キングヘイローまとめ   作:瑞穂国

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二十三話目。
キングの誕生日のためにケーキを選ぶカワプリちゃんと、通りすがりのお母さまのお話です。


誕生日には一番の笑顔を

――その日その場にいたのは、本当にただの偶然でしかなかった。

 季節がようやく春らしくなった四月二十七日。夕方が訪れたデパートの地下は、平日ゆえかそれほど多くの人がいるわけではなかった。賑やかなのは、どちらかといえば上の方のレストラン街。すでに仕事を終えた人たちが空腹を満たそうとしている。そんな夜の喧騒とは距離を取り、私はお菓子売り場をあちこち歩いていた。今週末は春の天皇賞。勝負服を担当した子も出走するので、私も現地まで足を運ぶ予定だった。当然手ぶらという訳にも行かないので、彼女と、彼女のトレーナーさんやチームメイトが分けて食べられるようなお菓子を差し入れるつもりだった。

 和菓子や洋菓子のお店をいくつか回り、結局こし餡が大好きな彼女には和菓子を持っていくことにした。それから、京都レース場でお世話になっている方へもいくつかお菓子を見繕う。日持ちするものはその場で買ってしまって、日持ちしない和菓子だけは土曜日の夕方に受け取りの予約をした。私の手には紙袋が二つぶら下がる。

 腕時計を確認すると、迎えに来るようお願いした爺やが到着するまではしばらく時間がある。さてどうしたものかと考え始めた私は、ふと売り場の一角、ケーキ屋さんの前で頭を抱え唸っている少女を見つけた。やや赤みの強い鹿毛の、美しい髪と尻尾。一目できちんと手入れがされているのがわかる。無機質な蛍光灯の光でも、その艶やかさが際立った。不思議と、娘の――キングの姿が重なる。

 

「――あら?」

 

 と、そこでその少女が、私も見たことのあるウマ娘だと気づいた。大きく愛らしい空色の瞳。けれど目元はツンと吊り上がり、勝気な印象を抱かせる。横顔だとなお一層はっきりとする目鼻立ち。そして服の上からもわかる抜群のプロポーション。

 迷わず彼女の方へ一歩を踏み出す。いつもなら、相手のプライベートの時間にそんなことはしないのだけれど、不思議と声をかけたいと思った。彼女はキングの友人でもあるし、挨拶くらいはしておいて罰は当たらないだろう。それに、あの様子だと相当困っているようだし、放ってもおけなかった。

 

「ごきげんよう」

 

 可愛い顔を険しくしてなお唸っている少女に声をかける。少女は大きな耳をピクリと跳ねて、慌てた様子で私の方を見た。ひらりと揺れた鹿毛の合間に、不思議そうな表情が覗く。

 

「突然お声がけしてごめんなさい。――カワカミプリンセスさん、かしら?」

「――え、あ、はいっ、そうですわ。(わたくし)、カワカミプリンセスです」

 

 少女――カワカミプリンセスさんは、やや戸惑いながらも頷いた。私を見つめる怪訝な表情は、やや警戒の色を含んでいる。どちら様でしょう、とでも言いたげだ。無理もない。私と彼女に面識はない。私が一方的に彼女を知っているだけだ。――所謂、ファンというものだった。

 デザイナーとしての屋号、あるいは本名を名乗ろうと思って、一度留める。多分、カワカミプリンセスさんにとっては、こちらの方が馴染みが深いだろう。そう思って、私は最近時々使うようになった言葉で名乗った。

 

「はじめまして。キングヘイローの母です」

 

 私が素性を明かすと、カワカミプリンセスさんは真ん丸の目をさらに大きく見開いて驚く。パチパチと瞬きを繰り返したのち、彼女はようやく開きかけの口を動かした。

 

「き、キングさんのお母さま!?」

 

 素っ頓狂な声がデパートの地下に響く。耳の先までピンと伸ばして、カワカミプリンセスさんは驚いていた。いっそ大袈裟なくらい、素直でありのままな反応が話に聞いていた通りで、私は思わず微笑ましくなってしまう。長らく大人の世界に身を置いていると、その率直さは宝物のように眩しかった。

 唇から漏れそうになった笑い声を押し殺し、至って平静にはにかむ。キングの大切な友人だ、母親としてあまり変なところは見せられない。

 

「娘がいつもお世話になっています」

「こ、ここここっ、こちらこしょっ! キングさんには大っ変、お世話になっておりますわっ!」

 

 カワカミプリンセスさんは赤い鹿毛が舞い踊るほどに勢いよく頭を下げた。余程慌てたのか、途中で少し噛んでしまっている。丁寧で、まるでマンガやアニメのセリフみたいなお嬢様言葉と反対に、どこか放っておけない、一直線な快活さが一挙手一投足から滲んだ。そこがまた、私には可愛らしく、好ましく思える。

 緊張を隠せない表情ながら、キラキラと純真な瞳をカワカミプリンセスさんは私に向ける。あまりに真っ直ぐなので、年甲斐もなくときめいてしまった。娘と歳の頃の変わらない子にこんなことを思うのも変な話だけれど、孫娘を前にしたお婆ちゃんというのはこういう気持ちなのかもしれない。娘に対するそれとはまた違った可愛らしさを感じていた。

 一つ居住まいを正し、私はカワカミプリンセスさんに尋ねた。

 

「それで、カワカミプリンセスさん。お困りの様子でしたけれど、どうかされましたか」

「……そ゛う゛な゛ん゛て゛す゛う゛ぅ゛~っ」

 

 一転、この世の終わりみたいな表情で再び頭を抱えるカワカミプリンセスさん。ショーケースの向こうでケーキ屋さんの店員さんが苦笑いしている。どうやら私が見かける前からこんな調子らしい。一先ずお店の前を離れ、私は彼女の話を聞くことにした。

 

「実は――」

 

 はっきりした眉を子犬みたいに八の字にしてしまって、カワカミプリンセスさんは話し始める。

 彼女が悩んでいたのは、明日のキングの誕生日に、サプライズで渡すプレゼントのことだった。他の友人――黄金世代の子たちや取り巻きーズの二人はそれぞれにプレゼントやパーティーを企画していて、それならと彼女はケーキを渡すことにしたらしい。それで、洋菓子店のたくさん入っているこのデパートへやって来たのだと言うが――

 

「――全っ然、決まりませんわあぁぁ~っ!」

 

 魂のこもった叫びだった。無理もない。ケーキを扱うお店は複数あるし、おまけにどの店舗も品揃えが豊富だ。誰もが喜ぶ定番の品、季節限定の彩り豊かな品、少しビターな大人向けの品。目移りする一方で全く決まらない。ちなみにカワカミプリンセスさんは、さっきのお店のプリンに目移りしてしまい、慌てて首を振ったという。

 どうすればいいんですの。頭をこねくり回して悩む姿に、つい口元を緩めてしまう。ああなるほど、キングが好きになるのも頷ける。真面目で、真っ直ぐで、一生懸命で……あの子の好きなタイプだ。

 

「カワカミプリンセスさんの選んだ物なら、あの子はなんでも喜びますよ」

「それはそうなのですけど……」

 

 わかりきったことを答えた私に、カワカミプリンセスさんも頷く。それでもなお納得していない横顔で、私には彼女の悩みが理解できた。同じことを私も何度も悩んできた。

 

「……だからこそ、妥協はできませんわ。私は……キングさんに一番喜んでいただきたいんですもの」

 

 そうね。彼女の言葉に私もすべて同意して頷いた。

 きっと喜んでくれる。誰かが一生懸命に心を込めたものを、絶対に無碍になんかしない子だ。だからこそ一番喜んでほしい。一番好きなものを食べてほしい。一番おいしいものを食べてほしい。そして――とびっきりの、一番の笑顔を見せてほしい。

 カワカミプリンセスさんの想いも、その悩みも、痛いほど理解できた。

 うんうん唸っていたカワカミプリンセスさんが、チラリと私の方を窺う。その時、ピンと何かを閃いた様子で、ぴょこぴょこと耳が動いた。彼女はポンと柏手を打ち、やはりキラキラした瞳で私を見つめる。

 

「そうですわっ。キングさんのお母さま、少しお手伝いをしてはくださいませんか?」

「お手伝い、ですか?」

「ええ。お母さまにお手伝いいただければ、きっと一番良いものに近づけると思いますの」

 

 いかがでしょうか。両の手を合わせて上目遣いにお願いするカワカミプリンセスさん。揺れる鹿毛の合間に微かな不安を覗かせる顔を見ては、断ることなどできなかった。

 

「ええ、構いませんよ。――でも、私はお手伝いまでです。カワカミプリンセスさんがご自分で選ばないと、意味がありませんから」

「もちろん、心得ておりますわ!――ささ、参りましょうお母さま。それとどうか、私のことはもっとお気軽に呼んでくださいませ。『カワカミ』でも『プリンセス』でも何なりと」

 

 呼び方については考えさせてもらうことにして、一先ずまた売り場を歩き始める。そういえば、贈り物を誰かと選ぶことなど、随分久しぶりだ。しかも、娘の友人と娘への贈り物を選ぶことになるとは。新鮮さを感じながら、売り場のショーケースに目を向けた。洋菓子、さらにケーキまで絞っても、その種類の多さには改めて目を回される。自分で食べたいものを選ぶのでも一苦労なのに、誰かへの贈り物となると悩みの種は尽きない。一つひとつ吟味して見比べて、とやっていてはキリが無い。

 こういう時は、何か一つ「これ」という目標が欲しい。デザインでも同じだけれど、抽象的で漠然としたイメージを、少し具体的にする作業が必要だ。

 

「――まずは何か、とっかかりが欲しいですね。カワカミプリンセスさんは、どのようなケーキを選びたいのか、決めていらっしゃいますか。スポンジケーキなのか、タルトなのか、フルーツが多いものにするか……その辺りから絞り込んではどうでしょう?」

 

 あくまで助言程度に留めた私の問い掛けは、カワカミプリンセスさんを大いに悩ませたらしい。可愛らしいお顔の眉間に深い皺を刻み、難しい表情をした彼女は、うんうん唸りながら考え続ける。必死にアイディアを搾り出そうとしているのが伝わった。

 

「……ケーキはスポンジにするつもりですわ。誕生日のケーキには、あのフワフワ感が欠かせませんもの。ですが味の方は……何も決まっていませんの」

 

 悩むカワカミプリンセスさんは、キングとのお茶会のことを話してくれた。彼女から誘ったり、あるいはキングからの誘いを受けて開かれるお茶会では、よくケーキを持ち寄って食べていたという。

 ただ、と彼女は苦笑い。

 

「キングさんはどのようなケーキも華麗に優雅にいただいておりますので。つい見惚れて、味の好みなどはお聞きしておりませんでしたわ」

 

 ……あの子はまた、妙な格好つけを友人に対してしているのではないかしら。少なくとも私の知るキングは、好きなケーキを食べると一目でわかるくらいに満面の笑みを浮かべていた。華麗や優雅という印象より、純真無垢や天真爛漫という言葉が相応しい。お上品にお行儀よく、という振る舞いももちろん礼儀作法として教えてきたけれど、そういうものが大人相手や社交界の場、仕事の時だけでいいとも教えてきた。

 まったく、変なところで格好つける性格は、一体誰に似たのやら。……思い当たる節は一人しかなく、私は盛大な溜め息を吐きそうになった。

 うーん、と長考の構えに入ったカワカミプリンセスさんがぽつりと呟く。

 

「せめて、キングさんのお好きなケーキや……お好きなお店などわかると、とっかかりになるのですけれど」

 

 その一言でピンときた。とっかかりとしては十分かもしれない。

 

「あの子の好きなお店でしたら、心当たりがありますよ」

「本当ですのっ!?」

 

 ロケットでも飛び出して来たのかと見紛うばかりの勢いで、カワカミプリンセスさんは私に迫った。あまりの勢いに思わず仰け反る。パッと花を咲かせた愛くるしいお顔が、興奮で彼女の勝負服と同じピンクに染まっていく。私の手を取った彼女は鼻息荒く口を開いた。

 

「ぜひっ。ぜひ、教えてくださいませっ」

 

 喜んで、と私が頷くと、カワカミプリンセスさんは益々笑顔を明るくして、両の耳を嬉しそうにパタパタとさせていた。

 

 

 

 デパートから場所を移すことにした私たちは、迎えに来た爺やの車に揺られて、私の事務所からほど近い洋菓子屋さんへ足を運んだ。行きつけのお店、とまではいかないけれど、年に何度かはお世話になっていた。ここ数年は足が遠のいていたけれど……去年久しぶりに訪れる機会があって、変わらないおいしさに安心したのを覚えている。

 平日だからか、店内に人はほとんどいなかった。丁度今ケーキを受け取ったばかりのカップルだけだ。併設されているカフェの方にも人の姿はない。店内にはどこかのんびりとした空気が流れている。

 

「――どうかしら、プリンちゃん」

 

 車中での会話で決定した呼び方でカワカミプリンセスさん――もとい、プリンちゃんを店内へ案内する。「プリンセス」から取ってプリンちゃんという安直な呼び方だけれど、どうも彼女は気に入ったらしい。私が若干のむず痒さを覚えながら呼ぶと、彼女は嬉しそうに耳をぴょこぴょこと動かす。

 店内に足を踏み入れたプリンちゃんは、両目を真ん丸にして感嘆の声を上げた

 

「ここが……キングさんのお気に入りのお店、ですのね」

 

 ソワソワと店内を見回したプリンちゃんは、そのまま迷うことなくショーケースの方へ歩み寄る。色とりどりのケーキが並ぶショーケース。ガラスにへばりつくようにして、彼女は一つひとつのケーキに目を輝かせた。

 キングのお気に入りというと、真っ先に思い浮かぶお店だ。キングは小さい時からこのお店のケーキが大好きだった。きっかけは何だったのか、よくは憶えていない。ただいつも、私がこのお店のケーキを買って帰ると、パッと表情を明るくしていた。だからいつも、キングの誕生日やクリスマスに食べるケーキは、このお店のケーキにしていた。

 おいしそうに頬張って、時折クリームを口の端につけてしまったりして、幸せそうな笑顔でケーキを食べるキングの表情が、今でも脳裏に焼き付いている。

 ショーケースを前にして再び考え込むプリンちゃんを横目に見ながら、私は店員さんに話しかける。カフェに入れるかを聞くと、まだ営業はしているという話だった。ただし、ケーキ食べ放題はもう受付を閉め切っているという。それだけ確認して、私は店員さんにお礼を言った。

 再び頭を抱えかけているプリンちゃんの肩を叩く。

 

「ねえ、プリンちゃん。折角カフェがあるのだし、一つ食べてみたらどうかしら」

 

 レース前の食事制限中ではないかを確かめると、それは問題ないと答えが返ってきた。プリンちゃんもぜひ食べてみたいと頷く。私は二名でカフェに入りたい旨を店員さんに伝え、席まで案内してもらった。

 注文はケーキセットが二つ。折角だから、ケーキは店員さんにお任せで選んでもらう。お客さんが少ないからか、数分もするとすぐにケーキと紅茶が運ばれてきた。店員さんが選んだのはオーソドックスな苺のショートケーキ。ずっと変わらない定番ケーキだ。

 

「うちのパティシエが一番自信のあるケーキですからっ」

 

 ほわほわした印象の店員さんは、そう言って微かに白い歯を見せた。

 ケーキを目の前にしたプリンちゃんは、瞳を益々輝かせる。ルビーのごとく煌めく苺、滑らかな純白のホイップクリーム、ふわふわと弾むようなスポンジ。それらが層を作る断面は絶景と言うに相応しい。どんな時でも、いくつ歳を重ねても心をくすぐる景色だ。

 心躍らせる表情のプリンちゃんに頬を緩める。そのまま永遠に見つめていそうだったので声をかけると、なんだか緊張した様子でフォークを手にした。強張った表情でごくりと喉を鳴らすプリンちゃん。

 

「い、いただきますわ」

 

 恐る恐る伸ばしたプリンちゃんのフォークが、ショートケーキの端に沈んでいく。柔らかなスポンジは綿菓子のようにフォークを受け止め、そのままスッと通した。一切の抵抗なく滑らかにケーキが切り取られる。一口大になったショートケーキを顔の前に運んだプリンちゃんは、「ほわあぁ……」と気の抜けた声を発して感嘆している。澄んだ水色の瞳にショートケーキが大写しになっていた。

 薄くリップを引いた唇にゆっくりとショートケーキが吸い込まれる。ままよ、勢いをつけるように一口を含んだプリンちゃんが目を見開いた。もくもくと口を動かす彼女は、一口分欠けたケーキと私を交互に見て目を瞬く。言葉を発しないまま、しかしその全身から「おいしい」という感情を一杯に噴き出していた。

 

「~~~~~っ! 甘くて最っ高においしいですわっ!」

 

 たっぷり一切れを味わって口の中を空っぽにしたプリンちゃんは、今にも飛び上がりそうな調子で感想を口にした。太陽と見紛う眩い表情に思わず顔の筋肉が綻ぶ。やっぱり、おいしそうにしている人を見るのが、私は大好きだ。

 

「それはよかった。私も大好きなのよ、このお店」

 

 そう言って私も一切れを口に含む。思い出補正を抜きにしても、ケーキの出来栄えは素晴らしいお店だ。気に入ってくれたのなら、私としても嬉しい。

 先程の店員さんが、ニコニコした笑顔で小さくガッツポーズを握るのが、プリンちゃん越しに見えていた。

 早速二口目を食べたプリンちゃんは身悶えして頬を押さえる。「ほっぺが落ちてしまいますわ」と呟いた彼女は、そこで何かを納得したように二度三度と頷いた。スカイブルーを宿した瞳が、職人の手で磨かれた宝石みたいに光を映す。純粋で真っ直ぐで、目を逸らすことなどできない輝きだった。

 

「決めましたわ。キングさんへのサプライズのケーキはここのお店にします。――ここのお店のケーキがいいですわっ」

 

 口元の緩さを自覚しながら、私はその言葉に首肯する。

 

「ふふっ、ならそうしましょう」

 

 プリンちゃんはぶんぶんと大袈裟に頭を振って頷いた。それからまた、もくもくとケーキを食べる。落ちそうなほっぺたを押さえながら笑う彼女に、つられて私まで頬を緩めてしまう。向かいに座る彼女の姿に、やはりキングの姿が重なった。心を素直に告げる表情が眩しい。私の口にするケーキも数段増しでおいしくなった気がした。

 

 

 

 結局、プリンちゃんは悩みに悩んで、ケーキを何種類か買っていた。緊張と不安と、でもそれ以上の期待を瞳に込めて、彼女はケーキボックスを受け取る。大事そうに箱を手にすると、店員さんへ丁寧に頭を下げていた。

 

「――ありがとうございました、お母さま」

 

 お店を出てプリンちゃんを学園へと送っていく車中、彼女は改まって私へお礼を言った。それに私はかぶりを振る。

 

「大したことはしていないわ。――いいものが選べたかしら」

「もちろん! ばっちりですわ!」

 

 流れる夕闇の街灯りを背景に、プリンちゃんはニパッと笑う。自信満々に胸を叩く仕種。覗いた白い歯が、東京の灯りにも負けずに輝く。それを見た私は、一つ満足して軽い息を吐いた。

 

「そう。素敵なサプライズになることを祈っているわ」

 

 威勢の良い返事をしたプリンちゃんは、なおもじっと私を見つめていた。不思議に思って首を傾げ、どうしたのと尋ねる。彼女は少し照れたように答えた。

 

「いえ――当たり前のこと、かもしれないのですけれど。キングさんもお母さまも、よく似ていらっしゃるなと思いまして」

 

 意外な言葉に思わず目を見開く。

 

「そう……かしら」

「はいっ」

 

 プリンちゃんは迷いなく首肯した。とても嬉しそうな表情で語り出す。

 

「お顔立ちはもちろんですけれど。困っている方を放っておかれないことも、助言だけされて後は見守っていてくださるところも……とてもそっくりさんですわ」

 

 とてもお優しいお二人ですわね。プリンちゃんの言葉は真っ直ぐ過ぎて、どう返したものだろうかと答えが詰まる。

 ……私とキングは似ているのだろうか。あまり考えたことはなかった。仕事で忙しかった私は、一般的な家庭に比べれば、娘と過ごしてあげられた時間は圧倒的に少なかった。代わりにキングが多くの時間を過ごしたのは、屋敷の使用人たちだ。キングが今のキングになった、そこへ一番大きく影響を及ぼしたのは、メイド長の愛情であり、ゆーこの優しさであり、アリーの明るさだろう。今までずっとそう思ってきた。

 ただ……一流の母親であり続けようと、それだけは心に決めてこれまで過ごして来た。キングの前に立っていても恥ずかしくない、彼女が胸を張って誇れるような、娘が歩む道を照らす一流の母親になろうと思っていた。

 もしも。もしもキングが、そんな私の姿を見ていたのだとしたら。そんな私の姿に、何か少しでも感じるものがあったのだとしたら。ほんのひと摘まみでも、キングの生きる道の指針になるようなものを見出してくれていたのなら。母親として、これほど嬉しいこともない。

 街並みの灯りが流れゆく車内に、気づくと私は小さな笑い声を零していた。

 

「きっと、プリンちゃんが言うのなら、そうなのでしょうね」

「はいっ。私、キングさんのことで嘘などつきませんわ」

「ええ、そうね。今日、それがよくわかったわ」

 

 トレセン学園へ向かう短いドライブの時間に会話が弾む。春の夜は次第に暮れていくけれど、車内で交わされる声音は明るいままだ。それがどこまでも心地よく、楽しく、私は随分この時間を名残惜しんだ。

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 打ち合わせを終えて一杯のコーヒーを引っかけようと席を立った私は、胸ポケットを忙しなく震わせるものに気づいた。鳴っていたのはプライベート用のスマホ。光る画面を確認すると、キングからの着信だった。

 普段の癖でさっと身だしなみを整え、深呼吸を一つ挟んで、応答をタップする。コーヒーメーカー脇の壁にもたれかかり、通話をスピーカーに切り替えた。

 

「もしもし。まだ仕事中なのだけれど」

『ごきげんよう、お母さま。ええ、そうだろうと思ったわ。でも、出てくれたってことは、休憩中か何かよね。手短に済ませるから、このまま話してもいいかしら』

 

 断る余地もなく、そもそもそんなつもりもなく、私はすぐに了承する。キングは律儀に「ありがとう」と言って、すぐに本題を切り出した。

 

『改めてですけど。お誕生日祝いのメッセージ、ありがとうございます』

 

 昨夜、日付が変わったタイミングで送ったLANEのことだった。朝起きた時にでも気づいてくれればいい、そう思って送っているのに、キングは毎年すぐに返事を寄越す。今年もお礼のメッセージは、数分後には返って来ていた。それなのに改まってお礼を言うところが、律儀なキングらしい。

 

「おめでとう。――時間が経つのはあっという間ね。ついこの間、赤ちゃんだったと思っていたのに」

『ついこの間、は言いすぎでしょう。――おかげ様で、すっかり大人になったわよ』

 

 嘆息しながらも、キングは優しい声の響きでそう言った。その声を聞いて私は唇の端を緩める。

 それから、とキングはさらに話を続けた。

 

『カワカミさんのケーキ選びも、お手伝いしてくださったそうですね』

 

 言われて、そういえばプリンちゃんに口止めをしていなかったことを思い出した。別段、知られて困るようなことではないけれど、娘とその友人の会話の話題に上がるのは妙にむず痒い。

 サプライズで受け取ったケーキを食べながら、プリンちゃんは昨日の経緯を事細かに話して聞かせてくれたらしい。やはり胸の辺りがむずむずする。

 

『お母さま、カワカミさんとはお知り合いだったんですか?』

「いいえ、私が一方的に知っていただけよ」

『……それだけで、お声がけを?』

「困っていたようだったし、何よりあなたの大切な友人でしょう。声をかける理由には十分じゃない?」

『そうですか』

 

 あなただって、同じ状況に直面したら、同じことをするでしょう。私の中で確信していることを、敢えて口にすることはしなかった。代わりに今一番知りたかったことを尋ねる。

 

「素敵な誕生日のサプライズになったかしら」

『ええ、それはもう。最高の一日だったわ』

「そう。それなら、よかったわ」

 

 電話口のキングは、それはそれは嬉しそうな声をしていた。例え顔が見えなくたって、その声だけで十分伝わる。やっぱり答えはわかりきっていたのだから、わざわざ確かめる必要はなかったのかもしれないけれど。でもキングの嬉しい声が聞けて、私はそれで満足だ。

 

『……ところでお母さま。実は偶然たまたま、同じお店のケーキ食べ放題チケットを二枚、ファンの方から頂いたのだけど』

「……そう」

 

 予想もしない方向から飛んで来た特大の爆弾に、何とか平静を装う。私の動揺には気づかなかったのか、キングはそのままその話題を続けた。

 

『どうかしら。去年と同じように、どこかで時間を合わせて、一緒に食べに行きませんか』

「構わないけれど。……よかったの? お友達やトレーナーさんと使わなくて」

 

 ()()()()()()()()()()()もそれを望んでいる。けれどキングはすぐに問題ないと答えた。

 

『友達にはパーティーを開いてもらったし、トレーナーとは別で出掛けるわ』

 

 ……しれっとトレーナーさんとデートすることになっているような気がしたけれど、なんとか堪えてそこには触れないことにする。私はさっと頭の中のスケジュール帳を開いた。幸いゴールデンウィークの祝日には予定が入っていない。

 

「わかったわ。ゴールデンウィークの祝日なら空いているから。あなたの好きなところで行きましょう」

『ありがとうございます。それじゃあ、後で予定を送ります』

 

 用件はそれで終わりらしかった。仕事に戻ろうと、電話を切り上げようとする。ふと何かを思い出したらしいキングがそれに待ったをかけた。

 

『――ああ、そういえば。ケーキを食べてるところを写真に撮ったから、後でLANEするわ』

「あら、ありがとう。プリンちゃんも写っているかしら」

『ええ、ばっちり二人で……プリンちゃん? 待ってくださいお母さま、プリンちゃんってなんですか?』

「カワカミプリンセスさんのことよ。プリンセスだから、プリンちゃん」

『そうじゃなくてっ。いつの間に仲良くなってるんですか!?』

「昨日、あなたのケーキを選ぶついでに、一緒にお茶をしたもの。いい子ね、プリンちゃん。真っ直ぐで一生懸命で……益々ファンになったわ」

『ええ、ええ、あの真っ直ぐさと一生懸命さがカワカミさんの魅力で……っじゃなくて!』

 

――結局、それから三十分ほど、取るに足らないような内容の通話は続いていた。

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