キングの耳のお手入れのお話。
タイトルは新シナリオの同名イベントから。キングには耳を丁寧にお手入れしてくれる人がいたんだろうなぁ、という妄想を膨らませた結果です。
「――もう、キングちゃん。動いちゃダメよ。危ないでしょう」
可笑しさを堪えながら静かに窘めると、太腿を枕にする娘はクスクスと笑って耳を跳ねた。
久しぶりの何もない週末。お出掛けの約束をした明日に備えていつもより早く寝支度を済ませた私の部屋へ訪ねて来たキングちゃんは、お気に入りの枕と一緒に耳かきを手にしていた。キングちゃんはそのままベッドに腰掛けて、あと少しで床へ届きそうな足を揺らしながら、可愛い声で私に耳掃除をねだった。私が温かい濡れタオルと、柔らかいタオル、それからブラシと綿棒を持って来て同じようにベッドへ腰を落とすと、太腿に小さな頭が預けられた。けれど、いざ耳に触れると、くすぐったいと言って身をよじっていた。
「こーら、キングちゃん。少し我慢なさい」
就寝用の耳カバーを何とかはずし、露わになった耳へ軽くブラシをかけながら、もう一度キングちゃんを窘める。キングちゃんは拳を唇に添えて、控えめに笑いを零した。
「ごめんなさい。お母さまの手、気持ちよくって。くすぐったいんだもの」
白い蛍光灯の光を宿した栗色の瞳で私を見つめ、キングちゃんはそう訴える。指先で触れた小さな耳が、ぴょこぴょこと踊るように動いて手のひらを撫ぜた。それがあまりに可愛らしくて、堪えきれなかった笑いをゆっくり零しながら、しばらくの間優しく触れていた。キングちゃんが黄色い悲鳴を上げて身をよじる。
「――さあ、キングちゃん。今度こそじっとしてるのよ」
「はーい」
いいお返事を聞き届けて、ブラッシングを再開する。ようやく落ち着きを取り戻したキングちゃんの耳を手に取ると、ぴくりとほんの少しだけ跳ねた。キングちゃんはくすぐったいのを我慢しているらしく、端の方が吊り上がっている口元を一生懸命引き締めていた。
「……ふあ」
ブラシをかけると、キングちゃんの口から声が漏れた。さっきまでくすぐったさを堪えてぴったり閉じていた唇が、緩んで半開きになっている。それとは反対に、真ん丸だった目は半分ほどに細くなった。睫毛の合間に栗色の瞳が揺れている。
「ふわあ……ふぁあ」
心地よさそうにすっかり緩んだ声を発するキングちゃん。その様子を見ながら、ゆったりと長いストロークでブラシを動かす。強くすると痛がるけれど、かといって弱すぎてもケアの意味がない。キングちゃんの反応を見守りながら、手の加減とブラシをかける場所を調整する。今夜は耳の裏の、付け根の辺りが気持ちよさそうだ。
右耳、左耳とブラシをかけ終えると、キングちゃんはすっかり大人しくなった。くすぐったさを堪えようと強張っていた肩の力が抜けている。太腿にかかる存在感が少し大きくなった気がした。秋色の大きな瞳をとろんとさせて、私に全てを委ねている。
ブラシを置いて、今度は暖かいタオルを手に取る。少し熱めにしておいたタオルにそっと触れると、丁度お風呂のお湯ぐらいの温度になっていた。冷たいと驚いてしまうキングちゃんには、これくらいが心地いい。
タオルを右の手のひらに広げる。左の手でそっとマッサージしていた耳を、タオルの湯気でゆっくり包んだ。
「ふにゃ」
猫みたいな声に思わず笑いが零れてしまう。いつもハキハキとしているキングちゃんの口元が、今ばかりはどこかだらしなく緩んでいた。安心しきった、無防備な娘の表情。たったそれだけだけれど、その表情をこうして目にできる幸福を噛み締める。
「気持ちいいですか~?」
「ふぁいぃ」
気の抜けた返事にまたクスリ。タオルでふやかすようにして耳をマッサージしながら、素敵な色合いの鹿毛を梳いた。指先に伝わる滑らかな感触が私の心まで解きほぐす。
「かゆいところはない?」
「……耳のふちがかゆいの」
キングちゃんの答えたところをタオルでなぞると、そのまま溶けてなくなるんじゃないかってくらい、唇の輪郭が緩くなる。そうして開いた小さな隙間に、アイスクリームを差し出したくて堪らない。明日は絶対にキングちゃんとアイスクリームを食べようと、ふとそんな決心をして、私の頬からも締まりがなくなった。
タオルがぬるくなってしまうまで丹念に耳を拭いて、そして仕上げに乾いたタオルで水気を取る。キングちゃんは終始、私の触れていない方の耳をパタパタとしていた。
水気を取り終えて、いよいよ耳かきを手にする。柔らかな耳の感触を確かめながら、中が見えるよう、強くならない加減で耳を引っ張った。キングちゃんは目を閉じて待っている。小さな鼻からすぴすぴと可愛らしい音がしていた。
そろりと細い竹の棒を小さな耳へ入れていく。耳かきが挿入されていく感触があるのだろう、キングちゃんが微かに眉を跳ねた。「大丈夫よ」と囁いて、左手で耳の裏を撫でる。キングちゃんはうっすらとだけ目を開けて、「……ん」と微かな吐息で返事を寄越した。
視覚と、指先の感覚を頼りにして、小さな耳の中を慎重に擦る。キングちゃんの耳の中は綺麗だった。いつもメイド長が掃除してくれているのだから当然のことだ。だから私は、キングちゃんのかゆいところを探りながら、耳かきをゆっくり操る。時折小さな耳垢を見つけて、ティッシュに取った。
「お耳の中が綺麗ね、キングちゃん。きちんとメイド長にやってもらっているのね」
「お風呂上がりにお願いしてるわ。でも最近は、自分でやる練習もしてるのよ」
キングちゃんは自慢げにそう言った。目を閉じたままの彼女に自然と微笑む。左の手で耳のふちをなぞった。
キングちゃんが、また少し、大人になっている。
「そうね、きちんと練習して頂戴。耳はとても大事な器官だから、自分でお手入れできるようにならないと、ね。それが一流の条件よ」
「ええ、わかってるわ。――一人でできるようになったら、お母さまにもしてあげる」
「ふふっ、楽しみにしてるわ」
私が答えると、キングちゃんはコロコロと笑った。
耳かきから綿棒に持ち替えて、残った小さな耳垢をふき取っていく。耳の形をなぞるように、触れるのがわかる程度の加減で。それから、耳のふちもなぞっていく。キングちゃんはこれが一番のお気に入りで、また心地よさそうに表情を緩めた。布団へ寝転ぶ尻尾がパタパタ音を立てる。
「――はい、おしまい」
「……もう少し。お母さま、もう少しだけやって頂戴。お願い」
反対の耳に取り掛かろうとしたところで、キングちゃんが私を見つめてねだる。細い眉を八の字にして、丸くて大きな瞳を潤ませながら、無言で私を見つめる可愛い娘。
「あと少しだけよ」
苦笑が漏れるのを自覚しながら、ほんの少しだけともう一度綿棒を動かす。耳はデリケートな器官だ。お手入れは大事だけれど、あまりやり過ぎても傷つけてしまう。
耳を全体的に綿棒で撫で、最後に裏のところをさすってお手入れを終える。今度は右耳を掃除しようと耳かきに持ち替えた。耳の中が見やすいように、キングちゃんには少しだけ体勢を変えてもらう。
柔らかな声に胸の辺りをくすぐられながら、同じように丁寧に右耳の手入れを進めていった。
「お母さま」
両耳のお手入れを終えて、道具やタオルを片付けた私を、ベッドに腰掛けるキングちゃんが呼んだ。振り向けば、耳かき意外にまだ何かをねだるようにして、栗色の瞳が私を見つめている。持ち込んだお気に入りに枕を小さな胸の前で抱きかかえ、細い両脚を床の上でぱたぱたと揺らしていた。
「なあに?」
娘の隣に腰を降ろし、艶やかな鹿毛とふわふわの耳カバーを一撫でして問いかける。キングちゃんはぎゅっとさらに強く枕を抱き締めた。私を上目遣いに窺って、小さな唇を半開きにする。言いたいことはあるけれど、それを躊躇っているみたいだ。もう一度頭を撫でて、キングちゃんが口を開くのを待つ。
まあるいほっぺをリンゴみたいにして、キングちゃんはゆっくり唇を動かした。
「今日は……一緒に、寝てもいい?」
キングちゃんはそれだけ尋ねて、小さな唇を引き結ぶ。栗色の瞳に蛍光灯の光が揺れていた。多くを語らない表情が、けれど何よりも娘の心を雄弁している。
柔らかな鹿毛に触れる。私の指が髪を梳くたびに、キングちゃんは目を細めてくすぐったそうにした。小さな耳がぴょこぴょこと宙に弧を描く。
「あら、もう一人で寝れるんじゃなかったの?」
込み上げる笑いを堪えながら、キングちゃんに問いかける。リンゴの頬をますます赤くして、キングちゃんは早口に否定した。
「ね、寝れるわよっ。……でも、今日だけ。今日だけ、たまたま偶然、そーゆー気分なのっ」
ぷっくりと頬に空気を溜めるキングちゃん。パンパンに張って丸くなった頬を手のひらで包み、指先で撫でる。柔らかな感触を確かめると、ふと息をついてしまう。
「……仕方ないわね。今夜だけよ」
私の言葉にキングちゃんがパッと表情を明るくする。花を咲かせるみたいに瞳をキラキラさせて笑うキングちゃんは、喜びを溢れさせて両脚をばたつかせた。リズミカルに揺れる小さな体に合わせて、綺麗にしたばかりの耳が踊る。今にも飛び跳ねそうな勢いで、それが可笑しくて愛おしい。
「ほら、お母さまっ。早く寝るわよっ。明日は朝からお出掛けなんだからっ」
抱えていた枕を私の枕の横へ並べて、ベッドへ倒れ込むように横になったキングちゃんが、足と尻尾をパタパタさせて私を呼ぶ。切り替えの早さに感心しながら、明かりを落としてキングちゃんの隣へ寝転び、温かい体の肩に布団をかける。一緒の布団にくるまると、私と同じシャンプーの香りが、キングちゃんからふわりと漂う。
布団の中でキングちゃんと向かい合う。明かりを落とした真っ暗な部屋の中で私を見つめる双眸が、丁度さっき見上げた星空みたいに瞬いていた。心を奪われてしまったように見入っていると、クスクスと可笑しくて堪らない様子でキングちゃんが笑う。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもないわ。――明日が楽しみね、お母さま」
キングちゃんはそう言ってまた笑った。つられて私の頬も緩む。布団の中で手を伸ばし、ポンポンと二度だけキングちゃんの頭を叩いた。
「ええ、そうね。お母さまも楽しみよ。――だから、早くおやすみなさい」
「はい。――おやすみなさい」
答えたキングちゃんはそのままゆっくりと瞼を落とした。ふわぁ、と唇の隙間から欠伸が吐き出される。さらりと前髪が流れてベッドへ落ちた。
キングちゃんに倣って私も目を瞑る。穏やかな寝息を聞くよりも、私の意識が遠のく方が、幾ばくか早かったかもしれない。