キングヘイローまとめ   作:瑞穂国

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二十二話目。
小四キングヘイローの運動会をお母さまが応援しにくる話。
キングがレースの世界を目指すことをまだお母さまに話してない頃のお話です。


小学生キングヘイローの運動会

 土曜日の仕事を何とか午前中に終わらせた私は、事務所を後にしてそのまま三十分ほど離れた運動公園へ足を運んだ。スタンド付きの大きな陸上競技場を備える運動公園で、陸上競技大会や学校の運動会なども開催される。今日は、私の娘――キングの小学校の運動会が開かれていた。

 足を踏み入れた競技場は、数百人の小学生が集まっているとは思えないほど静かだった。いいえ、小さなざわめきが聞こえてはいるけれど、運動会特有の幼気(いたいけ)な声援の大合唱は響いていない。それもそのはずで、手元の時計はすでに十二時半を回っていて、今は昼食休憩の時間になっていた。生徒たちはそれぞれの家族や友人たちと昼食を取っている。芝生にレジャーシートを広げたり、観客席の座席に腰掛けたりしている人たちの姿がそこかしこにあった。

 おにぎりやサンドウィッチを手にして、玉子焼きに唐揚げにと頬張る眩しい表情の合間を縫って、事前に教えられた場所へ歩を進める。しばらくすると、一人のウマ娘が大きく手を振りながらひょこりと立ち上がった。ポニーテールにした鹿毛が初夏の陽射しに揺れる。額に締めた真っ白なハチマキが眩しくて、目を眇めた。

 

「お母さま!」

 

 大きな栗色の瞳をキラキラと輝かせて、キングが私を呼んだ。天性のものなのか、不思議とよく通る声が、広い観客席でも真っ直ぐに届く。眩いばかりの笑顔に私も手を振って応えた。

 早く早く、と私を急かすキングの横で、立ち上がったメイド長がスッと頭を下げる。例年通りのことではあるけれど、彼女にはキングの応援と、昼食場所の確保をお願いしていた。今年で四度目ともなれば彼女もすっかり慣れたもので、確保されていた場所は適度な日影がありつつ競技がよく見える観客席の一角だった。そこへ、彼女を筆頭としたメイドたちお手製のお弁当が広げられている。

 出迎えたキングに手を引かれて、その隣に腰を下ろす。ご機嫌な様子の娘を見ていると、仕事中に張り詰めていた思考がゆっくり解れていった。

 

「お待たせ、キング。遅くなってごめんなさい」

 

 遅れたことを謝ると、キングはぶんぶんと首を振った。トレードマークのリボンと、艶めく鹿毛のポニーテールが揺れる。私を見つめる瞳に、責め立てる色は少しもなかった。

 

「全然問題ないわ。だって、キングの一番の見せ場には間に合ったんだもの!」

 

 答えて、キングは高らかに笑う。隣で見守るメイド長も朗らかな笑みを浮かべていた。

 今日の運動会でキングはいくつかの競技に出場するけれども、中でも「見せ場」と言っていたのは学年別のクラス対抗リレーだった。キングはそこでクラスのアンカーを任されているという。脚の速さは一年生の時から折り紙付きで、クラスで走者を決める時も満場一致だったそうだ。

 

――「期待されたからには、応えないと。それが一流というものよね!」

 

 そう言って、張り切って練習をしていた。メイド長や爺やからはそう聞いている。気合いの入り様は、端から見ていてもよくわかった。

 ……よく似たようなことを、私も随分と前に言っていたような、そんな気がした。

 

「ありがとう、お母さま。私の運動会を見に来てくれて」

 

 満面の笑みのままキングはそう言った。首を振るのは、今度は私の番だった。忙しさも何も関係ない。親として娘の運動会を見に来るのは当たり前のことだ。それを、娘が楽しみにしているのなら、尚更。普段、そういう当たり前のことをしてあげられない分、せめてこういう時くらいは娘のために時間を使ってあげたい。

 柔らかな鹿毛に手を伸ばし、二、三とそっと撫でつける。ぴょこぴょこと耳を揺らしたキングに、私は笑ってみせた。

 

「全力で楽しんできなさい」

「ええ、もちろんよ!」

 

 答えたキングの笑みは、それまでの天真爛漫なものから、自信に溢れた挑戦的なものへと様変わりしていた。

 

「――さあ、お嬢様。午後からのためにも、きちんと栄養補給を致しましょう」

 

 控えていたメイド長がお弁当箱を差し出す。重箱タイプの容器の中には、ぎっしりのおむすびと色とりどりのおかずが、二段に分けて敷き詰められている。三人で食べるにしても多い気がするけれど、お腹を空かせたキングには丁度いいかもしれない。

 

「いただきます」

 

 それぞれにおむすびを手に取り、手を合わせた。昆布の入ったおむすびを一口かじったキングは、メイド長お手製の玉子焼きも頬張る。お弁当へ必ず入っている大好物に舌鼓を打ち、うっすら染めた頬を緩めていた。

 

 

 

 午後の競技が始まると、キングはクラスのテントへと戻っていった。自分の出場する競技でない時は、クラスメイトと一緒になって応援をしていた。小さなポンポンを懸命に振り、「ファイトー!」と声を上げる様子が観客席からも見えていた。自分の競技が始まれば、額に汗を輝かせながら全力でプレーしていた。競技ではないけれど、学年全員でのダンスという演目もあって、こちらもライブパフォーマンスさながらのキレを見せていた。眩い笑みに青春の煌めきを添えるキングの姿を、私もメイド長も微笑ましく見守り、手に汗握って応援し、声を上げて喜んでいた。

 そしていよいよ、クラス対抗リレーの順番になった。四学年以上の生徒が参加する競技で、各学年ごと、さらに午前と午後の部に分かれている。参加は各クラスから一チームずつ、計二チーム。

 メイド長によると、午前の部では各クラス接戦で、キングのクラスはハナ差で三着だったという。午後の部も熱戦を予感させた。それを察知しているのか、応援する観客席のご家族からも熱が伝わってくる。

 入場してきた生徒たちが、送られる声援に応えて手を振りながら、それぞれのスタート位置へ分かれていく。キングはというと、アンカーを示すビブスを着て、観客席の丁度正面、スタートとゴールの位置へやって来た。リレー競技では、ウマ娘は四百メートルを走る。キングは観客席正面でバトンを受け取り、トラックをぐるりと一周回ってゴールするのだ。よく見ると、キングと同じようにビブスを着た子が観客席前に集まっている。どうやらアンカーは全員ウマ娘らしい。

 まもなく始まる本番に備え、生徒たちは楽しげに話しながら体を解している。キングもクラスメイトと言葉を交わしつつ、両脚や手首のストレッチをしていた。何某かを囁かれると、自信満々で高らかに笑う。その笑顔を囲むクラスメイトも信頼の眼差しを向けていた。

 競技開始の時間が近づき、生徒に準備を促すアナウンスが入った。一番走者が集まってじゃんけんをし、コースとバトンの色を決めていく。キングのクラスは一番外の四コーススタートで、緑のバトンとなった。

 予定されていた時刻がやってくると、関東GⅠファンファーレがスピーカーから鳴り響く。リレーを見守る生徒と観客から手拍子が送られる様は、実際のレースさながらだ。丁度、小学生向けのちびっ子レースを観ているような雰囲気を感じる。

 拍手と歓声の中で第一走者が一人ひとりスタート位置につく。それを見たスターターが「位置について」と号令をかけた。競技場の喧騒が一瞬収まり空気が張り詰める。続く「よーい」で走者がスタンディングスタートで構えると、いよいよ緊張がピークに達する。

 次の瞬間、乾いた音が響いた。間髪を入れずに、四人の第一走者が一斉に走り始める。場内には再び拍手と声援が溢れた。

 第一走者からレースは熱戦になった。トラックを回って走っている間に、最内と大外の間にあったスタート位置の差が埋まっていく。第二走者へバトンが渡るのはほとんど同時だった。バトンが第三、第四走者と渡っても、常に競り合う状況は変わらない。各チームの実力が拮抗しているのだろう、大きく遅れたり、反対に圧倒的に速いチームもない。ウマ娘も交えているために順位関係の整理と認識は複雑だが、おそらく逆転の可能性がある位置でレースを進めている。

 新しい走者にバトンが渡る度、大きな声援が飛ぶ。走者の友人や家族は特に大きな声を出していた。中には「逃げ切れー!」や「差せー!」と、レースの応援そのままの声もある。反対に、走り切って汗水垂らす走者には労いの言葉と拍手が送られた。

 接戦は続いていたけれど、走者も残り少なくなってくると、それまでの小さな積み重ねの分開いた差がわかりやすくなってくる。アンカーまで残すはあと二人となったところで、先頭と最後方の差は三秒を越えていた。一番後ろを走っているのは緑のバトンを持った男子生徒――キングのクラスメイトだった。

 懸命に走るが、なかなか差は縮まらない。むしろバトンパスでもたついた分、差が少し開いた。最後から二番目の子も必死の形相で追い駆けるけれど、届きそうにはない。

 最初にアンカーへ渡ったのは赤いバトンだった。受け取った黒鹿毛のウマ娘は「あとは任せた!」という言葉に頷いて走り出す。一歩目から綺麗なフォームが目を惹いた。教科書通りの、きちんと型を教え込まれた走法。多分、近くのクラブチームへ所属しているのだろう。こと走る技術において秀でているのは間違いない。

 さほど遅れずに残るチームもバトンを回していく。二番目は青、三番目は黄色のバトンが渡った。体操服の上にビブスを着たウマ娘たちが次々に走り出していく。そして最後に残されたのがキングになった。

 必死に追い上げを図るクラスメイトに、キングはずっと声をかけ続けていた。「頑張れ!」「その調子、その調子!」「あと少しよ!」という声が、やはりよく通って観客席まで聞こえてくる。励まされる方の生徒もそれに何とか応えようと歯を食いしばっていた。先のクラスが全員バトンを渡し終わっても、その勢いは衰えない。きっちり自分の任された順番を走り切り、待ち構えたキングへとバトンを手渡した。この時点で、先頭とのタイム差は五秒ほどだっただろうか。

 

「ごめん、後は任せた!」

 

 絶え絶えの息で倒れ込みそうになりながら、クラスメイトがキングに声をかける。バトンをしかと握り締めたキングは、最初の一歩を踏み出しながらはっきりと答えた。

 

「ありがとう。――任されたわ!」

 

 踏み出した足が競技場のトラックを踏み抜いた。瞬間、風にリボンがなびいて、エメラルドグリーンの閃光が駆け抜ける。猛然と追い上げにかかるキングの背中へ、自然に声が出た。

 

「頑張れー、キングー!」

「頑張ってください、お嬢様!」

 

 図らずも隣のメイド長と声が揃い、顔を見合わせて笑う。走り出したキングに、万雷の声援に混じった二人の声が届いたのかはわからない。ピクリと動いた耳を風に揺らして、キングの背中が駆けて行く。

 観客席から大きなどよめきが起こった。それもそのはずだ。最初の数歩で加速を終えたキングの走りは、明らかに他のアンカーよりも速かった。次元が数段違うと言ってもいい。見る間に差を縮めていき、コーナーの途中ですでに三位の子を捉えていた。そのまま涼しい顔で外から追い抜いていく。

 

「――すごいです」

 

 メイド長が息を呑んで呟いた。まずは一人をかわしたところで、クラスメイトから黄色い声が上がった。すでに走り終えた子たちも「いいぞキングー!」と手を叩いて激励する。その声に応えるように、キングはさらにもう一人を捉えて抜き去った。抜かれた子も必死に食い下がるが、キングについていけていない。劇的なレース展開に競技場の熱はさらに高まる。レースを盛り上げる実況の声にも力が入った。

 先頭を逃げる黒鹿毛のウマ娘が第三コーナーに差し掛かる。チラリと横目で後ろを窺い、キングとの差を確認して一段ギアを上げた。残りは二百メートルもない。逃げ切りを図る先頭の子に、背後から猛然とキングが迫る。少し遅れて第三コーナーに入ったキングは、一息と共にさらに強く踏み込んだ。

 思わず息を呑んだ。頭の奥が痺れる感覚。重ねた手の内で心臓が強く脈打つ。流れる血潮が熱くなっていく。それは随分と久しぶりに味わった、懐かしさすらある感覚だった。

 強く踏み込んだその一歩で、キングはグンと加速した。否、加速という表現すら生温い。それはあたかも稲妻が走るような感覚。はためくリボンがエメラルド・グリーンの雷光となる。

 興奮のあまり背筋が震えた。それは、かつて「光輝なる一族」の一員として、未来ある才能の原石を見つけた時と同じ感覚。長らく自分の中に眠らせていた、血潮沸き踊るあの感覚だった。

 足が速いことは知っていた。今も見せていた通り、一度走り出せばキングのスピードは他の追随を許さない。けれどそれは、少し探せばどこのクラブチームにでもある才能の類で、飛び抜けたものではなかった。でも、たった今見せた加速とトップスピードはずば抜けている。それは、才能と呼ぶに相応しいものだった。随分前に封印したはずの、自分の中にある競技ウマ娘の本能が疼いたのが、何よりの証拠だ。

 見つけた。心のどこかで自分が呟いた。それに気づいて、慌てて考えを振り払う。才能を見つけること、その才能を磨く手助けをすること、それは「光輝なる一族」の責務であって、今の私の責務ではない。

 今の私がやるべきことは、期待を背負って全力を尽くす娘へ、親として精一杯の声援を送ることだ。

 

「あと少しよーっ、キングーッ!」

 

 第四コーナーへかかろうという先頭の子へ、キングはもう五バ身へ迫っている。腕を振り、脚を上げ、髪を流すキングへ向けて大きな声で叫んだ。

 

「もうひと踏ん張りです、お嬢様!」

 

 両の手を重ねて固く握り締め、メイド長も声援を送る。いつも冷静で穏やかな彼女に珍しい、熱のこもった声。それに応えるように、キングはさらに伸びてくる。

 

「キングいけーっ!」

「頑張れキングちゃん!」

 

 クラスメイトが口々にキングを応援する。外に持ち出し、今まさに追い抜きにかかろうとするキングは、任せなさいと言いたげに自信満々の笑みを浮かべていた。額を伝う汗さえ、その走りを彩る宝石の煌めきとなる。青春の輝きを風と共に置き去りにして、キングは電光石火の末脚を見せていた。

 

「走れーっ!」

 

 コーナーを曲がり切り、最後の直線へ入る。陸上競技用トラックの直線は短い。しかし、最終コーナーの終わりですでに先頭の子へ並びかけたキングには、十分すぎる距離だった。

 懸命の粘りを見せる黒鹿毛のウマ娘。ここへ来てバテることなく最後の一伸びを見せた。最後の直線のために脚を溜めていたのだろう。けれどそれは、キングの鋭い末脚を振り解くほどではなかった。

 踏み出した一歩でキングが先頭に変わる。一歩、一歩、強く大地を蹴る度に、グンとキングの体が前に出る。大きな声援を一身に受け、その全てを速さに変えるようにして、キングは駆け抜ける。我が娘ながら、その姿はかっこいいの一言に尽きた。

 興奮のあまり言葉にならない声を上げ続ける私とメイド長の前で、キングはおおよそ二バ身の差をつけゴールテープを切った。顔を見合わせた私たちは、今にも抱き合わんばかりの勢いで互いの手を取り、その場で飛び跳ねる。すごい、かっこいい、素晴らしい、思いつく限りの賛辞が、着の身着のままでお互いの口から漏れた。でも、どれほど言葉を尽くしても、興奮は収まらなかった。

 ゴールして速度を緩めたキングは、一筋の汗を滴らせながらも満面の笑みでガッツポーズを作り、クラスメイトや同じ団の生徒、客席のご家族にアピールする。そんなキングのもとへ、わっと同じチームで走ったクラスメイトが駆けつけた。瞬く間に囲まれてたじろぐキングには構わず、一人の女子生徒が飛びかかり抱き着いた。そのままもみくちゃにされ、「もーっ!」と苦笑いで悲鳴を上げるキングに、観客席からも小さな笑いが漏れる。それが次第に、温かな拍手へと変わっていった。

 

「今の子、すごかったなぁ」

「あんなに走れる子見たことない」

「皆に抱き着かれてるの、かわいい~」

 

 微笑ましく和やかな雰囲気の中で、キングに言及する声を聞いていた。内心誇らしく思いながらも、飛び跳ねてはしゃいだ身を落ち着け、温かい拍手に混ざる。恥ずかしさと興奮で熱い頬をごまかしながら、「おめでとう」と小さく呟いた。

 

「あの子って、確かあのウマ娘の娘さんよね。ほらあの有名な――」

 

 拍手の合間にそんな言葉が聞こえてきて、瞬間私は凍りついた。ありとあらゆる筋肉が一瞬のうちに強張る。全身の毛が逆立ち、反対に耳がぱたりと絞られていくのが、自分でもわかった。

 その声を皮切りに、生徒たちの健闘を称える拍手に、余計なものが混じる。道理で足が速いと思った。未来は約束されたも同然。母親譲りの素晴らしい才能だ。そんな才能を持った子が走るなんてズルい。トゥインクル・シリーズにはいつ出てくるのか。今のこの場には関係のない、どうでもいい話ばかり。

 何人かの視線が私に向けられたことに気づいた。でも、それには気づかなかったふりをして、全て無視する。不愉快極まりない。走ったのは私ではなくキングであり、キングと共に走り、あるいは競い合った生徒たちだ。今この瞬間に目を向けるべきは、どう考えたってそちらだろう。

 

「……奥様」

 

 隣のメイド長が私にだけ聞こえる声で、心配そうに呼びかけた。大丈夫、と競技場を見つめたまま答える。メイド長はそれ以上何も言わず、私と同じように毅然と拍手を送っていた。

 ……「母親譲りの才能」、そんな言葉は私が現役だった頃も耳にしたことがある。母親が同じように競技ウマ娘だった、という例は決して珍しくない。そういうウマ娘は、必ずと言っていいほど、母親が引き合いに出される。母親の残した成績が偉大であればあるほど、その傾向は強い。何をしても、どんな結果でも、母親の成績と比較され、批評される。結果が出なければ「母親ほどの才能はない」とこき下ろされ、結果を出しても「母親の才能を受け継いだ」と書かれる。どんな評価も、自身の才能については触れてくれない。まるでその才能はウマ娘のものではなく、母親のものであるかのように。そうした世間の評価に苦しみ続けた子を何人も知っている。

 違うのに。産まれ持った才能は、誰のものでもない。どれほどの人が何と言おうと、ウマ娘自身のものだ。ましてや母親のものなどでは断じてない。称賛も批判もウマ娘自身が受け取るものだ。

 キングの才能は、キングだけのものだ。あの子自身に授けられた、あの子だけの特別なもの。その才能を誇るのも、磨いたのも、信じているのも、全部全部キング自身だ。そして才能を示した時、称賛の眼差しと拍手を送られるべきなのも、すべからくキング自身だ。決して私ではない。

 けれど……ことレースにおけるキングの才能は、今日のように正当に評価されることはないのだろう。晴れやかな表情でクラスメイトと言葉を交わすキングとは対照的に、私の内心は暗澹たるものだった。

 ……幸いにして、キングは才能豊かな子だ。少し不器用でおっちょこちょいなところはあるけれど、秀でたものは私よりずっと多い。何より、自身で一度決めたことをやり切るための努力ができる。努力の天才、と言ってもいいだろう。そういう風に育ってくれたのは、きっとメイド長やゆーこ、アリー、爺やの存在が大きい。屋敷に仕える四人の使用人は、「キングの好きにやらせてあげてほしい」という私の抽象的なオーダーを律儀に守ってくれている。おかげで、キングの世界はグンと広くなった。

 だからきっと大丈夫。キングの才能が私という存在に邪魔されることはない……はずだ。

 拍手が収まった頃合いで、リレーの選手たちが退場していく。アンカーとして競い合ったウマ娘たちと言葉を交わしながら、キングもトラックを後にした。しかしすぐに生徒たちの集団からは離れ、観客席の方へとやってくる。私と目が合うと、栗色の丸い瞳が得意げに笑った。

 観客席の最前列、駆け寄ってきたキングの方へ私も場所を移す。数分前までの暗澹たる思考は一旦頭の隅へと押し遣り、たった今全力を尽くして来た娘と向かい合った。わずかに上気した頬の娘を見ると、否応なく頬がだらしなくなりかけた。それを、母親の矜持で引き締める。

 

「全力を尽くしてきたようね」

「ええ、もちろん!」

 

 キングはさも当たり前であるかのように胸を張った。練習の成果が出た、とは言わない。努力の痕跡を表に出すことをあまり好まない子だ。見栄っ張りなのだろう。でも、気持ちは少しわかるので、私も何も言わないことにしている。

 

「そう。よく頑張ったわね」

「ふふん、当然よ。だってキングは一流なんだもの!」

 

 そう答えてキングは大きく高笑いした。私の内にほのめいた暗闇すらも吹き飛ばすように、力強く晴れやかに。誰かを勇気づけるその笑顔もまた、キングの授かった才能なのかもしれない。

 笑いを収めたキングが細めていた目を開く。陽射しの加減だろうか、大きくまあるい栗色の瞳が、いつにも増して爛々と輝く。あたかも多くの人を魅了する特大の宝玉のように。吸い込まれるように目を奪われたその瞳に、今は挑戦的な色が宿った。

 唇の端を吊り上げて、キングは私へ挑むように口を開いた。

 

「もしかして、お母さまより速かったんじゃないかしら」

 

 キングの言葉に目を見開いた。純粋極まりない、(いとけな)さすら感じる挑戦の言葉。それが強く胸を打った。

 暗澹たる思考が戻りかける。けれどそれ以上に晴れやかなものが――純粋な挑戦を受けて立とうという無垢な想いが私の内を満たしていく。それは久しく忘れていた感覚に思えた。

 

「さあ、それはどうかしら?」

 

 やや意地悪な返答をした。最近流行りの悪役令嬢のように。かつて「一流ウマ娘」を名乗っていた頃の私が、ほんの少しだけ顔を出した。

 私の返答が大層お気に召さなかったようで、キングはすぐに頬を膨らました。「絶対私の方が速いわ!」と言ったキングの顔があまりにも愛らしくて、堪えきれずに吹き出してしまう。益々ぷりぷりとしてしまった娘のご機嫌を取ろうと、鍛えた腹筋で笑いを収めつつ手を伸ばす。少し汗ばんで、けれど触り心地のよい髪を撫でながら、私は短く「そうね」とだけ答えた。

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