「おはようございます、父さん」
「やあ、おはよう」
早朝のギルド酒場で、いつものように温めた牛乳のジョッキを手に、朝食前の体を温めている黒ずくめの鎧兜に身を固めた父に声をかけるのは、父に倣うかのように、軍装に身を固めた副軍団長。
「どうしたんだい、朝からそんな格好で」
「それ、父さんが言いますか?」
小脇に抱えた兜をテーブルの上に置きながら、副軍団長は苦笑いを浮かべる。再会した時もそうだったが、聞けば余程のことでもない限り、いつもこうして、鎧兜に面頬で身を固めつつ日常を過ごしているという。
それが、この方が冒険者らしいから、という愉快な答え。肖像画でしか顔を知らぬ母も、かつては冒険者だったという。ただ、自分が生まれて間もない頃に、魔神王の使徒との戦で帰らぬ人となってしまい、顔どころか声すらも覚えていない。
「父さん、ひとつ、聞いてもいいですか」
「うん、なんだい?」
「どうして、あの依頼文のことを、あの子に話さなかったんですか」
「そうだねぇ………」
息子の問いに、退役軍人は湯気の立ち昇るジョッキを手にしたまま、思案するようにも、言葉を組み立てているようにも見える様子で天井を見上げる。
「父さんは、知っていたんでしょう?」
「そうだね、見つけた時は、少し驚いたけどね」
「では、なぜ?」
「あの子の心に余裕ができるまでは、そう思っていたよ」
父の言葉に、副軍団長は静かにうなずく。
「だから、あの子が、自分の答えを自分の意志で見つけられるまでは、私からは触れないつもりでいたんだよ」
「そうでしたか」
淡々とした返事の副軍団長に、退役軍人はジョッキをテーブルの上に置くと、紅眼鏡の奥の目を息子に向けた。
「私からも聞いていいかい?」
「はい」
「おまえこそ、どうしてこの依頼を私に見せたんだい?」
いつもどおりの穏やかな、しかし、あくまでも真意を問うような言葉に、副軍団長は静かに父の目を見る。
「まさか、遺恨は水に流して、故郷の村を救うべきだ。なんて話をしたかった訳じゃないんだろう?」
そんな、探るような父の言葉に、副軍団長はほろ苦く笑う。
「――――――僕は、もっとあの子のことを知りたいと思ったんですよ」
「ふむ」
「あの子は、このまま人に守られ続けていいような子じゃない。確かに、あの子の生い立ちには僕とて思う所はあります。ですが、だからと言って、可哀そうな子だなどと言うつもりはありません」
「うん」
「ですが、村での過去に蓋をし続けたままでは、その影はあの子の心にずっとつきまとい続けます。あの子は、とても素直で真っ直ぐな子です。だからこそ、いつまでも負い目を自分の中にしまいこんでおくべきじゃない」
「だから、私達がそろっているうちに、何とかするべきだと、そう言うことなのかな?」
「はい、その通りです。たとえ父さんや姉さんが悪くないと言っても、あの子は村を追われたことを、自分の出自が理由だと思い続けるでしょう。そんなこと、あっていいはずがない。どこかで、必ず断ち切らなければいけないんです」
退役軍人の言葉に、副軍団長は真摯な表情でうなずく。
「父さんが認めた子です、間違いのある筈がない。それでも、僕はあの子のことをもっと知っておきたい、良い所も、もちろん、良くない所も。それを知った上で、家族として迎え入れたい」
「それで、あの子がどういう答えを寄越すか、試すようなことをしたと言う訳なんだね?」
「はい」
「相変わらず厳しいね、お前は。そんなだから、双頭獣(オルトロス)なんてあだ名をつけられて怖がられてしまうんだよ」
父の言葉に、副軍団長の顔がほろ苦く歪む。一応、自覚も心当たりも、数えきれないくらいあるだけに。そして、そんな息子の様子に、退役軍人は場を仕切り直すように、穏やかな声をかける。
「まあ、それはおいおい何とかしていけばいいとして………ほら、噂をすれば、なんとやらだ」
そう言って、苦笑いと共に顔を向けた先には、半闇狩人を傍らに伴って、やはり全身を漆黒の軍装で身を固め、兜を小脇に抱えた女軍団長が階段を下りてくるところだった。
朝のギルド酒場の一角に現れた、黒い鎧の集まり。そして、その中に、やはり革の防具に身を固めた半闇狩人。また何事か始まるのか、といった様子で見守る冒険者達の懸念に反して、一党の会議は静かに進んでいく。
「なるほど、では、お前は敢えてこの子を試そうとした訳だな?」
「はい、その通りです」
「気に入らんな」
女軍団長は、固く腕組みをしたまま低く唸る。
「お前の悪い癖だ、物事の見極めを突き詰めようとするのも結構だが、人に対してそれを求めるのも、時と場合による」
寂しそうに溜息をつく姉を、副軍団長は静かに見守る。
「それに、言葉が足らん。誰もがお前のように聡い訳でもなければ、察しがいい訳でもないぞ?口に出して言わなければ伝わらんこともある、お前は、もう少し工夫の仕方を覚えた方がいいようだな」
女軍団長は、そう副軍団長に言葉を向ける。
「女子供、敵味方関係なくそれではな」
姉の言葉に、副軍団長はほろ苦く笑う。そして、家督の継承を決める場で、男だからと言う周囲の声を押しのけ、姉に軍団長を、家を継いでもらう事を請うた時の事を思い出す。
自分は、人を束ね率いる資質はない。我が姉と違い、疑う事からかかり、猜疑の目で追い続ける自分には。常に真実を求め、その是非を明らかにせずにはいられない性分の自分では、軍団を再び苛烈に過ぎる方向へ導きかねない。そして、それはいつか、破滅と言う形で軍団に災厄をもたらしかねない。
かつて、それでこの軍団が消滅しかけたこと。そして、父の、文字通りの尽力で軍団を、家をどうにか蘇らせたことを思い出す。
魔神王や覚知神を奉ずる邪教徒は、例外なくこの世界に災いをもたらすもの。しかし、正義の名の元に、それを根絶やしにせんばかりに牙を振るった結果が、敵とする祈らぬもののみならず、同胞であるはずの祈るもの達からさえも、敵意と怨嗟を向けられた。だからこそ、二度とそうならないために、自分では、駄目なのだ。
「おい」
姉の、女軍団長の声に、副軍団長はふと我に返る。
「お前、またろくでもないことを考えていたな?」
「ええ」
この姉に対して、誤魔化しをしても仕方ないし、通用しない。だから、副軍団長は素直にうなずいた。
「あの時、お前はこれを私に譲ると言ったがな。案ずるな、たとえお前が嫌だと言っても、この杖は必ず私のものにするつもりだった」
悠然と笑いながら、女軍団長は、手にした黒檀の指揮杖をかざしてみせる。
「小娘の時から、そう考えていたからな。お前はいつでも後釜を見つけ、好きな学問の道に戻るといい」
「ありがとうございます、姉さん。でも、今はもう少し姉さんのお手伝いをしますよ」
「うむ、当てにしているからな。私では腹芸は到底できん、お前がいないと小賢しい連中に足元をすくわれてしまうからな」
女軍団長の言葉に、副軍団長は寂しそうに笑う。全てを焼きつくす炎のような姉、しかし、迷えるものに、凍えるものに、光と暖かさを届ける紅蓮の炎。父は、母親譲りの気性と言い、よく懐かしんでいたことを思い出す。他ならぬ自分も、この姉の持つ心の炎の暖かさに、幾度救われたことか。
「まあいい、この話はここまでだ。それよりも、この子がお前と父上にお話したいことがあるという、よろしいですね、父上」
「うん、ぜひとも、聞かせてくれないかい」
娘の言葉に、退役軍人は深く頷く。そして、女軍団長は、傍らに座る半闇狩人を優しく、そして力強い笑顔で促す。
「さあ、では、お前の決意と覚悟、存分に聞かせてやるといい」
「は、はい」
半闇狩人は、師と副軍団長を前に、幾分緊張した面持ちで自らの偽らざる思いを語る。
「確かに、この村は、わたしが住んでいた村です」
遠慮なく自分の思いを話せ、そう言って背中を押してくれた大きな姉。そんな彼女が、完全装備で臨めと言った理由が、今ならよく分かる。やもすれば挫けそうになる気持ちを、文字通り、命を懸けて積み重ねた日々の思い出が染み込み、宿る革鎧が支えてくれる、背中を押してくれる。
「でも、わたしに闇人の血が流れているから、だから、村のみんなに避けられたこともありました」
避けられたどころの話ではあるまい、そんな皆の思いをよそに、半闇狩人は言葉を続ける。
「本当に、悔しかったです。わたしは、なんにも悪いことなんてしてないのに、どうしてこんな目にあわなきゃなきゃならないんだろう、って」
淡々と語る半闇狩人の瞳から、一瞬、光が消える。
「だから、この肌の色も、髪も、目も、耳も、みんな嫌いでした。闇人の血が流れているから、だから、みんなに嫌われるんだ、って」
そして、半闇狩人は、次の言葉を探すように、一瞬沈黙する。
「でも、今は、お母さんに感謝しています。お母さんの血があったから、あの時、お師匠様をお助けすることができたんです」
半闇狩人の言葉に、女軍団長は今にも彼女を抱き寄せたい気持ちを、ぐっと唇を噛んでその感情をこらえる。そして、笑顔と共に上げた半闇狩人の顔には、目の端に薄く涙が光る。
「だから、今は、お母さんにも、お父さんにも、みんな感謝してるんです。それに、あの村には、今でもお父さんとお母さんがふたりで眠ってるんです。ほっとくなんて、できません」
そして、退役軍人は、弟子の言葉に深くうなずきながら問いかける。
「君の考えを聞けて良かったよ」
「お師匠様………」
「君は、どうしたい?」
「わ………わたしは…………」
退役軍人の言葉に、半闇狩人は、迷いのない言葉を向ける。
「わたしは、村を助けに行きたいです」
曇りなき瞳とその言葉に、退役軍人は自分の事のように、面頬の裏側で嬉しそうな笑顔と共にうなずいた。
「これで決まったな」
満足そうにうなずきながら、女軍団長は傍らに座る半闇狩人の肩に手を置いて我が身に引き寄せる。
「今回の作戦………いえ、依頼は私も参加します。よろしいですね、父上」
「いやいやいや、軍団長自ら出張るのかい?でも、そんなことをしてもしものことがあったらどうするんだい」
「そこで斃れるなら、私もその程度という事です。それに、この子が行くのに私が行かずしてどうしますか」
「わかったよ、頼りにしているからね」
「もちろんです」
自身に満ち溢れた表情でうなずくと、女軍団長は半闇狩人を促して立ち上がった。
「では、この件、話はついたという解釈でよろしいですね。お前も、他に何か異存はあるか?」
「大丈夫ですよ、姉さん。それと、君、試すようなことをしてしまって、悪かったね」
「いいえ、わたしの方こそ、ご心配をおかけしてしまって、すみませんでした」
丁寧な言葉と共に頭を下げる半闇狩人を前に、副軍団長はほろ苦い笑みを浮かべる。
「さあ、行って着替えてこよう。それと、朝食の注文をしておけ。今回いらん手間をかけさせおって、それ位のことはしても罰は当たらんぞ」
「わかりました、姉上。いつもの献立でいいですか?」
「ああ、しかし、パンケーキに蜂蜜とバターを付け合せるのを忘れるなよ?絶対だからな」
「はい」
退役軍人は、そんな様子を見ながら、すっかり娘に弟子を取られてしまったねぇ、と嬉しそうに目を細めていた。
「あらぁ、いらっしゃいませぇ」
朝食時の忙しい時間が終わり、客足も落ち着いた頃合いの店に入ってきたひとりの軍人に、人馬女給は普段と変わらない挨拶をかけた。
「おひとりさまですかぁ?どうぞ、こちらへ~」
外套のフードを下ろした下から現れた、真っ黒なサレットヘルムに面頬、そして赤い色眼鏡姿に少しも怯むことなく、人馬女給はにこにこと話しかけながら注文を取る。
「昨日はおつかれさまでしたぁ、今日はお仕事じゃないんですかぁ?」
そんな彼女に、伝令伍長は違うと言うように首を振る。そして、昨日は茶だけで長々と居座って済まなかったとの言葉に、人馬女給は大丈夫というように手の平を振る。
「いえいえ、だいじょうぶですよぉ、お客さん。それに、非番明けでしたかぁ。ゆっくりしていってくださいねぇ、この時間はお店もがらがらですからぁ」
ふんわりと暖かい人馬女給の言葉にうなずきながら、伝令伍長は注文を伝える。
「ええと、串盛り合わせとエールをジョッキでぇ。え、それとチーズと茸の雑炊も?さすが軍人さん、いっぱい食べるんですねぇ」
昨日は護衛だから食べられなかったし、見ていて本当に美味そうだったから。そんな伝令伍長の言葉に、人馬女給は嬉しそうに笑う。
「どうもありがとうございまぁす、それじゃあ、少々おまちくださいねぇ」
ぽっこぽっこと蹄の音を鳴らして厨房へ戻っていく音を聞きながら、伝令伍長はようやく一息つくようにひとりの席でくつろぎ始めた。そして、のんびりと店内を見渡してみる。
本格的な稼ぎ時は夕方からなのか、昨晩の混雑が嘘のように落ち着いた店内は、自分と同じように遅い朝食をとる町人や商人らしき客が居るくらい。
それにしても、と、実力は確かだが、どこか抜けたところがあって、やや危なかっしい上官と、その小さな友人を思い出し、伝令伍長は面頬と赤眼鏡の下で楽しそうに笑う。
言動は苛烈そのものだが、こんな自分でも信用し、軍籍を許している懐の深さ。そこはやはり父親譲りか、などと思考遊びをしている所へ、ふと視界の隅に止まったふたりの少年少女。
ずいぶん遅いが、今から朝食なのだろうか。見覚えのあるその姿に、伝令伍長は赤い眼鏡ごしにその姉弟の姿を眺める。そして、そうとは知らず、チーズと黒パン、そして水を分け合い、実に慎ましやかな食事をとるふたり。
それでも、ふたりの表情は明るい。まだ新しい投石紐をテーブルの上に取り出して見せては、無作法だと姉にたしなめられつつも、お互い、大分使いこなせるようになったことを喜びあっている。
そんな会話の中に混じる、聞き覚えのある名前。その名前の主から教わった投石紐の作り方、扱い方を、あれから早起きして練習した甲斐があった。これで、大鼠や黒蟲にだって負けない。と、姉にそう無邪気に語る少年と、それでももっと稽古しなければ、とたしなめる姉。
そんな姉弟の会話に、無作法と知りつつつい耳をそばだててしまう。そして、そんな伝令伍長の傍らに、思っていたよりも早く軽やかな蹄の音が近づいてくる。
「どうぞぉ、軍人さん」
そういって、目の前に置かれたのは、葡萄酒のタンブラー。これは頼んでいないと伝えると、昨日、ずっとお預けを喰っていた分の労いですと人馬女給。
「だいじょうぶですよぉ、これは、昨日のおつかれさまですからぁ」
そして、人馬女給は、何かに気付いたようにスンと鼻を鳴らす。
「軍人さんの髪、なんかいい匂いがしますねぇ、どんな香油をつかってるんですかぁ?」
そう話しかける人馬女給に、伝令伍長は困ったように手の平を振りながら答える。特に、これといった手入れはしていない、と。
「そうでしたかぁ、実はわたし、たまにお馬さんっぽい匂いがするってお客さんに言われちゃうんですよねぇ。わたし、ぜんぜんお馬さんなんかじゃないのにぃ」
不満そうな表情を浮かべて口をとがらせる人馬女給に、伝令伍長は、彼女もこういう顔が出来たのか、と微笑ましく思いながら、ほどよく水で割られた葡萄酒を頂く。兜も面頬も外さず、その隙間から器用なことに。
そして、厨房の方から、女将が人馬女給を呼ぶ声と、微かに漂う炭火の臭い。
「はぁい、ただいまぁ。それじゃ軍人さん、ちょっと失礼しますねぇ」
ぽっこぽっこと蹄の音を鳴らして、厨房へ戻っていく人馬女給。そして、程なくしてキッチンカートに料理や炭火壺を乗せて運んできた。
「お待たせしましたぁ、串肉盛り合わせとぉ、チーズと茸の米雑炊にエールですぅ。今、焜炉に炭を入れますからぁ、気をつけてくださいねぇ。熱いですからぁ」
炭火の用意が出来た焜炉に、新鮮な串肉の盛り合わせ、そして好物のエールに米雑炊。それらを前に、伝令伍長の頬が黒い面頬の下で緩む。しかし、ふと思い立ったように、伝令伍長は幾つかの銅貨を取り出し、人馬女給への駄賃とあわせて彼女に渡す。
「え?あのふたりのお勘定を?」
人馬女給の言葉にうなずきながら、あのふたりは自分の知己だからと伝える。ただ、姉弟水入らずを邪魔したくないから言わなくていい、とも付け加える。
「わかりましたぁ、ふふ、軍人さん、優しいんですねぇ」
ふんわりとした笑顔と言葉に、伝令伍長はそういうのではないから、と苦笑しつつ手を振る。もっとも、その笑顔は、面頬と赤眼鏡に隠れているが。
人馬女給が厨房に戻り、伝令伍長は早速目の前に置かれた朝食にとりかかる。そして、見立て通りの美味。その表情が、面頬の下で再び緩む。
故あって始めた軍人稼業、仕事はそれなりに辛いが、安定した収入と交代制で得られる休暇は魅力。命の危険はままあるが、それは冒険者をしていた時と大して変わらない。
こんなことなら、もっと早くに軍に入っていればよかったと思いながら、焜炉の上で芳ばしい香りと音を立てる串肉を見守りつつ、米雑炊を口に運んだ。
「何度も検討しましたが、やはりこの行程で行くとなると、あとひとりは欲しい所です」
目的地までの行程表と共に、地図を指し示しながら説明する副軍団長の説明に、退役軍人は、ふむ、と一言唸る。
「目的地に到着後の糧秣や装備資器材、これらの携行とその分担を考えると、やはり最低5人は必要です」
「それなら、あのふたりも誘ってみようか?」
「本気で言っているのですか?お父さま」
退役軍人の提案に、女軍団長の眉間にしわが寄る。
「あのふたりに目をかけているのは分かります、ですが、これは頭数さえ揃えばいいと言う話ではありません」
大鼠や黒蟲退治をどうにかこなせるようになった、といった態の新米を、村の男衆を難なく屠り斃すような得体の知れない何かが潜む現場に連れていくなど言語道断。よしんば後方で待機させておくにしても、不測の事態に対処できる力量を持ち合わせていないのでは、経験を積ませる以前の問題。
「私を試すにしても、もう少し気の利いた話でお願いします」
「いやいや、御免御免、気を悪くしないでおくれ」
「それは御心配なく、あのふたりを育てたいという気持ちは、十分理解しているつもりです。ですが、それは然るべき機会にしましょう」
「そうだね、どうにも話の腰を折ってしまってすまなかったね。それで、続きを聞いてもいいかな?」
「はい、先に説明した通り、この子から聞き取りした村の概要や、山岳地帯での行動に必要な装備資器材の量を考えると、我々の他にあとひとり、割り当て分を分担する人員が必要です。ですが、事の発端が村そのものである以上、後方とは言え村自体も安全とは言い難いと思います」
確かに、その通りだろう。退役軍人は、このためにわざわざ早馬で取り寄せたという、地方の地図を見ながら小さくうなずく。ただでさえ難しい山岳地帯での行動の上、積雪や寒さにも備えなければならない。
これまで自分が経験してきたような、地下下水道や隊商護衛の様に、日帰りや定時補給が可能な状況ではない。若い頃に経験した山越えとその道中で起きた山岳戦の苦い記憶がふと蘇るが、わざわざ思い出して面白いものでもないから、取り敢えずそれは再び記憶の引き出しのなかにしまっておく。
「まあ、この話はここまでとして、私達実動隊の編成です。これは、最初にお話しした通り、あと1名は必要です」
「それじゃ、足りない分はどうするんだい?」
退役軍人の言葉に、女軍団長は計画書を広げながらうなずく。
「はい、頭目はお父さま、その副長にこの子と来れば、私とあれが面子として加入し、4名。しかしこれだけでは説明した通り些か心許ないので、1名、軍団員から志願を募ります」
「あとひとり、しかし、志願してくれる人はいるかな」
「志願がないなど絶対にありえませんが、もし万が一にでもそうなった場合は、こちらから指名します。一応、目星はつけてありますから」
「そうかい、それじゃあ、お願いするとしようかな。しかし、それならその目星をつけている、という軍団員を加えればいいんじゃないのかい?その方が作戦も立てやすいだろうに」
「軍団員には、平等に機会を与えなければ示しがつきません。ご心配なく、今回連れてきたのはどれも皆十人隊を任せられる程度には動けます」
「なんだか、私ひとりを捕まえるために、随分念入りな準備をしてきたものだね、おまえたちも」
「当然でしょう、それこそ、ありとあらゆる状況を想定した結果です。もっとも、これだけ快く対話に応じていただけたのは幸いでしたが」
「お前はお父さんを何だと思ってるんだい」
「もちろん、自慢の父上だと思っておりますよ。まさか、あれほど若い後添えを見つける甲斐性があったとは知りませんでしたが」
「いやいやいや、いくらなんでもそんな言い方はないだろう。まったくもう」
「冗句ですよ、お父さま。では、私たちはこれから、ギルドと調整に行ってまいります」
「おや、何かあるのかい?」
「ええ、ギルドの所有する訓練所、その練兵場の使用許可ですよ」
「なにか危ないことをするつもりじゃないだろうね、おまえは」
「今回の作戦における訓示をする場所が必要なだけです、お父さまこそ、私をなんだと思っていらっしゃるのですか」
「いやいや、御免御免。もちろん、おまえは大切な娘だよ」
「ふふ、ありがとうございます、お父さま」
退役軍人の言葉に、女軍団長は柔らかい笑みを浮かべながら、書類の詰まった鞄を手にギルドの事務所へ向かうべく、父に一礼して席を立った。
昼から天気が崩れ出し、再びしんしんと降り落ちる雪の中、ギルドの新人訓練所の一角にある矢場の隅で、半闇狩人は自身の装備の状態を確認するように自主稽古に励む。
短弓、投石紐、そして、打根術、山刀、弭槍(はずやり)、半闇狩人は、それらの操法を思い出し、もう一度体に覚え直させようとするかのように、黙々と型稽古を続ける。
久しぶりに登る雪山、師からもらう給金でこつこつと買い揃えた冬装備。出来合いのものもあれば、自分で材料を買って作ったものもある。それらを体に馴染ませるため、訓練場でできる限りの動きを試した。
今度の依頼は、山狩り。昔、亡き父と共に何度もした仕事。真夏の炎天下も、真冬の雪の中も。遭難した村人を、他の猟師が手負いにしてしまった猛獣を、それらを探して、何日も山中を駆け巡った。
今度こそ、お師匠様のお役に立ちたい。そう、今度こそ。
そんな思いが、弓を、投石紐を、そして弭槍の切れを鋭くする。村人を襲い、その命を奪う怪物。それが、故郷の山に潜んでいる。熊か、狼か、それとも、魔物か。その正体がわからぬという事は、当然、正体を突き止める前にやられてしまったのだろう。
そんな得体の知れない相手、もしかしたら、祈らぬものの眷族かもしれないものを相手にする、初めての依頼。地下下水道最深部の時のような、偶発的な遭遇戦ではなく、その正体を突き止め、仕留めること。
あの時は、たまたまケルベロスの気まぐれで事なきを得た。けれども、今度はそう都合のいい話が起る道理はない。あの村には、父と同じように、兵役を経験した男衆が何人もいた、それがことごとく返り討ちに会うという事は、そういうことだ。
そんな思いが、無意識の恐怖となって、今さらのように足元を蛇のように這い上ってくる。そして、それを振り払おうとするように、弭槍を振るう動きがついがむしゃらになる。
「あっっ!?」
雪の下に隠れた石を踏み、軸を崩した半闇狩人は勢いのまま雪の上に倒れ込む。そして、雪が降り落ちる鉛色の空を見上げながら、思い出したかのように荒い息を吐き出す。恐怖感が鈍らせていた疲労、それが一気に噴き上がる。
その時、雪を踏んで此方へ駆け寄ってくる足音。その方向に目を動かすと、黒い外套に身を包んだ下に覗く、黒いサレットヘルムと面頬。師かとも思ったが、それより一回り低い背格好。そして、半闇狩人に駆け寄った軍団員は、彼女の手を取って引き起こすと、背中や髪についた雪を優しく払い落とす。
「あ………ありがとう、ございます」
そうだ、思い出した。あの時、パンケーキの夜食を差し入れてくれた伍長さんだ。そういえば、お洗濯ものも代わりに干してもらったのに、まだお礼を言っていなかった。
「あ、あの、この間はお夜食、ありがとうございました。それと、お洗濯ものも代わりに干してもらってすみませんでした……!」
そんな半闇狩人の言葉に、伝令伍長は、気にするな、というような仕草で兜を振りながら、外套の懐から、焼いた川石を幾重にも帆布に包んだ懐炉を半闇狩人に手渡した。
疲労と寒さで強張る指先へ、じんわりと伝わる温石の温もりに、半闇狩人の頬が無意識に緩む。そうだった、近場だからと割り切っていたけれど、一番これが大事だった。
「あの、伍長さん、いつもありがとうございます」
懐炉を両手で包み持ちながら、半闇狩人はぺこりと頭を下げる。そして、伝令伍長もそれにうなずきつつ、何かに気付いたように振り返ると、半闇狩人に小さく手を振ってから雪の中を駆け出し、その姿はやがて見えなくなった。
「やあ、おつかれさま」
入れ替わるように声をかけられ振り向くと、そこには外套姿の副軍団長が手を振りながら歩いてくる。
「こんな雪の中でも稽古かい、本当に熱心だね、君は」
「は、はい、ありがとうございます」
幾分緊張気味に答える半闇狩人の様子に、副軍団長は、それもやむなしとほろ苦く笑う。なにしろ、つい先ほどあれだけ嫌な思いをさせてしまったのだから。まだ、姉のようにさっぱりと切り替えられることができたら、と思う。
「ちょうど、ここの施設長に用事があってね」
「は、はい」
「そうしたら、君が稽古をしているのが見えてね。用は済んだから、姉さんが君を呼んで来いというものだから」
「そ、そうだったんですか?すみません、お手数をおかけしてしまって………」
やはり、父や姉に対するものとは違い、どこかぎこちない様子。彼我の距離感を図りかねているのは仕方のない事。しかし、副軍団長は、彼女に言わなければならないことを伝える。
「いろいろ不安に思わせたかもしれなかったけど、君には、本当に悪いことをしてしまったと思っているんだ」
「え………?」
「僕は、姉さんと違って、どうにも疑り深くてね」
副軍団長は、困ったように笑いながら、一瞬、雪の降り落ちる空を見上げる。
「回りくどいことをして、姉さんを怒らせて君を不安にしてしまった事を謝りたいんだ。君とは、これから一緒に任務………いや、冒険に出かける仲間なんだから、気まずいままでいたくなかったんだよ」
「副長様、大丈夫です、軍団長様にもお話しましたけど、だれだって驚くのは当たり前なんです」
そう言って、半闇狩人は、困ったような笑みを向ける。
「自分のお父様が、知らない人と一緒にいたら、誰だって気になります」
だって、わたし、こんなですから。
自分が半闇人だから、そんな、声に出さない言葉。そんな心の声を感じ取った副軍団長に、寂し気な表情が浮かぶ。
「これも、軍団長様にお話したことなんですけど、大丈夫です、お師匠様のご家族なんですから、悪い人じゃないって思ってました」
そんな半闇狩人の顔に、さっきまでの憂いを塗り潰すような笑顔が浮かぶ。それに引き込まれるかのように、副軍団長の顔にも、年相応の青年らしい笑顔が浮かんだ。
「ありがとう」
そんな半闇狩人に、副軍団長は素直に頭を下げる。
「そう言ってもらえると、救われるよ」
「そんな、わたしは………」
「さあ、そろそろ建物に入ろう。早くしないと、また雷が落ちてしまう」
冗談混じりの言葉を口にしたその時。
『人ひとり呼ぶのに、いつまでかかっている!早く戻ってこい!!』
「ほらね、さあ、それじゃいこうか」
「はい!」
その翌日、昨日の降雪が嘘のように晴れ渡る。そして、新人訓練所では、普段は新米冒険者たちが稽古に励む広場に、今日は異様な一隊が黒く四角い塊を形作っていた。
そして、その向こう正面には、完全装備の女軍団長が指揮杖を手に四列横隊を睥睨し、その隣に控えるのは副軍団長。そして、退役軍人と半闇狩人は、その一段後ろの貴賓席待遇の椅子に腰かけてその様子を見守っている。
「注目!」
副軍団長の号令に、休めの姿勢で待機していた軍団員は、一斉に寸分違わぬ動作で直立の姿勢を取る。そして、怒涛のようにざんと鳴る靴音に、半闇狩人はびくりと肩を動かす。
「怖がらなくても大丈夫だよ、彼らにしてみれば、なんてことない動作だからね」
「は………はい」
「軍団長訓示!」
副軍団長の、あの穏やかな物腰からは別人のような、面頬越しでも響き渡る雷鳴のような声に、半闇狩人は瞬きを忘れて部隊指揮の様子を見守る。
「み……みなさん、凄いですね」
「そうだねぇ、どこで誰が見ているかわからない。だからこそ、気を抜くわけにはいかないわけだからねぇ」
「馬鹿にされないため………ですか?」
「それもあるけどねぇ、彼ら軍隊は、そこにいるだけで怖がられなきゃ駄目なんだよ。敵になるかもしれない国、世の中を脅かす集団、いつか相手にするかもしれないものに対して、喧嘩を売ったら高くつく、目をつけられたらおしまい、そう思わせるのも仕事だからねぇ。だから、どれだけ自分達が高い練度を持っているかを示すわけなのさ」
退役軍人の言葉に、半闇狩人は緊張した面持ちでうなずく。師がかつて身を置き、そして率いていた軍団。女軍団長に言わせれば、まだまだほんの一部という話。しかし、冒険者とは全く異質の空気を漂わせる彼ら。
「だから、私は早く隠居したかったのさ」
そんな半闇狩人の心を読み取ったような、いつもの調子の言葉。しかし、そこに混じる、微かな苦い色。
「そういう家に生まれてしまったから仕方なかったけど、あまり私に向いている仕事じゃなかったからねぇ」
女軍団長の訓示を聞きながら、退役軍人は苦笑交じりに語る。
「まあ、世の中には、こういう稼業に向いている人たちが必ず一定数いるものだからねぇ」
「一定数………ですか」
「うん、だから、どんなことがあっても、こういう仕事は回るものなのさ」
そう呟きながら、退役軍人は寒風吹きすさぶ中、今回の任務について心構えと意義を説く女軍団長をみやる。それはまるで、自分自身に対しての覚悟を問うような言葉。
「でも、いなくちゃ困るものなのさ」
退役軍人の呟くような声は、冷気の中に絡めとられるように静かに消える。しかし、半闇狩人の耳が、それを聞き洩らす筈もなく。
その、様々な感情が入り混じった師の言葉に、彼女の時間が一瞬止まる。それでも、ややあって再び響き渡る女軍団長の玲瓏たる声に、すぐさま現に引き戻された。
「よし、では、志願者は、1歩前へ!!」
訓示を終え、再度姿勢を正した女軍団長の号令と同時に、整列する黒の軍団は、壁が移動するかのように全く同じ歩幅、全く同じ瞬間で全員が一歩前に出る。
「待て待て待て、こんなにいらん。元の位置に戻れ、直れ!!」
ある程度予想していたとはいえ、まさかここまでとは。号令をかけ直し、女軍団長はもう一度号令をかけ直す。
「もとい、志願者1名、1歩前へ!!」
そして、また同じように、全く同時に、全く同じ歩幅で移動する、黒い鋼鉄の壁。
「………貴様達、私の話を聞いていたか?志願は1名でいいと言っただろう!?これが最後だ、総員、直れ!もとい、志願者は1歩前へ!!」
そして、全く同じようにくりかえされる壁の移動。
「むぅ………これでは、話にならんぞ」
パンケーキのお預けを言い渡された三頭獣のように唸る女軍団長、しかし、面頬にかくれたその顔は誇らしげに緩む。我が父上なのだ、これほどまでに敬愛され崇敬されている、当然だ。しかし、このままでは埒があかない。さて、どうしたものか。
そして、その様子を後ろから眺めながら、退役軍人は楽しそうに笑う。相変わらず、愚直なまでに忠実、そして高い士気。実に頼もしく、そして有り難い、心から感謝すべき若者達。しかし、このままでは、我が娘の言う通り、話が前を見ないのも事実。
「君、ちょっと行ってきて、あの子に話してきてくれないかい」
そういって、退役軍人は中身の入った革袋を半闇狩人に手渡す。じゃらり、と音が鳴るその袋の中には、普段彼がたしなんでいる、東方の遊戯盤の黒い碁石が入っている。そして、あらかじめ手にしていた白い碁石を半闇狩人に見せ、それを袋に入れた。
その様子に、師の意図を理解したようにうなずく半闇狩人。そして、退役軍人は女軍団長に声をかけた。
「ちょっといいかい、ひとつ提案があるのだけどね」
「はい、なんでしょうか、先代」
「うん、私の弟子が説明するから、聞いてやってくれないかい?」
「承知しました、先代」
退役軍人の言葉にうなずく女軍団長、そして、その傍らに、半闇狩人が小走りで駆け寄る。
「それで、おまえの話とは、なんだ?」
言葉遣いとは裏腹に、これ以上ないくらい優しい声。そして、半闇狩人は、碁石を入れていた革袋を女軍団長に差し出した。
「は……はい、お師匠様も、皆さんのお気持ちはよくわかったとのことです。それで、くじ引きはどうかとのことです。この中に1個だけ、当たりを入れました。白い碁石を取った人が、参加するというのはどうでしょうか………?」
「何………?」
おずおずと、遠慮がちに提案する半闇狩人を前に、女軍団長は、今すぐにでも抱きしめたい衝動を訴えるもうひとりの自分を懸命にねじ伏せながら、その金色の瞳を見やる。
「名案だ!うむ、流石、先代。そして我が妹、心得ているではないか!………よし、聞け!貴様達!今から我が妹が籤を配布する!各員、ひとつずつ碁石を受領しろ!!」
女軍団長の号令に、黒の軍団にざわめくような緊張の波が走る。そして、80個の紅い視線が、一斉に半闇狩人に集中する。
「ど………どうぞ」
ひとりひとりが見上げるように大きい、まるで黒鉄の城の前に立ったよう。そんな黒の軍団の前に立ち、半闇狩人は、駒石を入れた革袋を差し出し、軍団員もその中から、これぞ、と願う石を手探りでつまみ上げていく。
「よし、総員、全て行き渡ったな」
女軍団長の言葉に、全員が全く同じ呼吸で碁石を握った拳を上げる。
「では、総員確認!白の碁石を引いたものが、本作戦の要員とする!!」
女軍団長の号令で、やはり一斉に手を下ろし、我が掌の碁石を確認する軍団員。そして、ややあって、ひとりの軍団員が隊列の中から、前に進み出ると、掌の上にある、白い碁石をおもむろに女軍団長の前に示して見せる。
「伍長、貴様か」
女軍団長の言葉に、当たりの礫を引き当てた伝令伍長は。白い碁石を握り締めた拳を力強く頭上に掲げる。
「よし、貴様は伝令として同道してもらう。手際を見せろ、いいな」
女軍団長の言葉に、伝令伍長は、直立不動の姿勢をとり、これ以上ない程の力強い敬礼を捧げた。