六色の竜王が作った世界の端っこで   作:水野酒魚。

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第93話 最後の『謁見』

「レーキ師匠。お久しぶりです。お元気でしたか?」

 レーキの家にやって来た旅人は、家に入る前に雪まみれの外套(がいとう)とつば広帽を脱いだ。

 がっしりとした体つきの旅人は、レーキより背が高い。その背を縮めるように丸めて、丁寧に頭を下げる。

 旅人は、レーキが初めてカァラから預かった弟子、獣人のイロンデルだった。

 彼はレーキの元で学びを得、天法院を卒業して、四ツ組(よつくみ)の天法士となった。

 近頃は、カァラの孤児院を手伝っていると聞いている。カァラの使いで、アスールの王都からレーキの家にやって来ることも何度かあった。

「ああ。なんとかやっている。どうした? その、君は……イ、イ……イロンデル。今日はどんな用だ?」

 こんな悪天候を押してまでやってきたのだ。何か重要な用件なのだろう。

 レーキはイロンデルに、(かまど)のそばの一番暖かな椅子をすすめた。

 イロンデルはその椅子に座ると、ああと呻くようなため息をついた。彼の四肢は、雪によってひどく冷たくなっていた。

「師匠がお元気そうでなによりです。あの、今日はですね……」

「あら、イロンデル君、どうしたの、こんな天気の日に……?」

「イロさん!」

「カァラ先生! ノワールちゃんも……あの、先生、聞いて下さい」

 隣室からカァラとノワールが何事かと顔を出した。ノワールは見知った顔に出会えてうれしいのか、イロンデルに駆け寄った。

「良い知らせ? 悪い知らせ?」

 カァラは、イロンデルに乾いた膝掛けを渡しながら聞いた。

「悪い知らせです。近頃、ニクスとヴァローナでおかしな病が流行っているのをご存知ですか?」

「ううん。知らない。どんな病なの?」

「初めは風邪の様な症状なんです。それが悪化すると患者は眠り込むようになって……目が覚めれば助かることもあるようですが、眠ったまま衰弱して亡くなる例も多いようなんです。それで『死の眠り病』なんて呼ばれてます」

「それが、君がここに来たことと何か関係が有るのか?」

 温かなハーブ茶を()れながら、レーキはイロンデルを振り返った。

「はい、師匠。とうとうアスールの王都でも、その病の患者が出始めたんです。孤児院の関係者にも何人か。それでカァラ先生に報告と今後の方針をうかがうためにオレが来ました」

「そう……報せてくれてありがとう。まずは父さんが淹れてくれたハーブ茶を飲んで温まって。それから、これからのことを考えましょう」

 優しい母であり娘のそれだったカァラの顔が、導く者、束ねる者の厳しい側面を見せる。レーキも自然と姿勢を正した。

「……ねえ、イロさん。父さまは? ルー父さまは病気、大丈夫なの?」

「ああ、オレが王都を出たときにはルーさんは元気だった。大丈夫だよ」

 恐る恐る父の安否を訊ねるノワールの頭を、イロンデルはそっと優しく撫でた。

「……あらあら。お客様?」

 騒がしくなった気配につられて、ラエティアが居間にやってきた。ラエティアはカァラたちがやって来てからすっかり元気を取り戻したようで、今も寝室で編み物をしていた。

「ティア、イロンデルだ。カァラに用が有って来たんだ」

「まあ。こんな雪の日に、大変だったね。風邪引かないように、よく暖まってね?」

 ラエティアは、最近細くなってきた眼をますます細めて優しく微笑んだ。

「もうすぐお昼でしょう? みんながイロンデルくんとお話している間に、わたしがご飯作ろうかな?」

「大丈夫。俺が作るよ。ティアは温かい所でゆっくりしていなさい。病み上がりなんだから」

「もう、レーキは心配性なんだから。体は何ともないのに。じゃあわたし、お手伝いするね。二人でやれば、すぐ、に……」

 ふらり、とラエティアがよろめいた。戸口にすがりつき、どうにか転倒をまぬがれる。

 レーキは慌てて妻の傍らに駆け寄って、その身体を支えた。

「どうした? 大丈夫か? ティア」

「ごめん、レーキ……急に、なんだか、とっても眠たくて……眼を開けて……いられない、の……」

「ティア?!」

 ラエティアは、夫の腕に身を預けるようにして目をつぶる。その唇から小さな寝息がくうくうと()れ出した。

「ティア! ティア!!」

 レーキが叫び声を上げて揺すっても、ラエティアは一向に目覚める気配がない。

 居間にいた人々の顔に緊張がよぎる。カァラは唇を噛みしめて、ゆっくりと母に近寄った。

「母さん、母さん……! 目を開けて? 母さん!」

 ラエティアの手を取って、カァラは何度も母を呼ぶ。それでもラエティアは穏やかな寝息を崩さない。

 とすん。とカァラの背後で音がする。レーキとカァラが振り返ると、居間にいたノワールが尻餅(しりもち)をついて、ぼんやりと宙を見つめていた。

「……ノワール? どうしたの?」

「母さま……? わたしも、とっても、眠たい……」

 ノワールは眼をこすり、そのまま床に突っ伏して眠りだした。カァラの顔色が、みるみるうちに蒼白になっていく。

 為す術がないとはこのことだ。レーキの愛しい者たちが次々に倒れていく。レーキは自分の顔から、血の気が失せていくのを感じる。微かに眩暈(めまい)。くらりと倒れそうになる身体を鼓舞してレーキはラエティアを抱き上げた。

「カァラ……お前は、大丈夫、か?」

「……うん。まだ、大丈夫。ねえ、父さん、これって……」

「『死の眠り病』?!」

 驚きに声を無くしていたイロンデルが、怯えたように叫ぶ。

「ううん。多分違う。母さんは確かに調子を崩していたけど、ノワールは違う。今の今まで元気そのものだった。父さん、今体調は?」

「心臓が少しばかりびくびくしているが、まだ大丈夫だ。……母さんを寝かせてくる」

 レーキはラエティアをベッドに連れて行った。

 ベッドに身を横たえたラエティアは、静かに眠っている。その横顔に苦悶の色はない。

 最愛の妻の頬をそっと撫でて、レーキはぼんやりとその時が近づいているのだと悟った。頭の奥が重い。指先がわずかに(しび)れている。眩暈はますます酷くなっていく。病の予兆。それはきっと死に至る病。

 いよいよ、『呪い』が彼の愛しい人たちを襲いだしたのだ。

 

「父さん。大丈夫? 今うちに『天王との謁見(えつけん)の法』をやりましょう」

 カァラは意を決して、レーキとラエティアの寝室にやってきた。

「だが、死の王様は俺の呼びかけに応じて下さるだろうか?」

『我を呼び出すこと(あた)わず』と、かつて死の王は言った。不安にかられるレーキに、カァラはきっぱりとした表情で告げる。

「父さんが駄目なら私がいる。私が主祭になって、父さんは助祭になればいい。それなら父さんが呼び出したことにはならない。祭壇は無いけど、ここには四ツ組以上の天法士が三人いるもの。絶対に呼び出してみせる」

 カァラは自信に満ちていて、その決意は固い。

 

 彼女に『呪い』の話をしたのは、カァラが成人に達したその年だった。

 カァラは驚きはしたが、レーキを責めるような言葉は一言も言わなかった。

「今まで、明らかにその『呪い』で死んだ人はいないんだよね?」

「ああ。まだ俺の寿命は尽きていないのだろう。親しい方で亡くなったのはご高齢だったコッパー前院長代理くらいだ」

「なら、父さんは『呪い』のこと気にしないで良いよ。そんなモノ気にして生きていたら、父さんの寿命が縮まっちゃう」

「ああ、そうだな。だが……」

 言葉を濁すレーキに、カァラは拳で胸を叩いて応じる。

「大丈夫。今度は私が『呪い』を解く方法を探す。もし駄目でも、私は父さんより先に死なない。絶対死の王を説き伏せてやる!」

 カァラの態度を頼もしいと見るか、怖いもの知らずと見るか。

 彼女の若さが、その時のレーキには酷く眩しかった。

 

「もうじき雪が止む。そうしたら、外で『謁見の法』を試す。そうだ! 家にあるもので簡易的な祭壇を作りましょう。それからイロンデル君はこの呪文覚えて。覚えきれなかったらメモを見ながらでも良いよ」

「一体誰と『謁見』するんですか? 先生」

「……死の王。死の王を呼び出すの」

 怖じ気づくイロンデルを叱咤(しつた)しながら、カァラは簡易祭壇を作っていく。

 人数分の黄色いローブなどこの家にはない。レーキは黒色の天法士用ローブを、チェストから引っ張り出して着る。それだけのことに酷く時間がかかった。これに袖を通すのは久々だ。普段は野良仕事をするときの格好のまま弟子たちを指導しているのだ。

 雪が止んだ。離れにいた弟子たちにも頼んで、家の前に簡易祭壇を(しつら)える。

「父さん、呪文は?」

「だめだ。もう、かなり曖昧だ。俺にもメモを作ってくれ」

「うん。解った」

 死の王との『謁見』は、多少の危険を伴うかも知れない。好奇心で、うずうずと何事かと聞いてくる弟子たち。彼らには、ラエティアとノワールの看病をするようにと言いつけて母屋に行かせた。

 夕刻。すっかり雪の止んだ森の中。

 レーキの家の前に三人の天法士が並んだ。カァラを先頭にして、右にレーキ、左にイロンデル。レーキはすでに(ひざまず)くことも困難で。三角形を描いて立った三人は、互いに一礼する。

「……それでは、始めます。『地の母、地の父、全ての生きとし生ける者を統べる定めの王、すべての死せる者を束ねる死人の王。地の母の眷属にして刈り取る者……』」

 カァラの(りん)とした声が、静寂の森に響き渡る。レーキとイロンデル、二人の助祭がそれに続けて唱和する。

 何度も唱えた呪文だというのに。メモを見ていてもレーキは言葉が出てこない。何度もつっかえ、間違えながらどうにか二人の後を辿(たど)って行く。

 三人の声はうねり、広がり、やがて収縮して、強い力となって祭壇に吸い込まれて行く。

 儀式は確かに動いている。王珠を通して、祭壇に注がれる天分を確かに感じる。

「『……我が呼びかけに応えられよ! 至り来たれ! 死を司りし天王!』」

 カァラが最後の一文を唱え終えた。

 屋外の冷気に刺されるような、沈黙。

 母屋の窓から固唾を飲んで見守っていた弟子たちが、どちらともなくため息をついた。

 その瞬間。

 轟々(ごうごう)と激しい風が吹き荒れる。

 森の木々を揺らし、雪を舞上げて、突風は光を伴って祭壇の上で次第に形を成して行く。

 長い髪、年若い男の横顔。しっかりと着込んだ襟の高い衣服まで、はっきりと識別できる。死の王は三十年前から少しも変わらぬ姿で、レーキの前に現れた。

『……我を呼ぶは汝か?』

「はい。私です」

 カァラは死の王を見上げて、きっぱり告げる。

『汝は何者だ?』

「私はカァラ・ヴァーミリオン。レーキ・ヴァーミリオンの娘です」

『汝は不遜なる者の娘、か……』

 レーキの記憶の中と変わらぬ声。威厳に満ちた死の王の声は、不思議と感慨深げな声音だ。

「はい。私は彼の娘です。死の王よ、今こそ父の『呪い』を解いて下さい。父を解放して下さい」

『……ふむ、そうか。不遜なる者よ。時は満ちた!』

 死の王は喜色を隠し切れぬように、高らかに宣言する。

『死の王の呪いは、死の王にしか解けぬ。だが、我は汝の呪いを解かぬ』

「……どう、して? ……な、なぜですか? 死の王様!」

 レーキは叫ぶ。次第に痛みを増していく額を抑え、すがりつくように手を伸ばし、片足を引きずって、死にゆく身体を一歩また一歩と死の王の前へと進ませる。

『簡単な事よ。……我は()いた。人がこの世界に生まれてより一万年以上。我は最初の死人。故にこの職責を担って来た。我の後から死に逝く者を出迎え導くこの職責を』

 光り輝いていた死の王の輪郭が、ゆっくりと人らしい肌の色になって行く。長い髪は金の色、その眸は暗い水色、涼やかな目元に(しわ)はなく、不満げに結ばれた唇は(ほころ)ぶ前の薔薇(ばら)の色。現世に死の王が顕現(けんげん)する。

 それは写し身でも影でもない。死の王本人が、ここにやって来た。

 死の王は簡易祭壇から、ゆっくりと大地に降り立った。襟の高い白い外套を着て、黄色い花で編んだ冠を(いただ)いた死の王は、カァラを一瞥(いちべつ)してレーキに眼をやった。

「……我は倦いた。故に我が職責と権能の全てを汝に禅譲(ぜんじよう)する」

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