拳藤一佳というと、その美貌が故に昔から男に言い寄られていた。
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花とあるように、すれ違った男は誰もが一佳を振り返り、揺れるサイドテールに目を奪われる。
そんな彼女は女子にも人気があり、その男勝りな性格から後輩女子達にファンクラブなんてものも設立されていた。
そんな一佳の魅力は留まることを知らず、遂には一介のヴィランにまで目を付けられるようになってしまった。
目の前のくすんだ水色の頭をした気味の悪い男、JKと同じ空気を吸いたいが為に雄英に侵入してきたトンチンカン。こんな奴の口から"一佳"という言葉が出てくるなんて、俺はそんなの許せない。
念動力で地面を割り、浮かせた地面の破片をヴィラン目掛けて放つ。降り注ぐ破片の雨を、ヴィランはゴロゴロと地を転がりながら辛うじて躱していく。見たところ、身体能力はそれほど高くはなさそうだ。並か、一般的な平均値より少し低いくらい。避けるのに精一杯といったようで、反撃をしてくる素振りは見えない。
ヴィランとの戦闘において、まず初めに考えなければならないのは敵の"個性"だ。相手がどんな力を持っていて、それをどう利用してくるのか。個性に合わせた戦い方をしなければならない。
しかし、このヴィランが個性を使ってくる気配は感じられない。先程から逃げ回っているのみで、俺に近づくことすら出来ていない。
「ハァ…ハァ…しんどい…。運動不足うぜぇ…家帰ってアイス食べたい…」
とか何とかボヤいてる。一体なんなのコイツ?雄英に侵入してきたからどんな奴だと思ったが、蓋を開けてみればただの変態だった。やっぱりヴィランは頭のネジが外れているのだ。
「くっそ…さっきからズルいぞ!そうやって遠くから攻撃しやがって!ちっとも近付けないじゃないか!」
ヴィランが俺を指して激昂する。何か一気に小物臭が強くなったな。まあそれは良いとして──俺は奥にいるとある人物に目を向ける。いや、それを人と呼んでいいのかは定かではないが。
脳ミソ丸出しの黒いヴィラン。ギョロっとした目玉と常人離れした巨躯が放つオーラは、手のヴィランとは比べ物にならない程だ。全身の細胞がひとつ残らず叫んでいる、アイツはヤバいと。
「──なに…よそ見してるんだっ!」
瞬間、差し迫る手のひら。黒いヴィランに目を向けていた間に、手のヴィランの接近を許していた。俺の顔に向かって伸びてくるその手のひら。俺は身体を逸らしてそれを避ける。
何となく、ただ何となくその五指に触れてはいけないと感じた。
勢い余って地面に転がり落ちるヴィラン。だが直ぐに立ち上がり、また同じように手のひらを前に突撃してくる。幾度となく繰り返すその同じ動きを、俺もまた同じように体を捻らせ身を翻す。
「くそ!くそ!くそ!触りさえすれば、お前なんか…!」
「触ってみろよ」
「!?」
ヴィランが目を見開く。俺は両手を上にあげて、抵抗しないという姿勢を見せた。
「チクショウ舐めやがって…後悔しやがれーッ!!」
眼前に迫るヴィランの右手。だがそれが俺に届くことはなかった。身の回りにドーム状に張り巡らせたバリアが、お触りを許さない。
「あらら申し訳ない。触りたがってたから触らせてあげようと思ったら、バリアを張っちゃったよ」
「ぎぎぎ…!このガキがぁ…!」
「どうやらその手にカラクリがあるようだな。触れたら一体どうなるのか…まぁそんなことを今さら知っても意味ないか。どうせこの後にはブタ箱行きだ──そらよッ!!」
強烈な前蹴りをヴィランの腹部に喰らわせる。ミシミシと軋むような音が聞こえてきた。
「がっ…!」
腹を抑えながら膝から崩れ落ちる。そんなヴィランの前に、俺は手のひらをかざした。
「オマケだぞ」
空気を押し出す衝撃波を発生させ、ヴィランの体を吹っ飛ばす。転がって砂煙を巻き上げながら、ヴィランの瞳は正確に俺を撃ち抜いていた。
「なんでだ…なんで俺はボコられてるんだ…」
「やめだ」
「──は?」
ヴィランが大きく目を見開いた。
「な、なんだとっ!?やめとはどういうことだ!?」
「お前の実力はもう分かった。今のお前じゃ俺には勝てない、絶対にな。これ以上戦っても無駄だと俺は思い始めた」
「な、何を言っているんだコイツは…!?」
「今の怯え始めたお前と闘っても意味は無い。もう俺の気は済んだ。まさかこんな学生風情にコテンパンにされるとは、思ってなかったようだがな」
「な…!?」
「大人しく捕まってくれ。そして刑務所の中でじっとしてるんだな。お前の面は二度と見たくねえ」
ヴィランの体がプルプルと震えている。様々な感情がごちゃ混ぜになっているんだろう。
「お…俺が…」
「終わりだ、キテレツ野郎」
「俺が…!」
──さて、どう出てくる?
「俺が負けるかァーーーッッッ!!!」
放たれた叫声と共に、後ろで控えていた脳ミソ丸出しの黒いヴィランが地面を割りながら飛び出してきた。
あの黒いのは危険だ。じっと大人しくていたが、いつ動き出すか分からなかった。加えて、あの異質で不気味なオーラ。デタラメな図体から恐らくヴィラン側の奥の手──切り札的存在であると判断した。
もしも、そんな奴が他のクラスメイト達に襲いかかりでもしたらひとたまりもない。相澤先生も数多くいるヴィラン達の相手をしている。
だから、俺が引き受けるべき敵だと思った。
手のヴィランから離れようとしなかったのは、脳ミソヴィランは手のヴィランの指示に従うようにでも命令されているのだろう。主人に危険が迫れば出張ってくると予想していたが、どうやら当たってたようだ。
こっからが本番だ。
「…ククク、死んだな」
黒いミサイルが飛んできたのかと思った。それと同時に、俺は自分の判断が間違っていたのだと察した。
振り絞られた巨腕に対抗するように出した右腕を、俺は即座に引っ込め咄嗟に顔を左に逸らした。
スパッ!と空気を裂く風が顔のすぐ横で吹き、ピリッとした痛みを感じる。顔のラインに沿うように、体内から出た赤い液が顎下まで伸びていく。
ギリっと奥歯を噛み締め、その真っ黒な腹部に拳を叩き込んだ。
なんだ…?この感触は…。俺は岩でも殴ったのか…?
次の瞬間、俺の体は強く吹っ飛ばされ、気付けば壁に打ちつけられていた。遅れてやって来た痛みと衝撃にクラっとする。無意識的にバリアは張っていたようだが、しっかりしたものではない。薄皮1枚程度のものだった。
「プークスクス!ざまぁみろ!ウチの"脳無"を甘く見たな!どうした、さっきまでの余裕はどこいった?」
「あー、あなた脳無っていうのね。俺は愛生千晴、ちはるくんって呼んでくれ」
「まだ軽口叩く元気あるんだ。ぷくく…脳無!そのガキを潰してやれッ!!」
大口と目をかっ開きながら、脳無とやらは猛進してきた。
脳無、想像以上のスピードとパワーだ。ヤツの攻撃を何度も受けられる程、人の体は頑丈にできてないぞ。
フワリと体を宙に浮かせ、突進を回避。空中で様子を伺いながら、突破口を考えよう。
殴って分かったが脳無は力だけじゃない、防御力も恐ろしいほど高い。あれは硬いなんてもんじゃない、もはやエアーズロックだ。
「空に逃げても無駄だぜ!」
両腕を伸ばして俺を捕らえようとジャンプする脳無。流石に空中移動は出来ないっぽいから、テキトーに体を動かして避ける。
何か有効打になるものはないか?急所でも狙ってみる?金的?…あまり考えたくないな。
「墜ちろ、カトンボ!」
だとすれば、そうだな…あの剥き出しの脳ミソに攻撃をぶち込むか?それかあの目玉を潰す?絵面が酷いことになりそうだけど、生き死にがかかってるからな。いやでも、ヒーローって殺しはご法度なんだっけ。
「おい脳無!お前何やってるんだ!給料分は働け!」
雇われてる身なのかよ。とんだブラック企業に務めたもんだな、可哀想に。
「ま、そんなことはどうでもいいよな」
USJは水難、火災、土砂災害といったありとあらゆる事故や災害を想定したエリアが各所に造られている。
その中の一つである倒壊ゾーン、そこにはまるで廃墟のような細長いビル群が立ち並んでいる。俺はそこに目をつけた。
深呼吸をして体をリラックスさせる。意識を集中させ、念動力の対象を倒壊したビルに定めた。
「なんだ…何をする気だ…」
念動力で物を動かす際、その物の質量の大小が関係してくる。軽い物なら簡単に操れるし、重い物ならそれだけ動かすのに力を使う。
物を動かす時に重要になってくるのがイメージだ。頭の中で自分がやりたいことを明確にし、それを行使する。
「うわ、地震か?」
土に埋まっている野菜を収穫するように、俺は建てられたビルの1棟を引っこ抜くイメージを繰り返す。強く、力を集中させて、ビルを持ち上げる。
「おいおいおい、マジか」
地面からぶっこ抜いたビルを近くまで持ってくる。眼下には、目を見開いてこちらを見上げるヴィランがいる。
「個性は奇跡の力だって思ってんだよね。当たり前のように見えて当たり前じゃない。この力で、お前達をとっちめてやる」
「くっ…脳無!!!」
ただ主の指令のままに、脳無は地面を蹴り空へと舞い上がってくる。そんな黒い化物めがけて、俺はビルをぶつける。
脳無の拳が鋼鉄の塊とぶつかる。ただし、いくら超パワーを持っていたとしても、この大質量な物体を粉砕することなんて出来やしないだろう。案の定、俺が脳無の上に落としたビルは、その黒体を押し潰すように地面へと墜落していった。
バラバラと瓦解していくビルの様子を眺めながら、地べたに降り立つ。あんな大きな物を動かしたことなんて無かったから、頭がガンガンする。個性を使いすぎるとすぐこれだ。脳に負担がかかっているのだ。
「…マジでか」
手のヴィランの消え入りそうな声がした。目の前の状況に理解が追いついていないのか、ていうかよく巻き込まれなかったな。
「もういいだろ…警察が来るまで大人しくしててくれ…」
確保のために、手のヴィランへ近づく。注意すべきはその手、超能力で拘束しようとしたその時──。
俺のすぐ後ろに、脳無が回り込んでいた。
「殺せッ!!!」
手のヴィランの嬉しそうな声。
景色がやけにスローモーションに見える。
脳無の腕の動きが、踏み込むその足が、俺を捉えて離さないギョロ目が。
(あ、これ詰みだ)
頭がそう理解し、脳ミソが電源を落とそうとした。
最後に思い浮かんできたのは、最愛の幼馴染──。
ふっ、と瞳を閉じる。大きな心残りを残したまま命を落とすなんて、なんて後味の悪い人生だ。
「あれ?俺生きてる?」
「無茶したな、愛生」
気付くと目の前には1つの背中。体には分厚めの布が巻かれていた。これ、相澤先生の。
「流石にビルを引っこ抜くのはぶっ飛びすぎだ。ヒーローなら、周囲の環境の事も考えて動け」
「はぁ、さーせんした…。先生、相手してたヴィラン達は?」
そう聞くと、相澤先生は親指でとある方向を指した。そちらに顔を向ける。すると、
「死ィねやァァァァ!!くそ雑魚ヴィラン共がァ!!!」
爆豪が元気に飛び回っていた。
「爆豪が派手に動いてくれてたからな。注目がそっちに行って、こっちに駆けつける事が出来た。それでも、遅くなってすまなかったな」
それで、と。相澤先生はヴィランの方へ目を向ける。
「あの黒いのが厄介なんだな」
「うん。何でビルぶつけて生きてんのか分からないけど、とにかく全部の能力値が高い感じ。チートみたいな」
「そうか。よく生きててくれた」
ん?それ褒めてんの?よく分からない日本語に首を傾げながらも、俺は相澤先生の身を案じていた。いくらプロヒーローだといっても、あの化物に敵うのか?アイツは…普通の人間じゃ勝てないかもしれない。
「生徒のピンチに推参、カッコイイなイレイザー。あと少し遅かったら、教え子の死体が見れたのに。残念なこった」
「お前が首謀者か。何が目的か知らんが、うちの生徒を危険に晒したんだ。覚悟は出来てるだろうな」
「ぷっ、たった1人で何が出来るんだよ?こっちには脳無もいるんだぜ?」
「…確かに俺1人じゃそいつには勝てないかもしれない。けどな──」
突如として、USJ内に轟音が響き渡った。何事かと音の方へ首を向けると、そこにはテレビでよく見るあの姿が。それだけじゃない。その後ろから、USJの入口ゲートを抜けて中へ入ってくる者たちが見える。
「相手をするのは
オールマイトを始めとするプロヒーローの面々が、そこには集結していた。凄い、何だかヒーロー映画みたいだ。
「大…丈夫ーーーッ!!!」
スーツ姿のオールマイトが膝をかがめて、大地を割る勢いでこっちに飛んで来た。着地の砂煙が目に入った。
「何故って?私が来た──!!!」
No.1ヒーローは、居るだけで安心感を与えてくれる。
「出たなオールマイト。顔が濃いんだよ。堀が深すぎて目が埋もれてるじゃねーか」
「そいつは結構。悪者くんの姿は、バッチリ捉えてるからね」
この時の俺は、内心実はワクワクしていた。
あのオールマイトの戦いを、現No.1ヒーローの矜恃を、すぐ近くで目の当たりに出来るからだ。
「がんばえー!オールマイトー!」
母親の膝の上でオールマイトを応援する幼き日々が、鮮明に蘇ってきていた。
脳無①
・時給500円という恐るべき労働環境に身を置く。お金の使い道はない。キャッシュカードの暗証番号を書いたメモを捨てられた。