キングヘイローまとめ   作:瑞穂国

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十八話目です。
キングヘイロー(12)がメイド長と一緒に七夕祭りへお出掛けするお話。
※キングがまだ、トレセン学園への入学希望をお母さまへ打ち明けていない頃です。


年に一度の夜だから

「キング。今夜の七夕祭りは、メイド長と行ってきなさい」

 

 ビジネスカジュアルに身を包み、いつもより早くお屋敷から出勤される奥様は、私からお鞄をお受け取りになると、お見送りにいらしたお嬢様へそうおっしゃいました。

 お屋敷からほど近いところで開催される七夕祭りは、七月七日の夜限定の催しでございます。お嬢様は毎年楽しみにされていて、今年は浴衣を着ていくのだと、ついこの間見繕ったばかりでございました。奥様も、お仕事を早く切り上げることができれば、お嬢様と共にお祭りへ向かわれておりました。ですがどうやら、今夜はそうもいかないご様子です。

 寝間着姿のお嬢様は、奥様の言葉に頷かれます。奥様を見つめる横顔に、これといって残念そうな様子は窺えませんでした。カバーをされたお耳だけがひょこりと小さく動きます。

 

「わかったわ。それじゃあ、お母さまの分まで、私とメイド長で楽しんでくるわね」

「……ええ、そうして頂戴」

 

 奥様はほんの一瞬だけ申し訳なさそうにした後、すぐに笑顔でお答えになりました。伸びてきた手がお嬢様の頭に触れます。ゆっくりと感触を確かめるようにして奥様が頭を撫でる間、お嬢様は目を閉じてその手を受け入れておいでです。

 十秒ほどでお嬢様の頭から手を離し、奥様は踵を返されます。ガチャリと開いた扉の隙間から朝が差し込むと、私は一礼して奥様をお見送りいたしました。私の隣でお嬢様も奥様へ手を振ります。

 

「いってらっしゃいませ、奥様」

「いってらっしゃい、お母さま。お仕事頑張って」

 

 一歩を踏み出した奥様はそこで立ち止まり、お嬢様の声にお応えになりました。

 

「いってきます」

 

 穏やかな声の響きを残して扉が閉まると、玄関には私とお嬢様だけが残されます。私が顔を上げると、こちらを見ていたお嬢様と目が合いました。

 

「さあ、朝ご飯にしましょ、メイド長」

「かしこまりました、お嬢様。今朝は日本食でございます」

「玉子焼きはあるかしら」

「はい、もちろん」

 

 お嬢様の大好物であり、私の得意料理でもある一品の用意を告げると、お嬢様は嬉しそうに目を細めてリビングへと向かわれました。

 

 

 

 お祭りの会場へやって来ると、お嬢様が真っ先に向かわれたのは、短冊を吊るす大きな笹でございました。

 浴衣のお嬢様は、瑠璃色の裾を初夏の雑踏にはためかせて、私の手を引きます。あまり人混みが得意ではないお嬢様ですから、時々立ち止まっては困ったように辺りを見回し、人波に隙間を見つけてはそちらへと進んでいきます。

 

「人が多いところは、やっぱり苦手だわ。大丈夫かしら、メイド長? 歩きにくくない?」

 

 ふうと息を吐かれたお嬢様が私へ尋ねます。私はそれに、いいえと首を振りました。

 

「まったく問題ありません。お嬢様の案内のおかげです」

「そう?」

「頼もしい限りです」

 

 私が笑って答えると、お嬢様は満更でもないご様子で、同じように笑みを零されます。お嬢様はまた私の手を引いて歩き始めます。浴衣に合わせて揺れる尻尾が、大変楽し気でございました。

 かれこれ五分ほど歩いて笹の前まで辿り着きますと、やはり多くの人がそこへ集まっておりました。ご学友の集まりやご家族連れ、それに恋人同士。どの人もその手に短冊を握っております。会場に置かれた笹にはすでにたくさんの願いが結ばれており、その重さで枝葉がしなっておりました。

 会場で用意されている短冊を受け取る列へは並ばず、お嬢様は真っ直ぐに笹の方へと歩み寄られます。金魚の巾着袋から取り出したのは二枚の短冊。どちらもお屋敷で書かれたものでございます。一心不乱に書いていた短冊には、丁寧な筆致のお嬢様の文字と、可愛らしいイラストが並んでおります。

 けれどお嬢様は、笹へと伸ばしかけた手を一度引っ込め、二つの短冊を見比べては何かを考え始めました。浴衣の肩越しにのぞくお顔は真剣そのものでございます。やがてお嬢様は片方の短冊を巾着袋へお仕舞いになり、残った一枚の短冊のみを笹へとかけておりました。

 背伸びをしていた足を元へ戻すとお嬢様は満足そうに頷かれて、腰に手を当てます。

 

「よし」

「一枚だけでよろしかったのですか?」

 

 気になって尋ねた私を振り返り、お嬢様は口角を吊り上げて挑戦的に笑います。爺やさん曰く「昔の奥様にそっくり」だという、力強い笑顔のままお嬢様はお答えになりました。

 

「ええ、いいの。もう一枚のお願いは、よく考えてみたら、私が自力で叶えることだもの。だからお願いする必要なんてないの」

 

 何ともお嬢様らしいことを自信たっぷりに言い切るので、私は思わず頬を緩めてしまいました。お嬢様は努力の人ですから、ご自身のことはご自身でどうにかしようとなさるのでしょう。今までもそうして、少しずつ、叶えていらしたのですから。

 

「きっと、お嬢様なら叶えられますよ。――お嬢様はきっと、一流のウマ娘になれます」

「……し、知っていたのね」

「ええ、もちろんでございます。私はお嬢様のメイド長でございますから」

 

 ほんのりとまだ早い夏の夕暮れが差した頬を、お嬢様は瑠璃色の袖で隠してしまわれました。

 お嬢様が短冊を吊るし終わりましたので、控えていた私も一歩前へと歩み出ます。肩にかけた鞄から私も短冊を取り出し、お嬢様よりやや上の方へ吊るします。笹の葉が生い茂る間、人目に余り付かないところ。望み通りの場所へ短冊が吊るされたのを確認して、私はまた一歩下がりました。

 

「メイド長も何かお願い事?」

 

 お嬢様が珍しそうに私を見ます。例年、こうした催し物で何かお願い事をするというのが無かった私ですので、無理からぬことです。

 お嬢様の問い掛けには、私は首を振ってお答えいたしました。私の吊るした短冊は、私の願い事ではなく、預かり物でございます。

 

「奥様からの預かり物ですよ」

「お母さまの?」

 

 今朝、お嬢様がお見送りにいらっしゃるよりも前に、奥様よりお預かりした短冊でございました。こちらはこちらで、珍しいことでございます。お嬢様と連れ立って七夕祭りへいらした際には何かしらお願い事を書かれる奥様でございますが、お仕事でご一緒できない時にこうして短冊を託されたことは初めてでございました。いつもはお願い事をする代わりに同じくらい優しくお嬢様の頭を撫でるだけに留めておいでです。それが今年は、どういう訳か、こうして私へ短冊を託されておいででした。

 奥様が何を想ってそうされたのかは、私には今一つわかりません。

 

「……そう」

 

 お嬢様は多少短冊の内容を気にする素振りをされたあと、頷いて短くお答えになりました。次の瞬間には、明るい栗色の瞳が私を見つめて光ります。瑠璃色の袖から白い手を伸ばして、お嬢様は再び私の手を取りました。

 

「ねえ、メイド長も何かお願い事をしなさいよ」

 

 クイッと、十二年の内に随分と大きくなられたお手で私を引っ張り、お嬢様はそうご提案されました。

 

「私でございますか」

「ええ、そう。ほら、行くわよっ」

 

 私の答えを待たず、お嬢様はまた歩き出し、会場で配られている短冊を手にしました。薦められるままペンを取った私は、しばらく考えた後、奥様と同じお願い事を笹の葉へ吊るすことにいたしました。

 

 

 

 縁日の出店でいくらか食べ物を見繕い、私とお嬢様は休憩スペースに腰を落ち着けておりました。

 パック一杯の焼きそばと、玉子にくるまれたお好み焼き、鰹節が踊るたこ焼きに、香ばしい香りのとうもろこし。買って回った品物を広げ、もらった箸を手に、二人で少しずつ摘まみます。お祭り特有の、濃ゆいソースの味わい。普段お屋敷ではあまり出さない味付けゆえでしょうか、お嬢様は物珍しそうに瞳をキラキラとしながら優雅に召し上がっておりました。

 口に運んだたこ焼きが熱かったのでしょう、お嬢様は慌てた様子で口元を隠し、はふはふと熱そうに目を潤ませます。ようやくの思いで嚥下すると、ふうと息を吐いておりました。そんなお嬢様に、私は開栓したラムネの瓶を差し出します。夕焼けに空が染まり始め、提灯も灯りだしたお祭りの景色を透かすようにしながら、お嬢様は一口を煽られました。

 淡い夏の炭酸が弾け、お嬢様の耳が踊ります。

 

「そういえば、こうしてメイド長とお祭りに来るのも、久しぶりね」

「さようでございますね。ふふ、懐かしいようで、新鮮な心地でございます」

 

 お嬢様と最後にお祭りへ出掛けたのは、お屋敷で一番若いメイドが来る前ですから、お嬢様が小学校へご入学される前のことでございます。あの頃はまだ、小さなお嬢様のお手を、私が引いていた覚えがあります。その立場が、今宵はすっかり反対になってしまっているものですから、やはり懐かしさよりも新鮮な心地がいたします。

 

「そう? ふふっ、浴衣を新調した甲斐は、あったようね」

 

 お嬢様は栗色の輝きを細くして笑います。うなじの辺りで結わえた髪に咲く朝顔が揺れておりました。柔らかな眼差しを見つめると、自然、私の頬も緩んで参ります。

 

「折角ですから、お写真もたくさん撮りますね。――奥様も、きっとご覧になりたいでしょうから」

「……ん、そうね。たくさん撮って頂戴」

 

 私の提案には、お嬢様はどこか曖昧に頷いて、返事をなさいました。箸が伸びてきてたこ焼きを一つ摘まみます。今度はゆっくりと息を吹きかけながら熱を冷まして、お嬢様はたこ焼きを口へ運ばれました。

 ……寂しさは、やはり確かにあるのでございましょう。お嬢様はそれを決して口になさいませんし、私たちがわかるように表へ出されることもございません。「もう慣れたことよ」といつもおっしゃいます。「お母さまの仕事を誇りに思うわ」といつもおっしゃいます。きっとそのどれもがお嬢様の本心でございます。けれど本来、そうした本心と、「それでも寂しい」、「それでも会いたい」という感情は、両立するはずなのです。けれどどうも、お嬢様はそれをいけないことなのだと、そう思っていらっしゃるようでございます。

 会いたい、とそう口にしてもよいのですよと、喉まで出かかった言葉を飲み込みます。それをお嬢様が決して口にしない理由も、私はようく知っております。お嬢様のこととなると過保護なほどに心配性な奥様が、気を揉むことが無いように。奥様には笑顔でいて欲しいというのが、幼い頃からのお嬢様の願い事でございました。

 私にできることは、お嬢様が決して表へ出さない寂しさを、少しでも和らげることだけでございます。奥様がお側にいられない間の時間、お嬢様のお側にいることだけでございます。

 他愛もない話をしながら出店の品を少しずつ減らしていきます。お嬢様の寂しさは、いくらか夏の風へ流されているでしょうか。そんなことを頭の片隅へ置きつつ、私はお嬢様のお話を聞いておりました。

 二十分ほどすれば、パックの中身はすっかり空になっておりました。私がプラスチックのパックをまとめてゴミ箱へ捨てる間、お嬢様はぬるくなったラムネの残りをチビチビと口へ運びます。栗色の瞳がどこかぼんやりとして、流れる雑踏を眺めておいででした。

 

「お嬢様――」

 

 次はどこへ向かいましょうか。私がそう尋ねようとした時、お嬢様の瞳が一際強い輝きを放ちました。がたりと勢いよく立ち上がったお嬢様が、下駄をカラコロと鳴らして小走りに駆けていきます。一体どうしたことでしょうと、私は慌ててお嬢様を追い駆けつつ、その向かう先へと目線を向けました。

 流れる人波の中に、お祭りの雰囲気には似つかわしくない、ビジネスカジュアルのウマ娘が立っております。艶やかな鹿毛に夏の風をくぐらせるそのウマ娘は、誰かを探すように辺りを見回しておりました。チラリと窺った横顔は、紛れもなく奥様でございました。

 

「お母さまっ」

 

 近くまで駆けよったところで、お嬢様が奥様を呼ばれます。奥様の、カバーをしたお耳がぴょこりと動くと、視線がすぐさまお嬢様を捉えました。奥様は目を見開き、そしてすぐに細めて、お嬢様の方へと足を向けます。

 

「お待たせ」

 

 奥様がお嬢様へそうおっしゃったところで、私はようやくお嬢様のすぐ後ろへ追いつき、奥様へと一礼を致しました。奥様は短く労いの言葉を私へくださいました。

 顔の右へ流した髪へ指先を通しながら、お嬢様は奥様へお尋ねになります。

 

「お母さま、どうしてこちらへ? 今夜はお仕事だったはずでしょう」

 

 お嬢様の問い掛けに、奥様はまるで何でもないことのようにさらりと、わずかばかり振り乱した髪を整えながらお答えになりました。

 

「仕事が早く終わったから来たの」

 

 奥様の答えはただそれだけでございました。けれど、それで十分な気も致しました。朝出て行かれたままの格好と、微かに上がった息、髪を整える仕草。できうる限り急いでこちらへいらしたことは、端から見れば明確でございます。そして、奥様がどうしてそれほど急がれたかなど、今更私が語ることでもないのでございます。

 お嬢様はゆっくりと花が開くように、お顔を明るくされて、満面の笑みを見せました。

 

「幸運ですね、お母さま。キングの浴衣姿を間近で見られるのよ」

「ええ、そうね。よく似合っているわ、キング」

 

 答える奥様も、お嬢様に引かれるようにして、唇の端を緩くされます。見つめ合い、笑い合うよく似たお二人のお顔に、私も微笑まずにはいられませんでした。

 

「――さ、行きましょう、お母さま。私、かき氷が食べたいの」

「ええ、いいわよ。お店はどこかしら」

 

 お嬢様は、今度は奥様の手を引かれて、雑踏へと歩み出されます。奥様もまた、仕方がないわねと言うように、けれど楽しさを隠しきれずに手を引かれておりました。お嬢様のラムネ瓶を片付けて、私もお二人の後を追います。

 ブルーハワイとメロン、お嬢様と奥様は揃ってかき氷を頬張り、そして二人仲良く冷たさに頭を痛めておりました。

 

 

 

 

 

 

 

――キングがいつまでも幸せに笑って過ごせますように。

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