮び上がっていくシャボン玉を見て目を輝かせる人物が1人。
「わ〜、何だか不思議ですわ〜」
姫乃黒雪である──。
○
同じ病院に入院していることは、お見舞いに来たレディナガンから聞いた。オール・フォー・ワン一派に連れ去られ、個性を奪われ利用される。その利用先が俺なんだけど、心身共に異常が無いかを確認する為に黒雪も入院していたのだ。
部屋の場所を看護婦さんから教えてもらい、売店でテキトーに物を買ってから部屋に突撃訪問。個室の病室で静かに読書をしていた黒雪は、俺の顔を見ると申し訳なさそうな表情をして俯いていた。なんか最近、俺にそういう感情抱いてる子多くない?
「ま、外でも行こーや」
強引に手を引き黒雪を屋外広場に連れて行き、売店で買っておいた小さなシャボン玉セットを開けて今に至る。そんな状況である。
「私、シャボン玉なんて初めてやりました」
セットを黒雪に渡すと、教えた通りに器具を液につけて息を吹きかける。綺麗な形のシャボン玉が空高く飛んでいき、やがてパチンと弾ける。その光景を黒雪は、ボーッとしながら眺めているようだった。そんな彼女の横顔を眺める。
「身体は平気なのか?」
「ええ、特に目立った外傷は無かったので」
「さっき俺を見て、申し訳なさそうな顔をしたのは?」
少し意地悪だったか。それでも俺はその質問を黒雪に投げかけた。さっきの病室での事だ。
「…人には、そっとしておいてほしいこともあるんですよ。特に淑女に対しては」
「そっか、デリカシーが無かったか」
言いながらベンチに腰かけると、黒雪も隣に座ってきた。外の心地よい風が俺たちの間を通り抜けていく。
「辛くはなかったですか?」
今度は黒雪の方から質問が飛んできた。目線だけを黒雪に投げると、彼女は俯き地面と見つめている。その様子を見て、俺の頭には昨日の八百万の姿が思い浮かんでいた。
黒雪の個性、記憶強奪。彼女が生まれ得たその力は、オール・フォー・ワンに奪われ利用された。俺の身体にアンナチュラルの記憶が刻まれたのは、黒雪の個性によるものなんだ。それにより起こった、先の神野区での戦い。超人同士の戦いで傷ついたのは、一般市民だけじゃない。
「今の貴方の姿を見ていると、どうしてもいたたまれなくなってしまうんです。私が居たから…私のせいで千晴さんが辛い思いをしてしまった…」
「だから俺に申し訳ないって?」
「はい…正直会わせる顔もありません…」
より深く俯く黒雪。暗い、暗すぎる。せっかくシャボン玉で何とか入れ替えさせた心が、またもや沈み始めた。気持ちは分からなくもないが、友達の落ち込んでいる姿はもうこりごりだ。そんな姿、もう見たくない。
「よーし、分かった!」
「きゃ!び、びっくりした。急に大きな声出さないでください」
突然立ち上がった俺に驚く黒雪。俺はベンチの横に座っている彼女の方を見る。
「気にしてない…なんて言ってお前が納得する訳ないことは知ってる。けど、会わせる顔がないって言って、それで俺の前で暗い顔をするのはやめよう!」
「愛生さん…」
「なんて言うかこう…俺関連のことで女の子が落ち込んでるのを見ると…そう、心が痛い…!張り裂けそうになっちゃう!」
「だったら、なおさらもう会わない方がいいんじゃ」
「シャーラップ!なんでそんな悲しいこと言うんだ!もしかして俺のこと嫌いだった?ホントは顔も見たくないほど憎んでる?だったらゴメン!」
そう言うと、黒雪は慌てふためいた様子で訂正した。
「そ、そんなことないです!むしろその逆…」
「え、逆?嫌いの逆ってことは…。え?」
「はわわわわわ…!い、今のは聞かなかったことにしてください!」
「へぶしっ!!何故ビンタ!?」
唐突に食らったビンタ、とても痛い。傷口に響くぜ。だがどこか懐かしい気分。そうそうこれこれ、黒雪はこうじゃなくっちゃ。
はたかれた部分を腫らしながら、俺は黒雪の目を見つめる。
「俺はこれからも、黒雪とこうしてわちゃわちゃしてたいよ?最初は敵同士だったけど、今ではこうして向き合って話せてる。黒雪が良い奴なんだってことは、俺がよく知ってる」
黒雪の吸い込まれそうな大きな瞳に、俺の姿が写っている。そんな彼女の瞳が徐々に潤み始めた。
黒雪は良い奴なんだ。一緒にいて楽しいやつ。なんだかんだでウマが合う女の子。そんな子にもう会わない方がいいなんて言われて、大人しくはいそうですかと言える訳がない。
俺の中で黒雪は、とっくに大事な人になってるんだ。
「俺また、お前と買い物に行きたいと思ってるんだよ」
黒雪の瞳に涙が滲み、そこから溢れ出そうになっている。零れてしまいそうな雫を指でそっとなぞる。
「優しすぎますわ、千晴さん…。こんな私を…」
「何も泣くことなんてないだろ。ほら、笑って笑って。俺は笑ってるお前が1番好きだぞ」
そう言うと、黒雪は精一杯の笑顔で答えてくれた。これでいいんだ。黒雪に暗く沈んだ色なんて似合わない。
「それで、聞かなかったことにしてってやつは…」
「そっ、それはまた別の機会で…!」
誰にだって辛いことや苦しいことはあるのかもしれない。
だけど、せめて俺の周りにいる人たちには笑っていて欲しい。
皆の笑顔の為に、俺は──。
○
明日が夏休みの最終日。そんな日の夜に、俺は長らくお世話になった病院を退院した。
体中に巻かれていた包帯から解放され、傷も綺麗に治った。多少の生傷はうっすらと残っている状態だが、これも戦いの勲章だ。ヒーローを目指す男なら、多少の傷があった方が貫禄も出るってもんさ。
病院の人に最寄りの駅まで送って行ってもらう。居た日数も長かったから、先生や看護婦さん達とも割と仲良くなった。また何か異常があったらいつでも来いとのこと。現代の医療技術と博識なお医者様方には頭が上がらないね。俺も医者を目指して皆を救おうかな。
ちなみに、俺の両親は海外で働いている。だから今は一人暮らし。それゆえ誰もお迎えがない状態。夜の駅に1人ポツンと残されている状況だ。え?別に寂しくなんてないけど?別に心細いとかそんなこと思ってないけど?この膝の震えは久々のシャバが嬉しすぎて、膝が笑ってるだけだし。
「さ、大人しくお家に帰るとするか。テキトーにコンビニで食べるもんだけ買って」
割と長い間家を空けていたから、冷蔵庫に何が入っているかちゃんと覚えていない。どうせ自炊なんてほとんどしないけど、食べ物はいつも何かしら入れていた。今はもしかしたら空っぽかもしれないから、とりあえずこのお腹を満たせる何かを買って帰らなければ。なんか味の濃い物がいいな。なんで病院食ってあんな薄味なんだろ。最後の方は売店に売ってある調味料とか入れまくってたぞ。
「あーあ、誰かの手料理が食べたいな〜」
夜の駅前でそんなことをボヤきながら家路を辿ろうとする。ふと、目の前を見ると、誰かが立っていた。その人物が誰か分かると、自然と笑みが零れていた。
「よ、退院おめでとう」
「マイリトルスイートハニーいつか!!!迎えに来てくれたのか!!!」
目の前に現れた一佳に思わず飛びつこうとする。が、一佳は慣れた動きでそれを躱し、俺は地面とチューすることに。なんとも言えない味が口の中に広がった。
「相変わらずだな。元気そうで安心したよ」
「ああ、一佳の顔見たら100倍は元気になったよ。持つべきものは幼馴染だな」
「アンタのお母さんに頼まれたんだよ。そっちに戻れないから、代わりに退院したら迎えてやってくれって」
「なるほどね」
ナイス母君。俺はあんたの息子で良かったぜ。
街灯が照らす家路を、一佳と2人で歩く。
記憶を失っていたからか、懐かしい気持ちだ。
それでも、一佳の歩幅はしっかりと覚えている。
彼女の速度に合わせて、俺は歩幅を調整する。いつものことだ。
「ごめんな一佳。記憶がない間に1人にさせちまって」
ほとんどの日を一佳と一緒に登下校していた。でも、俺が記憶を失っている間はそれが出来なかった。その間の俺にとって、一佳は近くに住んでいるただの幼馴染。きっと、寂しい思いをさせていたに違いない!ああくそ、過去の俺に会えたら全力でぶん殴ってやりたい!
「別に…。逆に清々したさ、うるさい奴がいなくて」
淡々と告げられるが、これがいつもの一佳だ。俺の熱い想いを鮮やかにスルーしていく。これが彼女の照れ隠し。そんな一佳も愛おしい。
「けど、ちょっとだけ…ほんのちょっとだけ寂しかった…かな…」
「え?」
バッと一佳の方を見やると、目を合わせないように一佳はあさっての方向へ顔をすぐさま向けた。回り込んで無理やり目を合わせようとするけど、ことごとく顔の向きを変えられていく。気のせいか、一佳の頬がほんのちょっぴり桃色になっているのは。
「おいおい一佳ちゃんよ、案の定千晴成分が足りていなかったようだな。ほれ、胸にダイブしてきてもいんだぜ?」
「誰がそんなことするか。調子に乗るな」
あら残念。寂しい気持ちにさせた分なにかで取り返そうと思ったのに。けどまあ、あまりグイグイ行くのも違うからな。押してダメなら引いてみろってやつだ。無論、引く気なんてほとほと無いけどな。
再び2人で歩き始める。夜の静かな街路、2人だけの時間。久しぶりだな。この時間が一生続けばどれだけ幸せだろうか。横目で一佳の方を見やると、綺麗な横顔が俺の目に映る。そんな俺の視線に一佳は気づいたのか、俺をじっと睨みつける。
「なんだよ」
「いや、綺麗な横顔だなって」
「きゅ、急に意味わかんないこと言うなよ」
「なあ、一佳」
ちょっとだけ焦りの色を含ませた顔の一佳が、俺の声に目を見開いた。
「手、繋いでもいい?」
自分自身の顔が熱くなっているのがよく分かった。自分から言っておいて照れるなんて、そんなの普段の俺からしたらありえない。だけど、今この瞬間ふと湧き上がった想いと、それを言葉にすることに何故だか心がギュッとなった。
今、一佳と手を繋いで歩きたい。唐突に溢れ出た気持ちを、止めることなんて出来なかった。
「は…!?手…?なんで、手…?」
「なんでか分かんないけど、なんかそう思ったんだ。ああ、いま一佳と手を繋ぎたいなって」
「なんじゃそれ…」
「嫌ならいいんだ。嫌な気持ちのままそんなことしても、意味は無いから」
「べ、別に…嫌とは言ってない…」
言葉が尻すぼみになっていった。街灯と月明かりに照らされた一佳の頬は、さっきよりも染まっている。きっと、今の俺も同じかそれ以上に染まっているのだろう。
お互いに目を見合せて、今更ながら照れくさくなって視線を外す。
俺が手を差し出す。すると、一佳はその手をゆっくりと、静かに握ってくれた。柔らかい、女の子の手だった。思えば何年ぶりだろう、こうして一佳の手を握ったのは。
この手は、俺が守っていかなきゃいけないものだ。
「千晴…アンタの手…」
「ん、俺の手がどうした?」
そう聞くと、一佳は口を開く。
「すっごく暖かくて、安心する」
この花のように咲いた笑顔を、俺は一生忘れないだろう。
そして改めて思った。この笑顔は、絶対に失ってはいけないものなんだと。
心臓がドキドキする。一佳もそうだったらいいな。俺のこの気持ちと、少しでも同じものを持っていたら嬉しいな。
手を繋いだまま、俺たちは夜の道を往く。
まるで世界で2人きりのようだった。