あの勝利は結局のところ、運が良かったのと、結果的に僕たちが協力関係になったことが勝因だった。
僕のスタミナ削り、カツトップエース先輩のプレッシャー、シービーの追い込み。
全てが体力を消費させ、勝負をわからなくした。
スタミナ……というより、根性勝負はそもそもマルゼンスキー先輩は不利だった。
マルゼンスキー先輩はそもそも根性トレーニングということをしてこなかったウマ娘だ。それは慢心とかではなく、できなかったと言った方が正しい。
脚部不安。
それ故にマルゼンスキー先輩は体を酷使するトレーニングを避けてきたのだ。東条トレーナーはそれでもマルゼンスキー先輩をあそこまで育てられている。実に有能なのだ。
逆に僕はむしろ根性トレーニングをやりまくっていた。
まだまだ体が小さい僕ができるトレーニングは限られてきた。筋力トレーニングも体力トレーニングも小さい内は許容範囲というのが狭い。だから、僕はウマ娘としての目標を志してからのトレーニングは許容範囲の広い根性と勉学トレーニングが多くの比重を占めていた。
それに人間的回復スキルなども相まって、トレーニング量は現役ウマ娘に引けを取らなかった。
つまり、マルゼンスキー先輩との勝負は運よく最高のレースプランが成り立った上で僕以外の力を借りて相手が苦手かつ自分が得意な土俵で戦ってようやく勝ったのだ。
僕はクラシック級のウマ娘にも勝てる自信がある。シービーも同じだろう。
だが、マルゼンスキー先輩はこれだけやってようやく対等に戦える存在なのだ。
スーパーカーとはよく言ったものだ。
確かに馬力が違う。
しかし、ともあれ勝ちは勝ち!
僕は上機嫌でごはんを食べる。
試験レースということで少ないながらも賞金が出た。……僕には大金だが。
なので、こうして何も気にせずに食事を楽しめることができる。トレセン学園の食堂、無料にならないかな?
「で? 賞金っていくら出たの?」
「見てなかったの? 50万だよ。シービーにも何万か払われたでしょ?」
「ふーん、そうなんだ」
興味なしかい。
まあ、シービーはそういうところがある。
基準が楽しいかどうかなのだ。特にレースはそういう側面が強い。だが、それが許されるほどに強いのがシービーだ。
「1ヶ月分の食べ物には困らないよ」
「そんなに食べるの?」
「まあね。体作りは妥協したくないんだ」
「へぇ~、確かにラックってパワーあるもんね」
「腹筋だって割れてるんだぜ~」
そう言って、シャツを捲り上げればシービーはぎょっとする。
「すっごい割れてる……」
「でしょー? 体脂肪率とか気を遣ってるんだ」
「トレーナーから言われてるの?」
「んーん? 自分でやってる」
「ほー、ようやるねぇ」
「むしろ、ナチュラルボーンで強いっていうとちょっと失礼だけど、これだけやって互角のシービーがおかしいんだからね? マルゼンスキー先輩とシービーはもっと自覚を持ってほしいわ」
そう? と首を傾げるシービー。
うん。相変わらず顔が良い。
「で?」
「? なに?」
「どうしたの、シービー。なんか元気ないじゃん」
「まあねえ」
「認めるんだ?」
「べっつに~?」
「どうしたのさ、相談なら乗るよ?」
「いやね? これは友達の話なんだけど……」
そう言ってシービーは座っている椅子を斜めにして天井を見上げてだらだらと話し始める。
「その言い方で友達の話のことあるの?」
「あるよ? その友達なんだけど、デビュー戦で勝たなきゃいけないのに先輩のために色々と奔走してね?」
あ、あれ?
「しかも、そのレースは絶対その友達が勝たなきゃいけないって話じゃないのに、バカみたいに全力出してね?」
「おっと、おかわり行ってこようかな……」
立ち上がるとガシっと掴まれる。
シービーがじっと見つめてくる。
猫みたいな目の瞳孔がガン開きしている。
「で、体がガッタガタになってデビュー戦までトレーニング禁止になったんだって?」
「……おっとぉ、友達も大変だなぁ。だけど、頑張ったんだから少しぐらい気持ちを汲んでくれてもいいんじゃないかなぁ、なんて」
「三冠レース、全力で走れませんでしたなんて言わないよね?」
「はい、約束します……」
シービーがキレてるの初めて見たかもしれない。
こ、こえぇ。
だけど、約束したらぱっと表情を変える。
「そういえばさ、あれ、どうやったのさ!」
「あれって?」
「どうやって回復したの! 絶対落ちたと思ったのに!」
「あ~、あれね。あれはたぶん僕しかできないかな」
「そうなの?」
「うん。僕ってちょっと体のつくりが違うらしいんだ。筋肉と肺が特殊で、スピード犠牲にするけど、大きく呼吸すると疲労が回復するんだ」
まあ、下手をするとスピードを犠牲に回復しないという最悪の事態に陥るが。
使えるようになるまでにずいぶんと練習した。
「へぇ~! おもしろいね」
「ま、これぐらいやらないと勝てないからね」
「そうかなぁ?」
「そうだよ」
それは本当だ。
僕は小さい頃から努力してきた。
子供の自分に自分が英才教育を施せるというのはアドバンテージだが、十で神童十五で才子二十過ぎればただの人というように、どんどんと追い付かれていくのが常だ。
そんな小技の一つや二つを覚えていようが、負ける時は負けるのだ。
……だから、実は不安なのだ。
トレーニングができない。
しかし、才人のライバルたちは努力し、僕を置いて前に進んでいく。
シービーはそれを見抜いたように笑う。
「アタシさ、ラックのこと好きだよ」
「な、なに、急に。奢らないよ?」
「ラックはアタシを楽しませてくれる。きっとそれは積み重ねた努力の成果なんだろうね」
そう言って、シービーはターコイズブルーの瞳で僕を見つめる。
「確かにブランクはあると思うよ。鈍っていく体は怖いと思う。だけど、君はアタシに勝ったブラックトレイターなんだからね?」
シービーは不敵に言う。
アタシに勝ったんだから、その程度大丈夫だと。
不器用なその慰めに僕は苦笑する。
「ありがと」
「ん、どういたしまして」
「そうだ、シービー」
「なに?」
「デビュー戦何出るの?」
「んー、芝2000かな」
「そっか、じゃあ同じだね」
「まあ、たぶん当たらないだろうけどね」
「そう? わかんないよ?」
「芝2000mは多いからね。クラシック路線行きたいウマ娘はここを狙うと思うよ」
「そうですわ。特にスタミナに自信があるウマ娘は」
「あ、メジロモンスニーちゃん」
会話に入ってきたのはメジロモンスニーちゃんだった。
綺麗な栗毛を流している、メジロ家のご令嬢。
「モンスニーでいいですわ」
「そう? 僕も好きに呼んでよ。モンスニーちゃんもクラシック路線?」
「はい。では、ラックさんと。そうですね。お二人とは対戦することになりそうですわ」
「そっか! 僕も気合入れないとね。ダイナカールちゃんは?」
「カールはティアラ路線ですわ」
「あ、そうなんだ。じゃあ、一緒に走れるのはもう少し後になりそうだね」
「はい。雪辱は果たす、だからそれまで腑抜けた走りをするな、とのことです」
「あはは、じゃあ、負けられないね」
「ええ、その通りですわ。わたくしもリベンジを誓います」
「よろしく。モンスニーちゃんも三冠狙うの?」
「ええ、ですがわたくしの目標はあくまで天皇賞ですの」
「あ、そうなんだ」
「はい。天皇賞はメジロ家の悲願ですから」
そう語るモンスニーちゃんは凛々しくてかっこよかった。
メジロ家は天皇賞を重きに置いているらしい。
前世でこの世代がどう活躍したのかは知らない。
知っているのは精々がミスターシービーが三冠馬になったことくらいだ。だから、わからないに等しい。
それに、なんだかシービーも聞いていた話よりも強い印象を受ける。
きっと前世の世界とは違う道をたどっているのだろう。
ともあれ、モンスニーちゃんも強い。
シンザン記念でも、掲示板こそ逃したがクラシック級のウマ娘と対等に戦っていた。
しかも、スタミナにはまだ余裕がありそうで、距離が延びればさらに詰めてくるに違いない。
5月も終わる。
30日には日本ダービーがある。
そして、6月の後半にとうとうメイクデビューだ。
ここで負ければ僕は引退。
加えて1年分の学費を払うために奔走することになる。
孤児院には迷惑をかけられないし、僕の目標のために絶対に勝たないといけない。
今、何もできない自分が悔しい。
怪我をしたわけではないが、足の疲労が酷い。
あの息を入れた再加速はこの体の限界以上を引き出してしまったのだろう。
ウマ娘のエンジンは強い。強すぎるほどに。
体を作ってこのざまだ。
だが、この経験は糧になる。
もうこんなヘマはしない。
今はただ、回復を待とう。
――そして、30日。
僕たちが見る目の前でマルゼンスキー先輩が日本ダービーを勝利した。
マルゼンスキー先輩はとても楽しそうに笑っていた。
ストレッチをする。
トレーナー室なので狭いが別にこれくらいなら大丈夫だ。
6月になって日差しも強くなってきている。もうジャージは必要なさそうだ。
「おい」
「あ、トレーナー。待ってたよ」
「デビュー戦が終わるまではトレーニングはなしだと言ったはずだが?」
「まあまあ、触っていいから確認してよ」
「……何なんだ一体」
僕はトレーナーの椅子に座って、足をパタパタとする。
トレーナーはため息を吐いて足を触り始める。
そして、トレーナーはどんどんと驚きの表情になっていく。
「お前」
「どう? 回復力には自信があるんだ」
僕は正直才能がほぼない。
体格も良くないし、天性の何かがあるわけではない。
与えられたのは回復力。
ただただ、体を酷使できる力。
勝てないなら勝てるまで練習しよう。
僕はそうやって生きてきたのだ。
もちろん、食生活とかにも気を遣った結果ではあるけど。
「……はあ、だがだめだ」
「えー! 練習しないと負けちゃうよ!」
「メイクデビューでお前は負けない」
「シービーと当たったらどうするのさ。モンスニーちゃんもいるんだよ?」
「……それはそうだが。モンスニーとはメジロモンスニーか?」
「そうだよ」
「メジロモンスニーには勝てる。が、確かにシービー相手には難しいレースになるだろう。だが、当たるかもわからないんだ。確率だって5%あるかないかだ」
「あのね、トレーナー? 何もしなかったら5%で僕の競争人生が終わるんだよ? シービーは僕たちの世代では最強のウマ娘だ。何もしないで勝てる相手じゃない」
そう言うとトレーナーはむっつりと黙る。
トレーナーもわかっているのだろう。
数分の沈黙の後、頷いた。
「わかったよ。だが、プールトレーニングと賢さトレーニングだ」
「おっけー!」
プールトレーニング。
それは結構重要なトレーニングだ。
泳ぐ、というのは思っている以上に体力を消費する。好きに呼吸もできないので、肺活量トレーニングとしても優秀だ。
そして、足に負担が少ない。
僕も近所の安い市民プールにはお世話になったものだ。
学校指定の水着を着てプールサイドに入る。
ターフもさることながら、中央トレセンは何かとでかい。100mプールも個人レーンが何本も並んでいる場所もある。
聞いたとこによると、ウマ娘の競泳選手もここを借りに来るときもあるという。
トレーナーは個人レーンのあるプールの横で待っていた。
「トレーナー、お待たせ」
「俺も今来たところだ」
「何それ、デート? 僕とプールでランデブーする?」
「バカを言っているな。さっさとやるぞ」
「はーい」
軽口をたたいて僕は準備運動をする。
ウマ娘も丈夫とはいえ溺れれば死ぬ。それに溺れて暴れると助けに来た相手を殺すことになるので、まじでちゃんと準備をする。
開脚して股関節を伸ばしていると、トレーナーがじっと僕を見ていることに気づいた。
「トレーナー。トレーナーだから別にとやかく言うつもりはないけど、流石に足開いてるところをガン見されたら恥ずかしいんだけど」
「あ、ああ、すまん」
「で、なに? 流石に準備体操で怪我はしないよ?」
「……いや、なんでもない」
「えぇ、なんだよ。乙女の体を見ておいて隠し事はなしだよ」
「はあ、別に。相変わらずよくできた体だと思ってな」
「へへ、でしょう? 頑張ったんだぜ~」
「……契約した時は噂通りのビッグマウスだなと思ったが、あながち間違いじゃないなと思うようになった」
「あー、トレーナーなしでデビュー戦勝てるってやつ?」
「そうだ」
真面目に言うトレーナーに僕は笑う。
「うん。あれ、撤回するよ。僕にはトレーナーが必要だ」
「……そんなことないと思うが」
「トレーナーってちょっと卑屈なところあるよね。ま、別にそう思わなくてもいいけど、僕はそう思ってる」
「……お前は、確かに才能はないかもしれないが、そのひたむきさと精神力の強さは俺が教えたウマ娘の中でも上位に入る」
そう言われて僕は首を傾げる。
そういえば、トレーナーの教えていたウマ娘のことは何も知らないな。
「トレーナーの教え子ってどんな子? どのくらい教えているの?」
そう聞くと、トレーナーは口をへの字に曲げて黙る。
言いたくない内容みたいだ。
だけど、一心同体……ではないけど、今は運命共同体のトレーナーのことは知っておきたい。
……もしかしたら、トレーナーのURAの役員を引きずりおろすということに関係しているのかもしれない。
「言いたくないの?」
「そういうわけではない。言う必要がないだけだ」
「聞かせてよ。興味本位だけど、トレーナーのことは知っておきたいんだ」
「……俺は」
そう言ってトレーナーは口を再び閉じる。
だが、少しして後悔を滲ませながら言う。
「これをお前が知れば、きっと俺との契約は終わることになる。前に、お前が俺にとっての優良物件だと言って考えたが、確かにそうだった。道具としては扱いづらいが、それでも俺の目標を達成してくれる可能性は秘めている。だから……」
「手放したくない?」
「……そうだ」
「ぷっ、あはは! シービーの方がもっとうまく口説くよ? ま、そこまで言うならいいよ。僕も聞かない」
「別に口説いているわけじゃない」
「ふふ。だけどね、トレーナー。そう思ってるのはトレーナーだけじゃないんだよ? 僕だってトレーナーを必要としてるんだから」
僕はそう言って立ち上がる。
「さ、見ててよねトレーナー。その教え子たちがどんなウマ娘なのかはわからないし、未来がどうなっているのかはわからないけど、今は僕が君のウマ娘だ。トレーニングはきっちりしてもらわないと」
そう言って、プールに入る。
冷たくて気持ち良い。
どのくらい何を泳げばいいのか聞こうと、トレーナーの方を向く。
だが、聞こえた言葉はメニューじゃなかった。
小さくて、トレーナーらしからぬ声色だった。
「あの子は……とても良い子だった。俺が担当をしちゃいけないくらいには」
それは後悔か、慈しみか。それとも、懺悔か。
僕にはわからなかった。
僕は聞こえないふりをした方がいいと思ったから、それを聞き流した。
そして、トレーニングが終わって思ったことがある。
「ねえ、トレーナー」
「なんだ?」
「トレーナーってめちゃめちゃ嫌われてる?」
「否定はしない。だが、俺だけの所為だと言われたら首を横に振らざるを得ない」
「僕も嫌われてるってこと?」
「少なくとも、お前の噂でよいものを聞いたことはない」
「へえ、どんなの?」
「学費を払わずに入学した。同期が弱すぎてデビュー戦は余裕だと言った。学園を脅して自分有利のレースを開催した。勝てないとわかるとラフプレーをして勝とうとした。ドーピングをしている。トレーナーと不埒な関係」
「最後のはトレーナーの所為ね?」
「……噂を流したやつの所為だ」
しかし、それらの噂、あながち間違いでもないのが悲しいところ。最後のは断固違うと主張させてもらうが。
僕らは避けられている。トレーニング中も誰も近寄ってこない。
僕のビッグマウスは意図的にやっていることだ。
それは対戦する相手の精神的動揺を誘うというのもあるが、自分に言い聞かせているという意味もある。あと、昔はという注釈がつくが、スターウマ娘になった時のことを考えて大物感を出そうと思ってのことだった。まあ、逆効果だったが。
「というか、シンザン記念のことそんな感じで言われてるんだね……ショックだ……」
「そうだな。……どうにかしないとな」
「あれ意外。トレーナーってこういうこと気にしないと思ってた」
「俺はな。だが、お前の場合は少し違う」
「僕?」
「ああ、G1レース、特に格式高いと言われている天皇賞や有馬記念に出るには人気は重要なファクターになるし、そもそも悪い噂のあるウマ娘を出バさせることはできない」
「あー……」
まあ、確かにそうだ。
他はともかくラフプレーやドーピングは普通にアウト。
人気商売という側面もあるだろうし、出バはできなくなるのもうなずける。
「とはいえだ。今どうにかできる問題でもない。こればっかりは積み重ねだ。レースで成績を残してライブで人気を集めよう」
「りょーかい」
ウマ娘というのも大変だなぁ。
いや、それはヒトも変わらないか。
むしろ、デビュー前の大切な時期に練習場を広く使えるのは嬉しいことだ。
そう言う風に考えておこう。
こうして僕とトレーナーは粛々とデビュー戦に向けてトレーニングを積むのだった。
メジロ家のみなさん、とても好きです。関係性とか。