キングヘイローまとめ   作:瑞穂国

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四作目です。
キングヘイローが玉子焼きを作るお話。
Twitterで話題のクッキングヘイローに合わせて書いたお話です。


お嬢様の玉子焼き

「メイド長、お願いがあるのだけれど」

 

 お嬢様――お屋敷の主の娘さんが控えめな声とともに(わたくし)のもとへ訪ねていらしたのは、朝食の支度ももうすぐ終わろうかという頃合い、丁度私が新鮮な卵を菜箸で溶こうかとしていた矢先でございました。

 振り返ると、このところグンと身長の伸びたお嬢様が、お気に入りの手帳を握り締めて立っておいででした。卵三つを割って入れたボウルを一旦傍らへ置き、私はお嬢様の方へと向き直ります。朝早いというのに、お嬢様はもうしっかりと身支度を整えておいでです。トレードマークとなっているエメラルド・グリーンのリボンが右耳に揺れておりました。

 

「おはようございます、お嬢様。いかがされましたか?」

「おはよう。えっと、その……ね」

 

 栗色の瞳を惑わせて、お嬢様は手帳で口元を隠しました。しばらくして、お嬢様は私が今まさに溶こうとしていた卵へ目を遣ります。お嬢様はどこか恥ずかし気に、けれど勢い込んで力強く、手帳の向こうの小さなお口を開かれました。

 

「お料理を教えて欲しいの」

「……まあ。それはそれは」

 

 少し驚いてしまいました。私の作る朝晩のお料理や、休日にお出しするお菓子を、それはそれはおいしそうに召し上がるお嬢様ですが……料理そのものに興味を持たれた様子は、これまでなかったのです。ですから、今回のお願いは突然のことで、けれど私はすぐに頷きました。「娘が興味を示したものは、なんでもやらせてあげて欲しい」、それはお屋敷の主からのご依頼でもありました。

 

「ええ、もちろん、よろしいですよ」

「ほ、本当!?」

 

 お嬢様は大きな瞳をキラキラと宝石のように輝かせておりました。そのようなお顔をしていただけるのは、お屋敷の「食」を預かる者として、この上ない喜びでございます。

 家庭科の授業でお料理が始まる年頃でもございますし、よい練習にもなるでしょう。そう思って興奮気味のお嬢様へ再度頷いた私は、メイド用のエプロンを取り出してお嬢様へ手渡します。少し大きいかなとも思いましたが、どうやらいらぬ心配だったご様子です。ベージュのシンプルなエプロンを少々お手伝いして身に着けると、お嬢様は誇らしげに胸を張りました。

 

「よくお似合いです、お嬢様」

「そうでしょう、そうでしょう」

 

 その場で踊り出しそうなほど上機嫌なお嬢様でございました。

 

「それではお嬢様、どのようなお料理を作りましょうか」

 

 手を洗って準備を終えたお嬢様に尋ねます。本日の朝食は純和食ですから、玉子焼きにお魚に御御御付とお浸しと、何品かの準備をしております。とは言いましても、御御御付は作ってしまいましたし、お魚も間もなく焼き上がります。お浸しももう一人のメイドが準備しているところです。保存されている食材を思い出しながら、どのようなお料理ならできるだろうかと、そんなことを考えておりました。

 お嬢様は最初から作りたいお料理が決まっていたご様子。私が尋ねると、一も二もなく答えが返って参りました。

 

「玉子焼き! 玉子焼きがいいわ」

 

 ボウルを指差して、お嬢様はそうおっしゃいました。

 

「かしこまりました、玉子焼きですね。――ふふっ、お嬢様の大好物ですものね」

「ええ。メイド長の作る玉子焼きは、世界で一番おいしいわ」

「ありがとうございます。お嬢様がおいしそうに召し上がっていらっしゃると、私も嬉しいです」

 

 嬉しい気持ちのままに私が答えると、お嬢様はニパッと花を咲かせるように笑いました。

 すでに割ってある卵の入ったボウルをお嬢様の前にお出しします。菜箸を持ったお嬢様の手を取り、ゆっくりと卵を溶いて参ります。一つ私が教える度、お嬢様は「少し待って頂戴」と、傍らの手帳に愛らしい字でメモを取っておりました。それを何度も繰り返し、少しずつ玉子焼きを作って参ります。

――けれど、何事も最初から、そう上手くはいかないものです。

 できあがった玉子焼きは、玉子焼きではなくスクランブルエッグとなっておりました。途中でうまく巻くことができず、崩れてしまったのです。おまけに、端が少々焦げてしまいました。

 お嬢様は今にも泣きそうな顔で玉子焼きを見つめ、調理場のテーブルにうなだれておりました。

 

「大失敗だわ……」

「そのようなことはございませんよ。確かに、玉子焼きではないかもしれませんが、きちんと完成はしております。それに、味にしてもこの通り」

 

 端の方を菜箸で取り、一口摘まみます。お嬢様の要望で、私が普段作るものより少し甘い味付けにした玉子焼き。火が通り過ぎてしまってはいるものの、口の中にほろりと甘さが広がります。ふと、お弁当の記憶を思い出して、とても懐かしい気分となりました。

 落ち込んだままのお嬢様に目線の高さを合わせます。潤んだ栗色の瞳が揺れて、私の方へ視線を寄越されました。

 

「一度ではうまくいかないものなのです、お嬢様。おいしい玉子焼きは、何度も練習して、できるようになるのですよ」

 

 お嬢様は努力の方ですから、私の言葉を理解していただけると思うのです。きっといつものように、「そうね。一度で諦めるなんて、一流のすることではないわ」と、また前向きに取り組んでくださると、そう思ったのです。

 けれど私の予想に反して、今朝のお嬢様は浮かない顔のままでした。たくさんメモの取られた手帳を指先が弄ります。お嬢様には珍しく、どこか焦っておいでのようでした。

 

「……何度も失敗している時間は、ないのよ」

 

 開かれた手帳の一ページ、カレンダーの一か所に色鉛筆で花丸が描き込まれております。今日から二週間とかからずやって来るその日は、丁度母の日でございました。

 私はようやく理解できたのです。お嬢様がどうして突然、お料理をしたいとおっしゃったのか。どうして迷いなく、玉子焼きを作りたいとおっしゃったのか。

 玉子焼きは、お屋敷の主――奥様の大好物でもあります。きっとお嬢様は、奥様のために、奥様の大好きな玉子焼きを作って、母の日のプレゼントとしたかったのでございましょう。

 

――「助けてメイド長! キングちゃんのケーキが……!」

 

 似たようなことが、以前にもあったのです。それを思い出してしまうと、私はもうただただ微笑むことしかできませんでした。

 零れかけたお嬢様の雫を、指先ですくいます。

 

「お嬢様。お一つ、提案してもよろしいでしょうか」

「……なにかしら」

「これから毎朝、玉子焼きの練習をいたしませんか?」

 

 キョトンと、お嬢様は栗色の目で私を見つめておりました。

 

「今日より早く――そうですね、朝の六時頃からではどうでしょうか。早起きをして、玉子焼きの練習を致しましょう。もちろん、奥様には内緒で」

 

 人差し指を唇に当て、秘密の仕草をします。思えば、私とお嬢様はよく、こうして二人の秘密を共有しておりました。

 目を見開いたお嬢様は、ポニーテールにした鹿毛を何度も激しく揺すって頷かれました。

 

「ええ、練習するわ。早起きして、上手にできるまで、何度も練習する。――もちろん、お母さまには内緒で」

 

 そうして、二人で指切りげんまんをして、約束を致しました。

 朝食用にもう一度玉子焼きを作る私の手元を、お嬢様は初めて作った玉子焼きを口へ運びながら、穴が開くほどに観察しておりました。

 

 

 

 お嬢様は、一日として欠かすことなく、毎朝厨房へいらっしゃいました。奥様似の鹿毛をポニーテールにして、どこからか持ち出した三角巾も被って、とにかく気合いの入ったご様子でした。

 お料理というのが初めてのお嬢様は、それはもう、失敗の連続でございました。最初は卵が上手く割れず、黄身と白身と殻が混ざり合ってしまいました。気合いを入れてかき混ぜ過ぎたのか、溶きかけの玉子が飛び散ってしまったこともございました。そしてやはり、初日と同じようにひっくり返すのに失敗して、玉子焼きではなくスクランブルエッグに仕上がったこともございました。

 けれど根気強く、お嬢様は取り組んでおられました。何度失敗しても諦めず、次こそはと卵に向き合い、溶いてかき混ぜ、玉子焼き器に敷いては巻いておりました。一週間もする頃には、私はもう傍で立つばかりで、ただただお嬢様の奮闘を見守っておりました。

――そうして、二週間はあっという間に過ぎていったのです。

 

「――感服いたしました、お嬢様」

 

 差し出されたお皿を見た私は、無意識のうちに拍手を打っておりました。

 綺麗に折り畳まれているのは、鮮やかな黄色に焼けている玉子焼き。丁寧に丁寧に、何度も丹念に巻かれたことのわかる逸品でございます。積み重ねられた玉子が美しい層を見せる、素晴らしい景色と評する他ありません。柔らかな見た目と、程よく半熟の出来栄えに、食欲をそそられます。

 

「素晴らしい出来栄えです。奥様もきっと、お喜びになります」

「……そう、かしら」

 

 けれど、当のお嬢様ご本人は、あまり納得のいかないご様子でした。

 

「確かに、今までで一番の出来よ。味だって自信がある。……でも、メイド長の玉子焼きには、及ばないわ」

 

 栗色の瞳が揺れて、次第に落ちていきました。心なしか、折角伸びた背が、小さく縮んでしまったように思われます。

 

「お母さま、本当に喜んでくれるかしら」

「お嬢様――」

 

 不安そうな呟きに、私は身を屈めました。俯かれてしまったお嬢様と、そうすることでようやく視線が合います。

 真ん丸をした栗色の瞳が、水面に映るお月様のように揺らめいて、私を見ておりました。

 

「お嬢様。どうして、私の玉子焼きがおいしいのか、おわかりになりますか」

「……どうしてかしら」

 

 可愛らしいお耳をすっかり垂らしてしまっているお嬢様。その頭をそっと撫でます。ふわりと心地よい感触。奥様とお揃いのシャンプーの香り。お嬢様はくすぐったそうに目を瞑って、しばらく私にその綺麗な髪を撫でさせてくださいました。

 

「――お嬢様に喜んでいただきたいからです」

「……私に?」

「はい」

 

 お嬢様の頭から手を離し、私は頷きます。目をぱちくりとされているお嬢様。

 

「お嬢様に喜んでいただきたい。ただそれだけを考えて、私は玉子焼きを作っております。ですから、私の玉子焼きはおいしいのです。――そしてそれは、お嬢様も同じではありませんか?」

 

 初めて挑戦するお料理だったのです。たくさん失敗もして、思い通りにならないことばかりだったことでしょう。けれどそれでも、飽きることなく、投げ出さず、ただただひたむきに玉子焼きを作ってこられた。

 その想いこそが、きっとお料理をおいしくするのです。

 

「お嬢様が、奥様に喜んでもらおうと、毎朝一生懸命であったことを、私はよく知っております。それは、誰にでもできることでは、決してないのですよ。優しくて強いお嬢様だからこそ、できたことなのですよ」

 

 素敵なお嬢様。どうかそう不安にならないでいただきたいのです。大丈夫でございます。お嬢様のお気持ちは、きっと奥様へも伝わります。――ただそれだけを思い、願い、祈りながら、私は言葉を重ねておりました。

 

「――お嬢様。どうかこのメイド長の言葉を、信じてはいただけませんか」

 

 玉子焼きを持つその手に、私の手を重ねます。何度も何度も失敗した手。卵を割って、溶いてかき混ぜ、焼いて巻いた手。たくさん想いを込めた、お嬢様の手です。

 しばらく私を見つめていたお嬢様は、やがてゆっくりと一つだけ頷かれました。栗色の大きな瞳に、鮮やかな色が宿ります。

 

「……ええ、ええ、信じるわ。そうよね。お母さま、きっと喜んでくれるわよね」

 

 今朝初めて、お嬢様はニパッと白い歯を見せ、笑ってくださいました。

 

 

 

「――あら? この玉子焼き……」

 

 午前七時きっかりの朝食のお時間。緊張した面持ちでお嬢様が見つめる中、早速玉子焼きを口へ運んだ奥様が、不思議そうな顔をして口元を押さえました。ゆっくりと確かめるように玉子焼きを咀嚼した奥様が、厨房から様子を窺っていた私へ目を向けます。

 

「メイド長、いいかしら」

「はい。何でございましょう、奥様」

 

 厨房から出て奥様のもとへ歩み寄りますと、奥様はちらりとたった今召しあがった玉子焼きを見遣って、そうして私へ尋ねました。

 

「今朝の玉子焼きは、別のメイドが作ったのかしら。いつもと味付けが違うわね」

 

 奥様と私を交互に窺うお嬢様の不安げなお顔が、視界の端に映っております。私は、それには気づかなかったフリをして、一つだけ頷きました。

 

「はい、おっしゃる通りです。本日は私がお作りしておりません」

 

 やっぱりねと奥様は微笑みます。もう一切れ玉子焼きを摘まんで口へと運んだ奥様は、緩んだ頬を押さえながら、それはそれはおいしそうに咀嚼しておりました。

 

「――とてもおいしいわ。メイド長の玉子焼きはもちろん好きだけれど、こんな風に甘い玉子焼きも私は大好きよ」

 

 そうおっしゃって、奥様は目を細めます。それを見つめていたお嬢様が、ぱっと満面に花を咲かせました。春を咲かせたように輝く瞳。耳が動くのに合わせて、お気に入りのリボンも揺れておりました。隠し切れない喜びを溢れさせるご様子に、私も目を細めます。

 よかったですね、お嬢様。そう思わずにはいられません。お嬢様が、一生懸命に玉子焼きの練習をしていたこと、このメイド長は一番近くで見させていただいたのですから。

 

「……ところでメイド長。この玉子焼きは、誰が作ったのかしら」

「はい、それは――」

 

 答えかけて、ふとお嬢様が「しーっ」と人差し指を唇に当てているのに気が付きました。お嬢様が作った玉子焼きであることを、どうやら黙っていて欲しいご様子。

 私は、とても良い出来の玉子焼きだと思うのです。奥様も認めていらした通り、味も申し分ないですし、形も整っております。二週間のお嬢様の努力の結晶でございます。けれどお嬢様は、まだ納得できていないご様子でした。

 納得のいっていない玉子焼きを、自分の作ったものと名乗り出るのは、恥ずかしいのでしょうか。ともかく私は、喉元まで出しかけていたお嬢様のお名前を、寸でのところで引っ込めます。

 

「――申し訳ありません、奥様。私からは申し上げられません」

 

 ただ、と。私はそう前置いて、付け加えることにいたします。

 

「奥様のことが大好きな方から、とだけ申し上げておきます」

「……そう」

 

 それだけで奥様に察して頂けたのかは、わかりません。もしかすると、最初の問いかけを私にした時点で、奥様は誰の作った玉子焼きなのか、お気づきになっていたのかもしれません。ともあれ、それを確かめるのは、メイドとしては野暮というものでございます。

 奥様はただ優しく微笑まれただけで、それ以上何かを問うことはありませんでした。

 

「では、これだけ伝えて頂戴。――おいしい玉子焼きをありがとう。また作ってほしいわ」

「はい、かしこまりました。必ずお伝えいたします」

 

 私が答える間、お嬢様はお顔を真っ赤にして、ご自身の作った玉子焼きを頬張っておいででした。

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