別荘地の怪人   作:あらほしねこ

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ありふれた夢

「それじゃあ、父さん。今日も、雪かきの手伝いですか?」

「そうだねぇ、まだ、あちこちに根雪が残っているから、人手も必要だろうしね」

「そうですね、では、各十人隊の勤務割を確認して、志願者を募ります」

「念の為だけど、当番明けの非番組は必ず休ませるんだよ?」

「ええ、それについては厳正に対処します」

「頼んだよ」

 朝食を済ませた後、退役軍人と副軍団長は依頼掲示板を前にして今日の予定を話し合う。そして、その横で、面白くなさそうな表情を隠そうともせず、苛々とそのやり取りを聞く女軍団長。そこへ、遠慮がちに声をかけてきたのは、半闇狩人。

「あの、お師匠様。ご相談したいことがあると言っている方達がいるのですが………」

「うん、いいよ。どんな御用件かな?」

「はい。それじゃあ、みんな、お師匠様に話してみて?」

 半闇狩人に促され、おずおずと前に出てきたのはふたりの少年少女。とはいっても、白磁の認識票を首に下げているから、成人していると言えば成人。それでも、退役軍人からして見れば、かわいい子供達。

「は、はじめまして、先生」

「うん、初めましてだね、君達」

 その、邪教の将軍のような見た目に反して、穏やかで温かい声。そんな退役軍人の様子に励まされてか、不安と緊張で強張った表情が少しだけやわらぐ。

 革鎧の一枚も持たず、武器と言えば檜(ひのき)の棒くらいしか持っていないような少年と、絵にかいたような新人といった態の尼僧。まるで、昨日今日、田舎の実家から飛び出してきたような風体の彼らは、どこかきまり悪そうに、そして遠慮がちに相談ごとを打ち明けた。

「なるほど、それじゃあ、君達は今日初めて地下下水道に入ると言うわけなんだね」

「は、はい」

 彼らの話を聞き終えた退役軍人は、ふぅむ、とひとつ息をつきながらその内容を頭の中で整理する。

 彼らは、この街から少し離れた農村の出身であること。少年は決して裕福ではない農家の三男坊、そして、姉は地元の小さな寺院に帰依する尼僧。そして、成程雰囲気や顔立ちが似ていると思っていたが、やはり姉弟であるという。

 それはともかくとして、一応生業を得ている彼らは、余程の事でもない限り食いっぱぐれは無いが、歳の離れた兄達がいる以上、農園の主となる事も望めず、これと言ってあまり華々しい展望もない境遇と、まあ、これは別段珍しいものでもない。

 とまれ、少年は、兄や父に冒険者となる事を勧められ、成人を迎えた日を機に冒険者として身を立てるため、そして、家の口減らしのため村を出た。これもまた、珍しくもなんともない話。

 取り立ててみるべきものもない話、それでも無謀な話である事には変わりなく。それでも、少年と歳の近い姉が、村近くの寺院で見習いをしていた侍祭だった事、癒しの奇跡を授かっている事、そして、家を出て旅に出ようとする弟の身を案じてついて来た事が、彼にとっての幸か不幸か。

 とはいえ、冒険者の殆どはこんなもの。この世という川岸に数多現れる砂利のごとし、そして、時という川の流れにさらわれ流されてはまた現れての繰り返し。

 我が娘が怒るのも当然と言えば当然、彼らに比べれば、自分など道楽者のそしりを受けて当然。しかし、それとこれとは話は別。こうして彼ら姉弟を知ってしまった以上、関わりを拒むなど出来ない話。もとより、そんなつもりは毫も無いが。

 そして、ふと視界の端に映る受付のカウンター。そこにいる受付嬢がこちらの視線に気づいたように、小さく頭を下げるのを見て、小さくため息をつく。

(まあ、そういうことだろうねぇ)

 多分に、冒険者登録を済ませた彼らが、早速依頼を受けようとした所に、まずは自分の所で相談をするよう彼女から助言を受けたのだろう。

 彼女の懸念も当然だ、寸鉄と言えば果物の皮を剥けるかどうかの小さなナイフだけ。腰に差しているのは、その辺に幾らでもあるような棍棒。

 まともな感覚の持ち主なら、心配しない方がまずおかしい有様。そして、あの受付嬢は、そう言うまともな感覚の持ち主だからして。

 しかし何よりも、血気盛んな新米冒険者にありがちな、根拠のない自信にのぼせる事のない謙虚さと、他人の言葉に耳を傾けられるその素直さは、本人の素養か、僧侶である姉からの薫陶か。

 いずれにしたとしても、何事にも言えることだが、この先においても彼等の運命をほんの僅かでもましな方へと傾けてくれるだろう。

「わかったよ、私が一緒に行ってあげる。嫌なことを言うようだけど、今の君達の格好じゃ、とてもじゃないけど危ないからね」

「は……はい!ありがとうございます!!」

 退役軍人の言葉に、新米冒険者たちはほっとした表情を浮かべると、一斉におじぎをして感謝の言葉を口にする。しかし、そこで黙っていないのが女軍団長。

「お父さ………!」

 また、下男のような真似を、そう噛みつきかけた彼女を、素早く、そしてさりげなく副軍団長が押しとどめ、まあまあとなだめつつ、酒場まで連行するように押しやっていく。

「何だお前は!私は父上に話があると言うのに!!」

「それより姉さん、お茶などいかがですか」

「いらん!さっき散々飲んだ!!」

「まあまあ、そう言わずに」

「お前!いい加減に………!」

 とうとう本気で怒りを爆発させかけたその時、いつの間にこの姉弟の横に現れたのは、他の軍団員と違い、ブリガンダイン・アーマーという比較的軽装とも言える装備一式を完全着装した軍団員がひとり。

「やあ、伍長。どうしたんだい?」

 伍長と呼ばれた軍団員は、彼らに敬礼した後、用件を手短に伝える。

「なに………雑収入決済の承認だと?そんなもの、そっちで規定通りに処理すればいいだろう………そうはいかないだと?ああ、わかったわかった。今行く!」

 冒険者登録を行った軍団員が、依頼をこなして得た収入。派遣隊の予算から見れば微々たる数字。だが、それでも公費として扱う以上、確認して欲しいとの要請。

 別にこんな用事、自分がいちいち確認するような話ではない。その為の百人隊長や十人隊長だ。しかし、行動予定になかった活動によって得られた収入、それを把握・承認してほしいという要請は、公正な公費取扱いという観点からいって当然の話であり、それをなおざりにするのは自ら軍紀を軽視するのと同義。

「おい、ちょっと百人隊長の所へ行ってくる」

「わかりました、いってらっしゃい、姉さん」

「いいか!この話は後できっちりするからな!」

 ぷりぷりと怒りながら、伝令に来た伍長をつれて立ち去っていく姉の後姿を見送りながら、副軍団長はやれやれと苦笑をもらしていた。

「さて、父さんの方はどうなったかな」

 

 

「あの、これ、鎌や鍬のあれですよね」

「は………はい、でも、俺たち持ってっていいって言われたのが、これだけで………」

「まあ、そうだろうねぇ。仕方ないよ、農具とは言っても、鉄は貴重なんだから」

 目の前に置かれた、見覚えのある棒切れに思わず言葉を失う半闇狩人。自分自身、しょっちゅうに手にしたことのある農具。彼らが携えてきたのは、その修繕用の予備の部材。

 もはやこれを武器と呼んでいいものかという装備品を前に、まだ弓や山刀を携えていた自分は、装備に恵まれていたのかといみじくも思い返す。しかし、それとこれとは話は別だ。

 住み慣れた村の、勝手知ったる畑や里山で猿や野犬を追い払うのとはわけが違う。あの地下下水道の暗闇の中に棲む大鼠や大黒蟲は、それこそ場合によってはこちらが返り討ちにされてしまいかねない相手。それは、自分自身が身をもって思い知らされている。

「どう思いますか、お師匠様」

「うん、そうだね。まあ、これはこれで、やりようはあるよ」

 退役軍人の言葉に、ふたりの顔がわずかに明るくなる。

「とは言え油断は禁物、まずは、行って帰ってくることだねぇ。何も考えずに入り込んでいったら、そのまま帰ってこれなくなるよ。あそこは、そう言う所だから」

 退役軍人の言葉に、ふたりの顔が一瞬曇る。こうもわかりやすく一喜一憂が顔に現れるのは、やはり若さ故か。それにしても本当に、なんと可愛らしきことか。

「まあまあ、そんなに怖がることはないよ。行って帰ってこれる所まで行ってくる、それさえ間違えなければいいんだから」

「は、はいっ」

「それは私達が教えてあげる、最初から上手く出来る人なんていないんだからね」

 この姉弟が落ち着きを取り戻すのを眺めながら、退役軍人は改めて彼らを観察する。ふたりとも只人、どこか眠そうな目つきがよく似た雰囲気の姉弟。

 姉である見習い侍祭は、半闇狩人と同年代くらいか。寺院から与えられたであろう錫杖は、見習いの身分が持つものとしては使い込まれた風合いが見え、彼女の常日頃の努力の跡がうかがえる。そして、弟の方と言えば、体格は良くも悪くもなく。しかし、日に焼けた顔や腕、タコやマメだらけの手は、言うまでもなく働き者の証。

 そんなふたりを前に、漆黒の面頬の下で、退役軍人の目がほろ苦い笑みと共に細まる。そんな彼の記憶をふとよぎった、とある姉弟の姿。

「大丈夫、そのために私達がいるんだからね」

 懐かしくもほろ苦い、そんな思いを名残惜しく胸の引き出しにしまうと、穏やかな、そして確とした意思を込めた言葉と共に、退役軍人は静かにうなずいた。

 

 

「それにしても、よく来てくれたね」

「お邪魔でしたか」

「とんでもない、お前も来てくれて嬉しいよ」

 異臭漂う地下下水道坑内、その通路の中を、退役軍人は上機嫌で歩く。そして、その横には、サレットヘルムと面頬で表情はわからないが、不満たらたらの女軍団長。弟の副軍団長は、町の雪かきの指揮でここにはいない。

 そして、まだ冒険者登録をしていない――――――するつもりもないが、女軍団長は、退役軍人の隣にぴったりくっついて歩く。

 そんな彼女が言うには、

 

 手伝うつもりはありません、先代が今、どのような事をなさっているか、軍団長として視察させて頂きます。

 

 とのこと。

 しかし、彼女の腰に提げられているのは、グラディウス(戦剣)より一回り短いプギル(短剣)。狭く、暗い構内でいざ振り回すとなれば、これほどうってつけな得物はないだろう。と、それはさておき。

「お父さまは、いつもこんな場所を?」

「うん、折を見ては見回っているよ」

「そうですか………」

 冒険者とは名ばかりの、田舎から出てきたばかりの無謀な子供。その世話をするため、彼らを伴って地下下水道へ潜るという父に、矢も楯もたまらず装備を整えてついてきてしまった。

 明かりはカンテラの中で心許なく揺れる蝋燭の光だけ、父の目ならば、こんな余計なものを持つ必要もない。そして、構内に籠る悪臭に、自然と眉間にしわが寄る。

 しかし、今度ばかりは、あまり不満も出てこない。父がこんな場所を気にとめて見回るのは、こういう場所こそ、あの忌々しい邪教徒共が度々隠れ家にするような場所。それは、十分に理解しているし、その気概は頼もしく思う。 

 たが、こんなひなびた田舎町に邪教も何もあったものではないだろう。しかも、世間知らずを絵にかいたような子供にわざわざ付き合って。そんな思いと、地下下水道の異臭が彼女の眉間のしわを再び深くする。

 その時、先頭を歩いていた半闇狩人が、すぅっと弓を構えると同時に、暗闇の向こうへ矢を放つ。そして、聞こえる短い悲鳴。

「仕留めたのかい?」

「いえ」

 半闇狩人の返事に、退役軍人は小さくうなずく。そして、そんな様子を、女軍団長はつまらなさそうに眺めながら、小さく鼻を鳴らす。こんな遠足気分だ、どうせ、仕損じたのだろう、と。

「それじゃ、ここから30歩くらいの所に大鼠がいるから、ふたりでとどめを刺してきて」

 暗闇の向こうを指さしながら振り返った半闇狩人の言葉に、姉弟の顔に一斉に動揺の色が浮かぶ。

「あなた達でやっつけないと、この依頼をこなしたことになりませんから」

「は、はい――――――」

「多分あまり動けなくなっていると思うけど、十分注意してくださいね。仕留めたら、耳か尻尾を切りとってくるのも忘れないで」

「わ、わかりました――――――」

「大丈夫、私も援護します。皆さんは、大鼠に集中して。でも、十分気をつけてください。手負いの獣は、死に物狂いで抵抗しますから」

「は、はいっ!」

 この、大人しそうな半闇人から出てきた、ある意味容赦のない言葉に、女軍団長は僅かにその逞しい眉を動かす。

「わたしが援護するので、あなたが前衛で前進してください、それから、侍祭様は万一に備えてください。何があっても絶対に私の前に出ないで」

 道中、素人たちのこれまでの動き方をそれとなく観察していた半闇狩人は、今この状況で最適とされる配置を指示する。

「ではお師匠様、わたし達で前に出ます」

「うん、周りは私が対処するから、気を付けて行っておいで」

「はい、では皆さん、いきましょう」

 そして、半闇狩人に率いられて少年少女たちは闇の向こうへと消えていく。

「よろしいのですか、父上」

「なにがだい?」

「あの子たちについてやらなくてもよいのか、ということです」

 女軍団長の言葉に、退役軍人は面頬の下で表情を緩ませる。人に厳しく、自分にすら厳しすぎるきらいはあるが、強く、逞しく育ってくれた、それでも昔の優しさはそのまま。

「あの子がついているからね、心配いらないよ」

「随分と信用なさっているのですね」

「そうだね」

 憮然とした女軍団長の言葉に、退役軍人は穏やかにうなずきながら答える。その時、暗闇の向こうから、ややあって、文字通り必死の大鼠の鳴き声と、あの姉弟たちの悲鳴じみた大声と、打擲殴打の音が聞こえる。お世辞にも手際が良いとは言えないが、それでも必死な事だけは伝わってくる。

 しばらくして、ようやく静かになった時、暗闇の向こうから半闇狩人に連れられるようにして、真っ青な顔の姉弟が戻ってきた。そして、その手には、大鼠の耳。

「お疲れ様です、みんな。怪我はありませんか?噛まれたりしてませんか?」

 ねぎらいの言葉をかける半闇狩人に、彼らは強張った顔で首を振る。そんな彼らの服には、少しの返り血が点々とついている。

「それと、侍祭様、前に出ないでと言いましたよね」

「も、申し訳ありません………」

 半闇狩人の静かな声に、見習い侍祭は大鼠の血や脳漿で汚れた錫杖を、胸に抱きかかえるように握りながらうつむく。半闇狩人の警告どおり、最後の最後で全力を振り絞って反撃してきた大鼠。その脳天に致命傷を与えたのは、弟を思う一心で飛び出した見習い侍祭の渾身の一撃。

「いいんです、責めてるわけじゃないんです」

 見習い侍祭の顔に着いた返り血を、雑嚢から取り出した揉み解した藁束で拭ってやりながら、半闇狩人は困ったような笑顔を浮かべる。

「侍祭様は、弟さんにもしもの事があった時の救護として大切な役割があるんです、それだけは忘れないでください」

 血の付いた藁束を水路に捨てながら、半闇狩人は、少年農奴を振り返る。

「獣に向かって正面から横降りや振り下ろししても、簡単によけられてしまいます。彼らは素早く動くものを見ることができるんです、だから、突きで頭を打ちましょう、そして、相手が怯んで隙を見せたら、そこに一撃を打ち込むんです」

 半闇狩人の助言に、素直に耳を傾ける少年農奴。目の前の先輩冒険者の言う通り、心臓に矢を受け深手を負っているはずなのに、自分が振るった棍棒をかわし、そして文字通り死力を振るって飛びかかってきた大鼠。

 その牙を棍棒でどうにか受け止めたはいいが、そこから文字通り手も足も出なかった。姉が錫杖で大鼠の脳天を粉砕してくれなければ、どうなっていたことか。

「それから、大鼠から絶対目を離さなかったのは良かったです、一番大事なことですから」

 そして、半闇狩人は、もう一度、この姉弟に怪我はないかどうかを尋ね、ふたりは大丈夫と答えながらうなずく。だいぶ気負いが抜けてきたのか、ふたりの自然な笑顔を前に心の中で微笑みながらも、ここからが正念場と半闇狩人は気を引き締める。 

「よかった、じゃあ、あと2、3匹くらい仕留めましょう」

「は、はいっ」

「大丈夫、みんななら、できますよ」

 半闇狩人は少年農奴を促すと、及び腰ながらも注意深く前進する少年農奴の斜め三歩ほど後ろから、短弓に矢をつがえた半闇狩人が左右を扇状に警戒し、見習い侍祭は最後尾から隊列の背後を警戒しつつついていく。

「頭の上に気をつけて、黒蟲は天井にも張り付いてますから」

 半闇狩人は、時折、少年農奴を制して一旦前に出ると、闇人ならではの鋭敏な感覚で闇の向こうを索敵しながら、再び隊伍を組み直して用心深く、しかし素早く前進して素人たちを嚮導する。その十人隊長さながらの動きに、退役軍人について歩く女軍団長は意外なものを見るような顔になる。

「お父さま」

「なんだい?」

「あの子は一体………?」

「だから、私の生徒だよ。とっても賢い子でね、おかげでとても助かっているよ」

「そ、そうですか………」

 我が父が手塩にかけて育てたというだけあって、即席であるにもかかわらず、我が軍団の熟練兵と比べても遜色のない隊伍行動。

 そして、半闇狩人が再び矢を放つと同時に、歩調を早めて闇の向こうへと駆けていく3人。その様子を思わず目で追っていた女軍団長の耳に、再び聞こえる大鼠の悲鳴と、新米たちの奮戦の声。

「それに、とても頑張り屋さんなんだ、小さい頃のお前みたいだよ」

「とてもそうは思えません」

 不満げな返事をよこす女軍団長に、退役軍人は肩を揺らして笑う。

「そうでもないさ」

 あの子も、お前と同じで、優しい子だよ。

 その向こうで、手にした小刀で小さく痙攣する大鼠のとどめを刺した後、素人たちを集めて大鼠の急所を説明している半闇狩人の姿と、年甲斐もなくむくれてみせる娘の姿を見比べながら、心の中でそう呟きつつ、退役軍人は小さくうなずいた。

 

 

 

「まったく………まともなテルマエもないのか、この町は………」

 終業間際のギルド酒場で、女軍団長は葡萄酒を傾けながら不機嫌そうにぼやく。あの地下下水道、行って帰ってきただけでも不愉快な臭いが消えない。それでも、どうにか身づくろいを整えたが、落ち着かないのは臭いのせいだけではない。

「父上も父上だ、冒険者などと、なにが楽しくてあんな下男のような真似を………」

 そうこぼしながらも、女軍団長は自分の言葉を途中で押しつぶす。

 あの時、地下下水道から戻った後も、あれやこれやと世話を焼き、おまけに夕食を振舞うだけでなく、一党に加わらないかとまで言い出す始末。

 なにをそこまで、見ず知らずの田舎者相手に世話を焼くか、と思わなくもない。ただ、あれだけ楽しそうな父の姿をみるのは、どのくらいぶりだろうと自問する。

 自分の母も、父と知り合うまでは冒険者だったという。そして、そんな母の血を強く受け継いでいるという自分。この真っ赤な髪も、母から受け継いだもの。

「だが、何も家を出ていくことはないではないか………」

 そうぼやきながら、葡萄酒の瓶を傾ける。もう、残りも少ない。どうしようか、もう一本注文するか。そう思ったその時、声をかけてくるものがいる。

「こんばんは、まだ起きていらしたんですか?」

 丁寧な言葉に、女軍団長はふと顔を上げる。そして、振り向いた先には、あの半闇人の少女。

「貴様こそ、こんな時間まで」

「はい、依頼がない時は、厨房の方でお手伝いをさせてもらっているんです」

「忙しいことだな」

「でも、お仕事があるって、有り難いですから」

 困ったような笑顔を浮かべながらも、半闇狩人は洗濯したばかりの前掛けや頭巾が詰まった篭を抱え直す。こんな寒い夜に、洗濯とは。

「父上と一緒に寝起きしているのではなかったのか」

「え?いえ、月のお給金を渡すから、やりくりする練習をしなさいって、お師匠様から言われてるんです」

「そうか」

「それに、少しでも実入りがあったほうが、一党の仕事も少しは楽になりますから」

 意外な言葉に、女軍団長は小さくため息をつきながら、半闇狩人の手を見る。あかぎれだらけの荒れた小さな手。自分の中にくすぶる、わだかまりの原因の一つ。この、年若い半闇人。てっきり、父の寵愛を受けているものかと思った。それが、まさかこんな女中のような仕事をしているとは。

「………少し、話をしないか?」

「はい!」

 女軍団長の呼びかけに、半闇狩人は素直な返事と共に、その隣に腰掛ける。その距離感の近さに、女軍団長は微かに戸惑いの色を目に浮かべるが、気を取り直すようにひとつ咳ばらいをして、この年若い半闇人の少女に話しかける。

 けれども、何を話そう?

「………貴様は、父上と付き合いは長いのか?」

 酔いのせいか、それとも、まだ残り続けるわだかまりのせいか、いきなり核心を突くような言葉を吐いたことに、女軍団長は心の中で顔をしかめる。もう少し、当たり障りのない話題から切り出していくことくらい、出来ないものなのか。

「いえ、一昨年の夏に弟子入りしましたので、まだそんなに長いというほどでもないです」

「そうか………しかし、父上に弟子入りとな。だが、見る目はあるようだな」

 えへへ、そうはにかむように笑いながら、銀色の髪をいじる半闇人の少女に、女軍団長は、ふっと笑みを漏らす。

 闇人どころか、その辺の村娘と変わらないではないか。いや、事実その通りではあるが、女軍団長の中で、この、自分の父の隣に必ず付き従っていた少女に対する頑なな気持ちが、少しずつだが揺らいでいく。

 それに、今日の地下下水道での素人どもの統率ぶりは、控えめに言っても見事だった。我が父が直々に鍛えただけの事はある、それだけは認めざるを得ない。

「冒険者になりたてだった頃、ひどい失敗しちゃいまして」

 ばつの悪そうな表情を浮かべながら、あの時のことを思い出す半闇狩人。

「お師匠様に、助けていただいたんです。あの時は、誰も頼れる人がいなかったから。藁にもすがる気持ちで」

 半闇狩人は、きまり悪そうに笑いながら、あの日の思い出を語る。

「お師匠様を訪ねて、一緒に冒険をしてくれるって言ってくれて。だから、とても嬉しかったんです」

 わたしにはもう、帰るところがなかったから。そんな半闇狩人の言葉に、女軍団長は押し黙ったまま、葡萄酒の残りも僅かなゴブレットを傾ける。そして、

「………貴様は、父上と添い遂げたいと思っているのか」

 酔いのせいか、物言いが直截になる。しかし、言葉を取り繕っても意味はない、自分は、自分が聞きたいと思ったことを聞く、確かめたいと思ったことを聞く。引くに引けぬ思いをねじ伏せ、半ば開き直るように、そう自分を納得させる。

「貴様がそのつもりなら、私は構わんぞ。まあ、あまりにも若すぎるとは思うがな」

「いいんです、ちがうんです」

 半闇狩人は、女軍団長の問いに小さく首を振る。

「お師匠様を必要にしてるひとは、ほかにいますから」

 半闇狩人の瞼の奥に浮かぶ、あの優しい笑顔。穏やかで、涼し気で、寂しげな、秋の夕暮れのようだったあのひと。あのひとは、今どこにいるのだろう。元気でいてくれたら、いいけれど。そんなことを考えながら、金色の瞳が静かに潤む。

「だから、わたしは、お師匠様の近くに置いて頂けるだけでいいんです」

 半闇狩人は、曇りのない笑顔で女軍団長に笑いかける。しかし、微かに横切る、寂しげな影。思いもしなかった言葉、そして表情を前に、見えない冷や水を浴びせかけられたように己が心の目が覚める。そして、自分の言葉の切り出し方が、いや、そもそもの態度が完全に間違っていたことを悟り、心の中で歯噛みする。

 これでは、手切れを催促しているようなものではないか。

 しかし、土の上にこぼした水が再び水差しの中に戻らないように、一度吐き出してしまった言葉は、二度と口の中には戻らない。

 そもそも、自分は何を憤っているのだ?この子が、自分に一体何をした?この子は、冒険者として、とにかくにも、ただ自分の為すべきことを真摯に為しているだけではないか―――――――――

「お師匠様は、わたしが強くなれるように、一生懸命いろんなことを教えてくれます。それってきっと、いつかわたしが、ひとりでも生きて行けるように――――――」

 まるで、自分自身に言い聞かせるように。しかし、半闇狩人は、思いのたけを最後まで言うことができなかった。

「ひゃっ!?」

 突然、女軍団長に抱きすくめられた半闇狩人。逞しく、そして慎ましやかな胸の感触に包まれながら、戸惑いと驚きの中、聞こえてくる女軍団長の声。

「ひとりで生きていくことなど――――――ない」

「え――――――?」

「お前には私がいる、弟だってお前を気に入っている。だから、そんな寂しいことを言うんじゃない」

「ご………ごめんなさい」

「謝るな、謝る必要がどこにある」

 女軍団長は、半闇狩人を抱きしめる腕に、静かに想いを込める。こんな事で謝罪の代わりになるとは思っていない。それでも、自分がこの子を傷つけたのは紛れもない事実。

 自分の粗忽な言葉が呼び水になったにせよ、いつかはひとりで生きていくことを覚悟している、そんな言葉を紡いだ、こんな年端もいかない少女。

 詳しい事情など当然わからない、しかし、今しがた彼女自身の口から語られた断片的な話だけでも、彼女が今までどんな思いで生きてきたか、そんなこともわからないほど愚鈍なつもりもない。

 だが、今ならはっきりとわかる。間違っていたのは、自分だと。

「――――――お前は、私の妹だ」

「えっ?」

「だから、今からは私のことは姉と呼ぶがいい」

「えっ、えっ?」

 突然の、そして、予想もしなかった女軍団長の言葉に、半闇狩人は思考が追い付かず、ただその金色の瞳をぐるぐると動かすだけ。

「遠慮はいらん、さあ」

「えぇ………」

 その時、女軍団長の後頭部に重い、そして、芯まで響く衝撃が走る。突然の事に声も出せずうめき声をあげる彼女をよそに、黒ずくめの甲冑姿の軍団員が運んできた、焼き立てのパンケーキと温めた牛乳を注いだカップを乗せたトレイが半闇狩人の前に置かれた。

「あ、ありがとうございます」

 思いがけない差し入れと助け船に、半闇狩人の表情がふわりと明るくなる。が、しかし、すぐに気遣わしげな表情になる。

「私のことは気にするな、遠慮せず食べるといい」

 そう声をかけながら、女軍団長はまだ痛む後頭部を抑えながら、じろりとこの無礼千万な軍団員を睨みつけた。

「それはいいとして、伍長。貴様、人の頭に喰らわせておいて、何か言うことはないのか?」

 すると、伍長と呼ばれた軍団員は、とんでもないというように兜を横に降る。

「肘が当たったようだ、だと?なんだ、その他人事みたいな言い方は」

 逞しい眉を釣り上げて唸る女軍団長に対し、伝令伍長は微塵も怯む様子を見せず、彼女の目の前に一本の葡萄酒の瓶をどんと置いた。

 黙って酒でも飲んでろ。

 そう言わんばかりに。

「あ、あの、一緒に食べますか?」

「気にしなくていい、そもそも、酒のあてに甘いものは無理だ」

 そう答えた女軍団長の前に、油紙に包んだチーズの塊が置かれる。というより、放り投げられた。

「貴様…………」

 軍団長たる自分に対して、礼儀も敬意も置き忘れたどこまでもぞんざいな扱いに、女軍団長は今度こそ本気で伍長を睨みつける。しかし、赤眼鏡と面頬に隠れていても、伝令伍長にまったく怯んだ様子はない。と、その時。

「あ、これですか?」

 上司の怒りすら全く意に介せず、そんな伝令伍長の興味を引いたのは、半闇狩人が首に下げている冒険者の認識票。一昨年の夏に得た白い認識票は、今は黒曜の認識票に変わっていた。そして、伝令伍長も、ブリガディアアーマーの胸元から一枚の銀の小板を引き出すと、軽く掲げてみせる。

「わあ!伍長さん、銀等級だったんですね!?」

 憧れの銀等級、在野の冒険者として完成された存在。そして、強さだけではなく、人としての信頼も十二分に得られる存在。

 半闇狩人にしてみれば、何よりも光り輝く目指すべきそれを間近で目にしたことで、彼女の目は磨きたての金貨のように輝く。そして、伝令伍長も、そんな彼女を前に、得意げに、そして、優しくうなずいた。

「そいつは元………いや、今でもか、冒険者をしていたが軍団に志願してきた。日は浅いし階級はまだこれからだが、なかなか優秀でな」

「へえ………そうだったんですね………」

「だが、気ままな冒険者生活が長かったせいか知らんが、性根はご覧のとおりだ」

 ぼやくようにこぼしながら、女軍団長は新しい葡萄酒の瓶を開ける。

「食べながらでいい、ひとつ、聞かせてくれるか」

 女軍団長は、ゴブレットに葡萄酒を注ぎながら、半闇狩人に問いかけた。

「お前の夢は何だ?」

「夢………ですか?」

「そうだ、夢だ。お前は冒険者として、何を為したい?何に成りたい?」

 女軍団長の問いに、半闇狩人はためらうようにうつむくが、やがて決心したように顔を上げて、隣に座る女軍団長の顔を真っ直ぐに見上げた。

「その、ありふれてるって、笑われちゃいそうなんですけど………」

「かまわん、聞かせてくれ」

「学校を――――――作りたいです、身寄りのない子とか、辛い思いをしている子達の居場所になる、そんな場所を作りたいんです」

「なに………?」

「お師匠様が私に教えてくれたみたいに、そこで読み書きや計算を覚えたりとか、友達を作ったりとか、そうやって、みんなの生きるお手伝いができたらいいな、って――――――!?」

 そう言い終えた途端、半闇狩人は女軍団長に再び抱き寄せられ、その慎ましやかかつ逞しい胸の中で目を白黒させる。

 半闇狩人が語った夢、それは、修道院や寺院、そして、ほんのひとつまみの篤志家が営んでいるそれ。しかし、何故それを笑えようか、何故それをありふれているなどと言えようか。

 世にうち捨てられた孤独な子供に手を差し伸べたい、我が身と同じ辛苦をなめさせたくない、その想いのどこに、笑われなければならないものがあるだろうか。

 ひとり寄る辺もなく、慣れぬ冒険者稼業にすがり、危うく命を落としかけた彼女。そんな彼女が語った、ありふれているという夢。

「おまえと言う子は………おまえという子は…………っ」

 性根の腐った神々がはびこるこんな世界の片隅で、こんなに綺麗な、こんなに曇りない、小さな宝石が打ち捨てられていたとは。ならば、自分は、その光を曇らせないための箱になろう、いつか、この光が、迷える者たちを照らし、導く光となるまで。

 ぽろぽろと涙をこぼしながら、女軍団長は、固く、強く、心にそう誓った。

「――――――私が悪かった」

「え………?」

「私が悪かった、おまえに、父上を取られたようで、面白くなかった」

「そんなことは………」

「父上も………あの強い父上でいて欲しかった、人に顎で使われているような姿など、見たくはなかったのだ…………!」

 ようやく本心を吐き出した女軍団長、そして、今まで生木の煙が澱んでいるようだった胸中が、初夏の風のようにすぅと軽くなっていくのがわかる。

「私が悪かった、私の勝手なわがままで、おまえに八つ当たってしまった………悪かった、本当に、悪かった………!」

 女軍団長は、小さく鼻をすすりながら、そのおろしたての絹糸のような銀色の髪に、優しく頬を寄せる。

「義母でも妹でもどちらでも構わない。もう、おまえは私の家族だ」

「はい、ありがとうございます………ね、姉さま」

「ああ、ありがとう、ありがとう………!」

 そして、そんなふたりの言葉と思いに安堵するように、伝令伍長は洗濯籠を抱え、物干場へと静かに去って行った。

 

 

 

「父上、お話があります」

「いいとも、なんだい?」

 朝食前の、ひと時の団欒。酒場に集まった一同が温かい茶で一息ついている所に、話を切り出したのは、女軍団長。どういった風の吹き回しか、弟の副軍団長を退役軍人の隣に追い払い、今日は半闇狩人を隣に座らせている。

「この子のことですが」

「うん」

「私も、この子を家族として迎える所存です。ですから、この子の生い立ちをご存じなら、私にも教えて下さいませんか、父上」

 たった一晩で、一体どんな心境の変化か。そんな思いがけない娘の言葉に、退役軍人は口元に運びかけた温めた牛乳のジョッキを戻し、その顔を見る。

「ふむ」

 そして、しばし考えた後、彼女の隣に座る半闇狩人に目を向けた。そして、彼女も、師の意図を汲むように、にこりと笑いながらうなずいた。これが、悲喜劇の幕開けになるなどとは、露ほども知らずに。

「うん、この子はね―――――――――」

 

 

 そして、退役軍人は、可能な限り言葉を選びながら、半闇狩人が冒険者となるまでの経緯を話して聞かせた。生い立ち、両親や故郷との別れ、地下下水道での危機、共に歩んだ冒険、そして今日に至るまで。

「――――――なるほど」

 父の話を聞き終えた後、女軍団長の顔から一切の表情と感情が消える。昨日、半闇狩人、いや、我が妹から聞いた話とは比べ物にならないくらい理不尽で、残酷で、無慈悲な話。こんな、こんな莫迦な話があるものか、あってたまるものか。

 神や法が許しても、この私が許さない。たとえ、我が父の救いの手があったとしても、こんな非道、まかり通ってよいものか。いや、いいわけがない。

「――――――その村を焼き払います、よろしいですね?父上」

 その予想だにしなかった言葉に、退役軍人だけでなく、半闇狩人も思わず腰を浮かす。

「いやいやいや!何を言ってるんだいおまえは!?何もしていない村を焼き払うなんてそんな莫迦な真似、許されるわけないじゃないか!!」

「我が妹に対してした事、それだけで十分な罪です。それともなにか、父上はかような非道と邪悪を見過ごせとでも?」

「非道はともかく邪悪って何だい邪悪って!?無知ゆえの不幸じゃないか、お願いだから早まった真似はよしなさい!」

「罪は罪、ゆえに罪を犯したものには、罰が与えられなければなりません。この子は父上が通りすがらなければ、鼠や蟲共にその身をついばまれ、骨はあの湿った暗闇で朽ちていくのを待つだけだった。

 ああ、考えるだけでもおぞましい。なのに、この子をそんな目に合わせた愚か者共は、今でものうのうと生きている。こんな邪悪な行い、許される訳がありません。いえ、許していい訳がありません」

「お願いだよ、私の話を聞いてくれないかい」

 泣きそうな、いや、本当に泣きそうになりながら、退役軍人はとにかく我が娘をなだめようと必死に訴え続けつつも、どこかで育て方を間違えてしまったのだろうかと心の中で頭を抱える。

「ま、まってください、姉さま!わたしは、もうなにも気にしてなんていません!!」

「ああ、おまえは本当に優しい子だ。だが、我慢などする必要はない、私が必ず報いを与えてあげるからね」

「いえ、だから、そういうことじゃなくて………!」

「大丈夫だ、問題ない。私に全て任せておきなさい」

 大丈夫でもなければ、問題だらけ。しかし、もはや取り付く島もなし。そして、故郷の村の滅亡は約束されたも同然。完全に熱狂に浮かされた女軍団長を前に、今度は半闇狩人も泣きそうな顔になる。と、その時。

「ところでね、君はあの村で、何か心残りはないのかい?」

 やんわりと、しかし、ごく自然に会話に滑り込んできた、副軍団長の穏やかな声。

「もしあるんなら、教えてくれないかい?僕がなんとかするよ」

「は、はい………」

 話の主導権を横さらいされ、不満の表情を浮かべる女軍団長を極力刺激しないようにしつつも、半闇狩人は、辛い、しかし、懐かしい思い出も残る村を思い出していた。

「あの………」

「うん」

「お父さんと、お母さんのお墓がどうなっているか………もう、誰もお掃除する人もいないでしょうから………」

「そうか――――――そうだよね」

 故郷に残した、両親の墓所。それを心から案じる半闇人の少女。副軍団長は、いまや我が家の一員となった彼女の言葉に、穏やかにうなずく。

「わかったよ、さっそく村に使いをやって、お墓の掃除と修繕をさせよう」

「え、いいんです………か?」

「もちろんいいに決まってるよ、そうですよね、姉さま?」

 最後の揶揄交じりの弟の呼びかけに、テーブル越しの拳骨を飛ばして応えた後、女軍団長は、隣に座る半闇狩人を、力いっぱい抱きしめた。

「えっ?………わっ!」

「ああ、なんと優しい子なのだ、おまえは!私に任せておけ、立派な陵墓を村人全員で建立させてやるからな!!」

 眉間に深いしわを刻んで感涙にむせびながらも、しれっと不穏な空気の混じる言葉。このまま彼女に任せていたら、村人を強制労働に駆り出した挙句、かつて世界の制圧を目前にしたという聖帝が建立した陵墓並の巨大建造物を、村だった場所にこしらえかねない。

 さてどうしたものかと一同が途方に暮れかけた時、退役軍人は目ざとく見知った顔を見つけ、ことさら陽気に手を振りながら声をかける。

「やあ、おはよう!君達!!」

「あっ、おはようございます、先生」

 退役軍人の呼びかけに気付いた新米冒険者の姉弟は、一瞬表情を明るくさせつつも礼儀正しく朝の挨拶を返す。そして、同席している一同にも。

「おはようございます、黒騎士様。先日はお忙しいなか、時間を割いてくださり本当にありがとうございました」

「いやいや、私達でお役に立てたなら何よりだよ。そうだ、これからみんなで朝ご飯にしないかい?」

 思いがけない退役軍人の申し出に、見習い侍祭と少年農奴は思わず顔を見合わせるものの、やがて小さくうなずき合うと、ふたりそろって退役軍人の前で姿勢を正す。

「ありがとうございます、ですが、私たちは修行中の身です、むやみに黒騎士様の御厚意にすがり過ぎるわけにもまいりません」

「そうかい?別に気にしなくてもいいのに」

「はい、黒騎士様のお心遣いは、弟共々嬉しく思います。ですが、これも修行の一つと思い、ご理解いただければ幸いです」

 退役軍人の申し出を、丁重に辞退しながら頭を下げる姉に倣うように、少年農奴も深々と頭を下げる。さて、ここまでの気概を示されては、これ以上無理強いもしづらい。

 そんなやり取りを興味深く眺めていた副軍団長だったが、雰囲気の潮目が変わったことを読みとり、小さな客人を前に体裁を正している姉に声をかける。

「姉さん、姉さん、とりあえず、細かい話は後にして朝食にしましょう。僕たちはよくても、この子がつらそうですよ」

「む、そうだな………よし、それでは食事にしようか。それと………お前達!」

「は、はいっ!?」

 女軍団長から突然声をかけられた姉弟は、思わず背筋を伸ばして返事をする。

「そう畏まるな、聞くにお前達の気概、感服の極みだ!そして我が父と妹に教えを受けたのなら、もうお前達は他人ではない!それに、一日の計は朝食にありだ。そしてこれは決して施しなどではない、これを糧にしてさらに高みを目指せ!そして、仲間として、友として、いつか我が父と妹の力になって見せよ!というわけで、こっちに座れ。席は十分空いているぞ」

 こうして、半ば勢いで新人冒険者姉弟を朝食の席に招いた女軍団長に戸惑いながらも、なんとか村の滅亡につながる話題が彼女の中から消え去ったことを察し、半闇狩人は安堵の表情を浮かべる。

「よし、あとは私に任せておけ。うむ、やはり食事は賑やかな方がいい!おい、そこのお前、注文だ!!」

「あいあーい、どうぞー」

 あまりと言えばあんまりな注文の仕方に、半闇狩人は苦笑いを浮かべ、新人冒険者姉弟は思わず目を丸くしているその様子を知ってか知らずしてか、得意げに獣人女給を呼びつけて注文をする女軍団長の姿に、退役軍人は苦笑交じりに肩を落とす。

 ともあれ、これで、愚かだが無辜の人々と、その村の滅亡は免れた。

 だが、これまで自分が積み重ねてきたもの、信じて娘に託した事は間違いではなかったと信じよう。そう、思いながら。

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