シャア・アズナブル恐れるに足らず。ジオンはロリコンの、ロリに一発叩かれて腰を抜かすような情けない男を英雄として、エースとして祭り上げている情けない軍隊だ。そのような面白い噂が連邦軍内に出回るのは全く当然のことだった。各地へモビルスーツ<新兵器>を運ぶついでに噂を持っていけば、下がっていた士気はうなぎ上り。
噂を広めるように指示した腹の太い大将はこの話を聞いて、笑い転げていいダイエットになったとも語っている。
「報告を聞いた限りでは君に否はないように見える。任務は予定とは違うがまあ、結果的には成功と言える。いい土産も持ってきてくれたことだし不問とするよ。むしろ報酬を渡さなければならないくらいだ」
ルービックキューブをカチャカチャと回して色を合わせながら、腹の太い大将が話す。話を聞く少女は、使いみちのない報酬・勲章よりも出撃命令のほうがありがたいなどと考えていた。
「君のことだから報酬よりも出撃がしたいと言うのだろうが、安心しなさい。もうすぐ時は来る。今はレビル大将肝いりのモビルスーツがあちこちに配備され始めた頃合いだからね。地上戦も宇宙戦もこれで安泰、と言うには早いが一方的にやられっぱなしではなくなったわけだ。ここからは反撃の時間なのだよ」
「私みたいな下っ端に話して大丈夫なんですか、それ」
「問題ない。今夜にでも全兵士が知ることだ……撃墜王さまを下っ端扱いなど怖くてできんよ」
「下っ端ですよ。私一人が殺せる人数なんて、全体の死人からしたらチリみたいなものだもの」
戦闘機で敵を一人ずつ潰していくしかできないと言うが、それは間違いだ。エースパイロットの名は広く知られ、戦場に与える影響は極めて大きい。彼女が戦場に居るという噂だけでも敵は恐怖し、味方は士気を上げる。
撃墜王不在の欧州戦線がしばらく持っていた理由もそれだ。飛び抜けた個の存在は戦術にも影響する、そんな戦国時代のような馬鹿げた理屈が宇宙世紀にも通用してしまう事実と、そんな重要な駒の年齢がわずか14歳ということに、偉い人は揃って頭を抱えた。
撃墜されればひどいスキャンダルで、もしも死体を辱められるようなことがあれば敵の士気は上がって味方の士気は大いに下がる。
いくらジオンでもそこまでするか、と疑問に思う常識的な幹部も居たが、地球憎しでスペースノイドのゆりかごを兵器に使って、アースノイドの民間人十億人を殺すような頭のイカれた真似をするのだ。しかもだ。ジオンに潜入中の諜報員によるとコロニー落としに使われたコロニーの住民は全員揃って『行方不明』。コロニー一つにつき住人は1000万人だが、それほどの人間をどこかへ輸送した形跡もない……つまりそういうことだ。そこまでタガが外れているやべー奴が指揮を執る軍隊だ。死体の利用くらいするだろう、というのが上層部の会議で出た結論であり……投入するなら優勢な戦場へ限定しよう、ということが決まっていた。
「やれやれ……こんな子供を戦わせるか。これでは天国には行けそうにないな」
「心配しなくてもこの世が地獄ですよ。死んだあとが心配なら、恵まれない子供たちに寄付でもすればどうです? 私みたいなのはいくらでも居ますよ」
「慈善事業か……そうだな。そろそろ戦後のことを考える時期か」
大将はどこか遠くを眺めながら、冷めたコーヒーをズズズと啜り、頭痛薬代わりにカフェインを摂取する。
「戦争中なのに、終わった後のことを考えるの?」
「大事なことだよ……殺し合う以上に。私の予想では、早ければ年内に、遅くとも年始には和平の申し入れがあると見ている。戦争は終わる。その後のことを考えるのは、我々軍人ではなく政治家の仕事なのだが……どうした。顔色が悪いぞ? 医務室へ行くか?」
誰もが少女の戦果に注目している中、彼女の内側を、何が彼女を形作っているのかを気にする人間は誰も居なかった。比較的顔を合わせて会話することが多く、他者よりも少しだけ詳しく彼女の内面を知るこの太った大将でさえ。大将に同じ年頃の孫がいれば、彼女の異常な内面に気付けたかもしれないが。
現実ではないもしものことを想定しても、今起きていることには何も影響を及ぼさない。
「か、かひゅー……ひーっ……!」
「まずいな……私だ、ゴップだ! 私の部屋へ医者を連れてこい! 担架も用意しろ!!急げ!」
急に呼吸を早くして、床に倒れる軍曹を見て、慌ててコーヒーを置き緊急事態用のボタンを押し、マイクで呼び出しを行う。
十秒としない内に衛兵が部屋に突入してきて、床に丸まって動かない軍曹と大将を交互に眺めて状況の把握を行おうとする。
「どうしたのですか!」
「わからん。話をしていたらいきなり倒れたのだ。早く医務室へ連れて行ってやってくれ」
焦りから吹き出る脂汗をハンカチで拭いながら返事をする。撃墜王に戦場で死なれるのと、自分の部屋で倒れられるのと、どっちがいいか。考えても仕方がない。ただ自分と話をしていて倒れられた、というのはあまりにも外聞が悪いので、とっとと原因を調べてもらいたいというのが偽らざる本心だった。
一分としない内にぞろぞろと部屋に人が入ってきて、軍曹は担架に乗せられ運ばれていった。さすがに大将に向かって露骨な視線を向ける者は居なかったが、何人かは疑惑を込めた目をしていた。
「……なんだったのだ、まったく」
「検査をしてないので確かなことは言えませんが、ストレス性の過呼吸のように見えましたね。妻が一度なったことがあって、それに似ておりました」
「ストレスだと? 私がなにかしたというのかね」
「それはわかりません。何がトリガーとなったのかは、詳しく調べてみないと」
「私の名誉に関わることだ。彼女に関するすべての情報の閲覧許可を出すからきっちり原因を調べて報告せよ」
「了解しました」
衛生兵は敬礼して、部屋から出ていく。そのあと太った大将は再び書類仕事に戻った。しかしその手は少しだけ遅くなっていた。
で……衛生兵の見立ては正しかった。ストレス性の過呼吸ということで、内科医師と精神科医より診断が出された。
「そうか。PTSDか?」
戦争とPTSD<心的外傷後ストレス障害>は切っても切れない関係にあるということで、それを疑った。抱き合わせ販売と言っていい。戦争下の兵士たちにとって、差し迫った生命の危機、大事な人間の喪失、心の傷には事欠かないのだから。
「いえ……そうではないようです。『戦争が終われば私は無価値になる』と本人は言っていたので。彼女の経歴をお聞きになりますか? 少々刺激の強い話になりますが」
「あぁー……そうだな。一応聞いておこう。そろそろ休憩もしたかったところだ」
「では……北米のスラムで生まれ育ち、売春婦をしていたところを、最初に所属していた基地に性欲処理の備品として買い取られたそうで」
「まあそういうこともあるだろう……」
「英雄、エース、撃墜王、守護天使と持ち上げられて生まれて初めて承認欲求を満たされ。それ以外に承認欲求の満たし方を知らないまま戦争が終わると聞くのは、お気に入りのオモチャを取り上げられるのと同じです」
「子供の癇癪か……いや。14歳ならまだ子供か。子供だったな。ではどうすればいいのだ」
「まっとうな家庭環境を与えれば、今からでも」
「わかった。参考にならない意見をありがとう」
背もたれに体を預けて、シミ一つない天井を見上げる大将。いつも半分にやけたような余裕の表情を絶やさない彼にしては珍しい、大変うんざりした様子だった。
「やれやれ……レビルが言う、本当に戦うべき相手というのは、私のような人間をいうのだろうなぁ」
盗聴されている可能性もあったが、腐っても大将だ。聞かれて困るようなことを口に出すほどの無能ではない。