DDH-191 ろっこう〜元大和型戦艦の護衛艦〜 作:神戸六甲
今回はろっこうの造られた話です。ろっこう視点で話が進みます。
では本編をどうぞ
第一艦艇寮
ろっこう「ここが自分の部屋だ」
加賀「いい部屋ね」
ろっこう「そりゃどうも」
加賀「この服は提督が着ている服とは違うけど何?」
ろっこう「それは海上自衛隊の正装の、常装第3種夏服と常装冬服だ」
加賀「かっこいいね。何この写真?」
ろっこう「これはやまととしなのと一緒に撮った写真で、確か5年くらい前になるかな」
加賀「、、、ろっこうっていつ建造されたの?」
ろっこう「それを話すととても時間がかかるがいいか?」
加賀「いいよ」
ろっこう「あれは1932年の今頃だったかな、、、」
1932年7月 大日本帝国海軍本部
自分はある一つの計画によって造られた。その名前は[大和計画]、この計画を実行するには戦艦型の試験艦を造る必要があった。
「この計画はかなりきついですよ長官」
「分かっている、だがこの計画を成功させなければいけんのだ」
「なら戦艦型の試験艦を造ってはどうでしょう」
「だがなぁ」
「ですがこれをやらなければこの計画を実行に移せません!」
「よし分かった、今度の会議で話しておく」
「ありがとうございます!」
この、長官に意見を述べた人、この人が自分の産みの親である『大嶋和成(おおしもかずなり)』である。階級は中佐だ。そして海軍の設計家でもあった。
翌日、大嶋は長官に呼ばれた。
「昨日の君の案なんだが、全会一致で賛成だったよ」
「そうなんですか?!」
「あぁ、何でも『確かにこの大きさは無理がある』と言うことだ。と言うことで君に命令だ」
「何でしょう?」
「君に大和計画の試験艦の設計と、開発をしてもらう」
「わ、分かりました!全力でやらせてもらいます!」
この時、大嶋の気持ちは不安など一切無かった。むしろ喜んでいた。そして大嶋は一年で自分の設計を組み立てた。それには長い話があるが、またの機会にしておこう。そしてその設計図を元に、全長302m、横幅50m、兵装45口径46cm3連装砲4基、20mm高射砲が14基となる大和型運用試験艦が1936年に進水した。そう、これが今の自分である。その後3ヶ月に及ぶ試験航海での調査など、色々なことがあり自分は退役し、解体される事になった、、、はずだった。それを止めたのはあの昭和天皇だった。
「この船にはこの日本の未来を守ってくれる気がする。この船をどこか秘密の場所へ隠してくれ。それとこの船に名前はあるか?」
「いえ、ありませんが」
「ならばこの船の名前は『六甲』とする」
「いいお名前です」
この時に今のろっこうと言う名前が付いた。その後太平洋戦争が終わり、月日が流れ終戦から80年以上経ったある日、自分は『国を守りたい。いや、護らなければ』と言う思いを持ってまた復活した。
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ろっこう「その後色々あり、今に至る」
加賀「そんな話があったなんて」
ろっこう「護らなければと思ったのは本心だ。今までもこれからもな」
加賀「やっぱりろっこうはかっこいいね」
ろっこう「ありがと。そろそろ昼飯時だ食堂に行くか」
加賀「そうね」
ろっこう(深海棲艦なんかに負けてられっかよ。世界は違えどここは日本、守る物は変わっていない!)
加賀「何してるの?早く行こ」
ろっこう「おう!」
次回に続く
どうでしたか?
ろっこうは大和型の零番艦だと言うけど運用艦だったな。
感想待ってます!ではまた。
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