黒衣の探求者 ~神殺しの刃~ 作:黒の夢
「炭治郎たちがやってくれた、上弦を。遂に動いた。百年変わることのなかった歴史が、遂に⋯⋯」
ここ数週間の間に急激に病が進行し、常に床に伏せるようになった産屋敷だが、自身の身のことなど省みず息を切らせながらも、竈門たちが成し遂げたことを興奮した様子で賞賛する。
「威勢がいいの結構だが、死期を早めるだけだ。お前にはまだ、やらなければならないことが残っているだろう」
「無論心得ているよ。けれど、無惨を討つためなら、この脆弱な身体など惜しくはないことは本心。そのための準備は、順調に確実に進めている。私が亡き後のことも含めて⋯⋯」
興奮して上がった呼吸を整え、産屋敷は静かに仕切り直す。
「先の戦闘において、炭治郎が“痣”を発生させた。そして、一人痣者が現れると共鳴するように連鎖していく。正に今、数百年に一度の好機が訪れた。二本欠けたとはいえ、柱たちは、確実に実力をつけ。そして、上弦の頸に刃が届くことを証明してくれた。しかし⋯⋯」
如何せん、末端にまでは手が行き届いていない。担当地域の防衛に手一杯な反面、鬼は勢力は拡大の一途を辿り、各柱は自身の後継者の継子を育てる余裕がない。戦力の底上げが可能であれば、上弦の討伐に専念することが出来る、か。
「今は、功を焦らず、来るべき時のために人事を尽くす。活路は必ず見いだせる。キミに頼まれていた件、支度が整ったよ。しかしなぜ、今になって?」
「事情が変わったまでのこと。お前は、鬼舞辻の討伐だけを考えていればいい」
それだけを言い残して、産屋敷の屋敷を後にする。
オレにも、やらなければならないことがある。そのためには、知らなければならない。まだ見えぬ答えを。
「――行くとしよう」
屋敷を後にして向かった先に現れたのは、焼け果てた建物の跡地。炎が燻り、辺りには焼け焦げた臭いが立ち込めている。焼け落ちてからまださほど時間は経っていないことを表している。隅々まで手入れの行き届いた屋敷は、もはや見る影もない。そして感じる、焼けた家屋の物とはまったくの別種のニオイが混ざっている。
「これが、お前の残した信念の結果か⋯⋯」
焼け落ちた家屋に、視線を戻す。
しかしなぜ、ここまでする必要がある。到底理解が追いつかない。だが、絶望的な状況下においても、命を落とすこともいとわず立ち向かう者の恐ろしさは今も、脳裏に焼き付いていることを否定出来ないことも、また確かなこと。
「⋯⋯あれは。そうか、辿り着いたのだな。答えに⋯⋯――」
思わず笑みがこぼれた。
やや離れた複数の場所で激しい戦火の焔が幾つも灯る中、よく知る気を発する者たちが、一際激しい激闘を繰り広げていた。
☆ ☆ ☆
産屋敷が用意した、人里から離れた小屋に入る。すると、アサギマダラ柄の破れた羽織を仕立て直している、図々しい娘が居た。
「あら、気がつきませんでした。お邪魔しています、ご無沙汰ですね」
「⋯⋯なぜ、お前が居る?」
「もちろん、お話しを伺うためですよ。私も、当事者ですから」
「関わるなと言ったはずだ。もはや、お前が入り込める次元の話しではないのだ。胡蝶」
裁縫途中の手を止め、姿勢を正した胡蝶は、普段の作り笑顔を崩した。初めて見る、真面目な表情。真っ直ぐな瞳からは、どうあっても引き下がるつもりはないという覚悟を感じる。
「あなたと会話していた顔色が優れない方が口にした、醜い人間を根絶やしにするという言葉。私に気を纏った手を突き立てたあなたは、腕の間を抜いて羽織だけを貫いた直後、気を下げて死を演じろ、と。そして、理想を共にしていたとも」
出入り口の戸を閉め、柱に背を預けて腕を組み、疑問に答える。
「利己主義者の世迷い言にすぎん」
敗北を認めず、なぜ失敗に終わったかを冷静に見つめ直すこともせず、掲げた理想のみを未だ追い求める愚か者。必ず同じ轍を踏む。しかしながら、神の気と不死身の身体を有することもまた事実。
「お前も感じただろう。ヤツの異質さを」
「はい。目の前に居るのに、気配そのものを感じられませんでした」
「特別な気を纏っている。人間には捉えることは出来ないが、向こうは捉えられる」
胡蝶は察し、不自然に思われないよう徐々に気配を小さくしていく。
「これから、どうするおつもりですか?」
――どうする、か。
この世界で目覚めてからおおよそ1年の間、自問自答を繰り返したが。未だ、明確な答えに辿り着いていない。
「⋯⋯お前はなぜ、縁もゆかりもない者に対して己の命をかける?」
胡蝶だけではない。猗窩座と戦い散った、煉獄杏寿郎。先の戦闘において片腕と片目を失った、宇髄天元。幾度となく命に関わる重傷を負いながらも立ち止まることなく戦場へと戻っていく、竈門炭治郎。鬼の始祖・鬼舞辻無惨を倒すためならば己の死すらも厭わず、あまつさえ利用することさえもじさない、産屋敷耀哉。
「正直私は、煉獄さんたちのような立派な志ではありません。最愛の姉を、両親を鬼に惨殺された時から。鬼に大切な人を奪われた人たちの涙を、絶望の叫びを聞くたびに、私は⋯⋯。私を突き動かすものは結局、鬼に対する怒りの感情です」
怒り。確かに怒りは原動力になり、時として爆発的な力を与えてくれる。だが、それだけでは敵わなかった。怒りの感情だけでは。その先の、“ナニカ”が足りない。
「以前、旅の帰りに立ち寄った村である話しを耳にしました。川で溺れた幼い子供を、偶然通りかかった方が救助したというお話し。その方は、名前も告げずに立ち去ったそうですよ」
「それがどうした」
「いいえ。ただ、何か参考になればと想っただけです。ふふっ」
意味深に笑うと、蝶の髪飾りに手を持っていき、結んだ髪を下ろす。
「お館様とあまね様、数名の
着替えと数日分の食料、半年は困らないであろう金品。そして、産屋敷から託された日輪刀。
「お尋ねしたいことがあります。あの場に現れた鬼は、どのような鬼でしたか? 私が駆けつけた時には既に、鬼の身体は半壊していたので確認出来ませんでしたが、扇と思わしき物が落ちていました」
「フッ、心当たりがあるようだな。鋭利な扇を使い、冷気を操る鬼。確か、上弦の弐だったか」
「上弦の弐⋯⋯!」
雰囲気が一変、得意の作り笑顔も崩れた。ここまで感情を表に出すのは、初めてのこと。無言のまま身支度を済ませ、立ち上がった。
「今のお前では無理だ。病魔に犯された痩せ細った身体ではな」
「身体が万全であれば。身体に仕込んだ毒を抜けば、上弦を斬れますか?」
「さあな」
「⋯⋯失礼します」
小屋を出た胡蝶は、鬱蒼とした森の中へと姿を消した。
玄関を閉め、意識を集中し気配を探る。範囲を徐々に広げていく、点々と感じる鬼の気配の中に、集まっている気配を見つけた。数は、七か八といったところ。よく知る気配が、三つ存在している。
「やはり、か」
おそらく、残された時間はあまり長くはない。急がねばならない。だが、闇雲に動いたところで、求める答えには辿り着かないだろう。どうやって、辿り着いた? あの答えに。荒廃した世界で死闘を演じたあの者たちのように、神とも渡り合う領域へ――。
しかし、ひと月以上が経っても答えは見つかることはなかった。
産屋敷たちからの連絡もなく、ただただ時間だけが無情にも過ぎ去っていったある日、一夜に渡った戦闘が終わった。気配からして、相手は上弦の鬼が二体。二体の上弦と相見えていた隊士は竈門、時透、甘露寺の三名と、竈門の妹に似た特殊な気を有する者。前者三名は戦闘の最中、爆発的に気を上昇させた。猗窩座との死闘の最中、極限まで気を高めた煉獄に勝るとも劣らない気の高まり。
しかし今は、そんなことはどうでもいい。
食料が底をついた。人間の身体とは、何とも不便なもの。食料を調達に行くため、道着を脱ぐ。ふと、背中の解れ痕が目に止まった。
『川で溺れた幼い子供を――』
川に入っていった三毛猫を助けるため、だったか。
「孫悟空様」
「カラス⋯⋯」
首に布を巻いた鎹鴉は流暢な言葉で喋り、産屋敷からの伝言を伝え、飛び去っていった。音沙汰もなかった産屋敷からの突然の呼び出し、時は来たということか。日輪刀を持ち、額に指を添え、今にも息絶えそうな産屋敷の元へ飛んだ。
☆ ☆ ☆
「⋯⋯やあ、悟空。見苦しい姿で、申し訳ない⋯⋯」
「御託はいい。用件を言え」
「ああ、そうだね⋯⋯あまね」
「はい」
両手を付き頭を下げたあまねが、ほぼ全身が病に犯され寝たきりの状態の産屋敷の替わりに話す。
「鬼の活動が止まりました。きっかけは竈門炭治郎の妹、竈門禰豆子が、太陽を克服したためと推察されます。現在、来るべき決戦に備え、鬼殺隊の総力を挙げて“柱稽古”を執り行う準備を進めています」
鬼殺隊の柱たちが各得意分野における鍛練を、鬼殺隊の隊士に与え、戦力の底上げを図る修業。
「悟空様のお力をお貸し頂きたく、お声をかけさせていただきました」
「以前にも話したはずだ。一朝一夕で身につくものではない」
「承知しております。柱及び、柱稽古を突破した隊士に近接戦闘をご教授していただきたいと考えております」
気の扱いを教えろというわけではなく、鬼と戦うにあたっての実戦経験をという話し。いったん返事を保留し、周囲の気を注意深く探る。確かに、活動的な鬼の気配はほとんど感じ取れない。
二ヶ月ほどの間、ただ自問自答を繰り返していたわけではない。多少小細工を仕掛ける必要があるが、鬼が活動を停止した今、こちらとしても新しく身に付けた力を試すまたとない機会。戦力の底上げを図りたい産屋敷と、ぶっつけ本番を前提としていた中での実戦経験を積める、互いの利害は一致している。
「いいだろう」
「ありがとうございます。稽古場は、炎柱・煉獄杏寿郎の屋敷を指定させていただきました。申し訳ございません。現在、屋敷は私たち以外出払っているため、ご案内することが出来ません。こちらが、地図になります」
受け取ったメモの代わりに、日輪刀を渡す。
「これは必要ない。護身用に置いておけ」
「⋯⋯悟空、刀を見せてもらえないだろうか? どのような色をしているのか⋯⋯」
「私がお伝えします。どうか」
死にゆく者の最後の願い、か。ひとつ息を吐き、ゆっくりと、日輪刀を抜く。
「とても美しい色です。まるで――」
色を伝えようとした、あまねの言葉を遮る。
「⋯⋯産屋敷。一度色の変わった日輪刀は、二度と変わらないのだろう?」
初めて抜いた時、鏡のように反射し、虹のように無数の色を放っていた刀身は今、まるで夕焼け空を彷彿とさせるような赤とオレンジが混ざり合ったような輝きを放っていた。