キングヘイローまとめ   作:瑞穂国

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大学へ進学し、レースを続けながらチームのサブトレーナー代わりを務めるキングヘイロー。ある日、後輩二人の蹄鉄を選ぶために、トレーナーと後輩と共にショッピングへ向かう。
夏コミC104で頒布予定のキングヘイロー短編集3に収録するお話です。


今までの私たち、これからの私たち

 トレーナーと私――キングヘイローだけだったチームも、私が大学へ進む頃には、後輩五人を抱えるそれなりの所帯になっていた。

 まあ、トレセン学園には、一人で十人以上のウマ娘を指導するトレーナーがチラホラいるので、そこへ比べるとそれほど大きな規模ではない。でも、そうした大所帯のチームのトレーナーは、例外なく名伯楽と呼ぶに値する方たちだ。だから、トレーナーのキャリアを考えると、六人ものウマ娘を指導するのは大抜擢と言っていい。トレーナーの同期たちは、ようやく複数人のウマ娘を任され始めたばかりだ。

 当然、これだけ任されるようになったのは、トレーナーが相応の実績を残したからだ。言うまでもなく、初めての担当ウマ娘だった私にGⅠを勝たせ、そこから担当した子たちにも着実に勝ち星を重ねさせている。少し前には、後輩の一人が私に続くGⅠウマ娘になった。こうした結果が評価されての、この大抜擢だ。

 ただ、大抜擢されたはいいものの、人数が増えたが故の弊害も出始めている。早い話、トレーナーの業務量の問題が顕在化していた。担当ウマ娘が増えたことで、彼の抱える業務は、私一人だった頃と比して単純計算で六倍。彼が仕事に慣れて、諸作業を効率よくこなせるようになったとはいえ、これだけの業務量はいかんともしがたい。

 普通、担当するウマ娘が増えてくると、そのトレーナーのもとにはサブトレーナーが配されるようになる。トレーナーの監督のもと、トレーニングを見たり、レースについて行ったり、事務作業を手伝ったりするのがサブトレーナーの役割だ。大抵の場合は、チームに所属する見習いトレーナー――まだ担当を持っていないトレーナーが務める。ただ、元トレーナーやクラブチームのコーチ、時には引退したウマ娘が務めていることもある。この辺りは、各チームとその主任トレーナーによってまちまちだ。

 私が籍を置くチームでは、見習いトレーナーがサブトレーナーを務めるのが常だった。ただ、当然人数には限りがある訳で、そうなるとより担当ウマ娘の多いトレーナーや、海外遠征の多いトレーナーへ優先的につくことになる。こうした背景があり、サブトレーナーは同じチームの別のトレーナーのもとに配され、私のトレーナーには配されなかった。向こう一年間は状況が変わりそうにないと、チームの主任トレーナーは申し訳なさそうにトレーナーへ話していた。

――とまあ、長々と話して来たけれど。そんなこんなで事情がありつつ。とりあえず今は、私がサブトレーナーの代わりみたいなことをやっている。

 

 

 

 

 

 

 トレーナーの仕事は多岐にわたる。……なんて、トレーナーでもない私が偉そうに言うことではないけれど。ともかくその仕事というのは、数えだしたらキリが無い。担当ウマ娘のトレーニングや出走するレースへの付き添いなんていうのは、ほんの表面的な話でしかない。下準備やら事務作業やら、名前のつけようすらない細々した作業まで、考えるだけで眩暈がする。

 担当ウマ娘が使う消耗品類――具体的には蹄鉄を選ぶのも、そうしたトレーナーの仕事の一つだ。なんでも、トレーナー養成科の必修科目の中には、装蹄という科目があるらしい。また、各スポーツ用品ブランドが新しい蹄鉄を紹介する勉強会も定期的に開催されている。チームやトレーナーによっては、装蹄師――蹄鉄を作る職人のことだ――と専属契約を結んでいる場合もある。それだけ、ウマ娘の走りにとって、蹄鉄選びは重要ということだ。

 勝負服を作る段になると、蹄鉄もオーダーメイドになることが多いけれど。大抵の場合は市販の蹄鉄を買って使うことになる。とはいっても、蹄鉄も服と同じで、ブランドも多岐にわたるし、種類も様々だ。専門的な知識がないと、何を手に取っていいかもわからない。だから、蹄鉄を選ぶ際にトレーナーの同行を求めるウマ娘はそれなりに多い。かくいう私も、チームに後輩ができるまでは、トレーナーと一緒に選んでいた。

 そして後輩たちも、私と同じように、トレーナーに蹄鉄を選んでもらっている。

 

「――キングさん、お待たせしましたっ!」

 

 葉桜の木陰で待っていると、私の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。手にしていた本から顔を上げると、千切れんばかりの勢いで手を振る影が一つ。その横でぺこりと会釈をする影が一つ。そして、いつも通りに片手を挙げる影が一つ。チラリと腕時計を見ると、集合時間五分前だった。しおりを挟んで畳んだ本を鞄へ仕舞い、変装用の伊達眼鏡の位置を直して、私は待ち合わせた三人を出迎えた。

 片手を挙げた彼――トレーナーに連れられているのは、鹿毛と栗毛のウマ娘二人。二人ともチームでは一番の若手で、去年デビューしたばかりの新人だ。今日はそんな二人の蹄鉄選びに、私とトレーナーが付き添うことになっている。少し前のトレーニング終わりに、私とトレーナーがそれぞれ別々に相談を受けて、それならと四人で行くことにしたのだ。

 

「おはよう。安心なさい、まだ待ち合わせ時間前よ」

 

 鹿毛を揺らして小走りにやって来た後輩へ告げる。元々、待ち合わせより早くやって来てしまうのは私の癖だ。特にこのところは、その意識を強くしている。

 メンバーが揃ったところで、トレーナーが改めて今日の予定を説明した。午前中は近くの大型商業施設でトレーニング用品の買い物。主目的はもちろん蹄鉄だけれど、後輩二人はそれ以外にも見たいものがあるようだ。それから昼食を挟んで、午後は自由行動の予定になっている。いつもの流れだと、私や後輩の買い物にトレーナーが付き合わされるか、私がトレーナーの洋服選びに付き合うかのどちらかだ。多分今日は、前者の流れになるだろう。

 

「――それじゃあ、行こうか」

「はいっ」

「よろしくお願いします」

 

 気持ちの良い返事を寄越した後輩二人を引き連れ、私たちは大型商業施設へと足を向けた。

 

 

 

 商業施設内のスポーツ用品店と蹄鉄専門店をいくつか回り、それぞれ三つずつ見繕った蹄鉄を手に、後輩たちは試着へと向かって行った。ここの商業施設内には蹄鉄専門の試着スペースがあって、トレーニングシューズに仮留めしてもらった状態の試着ができる。実際の感触を確かめることのできる便利なサービスだ。

 二人を見送った私とトレーナーは、どちらからともなく小さく息を吐く。顔を見合わせると柔らかな苦笑いが漏れた。

 お互いに、お互いの未熟な頃をよく知っている。だから、後輩へあれこれ教える自分を相手に見られるのは、やっぱりなんだかむず痒い。

 切り替えるように小さく咳払いを挟んで、トレーナーが口を開いた。

 

「ありがとう、キング。せっかくの休日に付き合ってくれて」

「いいのよ、気にしないで。後輩に頼られるのは、悪い気はしないし。それに、私も丁度、蹄鉄を新調しようと思っていたから」

 

 この春から一般大学へ進学した私だけれど、大学へ通いながらもレースは続けている。彼と試行錯誤の末に辿り着いたお気に入りの蹄鉄には、もうしばらくお世話になりそうだ。

 そうか、と短く答えた彼が、今しがた二人の後輩が消えていった試着スペースを見遣る。待機列の最後尾で談笑する二人を見つけた横顔が、少しホッとしたように、力を抜いてもう一度息を吐いた。

 

「……初めて君に蹄鉄を選んだ時のことを、思い出したよ」

「奇遇ね。私も同じことを思い出したわ」

 

 もう五年も前のことだ。私が彼のスカウトを受けて、そして彼の指導を受けるようになってすぐの頃。そう言えば、あの時蹄鉄を買いに来たのも、この場所だった。試着室へ向かう私に蹄鉄を手渡す彼が、今日と違ってソワソワしていたのを憶えている。

 

「蹄鉄一個選ぶのに夕方までかけるのは、今思うとさすがにやり過ぎだったなぁ」

「あら、一流は妥協を許さないものよ。……まあさすがに、一日がかりはどうかと思うけど」

 

 私もトレーナーも、こだわりが強くて妥協ができなかったのは事実だ。結局あの日は、二人して大慌てで帰路について、なんとかギリギリ門限に間に合わせた。有意義な買い物にはなったけれど、もう同じ過ちは繰り返さないと誓いもした。

 今ではもう、そんなことにはならないだろうけれど。

 

「あの頃から比べると、今日は早かったわね」

「二人分の蹄鉄を三つずつ見繕うのに二時間弱。……進歩はしてるかな?」

「ふふっ。ええ、そうね。そう思うわ」

 

 五年前と比べれば、今日のトレーナーはまるで別人のような手際の良さだ。彼が経験を積んできたというのもあるけれど、その経験に甘んじることなく下調べをキチンとしてきている。……いいえ、下調べが入念なのは、今も昔も変わらないけれど。手当たり次第に情報を集めていたあの頃とは違って、理論建てて整理ができている感じだ。その証拠に、後輩二人にわかりやすく説明しながら、蹄鉄を選んでいた。彼女たちも熱心に話を聞いていた。

 その背中を、なんだか誇らく思う自分がいる。トレーナーとして着実に優秀になっていく彼を見るのが、私は嬉しくて堪らない。

 

「でも、キングがいてくれて助かったよ。実際に走ってきた先輩の意見は、二人も参考になったみたいだ」

「お安い御用よ。――ま、私もあなたのおかげで、それなりに蹄鉄のことは詳しくなったし。後輩の手助けくらいなら、なんてことないわ」

 

 トレーナーほどではないにしろ、私も競技ウマ娘として経験を積んで来て、人並み以上には蹄鉄にも詳しくなった。もちろん、知識の面では彼の方が詳しいだろうけれど、私には実際にこの体で重ねた経験がある。その一点だけは、彼よりも多くのものを後輩たちに教えてあげられる。彼もそれを期待していたはずだ。

 

「あなたのご期待には添えたようね」

「ああ、ばっちり。君はいつも、俺の期待を越えてくる」

 

 トレーナーの返事に満足して頷く。彼に褒められるのは、悪くない気分だ。

 二人の入っていった試着室をもう一度私も見遣る。後輩たちが戻ってくる気配はまだない。蹄鉄の試着は便利だけれど、試着用のトレーニングシューズに蹄鉄を仮留めする分、少し時間がかかる。週末で待機列もできているとなると、なおさらだ。

 

「それじゃ、私は自分の蹄鉄を買ってくるわ」

「ああ、わかった。俺はここで二人を待ってるよ」

 

 手を挙げて送り出すトレーナーに、ひらりと手を振って歩き出す。と、二歩を踏み出したところで足を止めてしまった。その場で回れ右をして、キョトンとした表情の彼へ手を伸ばす。

 

「……予定変更」

「キング?」

 

 掴んだトレーナーの腕を少し強めに引き寄せ、再び歩き出した。事情が呑み込めない様子の彼に、私はついさっき思いついた最高のプランを披露する。

 

「あなたには、私の蹄鉄を選ぶ権利をあげるわ」

 

 思えば、トレーナーと蹄鉄を買いに来るのは久しぶりだ。チームの後輩ができてからは自分一人で買いに行っていた。もうこの二年ほど、最後にトレーナーと選んだ蹄鉄を使い続けている。

 でも、それでは進歩がない。一流とは常に前に進み続けるもの。蹄鉄だって、今と同じもので妥協してはいけない。そして折角新しいことをやるなら、彼と私の二人で考えた方がより良いのは明確だ。

 

「……困ったな。君の分を選ぶと思ってなかったから、下調べが全然できてないんだけど」

「なら、あなたの持ってる知識と経験で選んでみなさいな」

 

 あなたならできるでしょう。わざわざ口にはしなかった言葉を、挑戦的な笑みに変える。私を見たトレーナーはいつもの苦笑いを零した。でもすぐに「わかった」と自信ありげに頷く。蹄鉄には一家言ある私を納得させるつもりらしい。

 

「陽が沈むまでには決めようか」

 

 珍しい彼の軽口に、私はつい吹き出してしまった。

 

 

 

 昼食後の自由時間は、私が予想した通り、私と後輩二人の買い物にトレーナーを連れ回すことになった。洋服に靴に耳飾りにとあちこち見て回る私たちに、彼はもう慣れた様子で付き従い、増える一方の買い物袋を抱えた。

 時々、試着してみたコーデに意見を求めてみたりもした。そうすると、決まって彼は私や後輩を褒めちぎった。これまで過ごしてきて薄々気づいていたけれど、残念ながら彼にはファッションセンスは備わっていない。ただ、それ故なのか、「どう思う?」と訊くと全力であれこれ言葉を並べて褒めてくる。いっそ店員さんより熱心なくらいだ。あんまり一生懸命褒めるものだから、こちらもつい「そこまで言うなら」と購買意欲が掻き立てられてしまう。現に今日も後輩たちがその罠にハマりそうになったので、私はやんわりと止めた。この罠に気づかないと、寮に帰ってからお小遣いの残高に青い顔をすることになる。

 ……まあ、せめて「どれがいい?」と訊かれた時に、どれかを選べるようにはなってほしい。そんなことを勝手に思っているので、最近は必ず私の洋服選びに付き合わせて、三パターンのコーデから一つに絞る練習をしている。

 そんなこんなで、てんやわんやの買い物を終えると、時計は午後三時を回っていた。

 

「お待たせ」

 

 ウマバックス――ウマバの一席に腰を落ち着けてひと息を吐いた私たちのもとに、注文したコーヒーやラテをトレーに乗せたトレーナーが戻ってくる。テーブルの真ん中に置かれたトレーから後輩二人は各々注文した品を手に取った。一仕事を終えての、束の間のコーヒーブレイクだ。

 

「トレーナーさん、キングさん、今日はありがとうございましたっ」

 

 キャラメルマキアートを一口すすった鹿毛の後輩――シプレさんがぺこりと頭を下げて笑った。その隣で律儀に礼をした栗毛の後輩――ロゼさんが続けて口を開く。

 

「蹄鉄の選び方、とても勉強になりました。……前に、シプレと二人で選んだ時は、何もわからなかったので」

 

 大変だったね、と苦笑いをするシプレさんと顔を見合わせて、ロゼさんが頷く。快活なシプレさんに対して、物静かなロゼさんと、一見正反対の後輩二人だけれど、何かとウマは合うらしい。チーム以外でも一緒に過ごしているのをよく見かける。そしてどうやら、私たちに相談する前には、蹄鉄も二人で買いに行っていたようだ。

 二人の後輩にトレーナーは嬉しそうに目を細める。

 

「なら、よかった。蹄鉄の合う合わないは個人差あるから、次のトレーニングで使ってみて、感想も聞かせて。必要なら、もう一回選び直そう」

 

 はい、という返事が二人分重なった。すぐさま、シプレさんはロゼさんに顔を向ける。

 

「ね、ね、次は私たちで選んでみようよ」

「え、ええ……できるかしら」

「今日一杯教えてもらったし、大丈夫だよっ」

 

 わかりやすく「やってみたい」という興味と好奇心が顔に出ているシプレさんに、一方のロゼさんは不安そうに眉を下げる。後輩二人のやり取りを見守りながら、私はチラリと隣に視線を向けた。同じように二人を見つめるトレーナーが、次に何を言うかは何となくわかる。

 

「シプレの言う通り、次は自分たちで選んでみるといいよ」

 

 できないよりはできた方がいい、と彼は言った。その上でさらに付け加える。

 

「最初は、今日買ったメーカのカタログとか、スポーツ用品の雑誌とかを、俺かキングのところへ持っておいで」

 

 トレーナーの口からサラッと私の名前が出て、少しニヤケそうになった。こういう時に、後輩のサポート役として無条件に私の名前が挙がるようになったのは、素直に嬉しい。彼に頼られることが、ようやく彼に大人として扱われているようで、嬉しい。自然と背筋が伸びた。

 早速、蹄鉄を買った時にもらったカタログを開く後輩たちへ、トレーナーがカタログの見方をレクチャーする。まずはじっくり調べて選んで、わからないことや悩むことがあったら質問すること。そうして三つまで候補を絞って、あとは実際に試着してから決めること。多分、これまで彼が幾度となく繰り返して来たであろうことを、丁寧に順序立てて教えていた。

 トレーナーの横顔を見つめながら、「教師なんて向いてるのかも」などと考える。でもそもそも、トレーナーという職業が教師みたいなものだと気づいて苦笑い。ただ、個性豊かな学園のトレーナーたちの中にあって、彼は特に座学を得意とするトレーナーなのも事実だ。それこそ、サブトレーナーの教育なんか、上手いんじゃないかしら。

 トレーナーのレクチャーを受けた後輩二人が、カタログを見つめて睨めっこを始める。それを確かめて、そっと身を引き二人に任せた彼と目が合った。

 

「今日新しい蹄鉄を買ったばかりなのに、気が早くないかしら」

 

 小声でトレーナーに耳打ちする。そうかもね、と彼は私の言葉を否定しなかった。けれどすぐに言葉を続ける。

 

「でも、いずれはオーダーメイドの蹄鉄も作らないといけない。特にシプレは、喫緊の課題でもあるよ」

 

 オーダーメイドの蹄鉄、つまり勝負服用の蹄鉄を作るとなると、確かに相応の知識はあった方がいい。特にジュニア期のGⅠをすでに勝っているシプレさんは、今後も何度も勝負服を着ることになるだろう。今はトレーナーが選んでいるけれど、やはり完璧を期するなら自分に合った蹄鉄は自分で選べた方がいいに決まってる。

 数日前、蹄鉄選びを教えてほしい、とシプレさんが私のところへ相談に来た時のことを思い出す。今日こそ興味津々という様子だけれど、あの時はどこか焦っているようにも見えた。彼女なりに、何か思うところがあったのだろう。そう思えると、随分熱心なのも納得がいった。

 それに、とトレーナーはさらに付け加える。やや砕けた調子の声が聞こえてきた。

 

「自分で選んだ道具って愛着が湧くし、トレーニングのやる気も出るだろう?」

「ああ、なるほどね。その気持ちはわかるわ」

 

 トレーナーの言葉にもう一つ納得して笑い、私はまだ手付かずだったドリンクに手を伸ばした。取り出したストローを挿して、一口喉の渇きを癒す。

 あっ。ちょっと慌てた声をトレーナーが上げた。

 

「キング、それ俺の」

「……ふえ?」

 

 我ながら間の抜けた声を出し、改めて手にしたカップと、まだトレーに残る最後のカップを交互に見る。私が手にしているのは抹茶のウマペチーノ、私の定番だ。一方、今日私が注文したのはメロンを使った季節限定のウマペチーノのはず。そして、当のメロンのウマペチーノはというと、まだトレーの上に鎮座している。

 ……道理で、飲んだ時にちょっと違和感を覚えたわけだ。

 こちらを見るトレーナーと目が合い、照れ隠しに苦笑いが漏れる。彼も困ったように眉を下げた。

 

「ごめんなさい、確認してなかったわ」

「いいよ、気にしないで」

「一口もらってしまったし、あなたも私のを飲んでいいわよ」

 

 トレーに乗ったまま手つかずのカップを目線で示す。私の不注意なのだから、このまま返すというのも申し訳ない。一口交換するくらいがいい塩梅だろうか。

 

「……じゃあ、遠慮なく」

 

 少し迷って、彼はカップに手を伸ばした。ウマペチーノ用の太いストローを挿し、ちゅっと一口だけ口づける。その一口を堪能したらしい彼は、「ん、おいしい」と率直な感想を漏らして、私にカップを差し出した。反対に私は、自分の手にしてるカップを彼に手渡す。

 

「――ん、なかなかいいわね、これ」

 

 果実の瑞々しい甘さを口の中一杯に感じて、私は納得しながら頷いた。ウマペチーノ独特の冷たくシャリシャリとした食感に、とろりとしたメロンの果肉が混じる。味も食感も楽しめる一口だ。早速もう一口ストローを咥える。そんな私を、彼もまた抹茶のウマペチーノを飲みながら見つめていた。

 

「――大学はどうだい、キング」

 

 私がカップを置くのを見計らって、トレーナーが口を開く。指先でストローを弄りながら、私は率直に「慣れないわね」と答えた。

 

「学園にいた頃とは、色々と勝手が違うわ。通学にも時間がかかるし、講義も自分で選ばないとだし……あと、トレーニングも。大変と言えば大変ね」

 

 トレセン学園の大学部ではなく、一般大学に通いながらレースに出続ける子はほとんどいない。理由は単純で、トレセン学園では整備されているレース出走による欠席への救済措置等が、一般大学には用意されていないからだ。単位を取得するためには、他の学生と同じように講義を受け、課題をこなし、試験をパスしなければならない。

 それに、トレーニングも勝手が違う。大学にはトレセン学園のように立派なトレーニングコースはない。併走や模擬レースの相手もいない。必然、本格的なトレーニングをするならば、トレセン学園まで来てチームに合流しなければならない。でも、午後の遅くまで講義があればそれも叶わない。私の場合、まともにトレーニングへ参加できるのは、火木金の三日間。それも、大学から移動してくる都合上、参加できるのは早くて午後三時以降だ。

 レースを続けるウマ娘の学外進学率が低いのには、こうした環境上の理由がある。私もそれを身をもって体験していた。これまでの六年間で当たり前だったことが、この一か月ほどで当たり前ではなくなっている。今はその変化に慣れている最中だ。

 ただ私の場合、学園を出たことで受けている恩恵もある。

 

「実家のメイドたちと、あと一応お母さまも協力的だから、そこは助かっているわ」

 

 トレセン学園を卒業したことで、私は六年間暮らした寮も引き払い、今は実家に戻っている。一人暮らしも考えたけれど、大学の立地を考えても積極的な理由が見出せず、実家から通うことを選んだ。卒業間近にそのことを伝えたら、メイド長は大袈裟なくらい喜んでいたし、お母さまも……わかりにくいけれど嬉しそうにしていた。今の私は、恵まれた実家で、多くの助力を得られている。

 

「今更だけれど、恵まれた家に産まれたなって思うわ。特にレースを続けていくことを考えたら、ね」

「キングのお母さまは、レースのこともよく知ってるし、理解もあるからね」

「……理解があり過ぎるのが玉に瑕、だけれどね」

 

 まあでも、トレーナーの言う通りお母さまの存在は大きい。お母さまもまた、現役の頃は大学に通いながらレースを続けていた。その辺りの実情は自身の経験として、また周りのウマ娘を見て、よく知っている。色々とアドバイスもしてくれる、よき先輩であり相談できる相手だ。

 ただ、よく知っているからこそ、私がレースを続けることに一番苦い顔をしたのもお母さまだ。

 

――「選ぶ人が少ない道というのは、それなりの理由があるから選ばないということよ」

――「将来のことを考えたら、レースは辞めた方がいい。あなたは、あなたの学びたいことを学ぶために、大学へ通うのでしょう」

――「あなたはもう子供ではないわ。大学を出たら、否応なく自分で生きていかなければならない。そしてレースは、この先もあなたの生きる術でいてくれるわけではないわ」

 

 一般大学で学びながらレースも続けたい。そう伝えた時のお母さまの言葉を思い出す。小学生の私であれば、その言葉に反発したかもしれない。でも正直、今回に関してはお母さまの言うことがもっともだと思う。そう思えたのは、お母さまが不器用なりにきちんと言葉を尽くしてくれたからだ。

 だから私もきちんと言葉を尽くした。もう同じ失敗はしない。今の大学で学ぶことも、レースで走り続けることも、私はどちらもやりたかった。どちらもが私のやりたいことだから、私は「どちらもやる」と決めたのだ。トレーナーを説得した時と同じように、迷いなく真っ直ぐに私の熱意を伝えた。そうすれば絶対に認めてくれる人だと思い出した。愛娘という特権をフル活用した、ちょっとズルい手だったかもしれない。ともかく、今回はお母さまも認めてくれた。……相変わらず心配はしているようだけれど。

 

「ま、そういう訳だから。新しい環境にだってすぐに慣れてみせるわ。――だからあなたも、今までと変わらず私を頼りなさいな」

 

 最後にそう締めて、また自分のカップを手にする。トレーナーは「敵わないなぁ」と呟いて苦笑いした。お人好しな彼のことだから、「慣れるまでしばらくサブトレーナーの代わりはお休みして」とでも言うつもりだったのだろう。

 ……そうはいくものですか。

 

「私があなたを手伝うのは、あなたのパフォーマンスが落ちたら困るからよ。チームの皆が困るわ。だから私は、私のできる範囲で、あなたのお手伝いをしてるだけ」

 

 真っ直ぐにトレーナーの目を見て伝える。彼の優しい目元に黒い隈を見つけるのは、できれば今後も御免被りたい。

 

「ありがとう。これからも頼りにしてるよ」

「ええ、存分に頼りなさい。なんたって私は一流のウマ娘、キングヘイロー。何でも一流にこなしてみせるわ」

 

 多少かっこつけて宣言すると、トレーナーはすっかり破顔した。釣られた私も頬を緩める。遅れてやって来た若干の照れくささをごまかすように、私たちはまたそれぞれの飲み物に口をつけた。ちょこちょこ飲んでいたから、お互いに半分近く減っている。

 

「――そういえば」

 

 話題を切り替える意味もあって、私はさっきから思っていたことを口にした。

 

「今回の新作ウマペチーノは、当たりだと思わない?」

 

 自分の手にしたカップを軽く掲げてみせる。今回の新作はかなり私の好みだ。全体のバランスも良くて、完成度も高い。

 トレーナーはコクコクと同意の首肯を寄越した。

 

「俺も思った。ここ最近で一番おいしいよね」

「そうよね、そうよね。リピーターになりそうだわ」

「俺も次はそっちにしようかなぁ」

 

 そう言ったトレーナーがチラリと私の持つカップを見る。新作ウマペチーノを彼も気に入った様子だ。それなら、来週あたり差し入れで持って行こうかと、そんなことを考える。仕事が好き……というより、担当ウマ娘である私たちのことが大好きな彼は、放っておくと仕事にのめり込んでしまうから、こういう息抜きは必要不可欠だ。

 今日も今日とて、大好きな担当ウマ娘のため休日の買い物に付き合ってくれたトレーナーへ、私は尋ねる。

 

「もう一口、いる?」

 

 手にしたカップを軽く振る。まだ半分が残ったメロンのウマペチーノ。私も気に入ったそれを、彼が望むというのなら、もう少しシェアしてあげるのもやぶさかではない。

 トレーナーはやっぱり少し迷って、いつものように優しい苦笑いを浮かべながら答えた。

 

「じゃあ、もらおうかな」

「ん、素直でよろしい。――はい、どうぞ」

 

 手にしたカップを少し傾け、ストローの先端をトレーナーの方へ差し出す。私の方へやや上体を傾けた彼が、その唇でストローを咥える。ちゅるり。私の手から彼がウマペチーノを飲むという光景は、例えるなら小動物へのエサやり体験のようで、どこか滑稽にも思えて胸の辺りがくすぐったい。

 彼も私に飲み物を差し出す時は、同じようなことを感じているのかしら。

 一口分味わったトレーナーがストローから口を離した。「やっぱり、おいしいね」と言った彼に同意して微笑みながら、私はまたストローに口づける。その先端からほのかに抹茶の味がした。

 

 

 

 コーヒーブレイクを終えてお店を出る時、やけに静かな後輩たちの顔が少し赤かったのは、気のせいだろうか。

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