青葉賞。
それはすべてのウマ娘が一度は夢見る日本ダービーのトライアルレース。
皐月賞に出れなかったウマ娘が日本ダービーに出るために出走する。
その様子は気合が入っているという次元ではない。
殺気だ。
殺気を振りまいている。
それもそうだ。
日本ダービーはすべてのウマ娘が一度は夢見る舞台。……そう、一度だけ。
日本ダービーは一度しか出れない。そして、この青葉賞に出ているウマ娘はほとんどの場合が、ここを逃すと日本ダービーに出れないウマ娘だ。
ここで負ければ夢に手が届く前に敗れるのだ。
そして、それは僕も同じだ。
僕にも後はない。
ここで負けるような失態を犯せば、出走権があってもダービーには出れない。
そういう約束だ。
だが、負けるつもりは毛頭ない。
シービーとの約束を二度も破るつもりはないのだ。
トレーナーは僕にラップ走法をするように言った。
青葉賞はダービーのトライアルレースなだけあって、同じ条件だ。東京レース場、芝、2400m。左回り。
僕は感謝祭で2500mのラップ走法を敢行した。
だが、体内時計はともかく、タイムが持ったのは1500mまでだった。その後は限界状態で走ってどんどんとタイムは下がっていった。
結果的に5位のAチームのみんなと競うことになった。
今回は2400m。
ここで通用しなければ、シービーには通用しない。
加えて、足も残しているような状態じゃないと勝てはしない。
事故から初めてレースを走った感謝祭では、僕はすでに手ごたえを感じていた。
今回はいけるはずだ。
……僕はパドックに出る。
そして、ジャージを脱ぎ捨てる。
不敵な笑みを浮かべると、パドック全体がざわめく。
「本当にブラックトレイターだ」
「復帰したのか?」
「というか、今までどこにいたんだ」
「確か、怪我で休んでいたはず……」
「そのままずっと休んでいればよかったのに……」
「重症って聞いたのに」
「レースの怪我じゃないのか?」
「事故だって聞いたぞ」
「俺は感謝祭で走ってるのを見たぞ」
「というか、賞金足りなかったのか?」
「いや、ホープフルSに勝ってるからどうあっても足りるはず……」
「じゃあ、何しにきたんだ?」
「レースを荒らしに来たとか……」
「そんなの許されるのか?」
「……出走自体に問題はないからな……」
どうやら結構噂が飛び交っていたようだ。
怪我だとしか公表していないはずだが、どこから話が漏れたのだろうか。……病院かな? ずいぶんとお世話になったしな。
僕は声を張り上げる。
「今日、勝つのは俺だ。だからもう、帰っていいぞ。その代わり、ダービーで勝つところは観に来い。以上だ」
罵声を背に僕はそのまま引っ込む。
だが、怒気が強いのは観客よりも、ウマ娘だった。
僕は肩をすくめてそのまま待つことにする。
が、そこに来るウマ娘がいた。
「ブラックトレイター」
「うん? 誰だ?」
「スイートパルフェよ。参加者の名前も知らないの?」
「知らないな」
そう言うと、スイートパルフェちゃんは僕を睨みつける。
うんごめん。
ちゃんと知っているし、ホープフルSで一緒に走ったことも覚えている。というか、何回か一緒に走ってる。
「あんた、何しに来たのよ」
「何しに来たって、レースだが?」
「出る必要、ないじゃない。ホープフルS出たんだから」
「あのな。なんでこのレースがダービーのトライアルレースになっているのか、知らないのか? このレースはダービーと同じ条件なんだよ。ダービーに勝つために出る。何か問題が?」
「ここで勝たなきゃダービーに出れない子もいるのよ!」
「知ってるよ、そんなこと」
というか、理由を言わなかっただけで僕も同じだ。
「じゃあ、邪魔しないでよ! 夢なのよ、ダービー!」
「ダービーが夢なのか?」
「……そうよ」
「じゃあ、2着になれよ。2着までは優先出走権がある」
「その枠が狭まるって言ってんのよ!」
「……はあ」
僕はスイートパルフェちゃんを睨みつける。
スイートパルフェちゃんはたじろぐ。
「悪かったよ。確かにダービーに出るための枠を一つ潰すのは俺だ」
「な、なによ……」
「ダービーに出るのが夢なんだろ? それなら謝る」
スイートパルフェちゃんは僕の意図がわからずに困惑している。
だが、違うんだよスイートパルフェちゃん。
君は思い違いをしているんだ。
「だが! てめえらの目標がダービーで勝つことなら俺は謝らない! 何故ならば、俺にこのレースで勝てなきゃダービーで勝てねえからだ!」
「な……!」
「答えろ! てめえは俺に頭を下げさせてえのか、ダービーで勝ちてえのか、どっちだ!」
びりびりとパドック裏は僕の声で震える。
ここにいる全員の視線が集まっている。
スイートパルフェちゃんは苦々しく僕を睨みつけた後、僕に背を向けた。
「あんたには負けない! 青葉賞も、ダービーも! 勝ってやる!」
「やってみろ」
運命を決める青葉賞が始まる。
『さあ、G2レース青葉賞が始まります! 本日は晴天ですが、先日の雨で芝は重たくなっています。このレースで2着以内に入ったウマ娘は東京優駿、つまり日本ダービーの優先出走権を獲得します』
ターフは生憎の重バ場。
だが、パワーのある僕にとっては問題ない。
それどころか、苦手な子に差をつけることができるので、僕に有利と言える。
『人気上位のウマ娘を紹介します。3番人気、シャドウストーカー。気合十分の様子です。この人気は不満か、2番人気グレイトハウス。そして、今日はこのウマ娘を見逃せません。1番人気スイートパルフェ。……各ウマ娘、ゲートインが始まります』
僕はあいにくの大外枠。
逃げウマ娘である僕に外枠というのは本当に不利ではある。しかし、ここで勝てなければダービーには勝てない。
ダービーは運のいいウマ娘が勝つと言われている。
今回は運が悪かったが、これで悪い運気を払ったという気持ちで挑もう。
次々にゲートインが完了していく。
緊張からか、少し嫌がるそぶりを見せる子もいたが、それでも比較的すんなりゲートに入っていく。
『各ウマ娘、ゲートインが完了しました。……青葉賞、今スタートです!』
僕はいつも通りにスタートを決める。
いや、いつも以上だ。
足が軽い。
感謝祭へ向けてのトレーニングと、その感謝祭での会長とのレース。
それは僕に思った以上に力をくれたようだった。
公式では復帰戦ではあるが、あの極限とも言えるエクストラレースは僕の鈍りを消してくれた。
あのウマ娘を壊しかねない会長のプレッシャーは僕の気持ちと体をレースに戻してくれた。
いける。
僕は確信した。
なら、試したいことを試そう。
『スタートを決めたのはやはりこのウマ娘、ブラックトレイター! 世紀の大悪党が悠然と先頭を突き進みます!』
今回はみんな保守的な作戦のようだ。逃げをしているウマ娘でも僕を捕まえようとしてくる子はいない。
僕はラップ走法を十全に試せそうだ。
ラップ走法はとても疲れる走り方だ。
もちろん、常にあらかじめ決められたペースを守らないといけないからスタミナを消費するという点もあるが、それだけではない。
精神的な疲労だ。
自分の体内時計はあっているのか。
一時的に抜かされた時にどうするのか。
そもそも、目標のタイムよりもライバルが速かったらどうするのか。
それらを全て心の奥に沈めて走らないといけない。
それには強い精神か、それを忠実にこなすだけの機械になるかのどちらかを選ばないといけない。
僕は前者だ。
心を固めろ。
数字は嘘を吐かない。
だから、このペースで走ってていいんだ。
後はもう、走り切るだけだ。
『早くも半分を通過! 先頭のブラックトレイター、速い速い! タイムはレコードに迫る勢いだ!』
『掛かっているのかもしれませんね』
僕のペースに後ろの子たちが動揺しているのがわかる。
そうだ、動揺しろ。
そうすればさらにスタミナを消費する。
逆にそれがわかった僕は精神的安定を得る。
このコースの問題は最終コーナーを終わった後の坂だ。
シービーならここで来る。
シービーが来るというよりもシービーは速度を落とさない。
それは絶対だ。
なら、それを僕もする。
そのためにペース配分は決めてある。
そして、最終コーナーを回る。
僕は坂を駆け上がる。
タイムは落ちない。
それが終わったなら300の平坦な道だ。
足は残っている。
僕は確信した。
これなら、実行できる。
『布石』を打ち込める。
「ブラック、トレイタアアアアアア!!」
後ろから後続が追い上げてくる。
だが、それは届かない。
致命的に届かない。
悪いけど、セーフティリードだ。
『これほど強いウマ娘がいていいのでしょうか! ブラックトレイター! 今、一着で堂々とゴールイン! 8バ身の差を付けたゴールです! まるで復帰戦だと思えません! タイムは……な!』
これこそが、僕の布石。
さあ、ダービー出走ウマ娘、驚け。
そして、恐怖しろ。
青葉賞に出場した僕だけが打てる布石。
『なんと、レコードです! コースレコードです! なんと、日本ダービー前にコースレコードが出ました! 2分25秒2! 今年のダービーは荒れ模様となりそうです!』
僕は息を整えて掲示板を見る。
知らず知らずのうちに笑みが浮かんでいた。
困惑と罵倒が混じった声が僕に降りかかる。
そうだ、それでいい。
もっと惑え。
もっと恐怖しろ。
もっと怒れ。
それがダービーでの力になる。
「ブラックトレイター」
そうしていると、スイートパルフェちゃんが声をかけてきた。
スイートパルフェちゃんは3着だ。
僕はその笑みを隠し、真顔でそちらに向く。
「……負けたわ。私は3着。でも、いいレースだった」
彼女はそう言って手を差し出してくる。
それを取りたい衝動があるが、今僕は悪党だ。
鼻を鳴らして、その手を叩く。
「フン、握手なんかするものか」
「……相変わらずむかつくわねぇ……!」
「ダービーで戦う相手だ。馴れ合いなんてするかよバカが」
僕はそう言って背を向けて引っ込むことにした。
スイートパルフェちゃんは3着なら十分に賞金がダービー出場に届く。ここでお別れなら握手してもいいかなと思ったが、連戦なのでそういう対応をさせてもらった。
ごめんね。
「……なによ、ちゃんと私のこと知ってるじゃない」
スイートパルフェちゃんのつぶやきは観客の声にかき消されて僕の耳には聞こえなかった。
皐月賞、「はやい馬が勝つというのは仕上がりが『早い』馬が勝つという意味でもあるんだよ」と教えてくださった方がいらっしゃいました。ありがとうございました!
こうして優しく教えてくれる方がいらっしゃるのはとても嬉しいです。
でも、間違いでもないらしいのでこのまま行こうと思います。
それと関係のある話なのですが、誤字脱字誤用を指摘してくださるみなさま、いつも本当にありがとうございます。
結構恥ずかしい間違いをしていたりして、本当に助かっています。
報告してくださったのにちょっと諸事情あって修正ができていないところもありますが、そのうち修正しますのでご了承ください。