黒衣の探求者 ~神殺しの刃~ 作:黒の夢
清潔感のある白いカーテンの隙間から差し込む柔らかな日差し、風に乗って漂う馨しい藤の花の香りが、鼻腔をくすぐる。
私はまた、死に損なってしまった。
しかしこれは、何の冗談だ。雪が吹き荒れる冬山の中で瀕死の状態で意識を失っていた私を救ったのは、こともあろうに人間だった。争いを好む野蛮な人類を世界からの抹殺を掲げた「人間ゼロ計画」を画策していた私に、生き恥を晒せというのか。いったい誰の思惑だ? あの時、光の刃に肉体を切り裂かれた時、もうひとりの己との精神も共に切断されてしまった。気配を探ってはいるが、一向に見つかる様子はない。消滅してしまったか、あるいは私と同じように別の次元へ飛ばされたか。
愚問だ。考えたところで意味はない。確かな事は今現在、同じ次元には存在しないということ。
「こんにちは。お身体のお加減はいかがですか?」
この屋敷⋯⋯蝶屋敷なる屋敷の庭先に数多く分布する蝶、アサギマダラ模様の羽織を着用した小柄な娘が、二つ結びの娘を連れ、病室にやって来た。
雪に埋もれて意識を失っていた私は、彼女たちの仲間に発見され、そして彼女たちの献身的な治療により九死に一生を得た。いってしまえば、醜態を晒すことになった元凶。
「末端の凍傷も順調に回復していますね。アオイ」
「はい。お預かりしていた所持品と服です」
丁寧に折り畳まれた黒衣の道着、下部が翡翠色のポタラの片割れ。そして、シルバーリング――時の指輪。竹細工の小物入れには、片方のポタラだけで、時の指輪が見当たらない。
「娘、指輪は?」
「指輪ですか? 所持品は、それで全てと伺っていますが」
反応と表情を見る限り、虚偽ではない。肉体の滅びの際に消滅したか、肥大化した身体が戻ったおりに抜け落ちたか。
「大切な物のようですね。確か、惨殺事件が起きた炭焼き小屋の近く⋯⋯探し物は雪解けを待ってからの方がいいと思います。地表に残りますので」
「私も、お手伝い出来ます」
「なぜ、構う?」
縁もゆかりもない見ず知らずの者を助けた理由も、献身的な治療を行う理由もほとほと見当がつかない。蝶屋敷には、傷を負った人間が毎日のように担ぎ込まれてくる。この二人⋯⋯主に二つ結びの娘は、廊下を慌ただしく往来している様子を昼夜を問わず何度も見かける。
「他意はありません、と言ってしまえば嘘になります。面会を希望している方がいらっしゃいます。患者服のままでも構いませんが、いかがなさいますか?」
着慣れた黒衣の道着に袖を通し、ポタラを左耳に付けると、アサギマダラ柄の羽織を着用する娘と共に屋敷の外で待っていた隊士に目隠しをされ、面会希望者とやらが居る産屋敷なる屋敷へと向かった。別に、恩義を感じて願いを聞き入れたわけではない。「鬼」なるワードを口にしたために過ぎない。そのような戯れ言を雪山で遭遇した好戦的な色白の男がの賜っていた、時の指輪を持ち去った可能性がある、面会希望者とやらと同一人物であることは否定出来ない、ただそれだけの理由に過ぎない。
「ですが、驚きました。あれ程の大ケガが一週間足らずで回復してしまうだなんて」
不死身の肉体を得たことで堕落したもうひとりの私ほどではないが、この身体は回復力も優れている。肉体に流れる血がそうさせるのか、身体に受けた痛みは更なる成長の糧になる。だが、私の理想は潰えた。もはや、死を待つだけの身の上には不要の長物、宝の持ち腐れ。
「蝶屋敷に戻りましたら、機能回復訓練に入りましょう」
機能回復訓練⋯⋯一般的に、リハビリに該当するトレーニング。
この世界の人間は彼女を含めて、横文字をあまり使用しない。周囲に広がる冬枯れの休眠状態の田園風景、自然が多く残る風景を鑑みれば、文明はあまり発展していないことが窺える。やはり私の知る地球とは、文明の面においても大きな隔たりがある。
「この度は、主人の不躾な願いを聞き入れてくださりありがとうございます。私は、屋敷の主産屋敷耀哉の妻あまねと申します」
連れてこられた場所は、蝶屋敷よりも立派な外観の屋敷。産屋敷なる屋敷の玄関口で、幾分品位を感じる女性と、幼い子供たちと共に迎えられた。
「案内ご苦労さまでした」
「いいえ。それでは私は、下がっています。ご用件がお済みになられましたらお声かけください」
アサギマダラ柄の着物の娘の代わりに、呼び出した産屋敷耀哉の妻の案内で屋敷の奥の間へ。襖の前で両膝をついた彼女は、襖越しに声をかける。部屋の中から穏やかな声の返事が返ってきた。部屋に通され、一枚板のテーブルを隔て、面会を希望したというこの屋敷の主、産屋敷耀哉と対面を果たした。
「怪我も癒えきらぬ間にご足労をいただき感謝します」
声も、顔も、纏う気も違う。あの男ではなかった。この時点で、既に興味は失せていた。
「キミを発見した私の
勘違い甚だしい。この身体に刻まれた闘いの記憶は、荒廃した世界で互いの正義をぶつけ合い負ったもの。自称鬼とやらから受けたものは、ひとつとしてない。
「私たちの組織⋯⋯鬼殺隊は、無差別に人々を襲い、罪なき人々を喰らう鬼の討伐を目的として活動している。凶悪な鬼を素手で退けた力、人々を守るために振るってはいただけないだろうか?」
人間を守れというか、争いを好む人類を根絶やしにすることを理想に掲げていた、この私に。
「鬼とやらが実在しているかは知らぬが。私は鬼以上に、多くの人間をこの手にかけてきた」
数多くの人間を殺してきたと伝えたが、産屋敷耀哉の表情は変わらない。おそらく、数人ほどだと想っているのだろう。
「何か特別な事情があったのだろう。ご覧いただきたい場所がある。あまね」
襖の向こう側に声をかけた。「はい」という返事に続いて、襖が開き。部屋に入ってきた妻の手を借りて立ち上がった産屋敷耀哉は、数え切れない程の墓石が建つ墓地へ連れていった。
「ここには、鬼と戦い散っていった者たちが眠っている。皆、私の大切な
償い⋯⋯いったい何を償うというのか。
確かに私は、間違えた。掲げた理想を、絶望に満ちた世界で生きようした人間の底力が勝っただけのことなのだ。世界の意思の前に敗れ去った。敗北は認めている。しかし私は、信念を持って行動した。理想は潰えたが、行いを悔いてなどいない。
「力が全てではないよ。孫悟空」
「⋯⋯フッ、ふふふ⋯⋯心情を感じ取れるのは、お前だけではない。産屋敷耀哉、お前は本心を隠している」
穏やかな表情を崩さないが、この人間の言葉の節々には信念のようなものを感じていた。そう、それはまるで、かつての私と同じように何物にも代え難い怒りに似た感情を抱いている。
「お互い隠し事は出来ないようだね」
「よろしいのですか?」
「構わないよ。人を襲う鬼⋯⋯その全ての元凶は私の家系、この産屋敷にあるんだ。だから私は、責任を果たさなければならない。鬼殺隊を率いる当主として、始まりの鬼――鬼舞辻無惨の頸を斬る」
表情は崩さないが。その微笑みの奥には、強い信念が確かに存在していた。
☆ ☆ ☆
産屋敷の家系が、遙か昔に犯した大罪。
凶悪な悪鬼、始祖の鬼――鬼舞辻無惨を世に生み出した。
鬼は人間を襲い、人間を喰らう。そして、人間を鬼に変化させる能力を有する始祖の鬼⋯⋯鬼舞辻無惨を千年以上もの年月を追い続けていながら、未だ尻尾さえも掴めないでいる。
やはり、人間とは愚かな生き物だ。どのような世界でも、どのような次元であろうとも、同じような闘争の歴史を辿る。
しかし、神の身体を捨てた今の私もまた、今は人間なのだ。
「フッ⋯⋯よもや、神の気を操れぬとはな⋯⋯」
光の刃で切り裂かれた際に、力の大半をもうひとりの私に持って行かれたのか、ただ失ったのか。もしくは、身体を入れ替えた直後のように上手く扱えていないだけなのか。どうにせよ、本来の実力を発揮できないことは確かだ。
気配を感じられない理由もこれか⋯⋯いや、違う。気配は察知出来る。
「娘、何の用だ?」
「気づかれてしまいましたか、残念残念」
その言葉とは裏腹に、アサギマダラ柄の羽織を着用した娘は笑顔を絶やさない。この娘もまた、産屋敷耀哉と同様穏やかな表情と声の奥に、秘めた強固な信念を抱えている。
「機能回復訓練の時間です。道場へいらしてください」
「その必要は無いことは、証明したはずだ」
「まあ、そうなんですけどね。ただ、物足りない様子でしたから。狂った勘の調整には、実戦が一番です。私でよければ、お手合わせします」
提案は受け入れず、蝶屋敷を後にした。実戦は重要ではあるが、最低限の気のコントロールが伴っていなければ無意味。しかし蝶屋敷は、負傷して担ぎ込まれた隊士のうめき声や薬品のニオイが鼻につく。
屋敷から離れた山中の、木漏れ日が差す静かな空間で見つけた岩に腰を下ろし、静かに瞑想を行う。どれ程の時間が経過しただろうか。いつしか周囲は、暗闇に包まれていた。そして感じる、殺気を帯びた気配。
「この気配は⋯⋯」
私は、この気配を知っている。あの雪山で出会った自称鬼の男が纏う気配と僅かに酷似している。全ての鬼は、始祖の鬼⋯⋯鬼舞辻無惨から派生したものだと、産屋敷耀哉は話していた。ならば、あのキザったらしい自称鬼も、近くに潜む酷似した気配を持つものも、始祖の鬼から生み出された⋯⋯鬼。
実戦の勘を取り戻す願ってもない機会。人間を襲う鬼、まさにうってつけの相手。岩から飛び降り広場の中央に立ち、潜む鬼に向けて言い放つ。
「隠れても無駄だ、近くに居ることは分かっている。来ないのなら、こちらから行くぞ」
ガサガサと草木が擦れる音が立てながら、この世界に生きる人間とは明らかに異質な風貌の人間が姿を現した。その眼は狂ったように血走り、犬歯が牙の如く発達している。これが、鬼⋯⋯なんと醜い姿だ。品性の欠片もない。美しくない。
「ニク⋯⋯喰ワセロ⋯⋯!」
地面を蹴り、常人を遙かに凌ぐスピードで突撃して来た。振りかぶった右腕の攻撃を避け、ガラ空きの鳩尾に拳を軽くたたき込む。咳き込みながら大きく後ずさりするも、血走った眼の鬼は、再び襲いかかって来た。繰り出される攻撃を得意の体術でいなし、ローキックで足下を払う。体勢を崩して無防備になった顔面に拳を振り抜く。骨が砕ける感触を残し、地面に体を打ち付けながら転がっていった鬼の首は、付け根が明後日の方向を向いていた。危険な存在と言っていたが、所詮はこの程度か。実戦勘を取り戻す程の相手ではなかった。
下山のため、地面に転がった鬼の横を素通りしようとしたところ、倒したはずの鬼がひしゃげた首を力ずくで元に戻し、再び立ち上がった。
「ほう、タフさだけは大したものだ。ならば、ちょうどいい」
存分に付き合ってもらうとしよう。
一方的ではあるが、拳を交える度に精神が高揚していくのを肌で感じる。
仕留めてしまわない程度に手を抜いていたが、足を掴んで投げ飛ばした際、折れた木の幹が突き刺さり腹部を貫通してしまった。やってしまった、もう少し楽しんでいたかったが、こうなっては仕方ない。
――楽しむ⋯⋯? この感覚、この身体は、強者との戦闘を欲している。それとも私自身が、求めているのか。
「鬼舞辻無惨、か⋯⋯」
人間を、人を喰らう悪鬼へと変化させる能力を持つ、始祖の鬼。
血反吐を吐き醜くもがいているこの鬼とは桁違いの戦闘力を有していると、産屋敷耀哉は話していた。
「ふふ、ふふふ⋯⋯」
千年以上も追い続けながらも、未だ尻尾さえも掴めぬ鬼の始祖。荒廃した世界で死闘を興じたあの者たち程ではないにせよ、いったいどれ程のものか。若干興味が湧いてきた。
「まだ終わっていません」
「ん?」
女の声が聞こえたと同時に、木の陰から飛び出したアサギマダラ柄の着物の娘は、左の腰に帯刀している刀を抜き、鬼の身体に素早く刃を突き刺した。すると、鬼の身体がたちまち崩れていき、やがて朽ち果てた。
「急所の頸を切り落とさなければ、鬼は死にません。何度でも再生して、人を襲います」
産屋敷耀哉もそのような事を言っていた、鬼舞辻無惨の頸を斬る、と。あれは、他の鬼に対しても有効な攻撃のようだ。
しかし、マーチングバンドのドラムメジャーの如く軽やかに自由自在に操って鞘に収めた物打のない独特の形状をした刀での攻撃は、切っ先で鬼の身体を突いただけで、頸を斬った様子は見受けられなかった。
「私は、非力なので。鬼の頸を斬ることはできません。ですが、鬼を殺せる毒を作ったちょっと凄い人なんですよ。それより、あまり遠くへ行かないようにしてくださいと言いましたよね? あなたはまだ、病み上がりなんですよ」
「そう見えたか」
「いいえ。鬼との戦闘を楽しんでいる様に見えました」
「フッ、ならば問題ないだろう」
「あります。今回の鬼は、たいした力のない下級の鬼でしたけど。もし、十二鬼月だったなら命を落としていました」
鬼の中でも、桁外れの力の持つ特別な鬼が十二鬼月。十二鬼月に選ばれた鬼の眼には、階級を表す数字が刻まれている。更には、血鬼術なる特殊な妖術を扱うため、並の隊士では文字通り刃が立たず。特に上弦と位置づけられた鬼は、ここ百年間一体も倒すことが出来ていない。
「なるほど。お前が、その十二鬼月とやらか?」
「――ッ!?」
私が向けた視線の先を、娘も見る。
静けさの中、月夜の闇に紛れる様にして姿を現したのは、顔色が悪い大柄な男。眼には、大字の数字が刻まれている。
「十二鬼月、下弦の伍!」
「⋯⋯なぜ、分かった? 気配は完全に消していたはず⋯⋯」
「ほう、言葉が通じるのか。どうやら、さっきの雑魚とは違うようだな」
「下がってください。十二鬼月は、柱でも――」
「お前が下がれ」
「えっ⋯⋯!?」
肩を掴んで後ろへ押し退け、大字の数字が刻まれた鬼の前へ。先ほどの鬼とは、明らかに違う気を纏う鬼を前に、思わず笑いがこみ上げてくる。
「き、貴様、何を笑っている⋯⋯!」
「ふふふ、前菜は、まずまずだったが。お前は、どうだ?」
夜空に浮かぶ雲が切れ間から差し込む月明かりが、広場を明るく照らす。相応しい舞台が整った。
さて、本日のメインディッシュを頂くとしよう。