僕にとって二度目の怪我だ。
まあ、一度目は交通事故ではあるが。
時間ができた僕はとりあえず次のレースのことを考える。
トレーナーは今年はレースに出さないと言った。
治療の都合で数日面会ができなかったが、そう念を押す連絡が来た。他にも色々と書かれていたが、僕の目が拾ったのはその文章だけだった。
ちなみに僕は面会を許可されても、少しの間面会拒絶にしてもらった。
……自分で言うのもなんだけど、こんな元気のない姿を見られたくなかったからだ。
で、比較的元気になった僕はレースのことを考える。
僕ならギリギリ有馬記念は走れるかなと淡い希望を抱いていたが、トレーナーが言うよりも前にそういえば有馬記念は人気投票だったと思い出し、そこは諦めることにした。いや、戦績的に僕なら出れるけど、人気でもなくて負けた僕の出走をURAが認めてくれるのかも怪しいし。
だけど、久しぶりにシンザン会長から連絡が来て、URAは僕のことを認めてくれた、だから好きなレースに出るといいと言ってくれたんだっけ。君はURAを盛り上げるのに貢献してくれたとも。今、URAがどんな状況かわからないけど、会長が言うならそうなんだろう。
とはいえ有馬よりもシニアだ。
大阪杯や天皇賞春が狙いどころか。
天皇賞はチャレンジできるならしたい。
いつか、モンスニーちゃんと走ることになるからだ。
天皇賞春だったら誰が来るだろうか。
シービーは来るかな。
他は……流石にカールちゃんは来ないだろうし、またシービーとだけかな。ああいや、ハッピーミークちゃんとかスイートパルフェちゃんとかも来るかも。
盛り上がるかな。
いや、そうだ。
クラシックじゃないんだ。マルゼンスキーとかプロミス先輩も……いや、違う。プロミス先輩は出ないんだ。
「はは」
思わず笑う。
ダメだ。
ただ出れるランクの高いレースを挙げているようにしか見えない。
それに国内で走ると考えていた。
外国という選択肢もあるのに。
『お前はどうして走っているんダ?』
レッドさんの言葉が思い浮かぶ。
どうして、走るのか。
もう目標は達成されたも同然だ。
明確な数値は設定していなかったが、菊花賞では観客席が埋まり外で観ている人もいるくらいだったらしい。
レースという娯楽が急激に浸透した。
グッズは量産され、広告はほとんどが重賞レースのものだ。
テレビやネットでもトゥインクルシリーズを取り上げているものが多い。
前世でも考えられないくらいに盛り上がっている。
そして、なによりも慈善事業みたいなものだが、病気のウマ娘を保護する活動も始まった。
じゃあ、何故走る?
約束がある。
シービーにはこれからも走り続けると言ったし、トレーナーの目標であるURAもどうにかなったわけじゃない。ルドルフとも走ると言ったし、シリウスのこともある。……プロミス先輩がジャパンカップで2着を取ったのにURAはまだ日和っているらしいし。
うん。
まだ走る理由はあるな。
そう考えていると、ドアがノックされる。
どうぞ、と言うと、トレーナーが入ってきた。
そうだ、今日から面会ができるんだ。
「あ、トレーナー」
「すまなかった」
「え、なに?」
そして僕の横に来るなり、頭を下げた。
「もしかして、棚にあったおかし勝手に食べた!?」
「……そんなことはしない。というか、そんなものがあるのか」
「うん。いいよ、食べて」
「じゃあなんでそれで謝られると思ったんだ」
「てへへ」
笑ってごまかすと、トレーナーはため息を吐いた。
「この前のことだ」
「ああ……僕の胸倉掴んだこと?」
「……そうだ」
「え、でも、いつもそんなこと気にならないくらいの鬼畜トレーニング組んでるじゃん?」
「……」
人聞きの悪いと言いたいが事実そうなので黙るしかないという顔だ。
「あはははは! ごめんごめん冗談だよ!」
「……冷静じゃなかったんだ」
「まあ、それは僕もだし」
それで、とトレーナーが言う。
「それで、これからどうするつもりなんだ?」
「どうしよっかなー。トレーナーはどう思う?」
「そうだな……とりあえずしっかりと体を休めよう。無理にレースに出る必要もないからな」
「まあね」
「それにもう悪役のフリをする必要がないからな。改心でもしたということにしてイメージの回復に努めよう」
「は……ああ? 何言ってるの、トレーナー?」
「お前の目標は達成されたろう? もうする必要はないはずだ」
「……トレーナー、ちょっとこれ見て?」
僕は手を差し出す。
怪訝な顔をしながらトレーナーは顔を近づけてそれを見ようとする。
「ふん!」
無防備なその顔にすぱぁんと僕は平手打ちをした。
「………………何をする」
「あのさ、トレーナー。まだ頭冷えてないの?」
「何の話だ」
「確かに、それをしたってURAとかは文句を言わないと思う。でも、URAが欲しいのは悪役のブラックトレイターだよ? そんなことしたらトレーナーの目標から遠ざかるじゃん! 寝ぼけてんじゃねえよ!」
そう言うと、トレーナーは動揺した。
この前も珍しく怒鳴ったが、その様子も珍しかった。
「あ、ああ……そうだな。そう、だった……」
「しっかりしてよ! まだ終わってないんだよ?」
「…………そう、だな」
そうしていると、コンコンコンコンと苛立ち気なノックが聞こえてくる。
開いた扉をノックしていたのはシービーだった。
「ねーえー、あなたが「前のことを謝りたいから少し待っててくれ」って言ったんでしょ? アタシ、いつまで待てばいいのかな? 教えてくれる?」
「シービー!」
「やあ、ラック」
「すまん、忘れてたわけじゃないんだ」
「ま、いいよ、別に。叩かれてたみたいだし、両成敗でしょ?」
「うん、そうだね」
「……」
トレーナーはむっつりしている。
「で、大丈夫なの、ラック?」
「まあ、大丈夫大丈夫。すぐ治すよ。ごめんね、ウイニングライブ」
「これで無理された方が怒るから」
「でも……」
「はいはーい、お口塞いじゃいまーす」
そう言ってシービーは片手でむんずと僕の顔面をわしづかみにする。
い、痛い!
もがもが呻いていると、パッと放してくれる。
「ひどい……」
シービーは僕の肩を押して、ベッドに寝かせる。
そして、そのままシービーはベッドに腰かけた。
「ラック」
「うん?」
「話したいことがあるんだ」
「なに?」
シービーは僕を見ながらゆっくりと話す。
「アタシはさ、ただ走るのが好きだったんだ。気持ちよく走れればそれでよかった。それ以外のしがらみは煩わしくて嫌いだった。家がなにか言ってくるのも嫌だったし、嫌いな練習はとことん嫌いだった」
「うん」
それはレッドさんが言うシービーの本質なのだろう。
「だけど、ラックに出会って、このウマ娘に勝ちたいって思うようになった。ずっと負けっぱなしだったからね。一緒に走るのは楽しかったけど、負けるのは悔しかった」
それは独白だった。
シービー自身の剥き出しの気持ち。
「京都新聞杯で負けた時、アタシは自分が嫌いになりそうだった。いや、実際嫌いだった。アタシも気づいてた。正直ラックには走る才能はないって。それでもラックはアタシの期待に応え続けてくれた。だっていうのに、アタシはそれに報いることができなかった」
失望したよ、とシービーは苦笑する。
「でも、ラックはアタシを信じてくれていた。北海道で言ってくれたこと、嬉しかった。トレーナーもアタシを支えてくれて、ファンがアタシを応援してくれているのもちゃんと自覚した」
「うん」
「それは期待っていう一方通行のしがらみだったかもしれないけど、嫌じゃなかった。応えたいって思うようになった」
シービーは僕をまっすぐに見据える。
「ラック、アタシはみんなの英雄になる。そう望まれるなら、アタシはそうしたい。他でもないアタシがそうしたいんだ」
「……そっか」
アイドルホース。
シービーは自覚をもって、今そうなった。
今まではシービーにとって必要のないことだったかもしれないけど、シービーはそうありたいと思った。
「でもね、それだけじゃないんだ」
「それだけじゃない?」
「うん、アタシはそれと同じくらいにしたいことがある」
「それはなに?」
「ラック、君と走り続けたい。ライバルであり続けたいんだ」
「……でも、怪我もある。きっと追い付けない」
「だからどうしたの? ラックは諦めないウマ娘だ。怪我も才能を超えてまたアタシのところに戻ってくる」
そのためだったら、とシービーは僕の手を握った。
「そのためだったら、アタシは最強であり続ける。もう一度、勝負をしよう。最高の舞台で、最強の座をかけて、アタシと」
「それは……約束、できないよ」
「いい。約束なんか、しなくていい。アタシはそうありたいと思った。君もそうありたいと思えなかったら、捨てていい」
「そんなの、不誠実だよ」
「いいんだ。不誠実でいい。ただ、覚えておいてくれれば」
「どうしてそんな……僕に走る才能がないんだって知ってるんでしょ?」
「君を信じているからだよ、ラック」
「……僕じゃなくてもいい。ルドルフも、マルゼンスキーもいる」
「ダメだ。君じゃないとダメだ。アタシは何度でも君と走りたいんだから」
その言葉に僕は目を見開いた。
なんでかわからないけど、僕はその言葉を何度も反芻した。
そっか。
僕じゃないと、ダメなのか……。
シービーはにっこりと笑う。
「でも、アタシも流石に疲れすぎたからクラシック期は終わりだし、ゆっくり休みなよ」
「え!? 有馬でないの!?」
「うん。ジャパンカップも誘われてたけど辞めたんだ」
「そう……なんだ」
「うん。じゃあ、アタシも検査あるから帰るね」
「あ、うん。お大事に……」
「そっちがね」
シービーは僕の鼻をつまんで、立ち上がった。
そして、優雅に手を振って帰って行った。
それを見送ると、僕はトレーナーに声をかける。
「トレーナー」
「……」
「トレーナー?」
「あ、ああ。なんだ?」
「またシービーに勝ちたいって言ったら、僕を勝たせてくれる?」
そう言うと、トレーナーは黙る。
何かを考え、どう言おうかを逡巡しているようだった。
そして、長い沈黙の後に口を開く。
「……まだ、お前は勝ちたいのか? ここで無理だと言ったら、止まってくれるのか?」
その問いにどういう感情が含まれているのかはわからなかった。
だけど、僕の答えは決まっていた。
とうの昔に、決まっていたのだ。
「勝ちたい。また、走りたい。僕たちは、そうやって生きていくんだ」
やっぱり、僕たちは変わらない。
シービーに勝てなかったとしても、ライバルじゃなかったとしても、走りたい。
勝ちたい。
どれだけ実力に差が出たって、またシービーと、ターフに出たいんだ。
だって、楽しかったんだ。
だって、嬉しかったんだ。
だって、悔しかったんだ。
何故か、ぽろぽろと涙が出た。
なんの涙かはわからないけど、涙が出る。
だけど、理由なんてすぐにわかった。
「トレーナー……お願いだ。僕、またシービーと走りたいんだ。まだ、ターフにいたい」
無様だ。
負けて悔しくて、泣いてるんだ。
プライドを……全てを懸けた勝負で負けるってこんな悔しいのか。
初めて知った。
トレーナーは強く目を瞑った後に、息を吐いた。
そして、跪いて手を僕の手に添える。
「……ああ、わかった。俺がお前を勝たせてやる。もう一度、お前を勝たせてやるからな」
「ありがとう、トレーナー……」
もう一度、僕たちは走ることを決意した。