──身体が重い…。
いや、重いなんてもんじゃない。もはや感覚が無い。確かにそこに腕はあるのに何も感じない。その部分だけ綺麗に切り取られているみたいだ。
「うっ…がは…!」
襲いかかってきた唐突な吐き気に耐えきれず、思わず口を開ける。流れてきたのは全部血だった。口からだけじゃない、鼻からも目からも真っ赤な血液が流れ落ちてきている。そして安定の頭痛…やっぱり個性の酷使が効いてるな…。
少し先で転がっている銀髪を見る。ピクリともしてない。死んでは無いと思うけど、いつまた動き出すか分からない。そうなる前に適当な物で縛ったりしておかないと。
ああくそ、ダメだ。身体が全く言うことを聞かない。立っていられなくて思わず地面に倒れ込んでしまう。息が吸っても酸素が吸収されている気がしない。意識が切れかかっている。
これは相当マズイ状況なのでは…?
「千晴さん!」
聞き覚えのある声がした。声のする方へ振り向く元気も無いから、こちらに向かって来る足音だけが耳に入ってくる。その足音の主は、俺の近くに来ると、ゆっくりと頭を持ち上げた。
「千晴さん…!千晴さん…!」
「黒雪…か…。目ぇ覚めた…んだな…。よかった…」
俺の頭を抱き抱えてくれたのは黒雪だった。見上げる形になる彼女の瞳には、涙が溜まっている。
「ごめんなさい…私が上手く逃げられなかったばっかりに…!千晴さんの負担になってしまって…!」
「黒雪のせい…じゃないよ…。おれ…も、来るのが遅くて…ごめん…。でも、無事で…よかった…。ごめん…ほんと…に…よかった…」
黒雪にギュッと抱きしめられる。服が汚れちゃうからそんなことしないで欲しいのに、そう伝える力すらもう残ってない。反転を回すにもエネルギーがもう空っぽだ。
ヘトヘトのボロボロの状態でも身体の中でまだ機能している箇所はあるようで、俺の身体は敵のプレッシャーを感知した。
「なにか来る…とんでもない…やつ…」
「え…?」
頭がプレッシャーをキャッチした次の瞬間、黒い物体が飛来してきた。
視界の端でそれを捉える。あれは脳無だ…。どうしてここに…?いや、考えなくてもわかる。ここに俺たちが居るからだ。
「あれって…」
「逃げろ…黒雪…!」
「あ、千晴さん!そんな身体で動いちゃダメです!」
脳無と戦う為、黒雪の腕を振りほどこうとする。そんな俺の考えを否定するかのように、黒雪はより強い力で俺を抱きしめた。
「離して…くれよ…。おれが…やらなきゃ…」
「何言ってるんですか!そんなボロボロの体で!」
「逃げ…て…くろゆ…き…。おれが…守るから…」
「嫌です!!今度は私が貴方を守りますから!!」
近づいてくる黒い足音。黒雪を振りほどく力すら残っていない俺に、脳無の相手なんて務まらない…。けど、このままじゃ2人とも…。
少しづつ、1歩ずつ、脳無がこちらに忍び寄ってくる。まるで死へのカウントダウンを宣告されている気分だ。
あと3歩…2歩…1歩…。とうとう目の前まで脳無がやってきた。掠れかけた視界でも、その存在感は感じ取れる。命を握られているとはこの事か。
俺を抱く黒雪の体が小刻みに震えている。女の子1人安心させられないで、何がヒーローだ。俺はヒーローである以前に男としても失格だ。そんな後悔を抱いたまま、俺は死ぬのか…。
「大丈夫です…大丈夫…私が守るから…」
震えた声で言う黒雪。俺たち2人に手を伸ばしてくる脳無。
ここまでか──一佳との約束、守れなかったな。
走馬灯…とでも言うべきなのだろうか?最後に思い浮かんだのはやっぱり、最愛の幼馴染の顔だった。
静かに目を閉じてその時を待つ。抵抗する力すら残っていないのだから。
…なんだ?脳無の動きが止まってる…?てっきり握りつぶされるのかと思っていたが、まだ俺の体はここにある。
目を開くと、やはりそこにはまだ脳無がいる。その剥き出しの脳みそのすぐ下にある瞳と交錯する。なんだコイツ…なんで俺たちを殺さない…?
状況に疑問が浮かんでいた次の瞬間、脳無が俺たちの横を通り過ぎて行った。まるで何も無かったかのように、スタスタと俺たちの居る場所から離れて行く。
「…なんだ…?」
「さ…さぁ…?」
黒雪と目を合わせる。そのまま脳無の背中へ顔を向ける。俺たちじゃない、別の場所へ向かっている…?
「あ、まさか…」
黒雪が何かを考えついたのような声を出した。そして、その考えはすぐに俺にも伝わってきた。銀髪だ。あの脳無は銀髪の元へ向かっていたのだ。
脳無は銀髪の元へ辿り着くと、ピクリともしないその体をゆっくりと持ち上げる。じっとその四肢を見つめた後、彼を抱えたままどこかへ行ってしまった。
脳無が消えていった方を呆然と眺める俺たち。方角的に、死柄木が居る方では無い気がするけど。
「くそ…とり、逃がしちまった…」
それでも、銀髪をみすみす逃がしてしまったことに変わりはない。あいつはこの場で取り押さえておくべき敵だった。もしまたダメージを回復させて、再び俺たちの前に立ち塞がるのであれば、勝てる保証は無いかもしれない。それくらい紙一重の戦いだった。
「ッ〜〜!千晴さんッ!」
「ぐえー」
次の瞬間、黒雪に上からのしかられた。その重みがボロボロの体に響く響く。思わず気絶しかけたが、何とかこらえることに成功する。
「よかった…無事で…本当に…」
「まだ…油断は…でき…ないよ…。もしかし…たら、敵がまだ…」
銀髪と脳無は去った。それでも、この戦いに終止符を打たれた訳じゃないのは確かだ。まだ見ぬ敵が、この場にいつ来てもおかしくは無い。
もしそうなったら…まだ…戦わないと…。
「ひとまずの脅威は去りました。応援と医療班を呼びますので、千晴さんはゆっくりしててください。今日はもうこれ以上、貴方が戦う必要なんてありません」
「…だと、いいけど…」
張り詰めていた緊張が解けてくる…。視界のかすれが酷くなり、意識が朦朧としてきた…。
あ…ダメだ…これ…落ちる…。
急激にまぶたが重くなり、自然と目が閉じられる。限界を超えて戦ったんだ、その反動がもろに来ていた。
体の感覚はほとんど無かったけど、唯一、黒雪が握ってくれていた手の感覚だけは、ずっと感じていた。