幻想郷の朝は早い。特にこの人里ではそうだ。まだ5時前だというのに通りの往来は盛んである。
みな仕事に行くような余所行きだが現代社会特有のせわしなさ、陰鬱さはなく、むしろ時間の方が人々の歩みに寄り添うように移ろいでいるようで里人の顔は健康そのもの、今日一日に希望をもってますというような朗らかな表情だ
「それでは慧音さん、行ってきます」
かくいうおれも仕事に行く一人、希望は持っていないが幻想郷にきてから早2か月、太陽が出たら行動開始のここの人間の生活リズムには合わせたつもりだ
「あぁ気を付けるんだぞ。動物霊騒ぎに、妖怪の凶暴化となにかと物騒だからな」
この人は慧音さん。外来人であるおれに宿を貸してくれている恩人であり里の賢者でもあるすごい人だ。一時期は仕事もしていなかったため、この人や阿求さんの豪邸に下宿人という形でニート生活を送っていたのだが、あれは本当に罪深かったと思う。最も今もおんぶにだっこな状態とは変わりないが
「本当に大丈夫か?紅魔館への運搬の仕事だなんて、あそこがどういう場所か知っているんだろう?」
「えぇ悪魔、吸血鬼がいるんでしょう。大丈夫知ってますよ、心配いりません。今は日も出てきてますし、人間を見境なしに攻撃するほど野蛮な連中ではないことは聞いています。それに飛行能力を持つ人間は限られているんだ。ここで役に立たないと」
「しかしな…私はお前の運搬業については前から反対していたんだ。この前はあの風見幽香相手に小包を届けたそうじゃないか、危険すぎる」
おろおろと、輝く銀髪を揺らしながら不安そうな顔をする慧音さん。おれは飛行能力と最低限の戦闘能力を買われ、通常の人間には届けにくいような危険地帯(例えば妖怪の山など)にものを届ける飛脚早馬のような運輸業に携わっていた
「ここでやめたらおれにこの仕事を紹介してくれたあの薬屋のおじさんに示しがつきませんよ」
「薬屋のおやじか……うーん」
いぶかしげに眉をしかめ、頬に手を当てる慧音さん
「どうかしましたか?」
「いや何でもない、それより教職に戻る気はないか?生徒たちが寂しがっていたぞ。特にチルノ」
教職、教職といわれると苦い記憶を思い出す。ニート状態から社会復帰した最初の仕事だった
「い、いえ遠慮しておきます。それより慧音さん、博麗の巫女はまだ戻ってきていないのですか」
教職の話はそれ以上されたくなかったのでおれは本題に入ることにした
「いや…それなんだが、まだ霊夢は畜生界から帰ってきていないんだ」
「そうですか…」
人里で生活するようになってからこの二か月余り、博麗の巫女の帰還を待ち続けてきた。外来人であるおれは、彼女なしに元の世界へ帰ることはできない。博麗霊夢の帰還こそが今のおれの最大の望みである
「いまだ動物霊の侵略は止まらないし、どうしてしまったんだろうな…ここまで長い異変は初めてだよ」
「動物霊…(おい、何か言うことがあるんじゃないか)」
おれは自身に潜伏しているワニ霊に心の中で呼びかける
『いや、何もないな』
「(いい加減畜生界について説明しろよ)」
『説明することは何もない』
ここ最近こいつはずっとこんな調子だ。畜生界や自分の出自に関わる話になると何も言わなくなる。いずれ説明するとか言ってたくせに。こいつがこの様子だから、博麗の巫女が”畜生界”から帰ってこないというだけで妙に嫌な予感がしておれは日に日にいらだちを募らせていた
「それで慧音さん。おれはこの依頼が終わったら、一度無人の博麗神社によってみようと思うんです」
「…それは私の発言が信用できないということか?」
慧音さんの目のハイライトが一瞬消え、影がかかったような表情になる。この人は時々こうなるから怖い、静かに怒るということは教師の必須科目なのだろうか
「いえいえ、そんなつもりではないです。ただ一度そこで待ってみようと思うんです、数日ほど」
「…博麗神社までの道のりは参道とは言え、妖怪の目撃例もある、動物霊もな。凶暴化騒ぎと動物霊の存在で参拝にいく人は少ない、本当に大丈夫か?」
妖怪の凶暴化に動物霊…おれが人里に来た時からある話だ。狂った様子の妖怪がたまに人里に襲撃をかけてくるという話で、実際に襲撃の様子を見たことがあるがその際は里の警護団が対応してすぐに退治されていた。動物霊に関してはおれも被害にあっている、いまだにあの時の噛傷が痛む
そんなかんやで今人里の外に出ようと考える人は実力に相当自信がある人は除いて、なかなかいないのであった。当然だが周りにワニ霊のことは話していないので妖精を撃退できる程度の戦闘能力としか伝えていない
「はい大丈夫ですよ。やはりそれ以上に自分が送還されるという場所をじっくり見てみたいという気持ちがあります。おれに巫術の知識はありませんが一度見てみればなにか帰る糸口が見つかるかもしれませんし。おれは本当に見てみたいだけなんです」
それを聞いて安心したのか、慧音さんはほっと胸をなでおろし、笑顔で門屋から別れることができた。コミュニケーションで重要なのは相手が言ってほしいことをいう、望んでいる言葉をはなつ、それだけだ。難しいことだと言われるがおれは自然にそれができていた
『…』
「(なんだ?何か言いたいことでもあるのか?)」
『いや別に、ただ気を付けた方がいいぞ』
何を言っているのかわからない。おれはワニ霊を無視して出発する前に最後にやるべきことを片付けるため貸本屋、鈴奈庵へと向かった
鈴奈庵は離れにある少々すたれた脇道の横にある。周りに目印となるものが特にないので初めてここに来たときは苦労したが近くにお気に入りの飯屋があるのでそこに通っているうちに自然に覚えられた
(おっ見えてきた)
そこにはもう落ちかけている看板をもとに戻し、さっそく開店の準備をしている茶髪の少女、本居小鈴の姿があった
「早いね。もう開店かい」
「あっ胡蝶さんじゃないですか。そちらこそ早いですね、お仕事ですか?」
声をかけるとズイっと近くに駆け寄ってくる本居ちゃん。KOSUZUのエプロンが非常にかわいらしい
「あぁ仕事だよ出発前に借りてた結界術の本を返そうかと思ってね」
「あっそうだ!やっと返してくれるんですねそれ。延滞料金すごいことになってますよ~」
「ほら日ごろからお世話になってるじゃん小鈴ちゃんには、お布施、お布施笑」
「もぉー常連のおじさんみたいなこといって~まぁちょっとは安くしてあげますよ」
『胡蝶…本質があらわになってきたな』
この金は胡蝶本人が稼いだものだが本来は生活費として消費されるべき金なので、生活費すべてを慧音や阿求に払ってもらっている胡蝶はとんでもないクズ行為をしているのである。当然本人はそれに気づいていない、無自覚のヒモというわけである
「髪、また伸びてきてますね」
「切っても切っても伸びてきてしまう体質らしくてね、慧音さんには長髪のままがいいと言われたからそうしてるんだがさすがにここまでくるとやりすぎか」
髪は腰まで伸び、さすがにうっとうしくある長さである
「ちょうどゴムあるし結んであげましょうか、中入っていいですよ」
「え!いいのありがとう、小鈴ちゃんは優しいなぁ~」
***
「(本当に綺麗な顔…)」
思えば、この男が現れてからもう二月はたったのか。本居小鈴は目の前ののんきな男の髪を結びながらそう考えた
白磁の肌に、女性にしか見えない端正な顔立ちだが、女とは絶対にとらわれないすらりと高い身長。薄茶色の入ったサラサラの銀髪に菫色の瞳。誰がどう見ても美しいと思うだろう完璧な容姿だった
「(里人はひっきりなしに噂してるから、最初はどんな人かと思ったけど…ここまでとはね)」
小鈴は自身の経験則からこの幻想郷に美男美女などありふれていると考え、大した者ではないと思っていたがその予想をはるかに超えてくる容姿だった。それに加えて外来人、それも記憶喪失だという
(里人の話題になるのも当然か…)
事実、胡蝶はその容貌のインパクトと特異な出自から様々なうわさが流れていた
(その噂がすべて好意的なものとは限らない…いやあるわけがない、あの実力者の慧音さんや阿求の家にずっと居候してるんだもん。懇意にしてる人に恨まれるわよね)
そんな小鈴自身も現れてすぐに阿求を取り入った胡蝶を信用してはいなかった
(悪い人ではないってのはわかってるんだけどね…お金もちゃんと払うし)
だがこの男、あまりに不自然な点が多い。まず普通外来人は無縁塚か、その隣にある再思の道から幻想入りするはずなのに胡蝶いわく、妖怪の山から幻想入りしたらしい。それでけでも異常なのにこの容姿、記憶喪失、空が飛べる、大天狗を退けたという噂まであるときた
(おまけに素人の私でも肌に感じるこの霊力…)
だれがどう見たって普通の外来人ではない。そのため昨今の動物霊騒ぎ、凶暴化騒ぎの黒幕であるという説まで流れていた
(異変と紐づけるまではやりすぎだと思うけど厄ネタであることには間違いないわね。それにしてもこの男…、どこかで見たような)
小鈴は胡蝶との付き合いを改めることにした。ゾクゾクはするけどすでにやらかした身、少し見ただけで魅了されそうになるこの男といるのは危険だ
「はい、できましたよポニーテールです」
完成した髪型を持ってきた手鏡で胡蝶に見せる、困惑した様子だ。小鈴自身も髪型の完成度に驚いていた
「男でポニーテールってどうなんだ?」
「あはは、ちょっと女の子っぽくなりすぎちゃいましたかね。外の世界のファッション誌?の髪型をまねてみました。すごい、すっごい似合ってますから大丈夫ですよ」
上気した顔でそうはにかむ小鈴
「まぁ小鈴がそう言うならいいんだけどさ…顔なんか赤くなってるけど大丈夫か?」
「い、いえ大丈夫です。私はそろそろ開店の準備があるので失礼しますね(これ以上ここにいたら頭おかしくなるわ!似合いすぎでしょう!)」
「そ、そうか…色々ありがとう」
そそくさと店の奥に引っ込んでしまった小鈴を見て、胡蝶はそろそろ出発することにした。鈴奈庵を出て人里の出口まで向かう
「お、胡蝶君じゃないか、奇遇だね、これから依頼に向かうとこ?」
人里の玄関口まで来た胡蝶だがそこで中年の男に声をかけられた
「あ、神戸屋のおじさんじゃないですか、奇遇ですね。はい、今から依頼通り紅魔館に行くところです」
笑顔でそう答える胡蝶、神戸屋の店主はうんうんとうなずく
「あぁ頼むよ、その依頼品の“小包は本当に大事な大事なものなんだ”。そこまで遠くはないけど霧の湖とかもあるから道中気を付けてね」
「わかりました!では行ってきます」
「あぁ、“本当”に行ってらっしゃい」
店主と人里をしり目に上空に舞い上がり、目的地がある西へ向かう胡蝶。胡蝶自身は頼られたことにより上機嫌だったがワニ霊には何か思うことがあるようだった
「(なんか考え込んでるけど、どうかしたか?)」
『いや、“複数人”いなかったか”?』
「(は?そりゃ周りに人はいたけど、そういや全員男だったな)」
『いや、そういう意味じゃない。いい、忘れてくれ』
「(…つくつぐ意味不明な奴だ)」
ワニ霊の考えは当たっていた。店主は胡蝶の姿が飛んで見えなくなったのを確認するとにやりと口を曲げ、うまくいったと笑う
そして周りの男たちが次々と現れて、店主と一緒にうまくいったと笑いあった
小鈴の思案通り、胡蝶に関するうわさは好悪様々存在し、胡蝶のことをよく思っていない連中というのも当然いる。そして幻想郷という閉鎖された環境で、人里という特段閉鎖された場所はよそ者に対して非常に排他的であった
恨み、妬み、嫉妬。それら少しでも買えば簡単に村八分にされるのである
胡蝶はまだ理解していなかった…自分がどれだけ恨まれていたのかを
主人公の容姿はアズレンのジャンバールちゃんを想像しながら書いておりますゥゥ