黒衣の探求者 ~神殺しの刃~ 作:黒の夢
――近く、柱が一本欠ける。
それを知ったのは、柱が崩れる数日前まで遡る。
あの夜、自身から怒りの感情が欠落している事に気がついたが、鬼殺隊の柱を相手にした模擬戦は続けた。限界を超えられなくとも、実戦勘を鈍らせてたくはなかった。この身体に流れる戦闘民族の血がそうさせたのかもしれない。
不死川と同時に手合わせをした冨岡、二年前の柱合会議にも参加していた、悲鳴嶼行冥と続き。直近の相手、煉獄杏寿郎と手を合わせた時はっきりした。
理由は、時の指輪が見せた未来――上弦と思われる鬼と戦っていた隊士と同じ気を纏っていたからにほかならない。手合わせの後、伝令のカラスから自身の部下を送り込んだ任務において、被害が拡大している知らせを受け、予定を切り上げた。おそらく近日中に、上弦の鬼と対峙する事になるだろう。
「考え事ですか?」
胡蝶の声。目を閉じたまま、聞き流す。胡蝶は特別気にする様子もなく、そのまま話しを続けた。
「先程、竈門君たちが屋敷を出立しました。煉獄さんが担当する任務の補助に向かうそうです」
煉獄の補助ならば、今日明日中に起こる。未熟さに泣き崩れていた隊士は、竈門と同じ市松模様の羽織を着用していた。特徴的な猪の被り物をした嘴平も、竈門の近くで立ち尽くしていた。あの時と同じ状況であるなら、あの戦闘に介入する事は許されない。
「私も少しの間、屋敷を空けます」
「煉獄の手助けか?」
「いいえ。別件です。今日はカナヲも任務があるので、屋敷の隊士は全員出払います。アオイと、あの子たちのことをお願いします」
「お前は?」
「ご心配には及びません。これがありますから」
旅支度を済ませた胡蝶の腰に差された刀を、指先で軽く持ち上げて見せた。
「生前、姉が差していた日輪刀を打ち直していただいた物です。十二鬼月は別として、下級の鬼の頸でしたら斬れると思います。いざという時は、教わった舞空術をやり過ごしますからご心配なく」
「では、行ってきます」と言って、胡蝶が道場を後にすると、辺りに静けさが訪れた。那田蜘蛛山で負傷した隊士も全員退院し、現在蝶屋敷に居るのは、私を含めて五人。鳥のさえずりと、木々が揺れてざわめく葉音を聞き、心を静め瞑想に努める。昼が過ぎ、時計の針が二時を回った頃、神崎が道場にやって来た。
「お力をお貸し頂きたいのですが、お願い出来ますか?」
正座して何かと思えば、屋敷から少し離れた町での買い出し。
「屋敷を空けていいのか。子供たちしか居ないのだろう」
「
「その連中に頼めばいいだろう」
「お米を大量購入するからです。今回の看病で、大量に消費しましたので。ごめんください、お米をお願いします」
小柄な神崎の注文に対し、米屋の店主は再確認を行う。
「精米を5俵で間違いございませんか」
「はい、間違いありません。後ほど伺いにまいります」
「承りました。ご用意しておきます」
「お願いします。では、次のお店へ行きましょう」
何軒か店を回り、最初に注文をつけた米屋へ戻る。店先に、米俵が積まれた台車が用意されていた。代金を支払った神崎は、改めて台車に積まれた米俵に目を向ける。
「自分でお願いしておいてなんですけど、重量感がありますね」
「お前が運ぶか?」
「すみません、お願いします」
煉獄との手合わせは途中で打ち切られた、若干の消化不良は否めない。鬱憤⋯⋯というのは些か大袈裟ではあるが、多少憂さ晴らしにはなるだろう。片手で台車を持ち上げると、周囲から響めきが起きた。
「あっ、丁寧に扱ってください。台車は、お店にお返ししなければいけませんから!」
「面倒な。ここで待っていろ」
台車ごと蝶屋敷に瞬間移動、移動先の中庭で掃き掃除をしていた三人の娘たちの案内で貯蔵庫へ行き、五つの米俵を置いて、神崎の気を探る。戻ってきた場所は、米屋をやや離れた別の店の軒先。
「あ、お帰りなさい」
神崎は、蝶屋敷で暮らす娘よりも幼いの子供の手当てをしていた。
「転んで、膝を擦りむいたんです。もう大丈夫ですよ、気をつけて帰ってくださいね」
何度も後ろを振り返りながら手を振る子供を、小さく手を振って見送る神崎は、鬼殺隊の隊士へ態度、特に我妻善逸に対する態度とは真逆の柔らかな表情をしている。
「お前たちは⋯⋯」
「はい?」
「いや。戻るぞ、捕まれ」
神崎を連れて、蝶屋敷に戻る。
神崎といい、胡蝶といい。なぜああも、赤の他人に対してまで献身的になれるのだろうか。いくら思考を凝らしても疑問は解けず、時間だけが進み、いつの間にか丑三つ時を回り、大きな戦闘の気配を感知した。中庭に出て、気配を感じる方角に意識を向ける。
高速で移動する複数の気、煉獄と竈門たち、そして鬼の気配。高まる気と共に、戦闘は徐々に激しさを増していく。
「この気配は⋯⋯」
鬼の気が薄れていった直後、突然一際大きな鬼の気が出現した。
那田蜘蛛山で相見えた下弦の鬼とは、まったく比べものにならない別種の気。戦っているのは、煉獄杏寿郎。両者の気は、ほぼ互角。上弦を相手でも、十分やり合えるだけの実力を持っている。
しかし、時間が経過していくにつれて徐々に、確実に押され始めた。弱まっていく煉獄が、一気に盛り返した。応えるように鬼の気も上昇していく。決着がつく、そう感じた刹那――違和感を拾った。
「
「は、はい!」
藤襲山の最終選別の準備の場にいた、
「出かける。夜明けは近いが警戒を怠るな、近くに鬼の気配がある」
「わ、分かりました。お気をつけてください!」
額に指を添え、消えかかる寸前の煉獄の元へ飛ぶ。
視界に入ったのは、脱線した汽車と複数の客車、脱線した客車から這い出てくる負傷者の数が、戦闘の激しさを物語っていた。
何より目の前の、見るも無残な変わり果てた煉獄の姿。裂傷した頭部は出血、鳩尾が貫かれ、内臓が抉られている。もう長くはない。
「ご、悟空さん?」
「お前、屋敷に居たツンツン頭じゃねぇか! どっから出てきた!? 全然気がつかなかったぜ!」
「静かにしろ、嘴平。私は、煉獄に用事がある」
とは言ったものの、とても話しを出来る状態にない。気を分け与え延命させたとしても、ただいたずらに苦しみを長引かせるだけの残酷な見せ物になる⋯⋯が。時の指輪は、止めようしない。これは、許されるということか。煉獄の肩に手を置き、気を送り込む。ほんの僅かながら、血の気の引いた青ざめた顔色に生気が戻った。
「孫、悟空⋯⋯? 竈門少年――」
「れ、煉獄さんッ!」
「答えろ、煉獄杏寿郎。上弦との戦闘の最中、何が起きた?」
勝負は、互角⋯⋯いや、最後の一撃に限っては煉獄の方が勝っていた。だが突然、気が大きく乱れた。あの一瞬の乱れが、勝敗を分けた。
「⋯⋯身体に刺されたような痛みが走り、斬撃の軌道が僅かにズレた」
「上弦の能力、血鬼術とやらか?」
微かに首を横に振って否定した、上弦の血鬼術ではない。別の理由によってもたらされた。勝負の最中、横やりを入れた愚か者がいる。
「⋯⋯すまない。初撃は防御したが、キミとの模擬戦で指摘された教訓を活かしきれなかった⋯⋯」
「無駄口は叩くな、死を早めるだけだ。竈門、嘴平、鬼は1体か?」
「おう、間違いなく上弦の参だけだったぜ。この伊之助様が言うんだから間違いねぇ!」
「は、はい。下弦の壱を倒した後、突然現れて。なのに俺は、何も出来なくて⋯⋯」
おびただしい量の血溜まり。どう見積もっても、失血死に至る量を遙かに越えている。何より陽光を浴びて蒸発を始めた血は、鬼の物であることを物語っている。日の光を遮る森に向かって続く、血の跡――。
「森へ逃げたか」
今であれば、まだ追える。額に指を添え、森の中の気配を探り出す。
「見つけた⋯⋯」
森の中を走る鬼の目の前に移動。
行く手の先に回り込んだ目の間の鬼は、紅梅色の短髪で瞳には「上弦・参」と刻み込まれていた。
「何だ? お前も、鬼狩りか? 刀を差していないところを見ると、正規の鬼殺隊ではないな」
「煉獄と戦った上弦の鬼だな。お前に訊きたい事がある」
「杏寿郎? アイツはもう、死んだか?」
「間もなく死ぬ」
「杏寿郎は、本当に頑固な奴だ、あれ程の才気を持っていながら。鬼になれば、あの程度のケガはかすり傷のようなモノだというのに!」
「その割には、再生出来ていないようだな」
「⋯⋯すぐに治る!」
胸部に刺さった刀を引き抜き、刀の刺し傷と腹部の傷がまたたく間に癒えていく。
「お前は戦闘の最中、刃物を使用するか?」
「何を言っている?」
「まあいい。答える気にさせてやるまでだ」
「ハッ! 面白い、やってみろ。ここなら、太陽の光は届かない。思い切りやれる。溜まった鬱憤晴らさせてもらおう!」
時の指輪が反応している。今、この鬼と拳を交えることは間違った歴史だということなのだな。だが私は今、すごぶる機嫌が悪い。どうせ戻されるのならば、こちらも手を抜く必要はない。少々憂さ晴らしをさせてもらおう。
肘を曲げた両腕を腰の横に引き、身体を屈めた上弦の鬼は、足跡が残るほど強く地面に蹴った。その爆発的な初速は、柱の中でも上位の瞬発力を誇る宇髄を上回る速さ。
「反応速度は、杏寿郎よりも上か。雷か?」
「お前を、鬼を殺すのに呼吸など必要ない。いいことを教えてやろう。煉獄は、この身体に掠りキズ一つ付けることさえ叶わなかったぞ」
「戯言を。杏寿郎は、今まで殺してきた中でも指折りの柱だった」
「その目で確かめて見るんだな」
「望むところだ。証明して見せろ!」
間合いを詰め、至近距離での打ち合い。
この世界で目覚め、人間、鬼問わず今まで交えて来た誰よりも優れた格闘戦の才能を有しているが、猗窩座の打撃はいっさい通らない。
「いい動きだ、まさか俺に付いてくる人間がいるとは。ならば、全力で行くぞ!」
真後ろに跳び、距離を置いた猗窩座。左腕を腰に添え、右腕を真っ直ぐ伸ばした右前の構えた。
「術式展開・羅針ッ!」
足下に現れた、まるで雪の結晶を思わせる陣を展開させる。
これが、この鬼の血鬼術。基礎的な戦闘力が大幅に上昇した。
「こ、これは⋯⋯す、素晴らしい闘気だ! 杏寿郎を遙かに凌駕する闘気! まさに、至高の領域⋯⋯!」
「ほう。相手の力量を測れるか。まんざら雑魚というわけではないということか」
「この俺が震えている? これが、武者震いか! 嬉しいぞ、まさかこんなところで出会えるとは! 名前は、何と言う? 俺の名は、猗窩座」
「孫悟空」
「孫悟空か。どうだ? 鬼にならないか? 不死身の鬼となれば今より更に、永遠に己を磨くことが出来るぞ。武の道を歩む者同士、共に高め合おう!」
「丁重にお断りしよう。この身体こそが最強、不純物など願い下げだ」
「そうか、残念だ。ならば、その力存分に楽しませてくれ! 破壊殺・空式!」
何もないところで拳を振るったのとほぼ時間差無しで、圧縮された空気の塊が飛んでくる。まさか、衝撃波を使える者がいるとは、それも上弦の鬼。全てをいなし、反撃に転じる。
「お前も、闘気を飛ばせるのか!?」
「驚くにはまだ早い、ハァ!」
「なに!? この光の球体は――くっ⋯⋯!」
左手で牽制目的の気功弾を連続で放ちながら徐々に追い詰め、逃げ場を失った猗窩座の足が止まった。瞬時に距離を詰め、右の拳を振り抜く。防御した鬼の左腕が砕ける鈍く重い音が森中に響き、肩の付け根から弾き飛んだ。
「うぐっ!?」
「どうした? 不死身と粋がっていた割に痛みを感じるのか。答える気になったか?」
「⋯⋯俺は、刃物なんて使わない。己の身が、武器だ⋯⋯!」
付け根からなくなった左腕が瞬く間に元に戻った。これが、上弦の回復力。猗窩座が繰り出した反撃の拳は、触れた腹部を貫くことなく鳩尾で止まった。
「ば、バカな、杏寿郎を貫いた俺の拳が――」
「百年変わらぬ上弦の鬼とやらも所詮この程度でしかないか」
手首を掴み、気功弾を腹部に放ち。気を纏った右手を斜角に振り下ろす。木の幹に激突して止まった猗窩座の身体に、無数の刃状の気功波が突き刺さり身動きを封じる。
「何だ!? この光の刃は――」
「もう終わりか?」
「ふざけるな! こんなもの!」
大量の出血を伴いながらも、強引に拘束から逃れようと必死にもがいている間に上向いた太陽の光が、戦闘で倒れた鬱蒼とした森の木々の隙間から射し、周囲の一部を照らしていく。
「し、しまった、くそぉーッ!」
「太陽が恐いか? フフフ⋯⋯」
「だ、黙れ! なっ!?」
拘束を逃れた猗窩座は、素早く日陰へ跳んだ。出血は止まり、傷ついた身体が再生していく。
「⋯⋯どういうつもりだ?」
「単なる気まぐれだ。放置して焼き殺しても構わなかったが、武の道を歩む者同士、冥土にいいものを見せてやろうと思ったまでのこと。極めるということがどういうことか教えてやろう」
前に出した両手の手首を合わせて腰の横で構え、気を集中させる。
「か⋯⋯め⋯⋯は⋯⋯め――」
「な、何という凄まじい闘気⋯⋯! 俺の骨を砕き、身体の芯にまで響く一撃といい、本当に人間なのか!? 素晴らしい⋯⋯素晴らしいぞ、悟空! 俺も、全力で応えよう! 破壊殺――!」
上弦の参に向け、貯めた気を解き放とうとした瞬間、何かに鋭利なモノに身体が貫かれた。周囲には常に気を張っていた、だが、目の前の上弦の鬼以外の気は感じなかった。脚の踏ん張りが利かない。身体がいうことを利かない。
しかし――やはり、居た。命懸けの勝負に横やりを入れた、無粋な愚か者。
崩れ落ちていく身体が地面に叩きつけられる直前、意識は途絶えた。