黒衣の探求者 ~神殺しの刃~ 作:黒の夢
※パワーバランスは崩壊しています。
――ここは、どこだ。
視界が暗い。何も見えない。常闇の世界。
⋯⋯そうか、私は滅んだのだ。
あの時、あの忌まわしき光の刃に引き裂かれた肉体は、思念となったあと、完全なる滅びの時を迎えた。
ならばここは、あの世⋯⋯地獄か、あるいは無の世界か。
どちらにせよ、もう全ては終焉したのだ。どれほど悔やもうとも、どれほど嘆こうとももう遅い。使命として掲げた崇高な目的の達成は叶わず、あと一歩のところで無情にも露と消えた。
私の存在意義は、いったい何だったのだろうか。
正義と信じ、己の信念に基づいた行動は、廃墟と化した世界に否定された⋯⋯間違っていた? 私は、間違えたのか。どこで間違えた。何を間違えた。世界に⋯⋯憎悪、嫉妬、怒りに満ちた野蛮な世界でもがき生きる者達の前に、掲げた理想は完全に拒絶された。
醜い感情が渦巻く汚れた世界を浄化し、争いのない美しい理想の世界を創り上げる。
それが、間違いだったというのか――間違いだったのだな。
否定されたのは、私の方だ。気高い志を掲げる神ではなく、醜い人類を世界は受け入れた。滑稽な話だ。笑い話にもなりはしない。
⋯⋯しかしなぜ、まだ私に意識がある? 思念が残っているとでもいうのか。何のために、なぜ? 理想は否定された。私ではなく、無垢に生きる者達を選んだ。世界の意思に拒絶されたのだ。
己の肉体すらも視認出来ぬ、常闇の世界。遙か遠くに、微かな光が灯り、微かに声が聞こえた。
――呼んでいる? 誰を、私を。何者かの意思が、それとも世界が、この私を求めているとでもいうのか。存在を否定した、この私を⋯⋯。
☆ ☆ ☆
――血の臭い。
暗闇に充満する、血生臭い悪臭。この臭い。獣の類いのものではない。人間のもの。重いまぶたを開けた途端に、猛烈な光が視界を奪った。あまりの明るさに顔を背け、目を閉じる。だが、視界には明るさが残っている。どうやら、常闇の世界から解放されたようだ。目を閉じたまま、身体を動かす。腕も、脚も動く。だがしかし、身体は鉛の様に重い。ほんの僅かに動かすだけで、全身に激痛が走る。
「これは、いったい⋯⋯」
激痛に耐えながら、やっとのことで開けた目に映ったのは、真白な世界。大小さまざまな白い冷たい塊が、軋む身体に降り積もっていく。
――雪。そう、雪だ。
そう遠くない時間で、この身体を覆ってしまう程の降雪。横殴りの北風が吹き、降り注ぐ雪の量も増え、容赦なく体温を奪っていく。
「ふふふ⋯⋯」
思わず笑いがこみ上げてくる。おそらく、あと数時間もしないうちに、私は再び命を落とす。これが、報い。あの程度の痛みでは足りないということか。しかし所詮は、拾った命。このまま朽ち果てるのも、また一興。
「おやおや⋯⋯」
「ん?」
死にゆく私を見下すように、人間の姿をした者が立っている。その者が残したであろう降り積もった新雪に残る足跡には、白い雪と混ざり所々薄紅色が掛かった鮮やかな赤と、不快な血生臭さがはっきりと残っている。
「こんなところに人間が居るとは」
「⋯⋯お前、人間を殺したな。何者だ? ただの人間ではないな」
「ほう。瀕死の重傷を負っている割に、頭と口は回るようだな」
ビロードマントのから覗く黒いジャケットとスーツを着こなすキザな格好の男は、不適な薄ら笑いを浮かべている。
「身に付けている道着は、大陸由来のものか。ふふふ、瀕死の武闘家⋯⋯このまま見殺しにしても構わないが、ここで出会ったのも何かの縁。私に忠誠を誓うのであれば、その命を救ってやろう。順応できるかは、お前次第だが」
「ふふふ⋯⋯」
「何を笑っている、気でも狂ったか?」
「見くびるな。死に損ないのような面をしたお前の慈悲など受けるつもりは毛頭ない」
「⋯⋯死に損ない? この私が、死に損ないだと? 違う違う違う違う⋯⋯」
全てを見下すような薄ら笑みが消える。元々青白い顔は更に血の気が引き、紅梅色の瞳を真っ赤に充血させ、額に青筋を立てた男は全身を震わせて異様な殺気を放つ。
「死に損ないはお前の方だ。そうだろう? 動けもせず。降雪の中、いずれ訪れる死を待つだけの身。お前は今、九死の一生、千載一遇の機会を逃した。放っておいても死ぬが、この私自らが直々に手葬ってやろう⋯⋯」
伸ばした指先の爪が鋭く伸びた。やはりこの男、ただの人間ではない。真っ赤に充血させた眼で心臓に目標を定め、振り上げた右手を容赦なく振り下ろした。
「ぐっ! なぜだ? なぜ刺さらない⋯⋯!?」
「どうした? 私を殺すのではなかったのか? ふふふ、大勢の人間は殺せても、たったひとりの死に損ないを殺すことは出来ないようだな。では、こちらの番だ」
「ぐっ!?」
激痛を堪えた左手で、男の右手の手首を掴み握り潰す。骨が砕ける音がし、やや顔をしかめた。
「お、お前は、いったい⋯⋯くっ!」
月の光を遮る曇天と横殴りの吹雪の中、子供と思わしき悲痛な嘆き声が遠くで響いた。その嘆き声を合図にしたかのように、自ら砕けた右手首から先を引きちぎり、男は後ずさりしていく。見間違いか、血が滴り落ちていた患部がいつの間にか元に戻っているように見えた。
「⋯⋯どうせ、死ぬ。せいぜい苦しんで死ぬがいい。所詮お前たち人間は、私たち鬼の餌でしかないのだからな」
負け惜しみの捨て台詞を残し、吹雪の中を消え去っていく。
――鬼。人間を喰らう鬼。
私が知る世界とは、また別の世界が生まれたのか。それとも、この未来を辿ったのか。どちらでもいい。ヤツの言った通り、このまま死を待つことに変わりはない。
体温が、頭が働きが徐々に薄れていく。
そして、私は意識は、ここで途絶えた――。