「アンタが最近、何やら悩んでることは知ってたよ」
一佳は部屋のベッドに腰掛け、目の前に置かれた簡素なテーブルを見つめながら静かに口を開いた。
時計の針は夜の11時をとうに過ぎている。校内で決められたルールなら、とっくに消灯の時間だ。
加えて他のクラスの尞…なんなら女子の部屋に居るという事実が、俺からしたら気が気でない。もしこれが誰かにバレたら、デクや爆豪のように謹慎処分を食らってしまうかもしれない。いや、謹慎で済んだらいい方かも。不純異性交遊とかいうので退学になる可能性だってある。
まぁ、それを考慮した上でついてきた俺も俺なんだけど。
「どした?座んないの?」
その場に突っ立って色々考えてたら、一佳がベッドをポンポンと叩いてみせた。部屋の中で突っ立ってないでここに座れ、という意味合いだ。俺はそっと、一佳の横に腰掛ける。
「──で、なんかあったのか?インターン関連のことなんだろうなとは思ってるけど」
横の一佳が覗き込むように俺の方を見てくる。昔から鋭い奴だなとは思っている。それか、俺が顔に出やすいタイプなのか。いま俺の中で渦巻いている様々な感情が、外に出てしまっているのかもしれない。
「…うん、インターンのことなんだけど。ごめん、内容に関しては言えないんだ」
今回の一連の流れについて、ナガンの方から口止めをされている。箝口令というものらしい。内容も内容で、もしそれが多くの人に知れ渡ったらパニックになってしまう可能性もある。内容はあくまで関係者のみの間で、それが今回のインターンの前提だった。
一瞬だけ、一佳が心配そうな表情をしたのが分かった。
「そっか…そうだよな…」
「ありがとな。こうやって一佳が心配してくれてるって分かっただけでも、俺は嬉しいよ」
ニコリと笑って笑顔を見せる。思うところがない訳じゃない。それでも、一佳に心配させてるようじゃダメだ。だから、今はとにかく安心させてあげないと。
「…千晴の気持ちは分かった。じゃあ──」
そう言うと一佳は俺の方へ体を向け、両手を前に広げてみせた。
「ん」
小さくそう漏らすと、その大きな瞳で俺を捉える。
「…え?どゆこと?」
俺に向けて両手を広げる一佳、その真意が分からず、俺は首を傾げてクエスチョンマークを踊らせた。なにこれ?一体どう捉えたらいいの?
「…ん!」
「いや分からん!どうした急に!」
「分かれよ!こんなポーズしたら、やることは1つしかないだろ!」
思わずお互いが声を荒らげる。直後、今が夜の遅い時間だということを思い出しハッとなる。しまった、隣には普通にクラスの子が居るんだった。
いま1度一佳の方を見やる。変わらず両手を広げ、心なしか頬を少しだけ染めているような…。気のせいか…?
「ああもう、じれったい!」
その瞬間、グイッと肩を引き寄せられ、俺の頭が一佳の胸元へ置かれた。同時に、その頭が優しく一佳の両手に包まれる。え…これって…?もしかしてハグ…されてる?
「あ、あの…一佳さん…?」
「うるさい…バカ…」
ギュッと一佳の両腕の力が少しだけ強まる。顔に伝わる程よい弾力と、女の子特有の甘くいい匂いに包まれる感覚…。けど、1番感じるのは言葉に表せない程の安心感だった。
ずっとここに居たい。頭のどこかでそう考える自分がいる。
「力になれなくてごめん」
不意に一佳がそう呟く。申し訳なさそうな声色だった。
「色々あるんだよね。本当だったらもっと話を聞いて、寄り添ってあげたいよ。けど、事情があるのも分かるから」
「一佳…」
「だから、今の私に出来ることはこれくらいのことだけ」
優しく、ゆっくり、頭を撫でられる。
大切な物に触れる時のように。蝶や花を扱う時のように。その手つきは、少しずつ俺の心を満たしてくれていた。
「い、嫌だったら言ってよね。すぐやめるから…。けど…私もいっぱい…いっぱい勇気出したんだから…」
「…ぷっ、なにそれ。しかも顔真っ赤」
「み、見るなッ!」
「ぎゅぷ」
抱かれながら一佳を仰ぎ見ると、顔を真っ赤に染めているのがすぐに分かった。それをからかうと、より強い力で抱き寄せられる。
…幸せだな、って思う。大好きな幼馴染とこうして触れ合えて、俺の気持ちを理解してくれて。そんな人が居るということが、どれだけ恵まれていることか。
だからこそ、大きくなるもうひとつの気持ち。
その幸福を分けてあげたい子がいる。
脳裏を過るは、恐怖で体を震わす白髪の小さな女の子だった。
「ありがとう、一佳」
俺は一佳の抱擁を解き、再び彼女と向き合う。まだ少しだけ、一佳の頬は桃色になっていた。
「もういいのか?」
「ああ、心が軽くなったよ」
「そりゃ良かった」
笑顔の花を咲かせる一佳。もう何度も見てきた笑顔。これからも、死ぬまでずっと見ていたいと思う笑顔。
「はぁ…駄目だなこりゃ…」
「え?なにが?」
「いや、こっちの話」
どうしようもなく、目の前の女の子に心を奪われている自分がいる。
なんでこんなに好きなのか、どうしてこうも大切に思うのか。これはもう自分でも紐解けないものだと思う。
──思い出した。俺は一佳を守るためにヒーローを目指したんだ。
けど、守るのは一佳だけじゃ駄目だ。
手の届く範囲にいる人も漏れなく救わなくちゃ。
今この時にも涙を流している人がいるならば。
俺はその人を助けなきゃいけない。
「一佳、俺がんばるよ」
目の前の一佳を真っ直ぐに捉え、己の決意を口にする。一佳は優しく微笑み、俺の頭をくしゃりとした。
「うん、頑張れ」
俺の帰ってくるべき場所は、ここにあるのだと実感した。
○
「遂に…遂に完成したぞ…」
お皿に丁寧に盛られた黄金の輝きを放つそれを見て、俺──治崎廻は喉を鳴らした。
"完璧"…それ以外の言葉で形容できない程のそれは、間違いなく俺の作ってきた料理の中で最高のクオリティを誇っている。
「最強のだし巻き玉子だ…」
ドタドタと、慌ただしく通路を走る音が聞こえてきた。次の瞬間、台所のドアを勢いよく開け、顔を出してくる死穢八斎會の若者たち。そいつらは、ヨダレを垂らしながら俺の方を見てきた。
「若頭!まさかこの匂いは!」
「そのまさかだ…。直ぐに全員を集めろ。そしてお皿の準備だ」
「オッス!!!」
数分後、居間に集められたのはアジトに潜伏していた死穢八斎會のメンバー。そのほとんどが空腹で腹を空かし、待ちきれないといったような表情で座布団の上に座っている。
「出来たぞ!」
居間の襖をピシャリと開ける若い構成員。その後に続くように、俺は出来上がっただし巻き玉子を持って皆の元へ現れた。全員の視線が俺に注がれているのがわかった。
「アジトに居たのはこれで全員か?」
「いえ、サブローだけ体調不良で部屋で寝てます」
「そうか、後でお粥を持っていこう。──本題に入る」
俺がそう告げると、居間にいる全構成員の背筋がピシッと伸びた。中には緊張が走っている者もいるかもしれない。ゴクリと生唾を飲み込む音が聞こえたりもした。
「昨日の晩のことだ。去年から出荷待ち状態だった"黄金卵"がここに届いた。お前たちも待ち望んでいたあの卵だ」
「ふぉおおお!!待ってたぜこの瞬間をよォ!!!」
「黙れ。俺が話してる」
堪えきれなかったのだろう、1人の構成員が声を荒らげた。そいつは左右に座っていた者たちによって、居間から追い出される。喧しいのは嫌いなんだ。
「良い食材が入ったからといって、そこから作られる料理が必ずしも良い物になるとは限らない。結局は作り手の腕前次第ということだ。だから俺は研究した。最強のだし巻き玉子の作り方を」
おお〜…と小さな歓声が上がる。構成員たちの表情は、期待に満ち満ちているように見えた。
「そして、その努力の結晶がコレだ」
コト…と皆が並ぶやけに長いちゃぶ台にその完成品を置く。まだ出来たてであり、うっすらと立ち上る湯気と併せて広がる香りは、すぐに構成員たちの口内を唾液で満たすことだろう。
「はぁ…はぁ…ボス…!俺もう待ちきれねぇよ…!」
「落ち着け乱波。まずは俺からだ」
死穢八斎會一の豪漢である乱波は、今にもだし巻き玉子に飛びつきそうな程だった。それを制止し、まずは一口。俺はマスクを外して金色の宝石を口に含む。
「──ッ!?こ、これは…!」
口に含んだ瞬間にわかった、俺はとんでもない物を生み出してしまったと。
同時に体中の細胞が叫んだ。もっと、もっとこの食材を摂取してくれと。
目の前のだし巻き玉子を欲する故に、体全身が唸りを上げている。
「…もう一口だ」
「あぁ!?そりゃ酷いぜ若頭!」
「黙れ。これを食えば、より高みへと登ることが出来る気がするんだ」
もう一口…本能の赴くままに俺は箸を構え、だし巻き玉子を掴む。
「数秒前の俺とは一線を画す。その為なら…」
ひょいパク!と俺は再度、玉子を口に含む。
瞬間──否応なく弾け飛んだ。
構成員たちの衣服──。
「なッ──!?服が弾け飛んだ!?」
「こ、これは!まさか過去に組長も発動させていた…!」
──"おさずけ"だ!!!
「ふぅん…凡骨め…」
食卓を囲んでいた者たちは、皆パンイチの状態になっていた。未熟者どもめ、この程度のおさずけで崩れ落ちる脆い意志の持ち主だという証拠だ。部下たちの練度に辟易しながら、俺は室内に居るであろうとある一人の少女の姿を探す。
「壊理、そんな所に居たのか」
「…!」
その子は人目につかないような、居間の端っこの方で小さく丸まっていた。壊理、俺の計画の核となる少女。壊理は依然怯えた表情で、辺りと俺を見ていた。
「み、みんなのお洋服が…」
「ああ…あれは気にしなくていい…。それよりもだ壊理、このだし巻き玉子を食べてみなさい」
スっと小さく切り分け、一口サイズにした玉子を壊理に渡そうとする。こんなにも美味しい玉子なんだ、壊理もきっと喜んでくれるはず…。
「い、いや…!」
が、壊理のとった反応は、俺の思っていたものとは違うものだった。一瞬、俺にはその姿が理解できなかった。
なぜ、どうして、この女の子は首を横に振って拒否をしているのだろう、と。
こんなに美味な物を目の前にして、何故そのような表情ができるのだろうと。
「それ食べたら…私のお洋服も破けちゃうんでしょ…?」
「──ッ!?」
死穢八斎會・若頭である治崎廻に、電撃が走る。
そうか…壊理は周りの構成員たちの姿を見て…。
キュッと更に体を縮こまらせる壊理を見て、俺の背筋を冷や汗が伝った。
俺の作った料理を無理やり食べさせ、その結果壊理の服が破け去ったとしたら…。俺はただの変態だ。
そんなこと、オヤジは望んじゃいない。
「若頭!アジト入口前に、ヒーローと警察が多数押し寄せて来ています!」
そこに入ってきたのは、監視役に任命していた者からの一報。慌てふためくその様子を見て、俺は遂にその日が来たかと拳を握る。
「オーバーホール…」
「案ずるな、前から伝達していたことだ。こうなった時の対策は充分にしてある」
「…ということは」
側近の一人であるクロノスタシスが、壊理を抱えて俺の横に立つ。
重ねて、死穢八斎會構成員の顔を俺は眺める。全員衣服は着ていないが、ここにいる誰もが闘志を瞳に宿していた。
「全面戦争だ。ここで社会のウジ共を迎え撃つ…。粉砕・玉砕・大喝采だ」
そしてだし巻き玉子を口に放る。瞬間、パァン!と俺の割烹着とその下に来ていた服たちが勢いよく弾け飛んだ。
「またこうして皆で集まって、ご飯を食べようじゃないか。やるぞ、全速前進だ!!」
「ボス!その前にお召し物を!!」