「はい、あーん」
「あーん」
もぐもぐとシービーが人参を咀嚼して、嚥下する。
よしよしいい子いい子としながら次の一口をシービーの口に運ぶ。
「はい、あーん」
「あーん」
「何やってるんだお前ら。カップルか?」
「いや、どう見ても介護だろ」
食料は無事に届けられ、旅館の人はすぐに料理を作ってくれた。
僕のパワーで運ぶのが苦労するくらいはあったのだが、その量を見て「これなら2日は持ちそうです」と言っていた。
どんだけ食うんだレッドさん。
「シービー、調子はどう?」
「うん、ちょっと良くなってきた」
シービーはそう言うが、やはり本調子ではないようだ。
それでも食べものはちゃんと食べれたし、体を冷やしすぎないようにして寝かせよう。
「ほら、シービーここは温泉も有名なんだ。だから入ろう」
「んー、アタシは今はいいや。それよりも走りたいな」
「今は休め、シービー。それが菊花賞で勝つためだって言ったろう?」
「うー」
シービーは走りたがっている。
思うに、シービーというのはウマ娘の本能が強い性質なんだろう。だから、不調だったら走りでそれを解消しようとする。
だから、体の不調とメンタルの不調が折り合いがつかなくて負のスパイラルに陥っているのだ。
きつい状態だと思う。
体を休めるとメンタルがやられるし、メンタルを休めると体がやられる。
事実、シービーは比較的小さく言う。
「でも、走らないと置いてかれちゃうよ?」
「シービー、今のお前に必要なのは実力を伸ばすことじゃなく、レースで万全の状態でいることだ。辛いだろうが、今は休もう」
シービーは気分屋だが、トレーニングをしないというわけではない。休みたい時は休むが、休みたくない時は普通のウマ娘以上にトレーニングをする。
沖野トレーナーは上手くやっていると思う。
普通のトレーナーだったのならシービーを扱い切れずに潰してしまうだろう。
シービーの実力は本人の才覚と努力もあるが、沖野トレーナーの功績も大きい。
じゃなかったらシービーがここまで信用することはないだろう。
僕にできることは少ない。
だから、その少ないことをしよう。
「わかった。じゃあ、シービー外に出ようか」
「え、うん」
「おい、ブラックトレイター」
「走らせませんよ。でも、このままだとシービーもストレスをためるだけですし。それに、せっかく北海道まで来たんですから、外の空気を吸った方がいいですよ」
「そうは言うがなぁ」
「僕はウマ娘だからシービーの気持ちがわかる。呼んでいるんです、感覚が」
「感覚?」
「風を切る音が、上がっていく体温が、お腹に響く足音が。気持ちいいんです。病みつきですよ」
「……はぁ、わかったよ」
沖野トレーナーの許可が出たので、シービーを着替えさせる。
厚着をさせてマフラーや手袋とかの防寒具を着せる。
まるで寸胴だ。
沖野トレーナーも見張るということなので、外で待ってもらうことにした。
僕は再度ジャージに着替えてシービーと沖野トレーナーの元へ行く。
「なにやってるんだ……というか、なにやるんだ……」
「さっき、ちょっと走ったんですけど、外で走るのって本当に気持ちいいんです。沖野トレーナーも参加してもいいですよ」
「ええ? 俺も参加できるのか?」
「落ちたら危ないですけど」
「……まあ、シービーもするってならいいか。何をするか知らんが俺も入れてくれ」
「はーい」
僕は旅館の人に頼んで貸してもらったさっきのリアカーを引いてくる。
「それって……」
「人力車、ちょっとやってみたかったんです」
その歴史は古い。
この世界での人力車というのは2種類ある。
一つは僕の思い浮かべる人力車。
ヒトが牽いて車輪のある箱を運ぶもの。
もう一つが前世で言うと馬車だ。
大昔のウマ娘というのはレースもしていたが、その仕事の多くは運搬。鍛えれば何トンもあるタイヤを引きずれるのだ。足が速くて力が強い者が得意な仕事を考えると当然の帰結だ。
シービーをそこに乗せてちゃんと箱部分のフチを握らせる。
沖野トレーナーも乗せて、僕は前に立つ。
「行くよ、シービー」
僕はそう言って、少しずつ進み始める。
ここは高級旅館なだけあって周辺はしっかりと道の補装がされている。リアカーのタイヤは何にも引っかかることなく進む。
「おお……! こりゃすごいな……感動だ……」
沖野トレーナーは僕たちウマ娘の見ている世界に感動しているようだった。
もちろん、車や自転車はあるからこの速度で動くことが珍しいわけじゃない。
だけど、どうしてもそれらは道具で、駆動部分は無機物だ。
僕たちウマ娘の有機的な加速と速度。
その感覚の感動は僕も覚えている。
「ちょっとギア上げていきますよ」
「おう!」
僕はさらに加速していく。
空気は僕たちを拒むようで、その実包み込んでくれるようだった。
冷たい空気が肺に入って、自分の心臓から送られる熱を自覚する。
口から出る空気は白く染まり、僕はまるで蒸気で動く生物だ。
空は高くて、地面は広い。
僕たちは小さくて、でもどこまでもいけるようだった。
空気も、音も、光も置き去るように走る。
僕は走っている。
僕たちは走っている。
それだけだ。
でも、今はそれだけでいい。
ちらりと後ろを見ると、シービーは気持ちよさそうに風を受けている。
長い髪がたなびき、風と同化している。
エメラルドのような瞳が自然を写し、空の青を目の中で混ぜている。
シービーは焦った。
僕が自分の実力がシービーに追い付けないと絶望したように、シービーも僕と走るために焦った。
きっと、そうだ。
いや、そうだといいなと思った。
「シービー!」
「なにー?」
「僕、シービーが好きだよ!」
後ろでこちらを見た気配を感じた。
「シービーは僕の前で輝いてくれる。きっとそれはシービーの築き上げた努力の成果だからだ!」
ターコイズブルーの瞳は僕をまっすぐにとらえる。
「確かに不安はあると思う。治らない体調は怖いと思う! だけど、君は僕のライバルのシービーなんだからね!」
いつか言ってくれた言葉だ。
いつも、シービーは僕の隣にいた。
だから、これからもそうあってほしい。
僕がライバルでいられる時は少ないのかもしれないけど、今だけは僕らはライバルだ。
海外に行くことを躊躇したのはシービーがここにいるからだ。
だからこそ、シービーのライバルになれないと実感した時は絶望した。
「シービー、菊花賞全力で来てほしい。負けるなら君がいい。そして、だからこそ君に勝ちたいんだ。リアカーに乗ってるだけだったら、一生僕の後ろだよ」
「ラック……。うん、わかった! しっかり治すよ。そして今度こそ君に勝つ。マルゼンスキーにもモンスニーにもカールにもルドルフにも、アタシが勝つ」
シービーはそう言って空を見上げた。
さあ、凱旋だ。
3人しかいない世界で世紀の風雲児が復活を決意する。
ミスターシービー、英雄叙事詩の第3章が始まった瞬間だった。
ヒーロー列伝のポスターの存在を知って、さらにシービーが好きになりました。