ジルはちょろい(断言)
はぁっーーー、はぁっーーー
そこら中からうめき声が聞こえる。
人を襲い、噛みつき、肉を貪る奴らの声がーーー。
隅から見える人影を避けつつ、身を屈めながら音を立てないようにゆっくりと移動していく。
あまりの緊張に、抑えた口元から息が漏れる。体の震えも止まらない。
だが、自分を逃してくれた命の恩人のためにも、どうにかして生き延びなければならない。
震えたままの手で、小型の拳銃と一本のタバコを握りしめた。
どうにかーー、無事でいて欲しい。
この二つはその命の恩人ーー、ジル・バレンタインという人物から貰ったものだ。
ーーー彼女と知り合ったのは、数週間ほど前のことだった。
その日は少しーー、というかかなり憂鬱な気分だった。というのも、半ば無理やり父親に連れられて海外へ移住してきたはいいものの、英語があまり喋れないがために友達ができない、そして肝心の父親もほとんど家に帰ってこないという状況が続いたために、何か、酷く孤独というものを強く感じていた。
故に、その日は登校日であるのにもかかわらず、ベランダで未だ見慣れぬ街並みを見下ろしていた。
そんな時、ふと鼻にタバコの匂いが香ってきた。
匂いの先に目をやると、真隣に住んでいた彼女もちょうど同じように外を眺めていた。
元々、隣の部屋に誰かが住んでいることは知っていた。しかし大家からは、その人物はめったに外に出ない人物だと聞いていたので少し興味があった。
だからなのか、その時が初対面ではあったものの、少しやつれた表情でタバコを片手に持ち、外を眺めていた彼女に声をかけてしまった。
普段の自分なら確実にあのような積極的な行動はとらない、というか取れないだろう。
しかし、拙い英語と喋り下手な性格も影響して中々異国の地には馴染めず苦労していたことに、自分でも知らず知らずの内に焦っていたのか、今思えば自分とは思えないほどに積極的に話しかけていた。
『ーーー私? 私の名前はーージル、ジル・バレンタイン』
初めは向こうも急に話しかけられたことに驚いたのか、少し戸惑いの色が見えたもののめげずに会話を重ねていくうちに次第に打ち解けていった。
『そうーー、学生さんなのね』
『まだ午前中だけど、学校はどうしたのかしら。ーーサボり、ねぇ。別に絶対に行けーーなんて言わないけれど、行けるなら行った方がいいわよ』
『‥‥何か悩みでもあるのかって?』
『ーーーふふ…。子供がそんなに大人の顔色伺わなくてもいいの』
『まぁでも仕事でちょっとねーーーでも、久しぶりに人と話せたから楽にはなったわ。‥‥ありがとう』
他愛もない話だった。
好きな食べ物とか、普段何してるとかーーーー思えばまるで中身のない会話ではあったけれど、拙い英語で初めてまともな会話ができて、何だかとても嬉しかった。
それに英語があまり上手くないことに配慮してくれたのか、彼女もゆっくりと話してくれたこともあって、自分でも理解することができた。
そして、気づいた。英語が下手だから話しかけなかったんじゃない。ただ自分はそれを言い訳にしてーーー人に話しかける勇気がなかっただけなのだと。
だから、これからは学校でももっと自分から話しかけてみようと、そう思い始めた矢先にーーーー世界は地獄に変わった。
始まりは辺り一帯に響く衝撃音だった。
そのあと、続け様に何かがぶつかる衝撃音が辺りに響くと、一斉に警告音が鳴り始める。
車からのブザー音ーーー玉突き事故か? こんな都会で……珍しいな。
昼寝のせいで未だにボーッとしている体を叩き起こしながら、閉じていたカーテンを開くと、夕焼けに混じりながら街にはいくつもの火の手が上がっていた。
ドラマ、映画の撮影、集団テローーー様々な可能性が思い浮かぶが、どれも現実離れした物ばかりだ。
とりあえずベランダに出て、道路の方へ目を凝らせば、恐れ、逃げ惑う人々の姿が見受けられる。
一体何からーーー。
「ーーああ、最悪だ…..クソっ….! 」
声の方へ振り向けば、引き戸の音と共に、もう片方の隣人の男が隣のベランダへと現れた。
肩からは血を流し、頬に何かに引っ掻かれたような傷がついている。男が身に纏っている白いシャツにも、赤い何かが飛び散ったような跡がこびりついていた。
「ーー痛ぇ、クソが…いったい何なんだあの女、急に噛みついてきやがって…..クスリでもキメてやがったのか…。」
少し顔が青白くも見える男は、外の惨状には目もくれずにそのまま座り込むと、こちらの存在に気づいていたのか、声をかけてきた。
「なぁーーー、あんた。携帯電話もってるんならーーもし良かったら貸してくれねえか……——」
初めて見る量の血に、動揺で体が一瞬止まる。だが、生気がまるでないようにも見える男の様子に只事ではないと感じ、すぐさま父親に連絡用として預かっていた携帯を手渡した。
「悪いなぁーーー、ふぅーーー、….」
男はひとまず額に浮かんでいた汗を腕で拭きあげると、慣れた手つきで電話番号を打ち込んだ。
「あーーー、くそ…痛ぇな。‥‥‥駄目だ、全く繋がりゃしねーーーーー」
男が立ち上がろうとした次の瞬間、男の部屋からひとつの影が飛び出した。
「ガァあ゛あ゛ッーー!!!」
「はーーーー」
奇声を発しながら飛び出したその影は、盛りのついた犬のように男に飛びつくや否や、
数秒後、鈍い音が響く。
ーーーー下を見る勇気は、ない。
状況が、掴めない。一体何が起こってるーー、今のは何なんだーー? 動揺した心情とは裏腹に、頭ではともかく911に電話をしなければならないということが分かっていた。
しかし携帯電話は今、隣人の男と共に外へと転落したばかりだ。だが、自室には元々備え付けられていた固定電話がある。その存在を思い出すと、体の震えを抑えながら急いで自室へと駆け出し、備え付けの固定電話で9、1、1、と打ち込み電話をかける。
ーーーが、
『只今、大変混み合っています。しばらくお待ちになっておかけ直しくださいーーー』
応答がない。一度受話器を置いてから再度同じように電話をかけてはみたが、やはり下の交通事故の影響もあってか、繋がることはなかった。
外の様子を見るに、皆が911に一斉にかけているせいでつながらないのかーーー?
外で、確実に何かが起こっている。隣人と共に飛び落ちたのは何なんだ。外の人々は、もしかしてそれから逃げていたのかーーー?
もしそうならーーー、
頭の中にはこの地で唯一の肉親である父の存在が過ぎった。
仕事の時はこっちに掛けてくれと事前に伝えられていた電話番号を打ち込み、数十秒。こちらも同じように応答はなかった。
冷たい汗が、気味悪く首筋を伝っていく。
普段は聞こえないはずの鼓動が妙に煩く聞こえてくる。
ーーー考えれば考えるほど、体の震えが酷くなっていく。
『仕事ーーー? んーー、そうね。まぁ、別に隠すことでもないか….。警察ーーーといっても交番勤務とかじゃないんだけどね』
突然、脳裏にこの間知り合った隣人との会話がよぎった。
ーーーそうだ、あの人は今日は一日部屋にいると言っていた。未だこの状況に気付いていないのかもしれない。
それに、確か自分の事を警察官と言っていた彼女ならばもしかしたらーーーー。
そうと思ったら居ても立っても居られず、玄関の施錠を外し、外へ飛び出した。
夕暮れ時から少し時間の経った外は既に、オレンジ色から移り変わり始めていた。
残り陽が反射し、オレンジ色に染まった玄関前の廊下が目に入る。
頼みの綱である彼女の部屋前まで行くと、右側に設置されてあるインターホンを押す。しかし、応答はない。
試しに彼女の名前を呼びかけながら再度インターホンを押してはみたが、同じく出る気配はなかった。
警察官であるならば休日でも出勤を命じられることもあるとは聞く。彼女もまた、下の騒動で駆り出されているのかもしれない。
彼女も頼れないとなると、残るのは同じ階の住人だけだ。大家に連絡してみてもいいが、彼は月末にしかこの建物には訪れない。
仕方なしに同じ階の住人を片っ端から当たっていこうとすると、廊下の奥に見知らぬ男が一人背中を向けて立っていた。
同じ階の住人なのかどうかーー、この時ばかりは同じ階の住人の顔すら満足に覚えていない自らの社交性の無さを恨んだ。が、この際そんなことは言ってはいられない。助けを呼べる人物なら誰でもいい。
そう思って勇気を出して話しかけたはいいものの、返事がない。
自分の発音が悪すぎて聞き取れていないのかーーー?
そう思いながらもう一度呼びかけたものの、依然変わらず男は背中をこちらに向けたまま、ピクリとも動こうとはしなかった。
おそるおそる近づいていくと、どうやらイヤホンをつけていたようで、両耳からは黒い紐のようなものがポケットへと伸びており、僅かばかりではあるが、クラブなどで流れているような重低音がイヤホンからは漏れて聞こえてくる。
どんだけ大音量で聞いてるんだーーー。
半ば呆れたような気持ちになりながら、自らの英語力の問題が原因ではない事を知ると少し安堵した。
そして、初対面の人物にするには少し失礼かもしれないが、後ろから近づいて肩を叩くと、ようやく男はこちらへ振り向いた。
だが、振り向いたその男は何処か様子がおかしかった。
頬はこけ、口元からは血を垂らし、顔には黒い血管がうっすらと浮かび上がっており、首元には抉れたような傷跡が蠢いていた。
そして、その男の目からは黒い部分が消え、うっすらと白みがかっていた。
それはまるでーーー少し前に映画で見たゾンビのようで。
思わず体が後ろへ一歩引く。が、様子のおかしいその男も、奇声をあげながら同時にこちらへと手を伸ばす。
抵抗も虚しく、その勢いのままのしかかられ、男の重さに思わず背中から倒れ込む。
男はその状態のまま、こちらへ身を乗り出し顔を近づけ、餌を前にちらつかされた獣のように噛み付いてこようとしている。
咄嗟にクロスした腕で男の首元を押さえ、それ以上こちらへ近づかせまいとするも、男の力は異常なまでに強い。
必死に静止の声を出すーーーーが、男にはどうやら届いていないようだ。
「ゥゥググヴっ、ギギギーーー」
男の目は血走り、口からは血液が混ざった唾液が服に滴り落ちてくる。
声ならぬ声を上げながら、歯をガチガチと鳴らし、今まさに自分を噛みつかんとしている。
必死の抵抗でこれ以上近づかせないように男の凶行を止めることが出来たのはいいものを、次第に腕に込める力は弱まってくる。なにせ、大の大人に対して、こちらは特に力に自慢があるわけでもないただの大人になりかけの子供である。組みつかれた時点で、答えは明白であるともいってもいい。
1センチ、1センチと次第に男の顔は近づいてくるが、ちょうど男の下敷きになっている足を立て直す事ができ、何とかもがきながら、鍛冶場の馬鹿力ともいうべき蹴りで男を押しのけることができた。
すぐさま体勢を立て直し、男から距離を取ろうとしたがーーー男の首筋から漏れ出ていた血が床に広がっており、それに足を取られる。
もちろん、その隙が見逃されるわけでもなく、男が再度両手を伸ばしながらこちらへと駆け出してくる。
まじかよーーー。
自分のあまりの運の無さに絶望しながら、最悪顔が噛みつかれることを予想し、右腕を男の口元に差し出した瞬間ーーーーー
「頭下げてなさいっーー!」
その声に、反射的に男の口元に差し出した腕を下ろす。
「フッーー!」
短く発せられた声と共に、眼前の男の顔に誰かの足がめり込みーーー吹っ飛ばされた。
見上げるとそこには、ひとりの女性が脚を蹴り上げていた。
水色のトップスに黒のパンツを身に纏い、短く切り揃えられた髪が風で揺れる。
彼女の名は、ジル・バレンタイン。
待ってましたと言わんばかりに、思わず彼女の名前が口から漏れた。
「これは一体ーーーどういう状況かしら」
これ最早主人公がヒロインじゃん….。
モチベ次第で続きます。
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