新学期が始まった。二年生から三年生へと変わったA組は相変わらずと言ったところ。
ネギ先生も正式な担任へと決定され、委員長他多数のテンションは相変わらず振り切れていた。
「どうしたですか? のどか」
考えごとをしていると、私の様子を心配してか夕映がそう尋ねる。
「え…………うん。ほら、身体測定の時にみんなが言ってたことを考えたんだよ」
そして新学期早々の身体測定でクラスメートたちが口にしていたとある噂。
それが私の心に引っかかっていた。
桜通りの吸血鬼。
桜通りと言う場所は問題ではない。問題なのは後半部分、そう……吸血鬼と言うフレーズだ。
「あんなのただの噂ですよ、本気にすることないです」
夕映はそう言って苦笑するが、それはクラスメートに吸血鬼がいると知らないからこそ言える言葉だ。
「うん…………そうだよね」
けれど、それを夕映に伝えることもない、だからこそ私はそう言って笑った。
春休みの間、マクダウェルさんは動かなかった。
それはスタンドで見ていたから知っている。
と言っても、自身の用事もあって見張ることが出来なかった日も確かにある、他に気を取られて見失った日もある。
勿論、学園側でも警戒を強めている…………けれど、こうして噂は流れた。
それはつまり私の監視も学園側の警戒をも掻い潜って向こうの計画が進行しているということで……。
考えごとをしながら歩いていると、いつの間にか件の桜通りにいた。
さきほどまでは夕映やハルナたちといたが、どこかに寄って帰るらしく、今この場には私しかいない。
「桜通り……か」
いつも放課後になってからマクダウェルさんを監視していたが、そう言えば今日はまだしていなかったことを思い出す。
「出席番号27番、宮崎のどかだな」
まあ、つまり……………………こういうこともありうる、と言うことだ。
聞こえた声。その先を見ると、ぼろぼろの黒いマントを纏った人型の何か。
「運が悪いなあ、私も」
どうしてよりによって今日なんだろうか。どうしてよりによって私なんだろうか。
思わず呟く声に、吸血鬼が笑う。
「ああ、運が悪いな……本当に」
呟きと同時に接近し…………刹那の間に互いの距離を一気に縮める。
吐息すらかかりそうな距離で、彼女が嗤う。
「その血、吸わせてもらうぞ」
赤い瞳、ああ、たしかに魔性の瞳だ。
人間など敵うはずもない……本物の吸血鬼。
「本当に…………運が悪い」
自嘲の呟きと同時、吸血鬼の口が開かれる。その犬歯は鋭く尖り、何もしなければこのまま自分は血を吸われるのだろう。
本当に…………。
「運が悪い」
“Bad apple”…………言葉は無い。けれど自身の唇をそう呟くと同時。
それが現われる。
意味が分からない。理解できない。
振り返り、少女を見て、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは驚愕に目を見開く。
今の今まで目の前にいたはずの少女。
名を宮崎のどか。魔法使いでもない完全に一般人の少女。
だが。
「今のは何だ…………?」
瞬きするほどの僅かな時間。刹那にも満たないほどの僅かな時間でこの少女は自身の背後に移動した。
六百年と言う長い時を生きていた自身ですら見たことのないほどの超スピード。
油断していたとは言え、完全に意識が付いていっていなかった。
もし、もしも。
自身が振り返るより早く攻撃を受けていたら?
そうすれば、自身は無防備にその一撃を喰らっただろう。
ゾクリ…………と背筋が凍る。
なんだそれは…………?
六百年の間でもそんな無様など最初の頃だけだった。
いくら魔力が封印されているとは言え、いくら油断していたとは言え。
自身が防ぐこともできないような状況を作った。
その一事で、彼女、宮崎のどかが油断ならぬ相手だと言うことを認識するのに十分過ぎた。
油断はもうしない。魔力が無いとは言え、腐っても吸血鬼。
今持てる全力でこの意外な難敵を倒す。
そう決意し。
直後、背後からの衝撃に全身が浮遊感に包まれた。
吸血鬼とは言え、油断していた相手に不可視のスタンドが加わればこの程度か。
そんな内心を抑えつつ、今しがた背後から一撃入れた相手の様子を見る。
同時に自身の内心に渇を入れる。生きることは競争だ。もしも油断して立ち止まってしまえば追い抜かれてしまうことだってある。
だから…………そう、だから。
ここでするべきことは…………逃げること。
吸血鬼は私の管轄ではなく、学園側の管轄。
故にこそ私が相手する必要も無い…………無い、のだが。
ゴォォォォォォォ
逃げようとする私の背後から風切って物凄い速度で誰かが迫ってくる。
どんどん近づいてくるそれが誰か分かってしまい、思わず溜め息を吐く。
「なんて間の悪い…………」
思わず呟き、そして次の瞬間、その場から姿を消す…………まあ見えないほど速く移動しただけの話なのだが。
直後、私のいた場所が派手な音を立てて凍結する。
危なかった、マクダウェルさんもう立て直しちゃった? そんな内心の焦りを押し殺し、桜通りの名に恥じない大きな桜の木の裏側に隠れた。
「…………やってくれる。この私がここまで追い詰められたのは久々だよ」
ギリ…………と歯を軋らせ、殺意に満ちた目で宮崎のどかがさきほどまでいた場所を睨む。
これほどまでに綺麗に一撃もらうのも、ここまで追い詰められたのも、本当にいつ以来だろうか。
厄介だ、さきほどのことを思い出し、内心呟く。
攻撃が見えなかった。いや、見えないどころか、何も感知できなかった。
宮崎のどかに攻撃されたと過程する、宮崎のどかは魔法使いでは無い、よって魔法で攻撃されたわけではない。
いや、そもそもあれは何かに殴られたような感触だった。故に魔法と言う線は無い。
けれど宮崎のどかは自身の真正面にいたはずだ。それがどうやって自身の背後から攻撃できる?
自分は宮崎のどかから一度も目を離していないが、彼女にそれらしき動作は無かった。
と言うことは宮崎のどかが攻撃したのではない、と言うことになる…………が。
だとするなら誰だというのだ?
宮崎のどかがこの桜通りにやってきてからずっと見ていたが、この場には自身と彼女しかいないはずだ。
仮にも六百年も生きてきたのだ、並の敵ならいれば気づくに決まっている。
いや、並大抵の敵ではないにしろ、背後から殴られてその姿が見えないなんてことがあるだろうか?
何をされたのかが分からない…………それはジワリジワリと自身にプレッシャーをかけてくる。
と、その時。
「待てえええーーーーーー!!!」
声が聞こえた。そう…………自身が今日待望していた人間の声が。
周囲をざっと見渡すが、宮崎のどかはいなくなっていた…………さきほど放った魔法にもかかっていないようだった。つまりそれより前に逃げたとなると、あの速度ならすでに目視すら出来ないほど距離を開けられている可能性もある。
考えている間にも目的の人物…………ネギ・スプリングフィールドが近づいてきており、すでに顔がはっきりと分かるくらい近い。
学園の中で箒に乗って空を飛ぶ秘匿意識の低さに呆れながらも、その速度はあと数秒でこちらまで辿りつくほど。
思考すること二秒。
「やるしかないか」
宮崎のどかは気になるが、今日を逃せばまた一月後になる…………だったら多少のリスクは覚悟で今やるしかない。
決意を固めたと同時、ネギ・スプリングフィールドが到着する。
そして…………。
「やあ……こんばんは。先生」
満月の夜、吸血鬼が嗤った。