六色の竜王が作った世界の端っこで   作:水野酒魚。

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第83話 旅立ち

「それじゃあ、行こう。父さん、母さん」

 今年も秋の実りの季節、『黄色(きいろ)の月』が終わろうとしている。後三月で今年という年も終わってしまう。

 森を開拓して作った畑は、すっかり収穫を終えた。今年は良く麦が実った。お陰で旅費に色をつけることが出来る。家の戸締まりをすませて、旅立つための準備も万端だ。

 早朝。森の向こうには、まだ弟月がうっすらと白く見えている。

 朝靄(あさもや)の立ちこめる森の中、小さな家の戸口に立つのは褐色の(はだ)の少女。

 黒く長い髪を腰まで伸ばして束ね、円く黒い(ひとみ)はキラキラと、空を飛ぶための訓練を始めたばかりの大きく黒い羽を今はきちんと畳んでいる。

 それは、今年十四歳になったカァラだった。

 十年前、カァラは正式にレーキとラエティア夫婦の養子になった。

 不慣れな若夫婦は手探りで、それでも懸命にカァラに愛情を注いだ。カァラは大きな病や怪我に見まわれることもなく、すくすくと成長し、健康な少女となった。

 いったい、いつのことだっただろう、カァラがレーキとラエティアを『父さん』『母さん』と呼びだしたのは。

「行こう。カァラちゃん。忘れ物は無い?」

「うん。大丈夫。心配しないで、母さん。さあ、レドくん。行こう?」

「んー。ねーちゃ……」

 カァラは隣を見下ろした。そこには、今年五歳になるレーキとラエティアの息子、レド・ヴァーミリオンが眠そうな眼をこすりながらどうにか立っている。

 一般的に、異なる種族の亜人同士は子供が出来にくいと言われている。初めての実子、レドがラエティアの胎内に宿ったのも、婚礼から五年が経ってからのことだった。

 家族はレドの誕生を大層喜んだ。レドはラエティアに似た栗色の髪に、レーキに似た赤色の眸、それから茶に黒の散った小さな羽を持って生まれてきた。

 レドの羽が黒く無かったことに、レーキは心密かに安堵した。たとえ黒い羽に生まれついても、アスールにいる限りレドが差別を受けることはないだろう。それでも、心配の種は少ない方が良いに決まっている。

「うーん。レドくんおねむみたい」

「朝早いんだ、仕方ない。村までは俺が抱いて行こう」

 レーキは小さな息子を抱き上げて、背嚢を背負い直す。

 今日、レーキ一家はヴァローナに向けて旅立つ。

 ヴァローナで、三度『天王との謁見の法』を試みるために。

 カァラを天法院に入学させるために。

 

 四年前、カァラが十歳の年。

 彼女は突然、「私、天法士になりたい」と言い出した。試しにカァラに王珠(おうじゆ)を持たせてみると、それは黒く力強く輝いた。

 この子には素質があるのでは? そう感じたレーキは、カァラに天法は自分の命の力を削って行う術なのだと言うことを伝えた。

 それでもカァラの決心は変わらず、レーキは根負けして彼女が天法を学ぶことを許可する。

 初めて授業を行うと決めた日。レーキは師匠の『法術』の本をカァラに渡した。

「この本は?」

「この本は、俺の師匠が学生の頃使っていた教科書だ。俺が天法を学ぶために師匠が譲ってくれた。古いものだが、今も天法の基本は変わらない。だからこれを今度はおまえに譲る」

 学生時代、師匠の代わりにいつでもレーキのそばにいてくれたこの、黒い革の表紙。

 喜びのときも挫けそうになったときも、自分を励ましてくれた師匠の形見の一つ。

 この本は、今度はカァラの支えとなってくれるだろう。

 カァラは端のすり切れた革の表紙を宝物でも扱うようにそっと撫でて、レーキを見つめた。

「……そんな大事なもの、私にくれるの? 良いの?」

 カァラは訊ねる。かつてレーキが師匠にそう言ったように、少し申し訳無さそうに。

「ああ。俺がただ持っているよりお前の役に立った方がその本も喜ぶだろう」

「……ありがとう、父さん! 父さんの次は、私がこの本を大事にする!」

 カァラは『法術』の本を胸に抱いて、決意に眸をきらめかせた。

「私、絶対天法士になる。父さんみたいに、誰かを助けられる人になる!」

 ああ、この子の運命を変えたのもまた、自分と言う天法士だった。師匠のように、アガートのように、セクールス先生のように。

 それは、連鎖していく。先の先まで連綿と続いて、いずれはこの子が、誰かの運命を変えるのか。それを見届けたい。

 その日、レーキは父親であると同時に、カァラの師となった。

 カァラには確かに才能があった。簡単な術を直ぐに扱えるようになり、何を教えても覚えは良い。カァラは楽しげに、レーキの教えを吸収する。

 この数年で、レーキがここで教えられることは全て教えた。後は設備が整った教育機関で、王珠を得ることを目指して学ぶほか無い。

 誕生日の解らないカァラは、『混沌の月』をすぎれば十五歳になる。天法院に入学出来る歳だ。

 三度『謁見の法』を行うと決めた時期とも重なる。それならば、カァラも連れてヴァローナに向かおう。

 本当ならば家族全員で、旅に出たかった。

 だが、そのためにはいささか路銀が心許ない。その上、『謁見の法』で助祭をつとめてくれる天法士に払う報酬も、用意しなければならないのだ。森の村で慎ましく暮らすレーキたちには荷が重い。

 仕方なく、村についたらレドはアラルガントの家に預けられる手筈になっていた。

 旅支度の一家は、緩やかな坂を下って村へ向かう。

 この旅はカァラにとっては二度目の、ラエティアにとっては初めての長旅だ。

 小さなレドを置いて行かなくてはならないし、レーキもこの十年長旅とは無縁だった。レーキの頭は、出発に際して心配事でいっぱいだ。

 だが、女性二人は不安よりも期待が勝っているらしい。楽しげな表情で、母と娘は目的地の話をしている。

「あら、レドくんはおばあちゃんたちが大好きだし、わたしとレーキは年が明ける前には帰ってこられるもの。心配ないと思う」

 あっけらかんとラエティアは言う。

「父さんは心配しすぎ。十年前村に来るときだって何事もなかったんだから」

「……だがな……」

「それにね、三人いればどんなことだって、どうにかなるわ。あなたは天法師さま、カァラちゃんはその卵よ」

 (まぶ)しいほどの信頼を込めて、ラエティアは笑む。

 ──結局、彼女たちには敵わない。

 レーキにはそれが頼もしくて、愛しくて。彼は微笑した。

 

 レーキの腕の中で眠ってしてしまったレドを、アラルガント家に預けた。

 レドの祖母であるラセット夫人は優しく孫を抱いて、彼を起こさぬように小声で「いってらっしゃい!」と一家に声をかける。

「なにも、ティアねえちゃんまで行くこと無いのに」

 すっかり成人となったラグエスが、どこか寂しげに姉に言った。

「ラグ、わたしはいつでもレーキと一緒にいたいって結婚するときに決めたの。だから二ヶ月も離れ離れになるなんて、いやなの」

 きっぱりと言う姉に、ラグエスは溜め息をついて肩をすくめる。

「結婚して十年も経つのに……まったく、仲がよろしいこって」

「そのうちラグにも、ずっと一緒にいたいって思える人が出来ると良いね」

 ラグエスは十九歳。まだ結婚を考える歳では無いだろうが、愛しいと思える人の一人くらいはいてもおかしくはない。

「うるせー! よけいなお世話。ほら、さっさと出発しろよ。みんな広場で待ってるぞ」

 早朝にもかかわらず、一家の旅立ちを見届けるために、広場では大勢の村人たちが集まってくれていた。

 レーキはこの十年、師匠と同じ様に天法士としても、村の一員てしても、村のために尽力してきた。

 怪我人や病人を治療し、魔獣が出ればこれを退治し、作物が良く実るようにと天法を使った。

 マーロン師匠、レーキと二代の恩を村人たちは忘れていない。村人たちもまた、何かれとなくレーキ一家を助けてくれた。

「初めて村に来たときは、あんなにちいちゃかったカァラが天法士さまになりに行くとはなあ……」

「レーキもラエティアもカァラも、気をつけていっといで!」

「ありがとう、おばさま! 行ってくる!」

 村人たちに見送られて、一家は乗合馬車の駅がある隣町に向けて出発した。

 初めて通ったときはレーキに抱かれながら歩んだ道を、今度、カァラは自分の足で踏みしめて進んでいる。その後をラエティアが追い、その隣でレーキは感慨に(ふけ)った。

 月日が経つのは本当に、早いものだ。

 一家は順調に旅を続ける。関門の街を抜け、『学究の館』までは徒歩で二週間。

 道中大きなトラブルもなく、一家は『学究の館』にたどり着く。

 

 時刻は昼前。街にでている学生や、学者、教職員たちで、街のメインストリートは賑わっている。

 十年ぶりに訪れた街は、街並みも雰囲気も驚くほど変わりがない。行き交う学生たちの顔ぶれはすっかり入れ替わっているのだろうが、街そのものが持つ性格は全く変わっていない。

 学ぶモノ、教えるモノ、その二つを支えるモノ。そのための都市。それが『学究の館』の本質だ。

「……はあ……ヴァローナはおっきな街ばっかりだと思ったけど、ここはホントに大きいのねー。それに黒い服の人たちがいっぱい!」

 ラエティアは溜め息混じりに(つぶや)く。森の中の小さな村しか知らない彼女にとって、見るもの聞くもの全てが珍しいようで。

 ヴァローナに入ってから、ラエティアは良く感嘆の声を上げていた。

「ここは、ヴァローナの王城に次ぐ都市だからな。はぐれないように手をつなぐか?」

「うん!」

 当然のように手をつなぐ夫婦を後目に、カァラは辺りを見回した。

「父さん、まずはどこに行くの?」

「まずは天法院に向かう。アガートに挨拶したい。お前の入学試験についても相談したいしな」

「私は天法院の場所を知らないから、父さんについて行く」

「解った」

 午後の授業が始まる前に、天法院にたどり着きたい。レーキはラエティアの手を引きながら、カァラと共に天法院におもむいた。

「ここも、変わらないな」

 天法院の建物は、十年程度の風雨では全く変わらなかった。門も学び舎も、相変わらず気難しい爺さんのような風格を保ったままだ。

「ここで、父さんも、父さんのお師匠さまも勉強したのね?」

 カァラが、不安げに息を飲む。

「……私にも、出来るかな……?」

「ああ。お前なら、きっと大丈夫だ」

 天法院の佇まいに気圧されて、立ちすくむカァラの肩に、レーキは手を置いた。

「……父さん……!」

 カァラはレーキを振り返って、きゅっと唇を結んだ。

「……うん。私、頑張るね!」

「ああ。行こう」

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