キングとウンスのお話です。
「……キング? おーい」
ブルーハワイのかき氷を口にした友人は、けれど心ここにあらずという様子でそのまま固まってしまった。ストロー状のかき氷用スプーンをくわえる、薄いリップの引かれた唇。形よく盛り上がった桃色がどこか悩ましい。彼女の名前を呼びながらも、私はぼうっとして見惚れていた。
毎年恒例の夏合宿が行われる学園所有の合宿所近くでは、八月の終わりに夏祭りが開催される。開催の二日間に限っては厳しい門限も緩和されるとあって、トレーニング終わりに足を運ぶウマ娘はそれなりにいた。そんなわけで、夏祭りは例年盛況を見せている。
はてさて、そんな夏祭りに今年も私は繰り出して来た。変わり映えしないいつものメンバー、同期五人組。去年グラスちゃんが見つけた貸衣装屋さんで浴衣も借りて、束の間の夏休みを満喫していた。
だというのに、目の前の彼女は、ずっとこんな感じだった。
「おーい、キングヘイローさんー?」
呼びかけに答えなかったキングをもう一度呼ぶ。今度は大袈裟に手まで振ってみた。けれど、丸テーブルを挟んだ向こう側から返事はない。キングはお祭りの喧騒を横目に見遣ったまま、ぼうっと心ここにあらずだ。せっかく買ったかき氷も、このままでは溶けてしまいやしないか。
さて、どうしようか。次の一手を考えながら、キングにしては珍しいなと、そう思った。敏感過ぎるくらい周りをよく見てる子だ。私がいかに追試を回避しようか思案してれば、「真面目に勉強なさい」とどこからか小言が飛んでくる。私が「一流ウマ娘キングヘイローの一流に可愛いエピソード」を後輩たちに披露しようとすれば、「おばかっ」と大して痛くもないチョップがどこからか飛んでくる。四方八方に耳と目がついてるんじゃないかと思いたくなるくらい、彼女は周りをよく聞いているし、よく見ている。
だからこうやって、私の呼びかけに答えないなんてことは、今までは無かった。……何か、別の考えに囚われてた時以外は。
「――えーいっ」
第三の策として手を伸ばし、キングの頬を指先でつつくことに決めた私。キングにしつこく注意された通りに浴衣の袖を片手で折りつつ、向かいに腰掛ける彼女の頬に触れる。むにゅり。一流ウマ娘は頬の柔らかさまで一流だ。マシュマロにでも触れているみたいで、人差し指の感触が幸せだ。
キングはようやく、私の方へ目を向けた。その拍子に、さらに頬へ指が沈み込む。普段からは想像もつかない顔のキングに、私は思わず吹き出してお腹を抱えた。
「ちょっと、スカイさん!? 何するのよ! というより、そんなに笑わないで頂戴っ!」
口を開くなり、キングは真っ赤な顔で抗議を寄越した。けれど、それは無理な相談というものだ。目の前であまり怖くない怒り方をしているのも相まって、可笑しさが勝ってしまう。
どうにか笑いを収めながら、ごめんごめんと謝った。キングは「まったく、もう」とそれで言葉を収め、ようやく二口目のかき氷を口にする。浴衣姿も相まって、随分と優雅な所作に見えた。
「キング、やーっとこっち見てくれた。ぼーっとしてるから、心配しちゃった」
「……それは、その」
「何かあった? 悩み事?」
ぼーっとしていた自覚はあったらしく、キングはバツの悪そうな顔をして栗色の瞳を夕闇に惑わせた。細い眉が困ったように下がる。会場に灯り始めた提灯の、淡い光に浮かぶ悩ましげな表情が、なんだか大人びて艶めかしかった。
「な、なんでもないわ」
「えー、ほんとにー?」
「……スペシャルウィークさんたち遅いわね、って思っていただけよ」
キングはそう答えてそっぽを向く。彼女の言う通り、焼きそばとたこ焼きとお好み焼きを調達に行った私たち以外の同期三人は、まだ戻ってこない。
でも、キングの言葉は嘘だ。根が真面目で真っ直ぐないい子だから、嘘が隠せていない。顔と仕種に全部出る。
自分のかき氷を崩して頬張る。宇治抹茶の練乳がけ。とろりとまろやかな甘さを味わいながら、私は向かいのキングへさらに言葉を続ける。
「トレーナーさんのこと考えてたでしょ」
「んぐっ!?」
言葉にならないくぐもった悲鳴が上がる。図星だったようだ。
キングと、キングのトレーナーさんの仲の良さは、端から見ていてもよくわかる。お互いにお互いを信頼している間柄。キングの言葉遣いとか、トレーナーさんの目元とか、お互いの距離感とか、そういうのを見ていれば二人の関係性はよくわかった。
でも……最近、その関係性が少し、変わってきたように思う。時期的には、キングのトレーナーさんが、キング以外の子も担当するようになった頃からだろうか。
頬杖をついて溜息をもらすことが増えた。それと同じくらい、嬉しそうにスマホを弄ることが増えた。悩まし気に教室の窓を眺めている姿が増えた。それと同じくらい、頬を染めてトレーニングから寮へ戻る姿が増えた。それは、少しキングを見ていれば気づいてしまうぐらいの変化で、実際私やグラスちゃん以外にも気づいている子は多いと思う。そしてキングをそんな風にしている要因の中心に、トレーナーさんがいることは明白だった。
……まあ、ごまかしたって仕方ない。端的に言えば私は、キングがトレーナーさんに
実際こうして、そういう節はあるわけだし。
「キング、トレーナーさんのこと大好きだもんねぇ」
盛大に咽たうえに、一気に飲み込んだかき氷で頭が痛んでいるらしいキングは、顔を真っ赤にしながらも言葉を発せず悶えている。涙目が恨めし気に私を見つめていた。
ようやく痛みから解放されたキングは、ザクザクとやや乱暴に氷の山を崩した。夕焼けとは別の色で頬を染め、そっぽを向いてぶっきらぼうに答える。それもやはり、彼女にしては珍しい。
「別に、いいでしょうっ。自分の担当なんだから、色々思うところはあるのっ」
そこでごまかさないのが、キングのいいところで可愛いところだ。でも開き直り方はあまりうまくない。器用さとは縁遠い友人だ。
キングに倣ってザクザクと宇治の山を崩す。練乳と絡んだ夏の雪を一口。頭が痛くならないように適量を舌に乗せる。冷気が口の中を支配して、ミルクと混じったシロップの香りが鼻を抜けた。
キングはまたも適量を見誤ったらしく、二度目の激痛で眉間に皺を寄せていた。
「……大好きなのは否定しないんだね」
祭りの喧騒に紛れて聞こえないように呟いた。けれどどうにも、耳のいい彼女には聞こえていたみたいだ。眉間を押さえて鈍痛と戦っていたキングが、やや険しい顔で口を開く。
「スカイさん。言っておくけれど、恋愛感情とか、そういうのではないから。変な勘繰りはしないで頂戴」
少しばかり低いトーン。真面目な声音。真っ直ぐな視線に射竦められて、私は黙ってキングの言葉を聞いていた。
「信頼しているし、尊敬もしているわ。あなたの言う通り大好きよ。私が走るためには彼が必要なのもよくわかってる。でも、それはトレーナーとして、よ。恋愛対象としてではないわ」
そんな風に見るのは彼に対して失礼だ。キングが言外に含んだ意味を察して、私は頷いた。さすがに、それ以上何かを言おうとは思わなかった。ここから先はキングに嫌われる覚悟が必要だろう。それは絶対に嫌だ。
「ごめん」
視線を落として謝ると、キングはすぐに肩の力を抜いて微笑んだ。ポンと柏手を一つ打つ。
「はい、この話はおしまい。――私もごめんなさい。スカイさんといるのに、ボーっとしてしまって。せっかく一緒に遊んでるんだもの。目一杯楽しまないとよね」
キングはいつものように笑って、またかき氷を口にした。青空色の氷が唇の向こうへ溶けていく。今度は頭を痛めなかったようで、彼女は夏恒例の冷たさと甘さに目を細めた。まだ幾ばくか早い秋色の瞳が瞬く。
スぺちゃんたちが山ほどのパックを抱えて戻ってくるまでに、かき氷は残り半分になっていた。
人波の合間にキングは何かを見つけたらしかった。
カロン。それまで軽やかで規則正しかった下駄の音が明らかに弾んで高鳴った。石畳がまるでターフであるかのようにキングは一歩を踏み出す。今まさにリンゴ飴をかじろうとしていた私は、驚いて一瞬反応が遅れた。
「キングちゃん?」
チョコバナナを頬張るスぺちゃんが私に代わって真っ先に反応した。結った鹿毛を夕闇の中で鮮やかに揺らして、キングは振り返る。思わず見惚れてしまう笑顔で、彼女はひらりと手を振った。覗いた白い歯が眩しい。
「ごめんなさい。少し……野暮用よ。先に行っていて頂戴。必ず追いつくから」
言うが早いか、キングはすぐに人の海へ飛び込んでいった。バ群嫌いが嘘みたいな身のこなしにしばし唖然とする。
残された四人で顔を見合わせた。スぺちゃんの腕を私が、エルちゃんの腕をグラスちゃんが掴み、もぐもぐと買い食いに夢中な二人を引っ張る。
「追い掛けよっかぁ」
「ええ、そうですねぇ」
グラスちゃんとは意見が合致した。
キングはすぐに見つかった。立ち並ぶ屋台の一つ、行列のできている焼き鳥屋さんの前に、エメラルド・グリーンが咲いている。可憐な花から朝露が滴るように、キングの横顔から笑顔が零れていた。細くなった栗色の瞳が見つめるのは、すらりと背の高い好青年。キングに応えるようにして緩める頬が、御伽話の騎士そのものだった。
胸が、ざわついた。
「……キング。――キング」
一度目の呼びかけは掠れていて、祭りの喧騒に流されてしまった。二度目の呼びかけで、彼女がようやく振り返る。驚いた様子でキングは目を見開いた。
「スカイさん……皆さんも」
見返り浴衣美少女が一人。その向こうで騎士が笑った。
「こんばんは」
「こんばんは。キングちゃんのトレーナーさん」
真っ先に答えたグラスちゃんがぺこりと頭を下げるのに続いて、他の二人も挨拶をする。私も少し遅れて「こんばんは」と彼に告げた。
キングのトレーナーさんは私たちの方を――より具体的には、大量の食べ物を抱えたスぺちゃんとエルちゃんを見てまた笑った。優しそうな目の細め方がどことなくキングに似ている気がした。
「お祭り、楽しんでるみたいだね」
「はいっ。おいしいもの、たくさん食べますっ」
元気一杯に答えたスぺちゃんに、キングとトレーナーさんが揃って「まだ食べるつもり?」と言いたげに眉を八の字に下げる。乾いた苦笑が零れていた。
「――なるほど。キングちゃんの
クスリと意味ありげに笑ったグラスちゃんが、そんなことを言った。それに、キングはぱちくりと目を
「ええ。トレーナーが見えたから、声を掛けようと思って」
「そうなんですね。ふふふ、仲が良いんですね」
グラスちゃんの笑顔に、チラリとキングがトレーナーさんの方を見た。見られた方のトレーナーさんが瞬きを一つして、ふっと目元を緩める。それにキングもまた目を細めた。私の持ったリンゴ飴みたいに、ほんのりとその頬が朱い。
「――まあ、ね。共に一流を歩む相手だもの」
「――そう言ってもらえると嬉しいよ」
トレーナーさんの優しい声音。キングの耳がぴょこりと動く。浴衣に合わせておしゃれをした耳カバーが、顔には出ないキングの感情を物語る。
私は、ただキングの顔だけを見つめて、二人のやり取りを聞いていた。
「――それじゃあ、トレーナー。もう行くわ」
「ああ、いってらっしゃい。――引き留めて申し訳ない。皆も楽しんで。でも羽目を外し過ぎないようにね」
手を振るトレーナーさんにぺこりと頭を下げて、また私たちは喧騒の中へ歩き出した。キングは最後まで手を振り返していた。動きを止めた手の指先が、しばらく晩夏の空気を彷徨う。ゆっくり折りたたまれていく細い指が名残惜しげだった。
キングの機嫌はすこぶる良かった。石畳を鳴らす下駄のリズムは高鳴ったまま、鼻歌でも歌いそうな勢いで浴衣を揺らしている。手にした綿菓子を口にするのも忘れる始末だ。栗色の輝きは増すばかりで、いよいよ夜にとっぷり漬かり始めたお祭りを、キラキラと見つめている。
……やっぱり、キングの心は、ここにあらずだ。さっきみたいにぼうっとしてるわけじゃない。それでも彼女の心は今この場にはない。
明るい声音が語っている。一流のウマ娘としての声でも、心配性のお節介焼きとしての声でも、私の親しい友人としての声でもない。純粋に、たった一人の女の子としてのキングが、とても大切なもののようにトレーナーさんとのことを話している。
浴衣を見せびらかしたらしい。くるりと全身を回してみせると、彼は「似合ってるね」と答えたそうだ。それだけじゃ足りないから、キングに相応しくありったけ褒めるようにと伝えたら、結局「綺麗だね」とばかり答えたという。
明日は、トレーナーさんとお祭りに来るらしい。二人で浴衣を着て回ろうと、そんな約束もしたそうだ。一流のエスコートを要望すると、彼は「花火のよく見える場所を探しておくよ」と頷いたという。今から楽しみで仕方ないと、キングは呟いて笑った。
エルちゃんが甲高い口笛を吹いて茶化す。グラスちゃんは相変わらずの含み笑い。スぺちゃんはいつもより食べるペースが速くなった。それをキングは「そういうのじゃないからっ」と顔を真っ赤にして否定する。
私は一人、綿菓子を摘まみながら、ぼんやりと考えていた。
……どうして、彼だったんだろう。恋愛感情とかそういうのを抜きにしたって、キングがトレーナーさんに全幅の信頼を置いているのは事実だ。誰よりも彼のことを慕っていて、彼のことを必要としている。
例えるのなら、比翼の鳥で、連理の枝。……ああいや、これだと恋人同士の例えになってしまう。ありきたりな言葉を使うのなら、一心同体だろうか。お互いに、お互いのいない自分自身など考えつかない、そういう様子だ。
その理由には、薄々だけれど、気づいていた。
クラシック級のキングは……いいや、私の知っていたキングヘイローというウマ娘は、気高く美しい走りと、惚れ惚れする末脚を持ったウマ娘だったけれど。いつもどこかで、自分自身を縛り付けて走るウマ娘だった。
肩肘を張って、見栄を張って、意地を張って。まるで……なるべき姿なんてものがあるように。細くてしなやかで強い脚は、いつでも鎖で雁字搦めにされていた。苦しくて苦しくて苦しくて、堪らないはずなのに。だというのにキングは、いつでも前を見ていた。まるでその苦しみに気づかないふりをしているように。そんな痛みなど存在していないように。いいや、そんな苦しみも痛みも、まるで始めから自分の一部であるかのように。その苦しみと痛みが無ければ立っていられないかのように。
キングヘイローというウマ娘の走りは美しかったけれど、でも誰よりも自由や喜びからはかけ離れていた。
……もっと、自由に走ればいいのに。いつしかそう思うようになった。
キングの思うままに駆けてくれればそれでいいのに。誰かになる必要なんてないし、何かになる必要もない。キングはキングだ。だからキングのまま、キングの走りたい道を走ればいいのに。
私はそうやって走ってきた。誰かの決めた道じゃなくて、私の道を、私なりに。だから……キングもそう思ってくれたらいいなって、そんなことを祈りながら走っていた。
でも、それはどだい無理な話だったんだ。ちょっと考えたらわかること。だってキングにとって、走ってるときの私は、
私には、キングが自らの脚に嵌めた足枷を、解き放つことはできなかった。それができたのは、キングのトレーナーさんだった。
他の何物でもない。まして誰かでもない。キングを、キングヘイローという一流ウマ娘にしたのは、彼なんだ。形のない幻に縛られたその脚を解き放ち、自由の翼を羽ばたかせたのは、彼なんだ。
だからトレーナーさんが、キングの特別になった。それが、「どうして彼だったんだろう」という自問への、私なりの答えだ。
……胸の辺りがもやもやとする。口にしている綿菓子が、溶けることなく体の内に溜まっているみたいな。晴れない雲がどんよりと漂っているような。正直、私の中にこんな感情があったなんて、自分でも驚いてるくらい。
一番最初にキングを見つけたのは私だ。夕闇の迫るターフの上、ひたむきに走る背中を見つけたのは、私だ。風を切り裂く稲妻みたいな、眩く美しい末脚に魅せられたのは、私だ。
グラスちゃんでも、エルちゃんでも、スぺちゃんでも……トレーナーさんでもない。一番最初にキングを見つけたのは私なのに。それなのに、キングの特別になったのは彼だ。私は特別になれなかった。
羨望と悔恨が幾層にも折り重なる。美しい栗色の瞳が――お星様みたいにキラキラした瞳が映すのは、いつだってトレーナーさんのことだ。そんな風に見つめられる彼が羨ましい。同時に、最初からずっとキングのことを見ていたのに、結局彼女には何もしてあげられなかった自分が情けない。キングの足枷をもっと早く外してあげられなかったことが悔しい。
キングとトレーナーさんを見るたびに、この感情が沸き起こる。キングが誇らしげに彼を見るたび、彼が優しい眼差しでキングを見るたび、胸の内に晴れない靄が広がっていく。最初から私のものなんかじゃないのに、キングをトレーナーに取られたみたいで……面白くない。つまらない。
溶けない砂糖の塊が、口の中にまとわりつく。
「……綿菓子って、こんな味だっけ」
ぼんやりしたまま呟いた。私を囲むお祭りの喧騒が、やたらと大きくなったような、そんな気がした。
ふと、暗がりの向こうから、太陽が私の腕を掴んだ。振り返ると、焼けてしまいそうに明るい栗色の瞳が私を見つめていた。晩夏の光を全てその内へ宿しているかのような、眩い輝き。
「――スカイさん」
眉を垂らすキングが、けれど強い声で私を呼んでいた。思考の海にすっかり沈んでしまったのだと、そこで気づく。周りを見回しても、スぺちゃんたちの姿はない。いつの間にやらはぐれてしまったみたいだ。
「……なあに、どうしたのキング?」
「どうしたもこうしたもないわよ。急にいなくなるんだから。驚かせないで頂戴」
「……ごめん、ちょっとぼーっとしてたみたい。さっきのキングと一緒だね」
その件はごめんなさいって、とキングはさらに困った様子で、もう一度謝った。別に責めたわけではないのだ。でも、変なところで律儀なキングらしかった。
ぐいと、キングが私の腕を引く。それに身を任せて、キングに導かれるまま歩き出す。人混みで歩きにくそうにしながら、見つけた隙間に体をねじ込むようにして進むキング。彼女に手を引かれる私は、揺れる鹿毛と、浴衣から覗く白いうなじを、やっぱりぼんやり見つめていた。
「ああ、もうっ。お祭りのこういうところ、苦手だわ」
やっとの思いで人混みを抜け出したところで、キングは軽い溜め息を吐きながらぼやいた。日も沈んで、人の行き来も一番激しい時間帯だ。キングがそう思うのも無理はない。
「キング、バ群嫌いだもんね」
「ええ、そうよ。だから人混みも苦手」
「……それなのに、私のこと探してくれたんだ」
私が呟くと、キングは狐にでもつままれたみたいに、キョトンとしてしまった。小さな口が言葉を紡ぐのに、少しばかりの時間がある。
「……当たり前でしょう、そんなこと。友達が急にいなくなったら、心配じゃない」
キングはごくごく普段通りに、「今更何を言ってるの」とでも言わんばかりに、当然のこととしてそう答えた。狐につままれるのは今度は私の方だった。顔から力が抜けてしまって、間の抜けた声が漏れる。うまく言葉が見つからないまま、結局「そっか」とだけ俯きながら答えた。唇の端がなんだか緩い。
口の中の綿菓子が、ゆっくりと溶けていく。
「ほら、行くわよスカイさん。グラスさんたちを待たせてるから」
キングはそう言って、また私の手を引いた。そういえば、人混みの中からずっと繋いだままだった。キングも私も、お互いにその手を離さなかった。
重なった手をそのままに、私たちは人波の脇を歩いていく。二人分の下駄の音がハーモニーを奏でる。ちょっと不思議な気分がしていた。
ねえ、キング。こういう特別もあるのかな。
「ねえ、キング。それって、友達限定?」
「ええ、そうね。キングがわざわざ探してあげるのだから、光栄に思いなさいな」
「でも私、キングのライバルだよ。友達とは少し違うんじゃない?」
「ライバルで友達、でしょ。特別な存在に変わりはないじゃない」
「……あっはは。そうだね。うん、そうかも」
短く答えて、視線を足元に落とした。キングはきっと振り返らないだろうから、心配いらないけど。でも今の顔は、できれば誰にも見られたくない。そう思う。
ねえ、キング。もしも私が、「キングはキングのままでいいんだよ」って口にしてたら、どうなってたのかな。「キングの道を究めればそれでいいんだよ」って言ってたら、キングはどうしたのかな。
キングのことだから、きっとすぐには納得してくれなくて。「はいそうですか」とは絶対に言ってくれなくて。でも……多分、私の話を聞いてはくれたよね。そうして多分、自分で選んで決意して、「私はこの道で行くわ!」って私に宣言するんだ。もしかしたら今度は逆に、私がキングに「あなたはあなたの道を行きなさい」って教えられちゃうかも。キングは私なんかよりずっと強くて、かっこいいから。
ねえ、キング。もしそうなれてたら……私がキングの足枷を外せていたら。私はキングの特別な存在になれたのかな。今のキングにとってのトレーナーさんみたいになれたのかな。
……あー、いや、うん。多分ならないなぁ。例えトレーナーさんじゃなくて、私がキングを足枷から解き放てたとしても。私たちはきっと今と変わらない。キングはその両脚で力強くターフに立っていて。私はそれに見惚れて、魅入って、憧れて。そうしてキングの隣に立つんだ。ライバルで、友達のまま。
今更特別な存在になんてなれない。だってずっと前から、私たちはライバルで友達だった。そういう
歩調を少し早めて、私の手を引くキングに並んだ。キング、と名前を呼ぶと、彼女はひらりと髪を揺らして私に目を向けた。足を止めると、カラリと下駄を鳴らしてキングも立ち止まった。向かい合ったまま、繋いだままの手に力を込める。
ねえ、キング。キングは特別だから。ほんの少しだけ、私の本音を教えるよ。多分、ずっと前から思ってた、私の身勝手な感情だけど。でもキングにだけは知っててほしい、そう思うから。私の特別なライバルで友達のキングには、知っててほしいから。
「ねえ、キング。私はさ――キングには幸せになってほしいなって、そう思ってるから」
ねえ、キング。これでいいんだよね。私はこうやって祈ることしかできないけど。キングのために何かをしてあげることはできないけど。できることといえば、君と一緒に走ることだけだけど。これからもキングのライバルで、友達だけど。
この気持ちだけは、本当だよ。
「……何よ。藪から棒に」
溜め息交じりに呆れた顔を見せ、でもキングはすぐに笑った。力強く、生き生きとして、逞しくて、どこか艶やかで、眩しくて。そうやって笑うキングに、私は今日も見惚れてる。
「安心なさい。私の幸せは、私のこの手で、必ず掴み取ってみせるわ」
想像通りの答えが、想像通りの言葉と共に、想像以上の笑顔で返ってきた。思わずお腹を抱えるほど笑ってしまって、キングに怪訝な顔をされる。
「いやー、キングならそう言うと思ったよ」
「……何なのよ、もう。私のことを知ったみたいに」
「いやいや、結構色々知ってるよ。キングが実はただの可愛い女の子だ、とかね」
「かわっ……もう、スカイさんっ」
夜闇でもわかるくらい顔を赤くしたキングが、抗議を寄越した。その拍子に繋いでいた手が離れる。空になった手を、私はいつもの通り頭の後ろへ回して組んだ。ひらりひらりと、詰め寄ってくるキングの視線をかわしてみせる。
「――ほら、キング。早く戻ろうよ。皆待ってるんでしょ」
「~~~っ! ふんっ、今はこれくらいにしてあげるわ」
ぷりぷりと頬を膨らませたキングが踵を返して歩き出す。それを追いかけて、すぐに追いついて、並んで歩く。石畳を打って奏でる、二人分の下駄の音。カラコロ。カラコロ。手を繋いでいなくても、その音が重なって響いている。
これからも、こうして歩けたらいいな。そんなことを思ってるうちに、大量の焼きとうもろこしと、はしゃぐライバルたちの声が、私とキングを出迎えた。