京都レース場は過去で一番人がひしめき合っていた。
今となってはアタシは有名だから、その身を隠すように中に入っていく。
菊花賞。
クラシック三冠を決める最後のレース。
クラシックが始まる前、アタシはラックに宣言した。
三冠ウマ娘になる。
今まさにそれに王手をかけている。
アタシは走ることが楽しいだけのウマ娘だった。
だけど、ライバルたちに、トレーナーに出会って変わっていった。
勝つということ。
負けるということ。
勝負するということ。
その意味を分かってきた気がしたのだ。
そして、走るだけじゃ得られない楽しさを理解していった。
それを最初に教えてくれたのはラックだった。
あの時……未登録バ戦で戦った時からラックはアタシの期待を裏切ることはなかった。
シンザン記念も、感謝祭も、ダービーも。
京都新聞杯で負けた時、アタシは自分に失望した。
ラックはアタシのライバルでいてくれていた。
傷だらけになっても、その足を止めることはなかった。
ダービーの時なんて、誰もが無理だと言った。でも、ラックは帰って来た。
でも、アタシはそれに報いることができなかった。
後悔した。
どうしてだと思った。
すごく焦った。
どうにかしようと思って、足掻いたけど蜘蛛の糸に絡まるようにどうにもできずに時間だけが過ぎて行った。
トレーナーの言葉ですら届かずにいた。
そこで助けてくれたのも、ラックだった。
あの風を北海道から帰って来た今でも思い出せる。
『確かに不安はあると思う。治らない体調は怖いと思う! だけど、君は僕のライバルのシービーなんだからね!』
いつしか、アタシがちょっとでも元気になればと思ってラックに言ったことに似ていた。
正気に戻ったアタシを支えてくれたのはトレーナーだった。
『シービー、お前はすごいウマ娘だ。俺が出会ったどんなウマ娘よりも。だから、一緒に頑張ろう。お前がどれだけ落ち込んでも、俺が支えてやる。だから俺に頼ってくれ。俺はお前のトレーナーなんだから』
それからトレーナーはテレビやSNSでファンがどれだけアタシを応援してくれているのかを教えてくれた。
心配する声、応援してくれる声、叱咤する声。
北海道から帰る時に出会ったウマ娘も、アタシを応援してくれた。
キラキラ光るその目でアタシを見ていた。
アタシは変わった。
自分がどんな存在で、どうありたいかを知った。
ライバルに支えられている。
トレーナーに支えられている。
ファンに支えられている。
その上にアタシは立っている。
自由が好きだったはずのアタシはそれが嫌じゃなかった。
アタシは自由だ。
自由な上で、それに応えたい。
勝って、みんなに答えてあげたい。
ラックが今悩んでいることは知っている。
どこに向かえばいいのかわからなくなっているのも。
ここでアタシに負けたらラックがどうなるのかはわからない。
でも。
だからこそ。
アタシはラックに勝たないといけない。
たとえ今日、アナタを殺すことになっても、アナタに勝つ。
アナタが誰かに殺されるのなら、それはアタシの役目だ。
勝負服を着る。
感覚が鋭敏になっていくのを自覚する。
『CB』のバッジはアタシのトレードマークだ。
髪を整えて、誰にも見られても恥ずかしくないようにする。
「シービー」
「あ、トレーナー」
「行けそうか?」
「もちろん。アタシはミスターシービーだよ? もう無様は見せないよ」
「そりゃよかった」
トレーナーはタバコを止めた。
アタシが言ったことで、アタシがアドバイスをしたけど、それ以降は自分の力で。
それもアタシのためだ。
「ミスタートレーナー」
「なんだ?」
「いつものアレ、言ってくれないかな?」
「ああ……楽しんで来い、シービー」
アタシはにっこりと微笑む。
トレーナーは勝ってこいと言ったことがない。
それはアタシが全力で勝とうとしていることを知っているからだ。
だから、せめて楽しんで来い。
そう言っているのだ。
アタシはそれが気に入っていた。
でも、今日は言ってほしかった。
「ね、今日アタシは勝つよ」
「シービー……」
「だから、言ってほしいな。『勝ってこい』って」
トレーナーは驚いたような顔をして、その後に満面の笑みでアタシに言った。
「勝ってこいシービー! 今日でお前は三冠ウマ娘だ! それをゴールで観てるからな!」
「うん、見ててよトレーナー、最高の瞬間を!」
――最高のエンターテイメントを。
アタシはパドックに向かった。
パドックではすでに何人かのウマ娘が準備を始めていた。
その中にはラックもいる。
ラックは集中しており、その気迫は他のウマ娘を寄せ付けないほどだ。
アタシも準備を始める。
表では紹介の前の口上が読まれていた。
『私たちはこのトゥインクルシリーズに、薄く暗い雲のような絶望を抱いていました』
『それは、自分と重ね合わせて応援したくなる
『またあの三冠という夢を見たい。熱くなるストーリーを見たい』
『心の底で誰もがそう思っていました』
『そんな中、現れたのはそんなトゥインクルシリーズを照らすような光……ではありませんでした』
『ブラックトレイター』
『黒きウマ娘がその悪名を轟かせる。絶対的な魔王として君臨しました』
『その魔王に勇敢なるウマ娘たちは挑み続けました。しかし、その魔王は烈火のごとき強さでターフを駆け抜ける』
『誰もが思った。あの魔王を倒せるウマ娘はいないのかと』
『――魔王が産声を上げると同時にそのウマ娘も産声を上げていた』
『その英雄叙事詩の1章は皐月賞』
『泥を蹴散らし、先頭に躍り出る。比類なき強さの片鱗。激しく、壮烈なるプロローグ』
『第2章は日本ダービー』
『初夏の府中、魔王と激突する。出遅れたそのウマ娘は後方でレースを進める。このウマ娘でもダメか。誰もがそう思った。だが、その絶望を振り払うように末脚が爆発する。魔王と引き分け、その強さを証明しました』
『そして、やわらかい日差しが差す秋の淀』
『菊花賞』
『今日、その3章が始まろうとしています』
『演出主役の英雄と最強不屈の魔王が再び激突する』
『菊花賞は、最も強いウマ娘を決めるレース』
『選ばれた優駿たちはその最強の座を欲する』
『英雄か、魔王か、はたまた新しき勇者か』
『その決着が今日、つこうとしています』
アタシは4枠9番。
ラックは7枠18番だ。
21人がいる中で外枠になったラックは不利だ。
だが、アタシはそれを跳ね返す実力を知っている。
『4枠9番、ミスターシービー』
名前が呼ばれたのでアタシは表に出て行く。
その瞬間、爆発のような歓声がアタシを叩く。
見渡せば、パドックとは思えないほどの人数がいる。どこを見ても人、人、人……。
そして、ほとんどの人がアタシを応援しているようだった。
アタシは手を振ってそれに応える。
『現在二冠の英雄です! その末脚はシンザンに届くとも言われています! 果たして今日、三冠ウマ娘になるのか!』
アタシは片足を後ろに、片手を前にして礼をする。
「今日、アタシは勝ちます。その瞬間を見ていてください」
『シービー! 応援しているぞ!』
『勝って、シービー!』
『お前の三冠が見たいんだ!』
『ブラックトレイターなんてやっつけてくれ!』
『愛してるぞー!』
『頑張れええええ!!』
みんなアタシを応援してくれている。
自然と笑みがこぼれた。
アタシが戻り、しばらくするとラックも呼ばれる。
アタシの時の歓声と同じくらいの罵倒が聞こえてくる。
『7枠18番、ブラックトレイター』
『ひっこめ!』
『負けちまえ!!』
『シービーにコテンパンにされろー!』
『引退しろ!』
『三冠の邪魔するな!』
『も、物を投げるのはおやめください!』
そんな声が聞こえてくる。
だが、ラックはいつも通りに挑発している。
「あー楽しみだ。早くレースがしたいぜ。三冠を打ち破る瞬間ってのは、楽しいだろうな! お前たちの絶望する顔を特等席で見てやるからな!」
ラックらしいといえばラックらしい。
同じパドックにいるウマ娘たちもムッとしている。自分たちは歯牙にもかけられていないと思っているのだろう。挑発に乗っちゃうとラックの思うつぼなんだけどなぁ。
ラックはすぐに帰ってくる。
薄く笑っている。
……そういえば、なんか聞き覚えのある声が聞こえた気がする。
北海道にいたウマ娘の子かな?
仲良くしてたし、来てくれたのが嬉しいのかな。罵倒されてたけど。
それからすぐにアタシたちはパドックを離れ、ターフに向かうことになる。
ここからでも、声援がすでに聞こえてくる。
ターフに出るまでの長い廊下。
すでにほかのウマ娘たちは出ている。
最後であるアタシはその出口前で立っている姿を見つけた。
「ラック」
「シービー」
黒と赤のスーツを着たラックだった。
特徴的なエンブレムはすでにブラックトレイターのトレードマークになっていた。
ラックはターフを見ている。
光の届かない場所から眺めるように立っている。
声をかけるとちらりとアタシを見て、またターフに視線を戻した。
「今日は特別な日だ」
「特別」
「うん。君との決着だ、シービー」
決着。
その言葉はなんだか、悲しい意味を含んでいたように思う。
「僕の調子は絶好調。実力も、これからはわからないけど、今までだったら確実に全盛だ。君は?」
「アタシも絶好調。今のアタシこそが最強のミスターシービーだ。きっとこれからもっと強くなるけど、今が最強だ」
なにそれとラックは笑った。
でも、アタシは真剣だ。
「どうしてだと思う?」
「うーん、三冠を取れるかもしれないから?」
「違うよ。君と走るからだ」
そこで初めて、顔をアタシに向けた。
「わかる? ラック。アタシは君と走る時、最強になる。君がいるなら、最強のシービーであり続けるんだ」
ラックはアタシの顔をじっと見つめる。
綺麗な黒髪はまるで影に溶けるようで、その中に青く光る瞳が浮いている。
「アタシは君に勝ちたい。君は?」
「僕は……」
ラックは少しだけ躊躇する。
だけど、柔らかく微笑んだ。
「僕も……君に勝ちたい。勝ちたいんだよ、シービー。言い訳だった。才能がないなんて。君に才能があるなんて。ターフの上では、レースの中では関係ない。それができるなら、もう他に何もいらない。君に勝ちたいんだ」
それは剥き出しの気持ちだった。
勝つ。
勝ちたい。
それはラックも良く言うことだ。
誰でも言うことだ。
でも、今のラックは違った。
きっと自信なんてないだろう。
きっとラックを信じてくれる人なんていないのだろう。
それでも、勝ちたいんだ。
「ラック」
「シービー」
「いいレースにしようね」
「楽しいレースにしよう」
アタシたちはターフに出て行った。
『さあ、大歓声がターフに降り注ぎます、菊花賞! 淀は揺れ、優駿たちを迎えます。人気上位のウマ娘を紹介――』
アタシは意識を切り替える。
意識は鋭敏だ。
今日は特別な日だ。
確かにそうだ。
どうあってもアタシもラックも変わる。
変わらざるを得ない。
だけど、アタシたちはそれを恐れない。
その結果が望まないものだったとしても、走るのだ。
『各ウマ娘、ゲートインしていきます――』
暖かい日差しの中、アタシはゲートに入る。
ゲートは未だに嫌いだ。
だけど、今ならラックの言っていたことがわかる。
入れば本能がレースなんだと教えてくれる。
今日のアタシは最強のミスターシービーだ。
さあ、やってやる。
――そして、その時がやってくる。
『菊花賞……今、スタートしました!』
スタートは上々。
横一線のはずが、すでにラックはすでに10数m先を走る。
苦手なアタシにとってはあのスタートは化け物に見える。夏を経てラックの技術には磨きがかかった。あのマルゼンスキーでさえスタートはラックには敵わないと言っていた。
『ブラックトレイター先頭を行きます! いつもの大逃げ、タイムを無視するような速度で走る! 注目のミスターシービーは最後方! 比較的縦長なレース展開。菊花賞は始まったばかりです!』
アタシはラックほどスタミナはない。
加えて回復力もない。
今は耐えるしかない。
だが、ラックも持つのか?
菊花賞は上り坂からスタートだ。
そして、すぐに第三コーナーがやってくる。
ここで速度を出して意味があるのか?
ラックの走法は特殊だ。
言われることはなかったが、おそろしく正確なタイムで走る。
ゴールから逆算されたタイムはレコードじゃなきゃ勝てないというほどには強い。
だからと言ってハロンずつに一緒のタイムを出さなくてもいい。坂道は抑えて平坦な場所でそのタイムを補えばいい。
だが、ラックはすでにコーナーを曲がり切る。
アタシはまだ後方だ。
焦るな、まだ大丈夫だ。
『ブラックトレイター大逃げ、いやこれは爆逃げと言ってもいいでしょう! かの魔王もかかってしまったのか!? 第三コーナーを下り、一人四コーナーも抜ける! 場内は悲鳴のような声が上がっております!』
あきらかにペースが早い。
トレーナーが言っていたことを思い出す。
菊花賞はスローペースになりがちだと。
だが、1200m地点までは高速になる。
そして、単騎で逃げるウマ娘がいた場合、それが顕著に表れる。
ラック以外の逃げ馬はいる。
だが、ラックが速すぎるのだ。
――なるほど。
アタシは我慢する。
これはラックの作戦だ。
菊花賞は3000m。
ここで速度を上げて全体をかからせる作戦。
事実、全体の速度は上がっている。
『さあ、バ群も四コーナーを曲がり、ホームストレッチを走り、場内の歓声を浴びます! ミスターシービーまだ後方だ!』
観客席前に差し掛かると、大きな声援がアタシ達を襲う。
行け。
行け。
走れ。
頑張れ。
鋭敏な耳はその声を拾った。
「シイイイイビイイイイイ!! 勝てええええええ!!!」
でも、そんなに叫ばなくても聞こえるよ、ミスタートレーナー。
声援があれば覚醒する、なんて都合のいいことはない。
だが、その応援はアタシの心に響く。
その歓声はアタシの闘志になる。
ラック。
きっと君は孤独だ。
大悪党だとか、魔王だとか言われて応援されることはない。
こんな大歓声の中、君は独りで走る。
ダメだ。
そんなの、悲しいじゃないか。
少しだけ待ってて、すぐに追いつくから。
そして、第一コーナーに差し掛かる。
およそレースの半分が終わった。
すでにラック以外の先頭のかかったウマ娘は少しだけバテ始めている。
もうタイムは望めないだろう。
流石のラックもタイムを――。
――落とさない?
すでにラックは第二コーナーを曲がっている。
そして、その際こちらをちらりと見た。
アタシはラックほどではないが、体内時計には自信がある。
それは追い込みという脚質なら誰しもが持っているものだ。
そんなアタシだからわかった。
このペースはコースレコードを2秒以上縮めるタイムだ。
ワールドレコードですら超えるタイム。
アタシはラックがこちらを見た意味がわかった。
『僕を倒すなら、ワールドレコードを超えてみろ』
そう言っているのだ。
ゾッと背筋が凍る。
ラックは走り切るつもりだ。
バカな、と思う。
2秒以上。
ラックはコースレコードに12バ身以上突き放すつもりだ。
それは足を使いつぶさないとできない芸当。
ラックの丈夫さを超える負荷をかけないとできない所業。
このレースが終わった時、果たしてラックに選手生命は残っているのかすらわからない走りだ。
だけど。
だけど、きっとラックはやる。
すでにラックは第二コーナーを曲がり切った。
ラックはトップスピードがアタシに追い付けないという欠点を常にスピードを出し続けるという作戦で補っている。自分が壊れることを恐れずに。
どうする?
アタシはどうすればラックに勝てる?
ラックとアタシの距離は第四コーナーからスパートをかけても追いつけない距離だ。
もうアタシは詰み直前だ。
『さあ、バ群は短く第二コーナーに差し掛かる! 先頭のブラックトレイターはいつ垂れるのか! ミスターシービー、足を溜めています!』
いや、どうするか、じゃない。
これはやるかやらないかだ。
アタシは少しずつ進出を開始した。
『おっと!? ミスターシービー進出を開始! 少しずつ、1人、2人とかわしていきます! 向こう正面でバ群の先頭に立つ!』
バックストレッチの半分手前ほどでバ群の先頭に立つ。
ラックは遥か前方だ。
全員がラックが垂れてくるのを待っている。
観客も解説も実況もウマ娘も、もしかしたらラックでさえ垂れるだろうと思っているかもしれない。
だけど、アタシは違う。
ラックは走る。
絶対に垂れない。
急げ。
ここで行かなければ負ける。
アタシは必死に走る。
『第三コーナー手前の坂道にブラックトレイターが差し掛かります! まだ垂れない! まだ垂れない! なんという強靭な肉体だ!』
だが、アタシは自分の失態を呪った。
第三コーナー手前にある坂道だ。
それが目の前にあった。
その坂は悪魔の坂だ。
幾人ものウマ娘を食らった坂。
しまった、と思った。
この坂のことを忘れていた。
逆にラックはわかっていたはずだ。
アタシはいっそ絶望的な気分を味わう。
……もう、追い付けない。
アタシの体内時計はラックが垂れなければ追い付けないことを教えてくる。
なんだ。
ラック、アタシに勝てるじゃん。
まだ、戦えるじゃん。
そう、思った。
――その瞬間感じたそれは殺気だった。
前方から、威圧感がやってくる。
ラックがアタシを睨んだ気がした。
――このレースで誰が一番アタシの勝利を疑わなかったか。
観客か?
違う。
彼らはラックを倒すことを望むが、できないかもしれないという気持ちがあるからこそ、応援するのだ。
じゃあ、トレーナーか?
それも違う。
トレーナーはラックの実力を過小評価なんかしない。だからこそ、最善を尽くしてくれていた。
それともアタシ自身?
それが一番違う。アタシが一番ラックを信じている。
アタシが勝つと一番思っているのは、ラックだ。
だからこそ絶望し、だからこそ死ぬ気で頑張っていたのだ。
そんなアタシに勝ちたいと、ラックは言ったのだ。
アタシはさっき、何を思った?
くそ。
くそったれが。
おいミスターシービー。
これ以上、自分を嫌いにさせないでくれよ。
勝つんだ。
勝つ覚悟をしろ、ミスターシービー。
てめえの限界を超えることを、ラックは疑わなかったぞ。
自分の限界を超えたその先にアタシがやってくることを疑わなかったぞ。
菊花賞の第三コーナー手前の坂道。
それにはセオリーがある。
ゆっくり登って、ゆっくり降りる。
そして、第四コーナーで加速する。
ラックはそのままの速度で走る。
それはタブーだ。
だけど、そうしないと勝てないと思っているんだ。
じゃあ、アタシはそれを超えないといけない。
タブー中のタブーを犯す。
『どうした、ミスターシービー!? 坂で加速する!! 何を考えているのだミスターシービー!! レースを捨てたのか!?』
坂で加速する。
3番手を置き去りにして、ラックを追う。
負けたくない。
ずっと、負けっぱなしだったんだ。
君に勝ちたい。
勝ちたいんだ。
今、それができるんだったら、他に何もいらない。
――ラックッ!!
その瞬間、アタシは力が溢れてくるのがわかった。
自然と同化して、坂道を上る風のようになるのがわかった。
幻視する。
広い道。
アタシはそこを走っている。
平坦な道だろうが、坂道だろうが、下り坂のように走っていける。
そうだ、あの時のような、景色だ。
『シービー、菊花賞全力で来てほしい。負けるなら君がいい。そして、だからこそ君に勝ちたいんだ。リアカーに乗ってるだけだったら、一生僕の後ろだよ』
嫌だ。
ラックの後ろなんて、嫌だ。
アタシはもう、リアカーの後ろになんて乗らない。
自分の足で、君に追い付くんだ。
そして――。
『ミスターシービー加速! ミスターシービー加速!! すさまじい足だ!! ブラックトレイターを射程距離に捉えました!! 下り坂を抜け、第四コーナーを回る!!!』
遥か後方に、バ群が見える。
そして、なによりすぐそこにラックが見える。
レースは最終直線に差し掛かる。
『二人旅! まるで二人旅だ! 観客席の声援を受け、魔王と英雄がデッドヒートを繰り広げる!! すさまじい叩き合いだ!! 勝つのはどちらだ、ブラックトレイターか! ミスターシービーか!!』
君に出会ってから、敗北を知った。
レースの楽しさを再確認した。
でも、ずっと見てきたのは君の後ろ姿だった。
悔しい。
アタシは悔しかったんだ。
楽しかったし、ラックが勝てばうれしかった。
だけど、それ以上に悔しかったんだ。
負けたレースで楽しかったなんて、言い訳だった。
確かに本心だったけど、心の奥底では誤魔化していた。
一番、悔しい思いをしてきたのは、アタシだ。
ラック。
ラック、アタシと――。
「――勝負、だアアアアアアアアアアアっ!!!!」
『ミスターシービー加速!! ミスターシービー、並ぶ!! あの魔王に並ぶ!! そして、そしてぇ!! 交わした!! 交わしたミスターシービー!! 残り100m!!』
先頭の景色だ。
ずっと君が見てきた、アタシの景色。
だけど、知っているよ、君はまだ死んじゃいない。
隣のラックの呼吸が止まる。
『ブラックトレイター再加速!! 差し返す!! これが魔王だ、これがブラックトレイターの底力!!』
「ああああああああああ!!!」
だけど、今度は引き分けになんてしてやらない。
君に勝つんだ、ラック。
――アタシも、息を全て吐き切った。
『だが!! だが、ミスターシービーさらに加速!! ――今、ゴールイン!! 一着はミスターシービー!! 一着はミスターシービー!! 今、魔王の不敗神話が終わりを告げ、史上3人目の三冠ウマ娘が誕生しました!!! 英雄ミスターシービー一着!!』
ほぼ同時に、だけど確かにアタシが先にゴールに踏み込んだ。
『タイムは3分3秒3!! コースレコードを2秒以上縮め、そしてこれはワールドレコードでもあります!! 激戦の菊花賞を制したのはミスターシービー!! ここに真の英雄が誕生しました!!』
アタシは膝をつき、酸欠で奪われた視界を取り戻そうとするので精一杯だ。
勝った喜びさえ、表すことができない。
だが、鍛えた心肺能力はすぐに、アタシの意識を正常にしてくれた。
「ラック……」
アタシはラックを探す。
そして、すぐに見つかる。
ラックは空を見上げるように、掲示板を見ていた。
ただ、じっと、それを見つめていた。
「ラック」
アタシが呼ぶとラックはこちらを向いた。
そして、アタシの後ろを指さす。
観客席は、緑一色の旗で埋め尽くされていた。
トレーナーも泣きながら何かを叫んでいる。
それは大きな歓声に包まれ、聞こえない。
「君の勝ちだよ、シービー」
だけど、ラックの声は鮮明に聞こえた。
ラックは泣かなかった。
空を見上げ、一度大きく息を吐いた。
そして、にっこりと笑ってアタシを抱きしめた。
「――おめでとう、シービー。ここで戦えたこと、僕は誇りに思うよ」
「……アタシも、君と戦えて……嬉しい」
アタシは辛うじてそれを言った。
その瞬間から、何故か涙が流れ出した。
「ぅ……あ、ああ……」
「泣かないでよ、シービー。君は勝ったんだよ?」
止まらない。
勝ったのに止まらない。
笑って手でも振ろうと思ったのに、涙が溢れ出る。
ラックはアタシの背中をさすった。
アタシはしばらく、ラックに縋りつくようにして泣いた。
「ああ、悔しいなぁ……」
ラックの声が聞こえた気がした。
この小説の中で2番目に書きたかった話でした。
明日は3話投稿をします。
7時半、7時45分、19時半です。
お見逃しなく。
その代わり、明後日は1話投稿です。
ご了承ください。