代わりに明日は3話投稿予定です。
12月。
息は完全に白く染まり、防寒具なしでは外に出るのが億劫になる。
足の腫れは引き、杖なしで動けるようになっている。
軽いランニングなら許可されている。
この一ヶ月に僕のレースはない。
シービーもない。
僕はぼうっとトレーナー室で録画されたレースを見ている。
今の僕はやることがない。
ライバルたちのレースはすでに見尽くしたし、今はみんな休みで走っていない。
走りたい。
走って勝ちたい。
だけど、その方法は見つからない。
シービーは強くなっている。
ルドルフも。
だが、今の僕には勝つ方法が見つからない。
どうすればいいのか、わからなかった。
トレーナーはあれからずっと忙しそうにしている。
帰ってきている時は僕に付きっ切りだが、他に何をしているのかはわからない。
……そう思ったが、以前からずっと僕に付きっ切りだったようにも思えてきた。
こうしていても仕方ないので、僕は今一度自分の目標を整理してみる。
大きな目標はジャパンカップだ。
このレースだけは絶対に勝ちたい。
プロミス先輩のこともあるし、ニホンピロウイナーちゃんのこともある。そして、そこで勝てば今度こそ日本のウマ娘は世界に通用すると証明できる。
そして天皇賞。
いつになるかはわからないが、モンスニーちゃんとの約束がある。
最後に勝ちたい相手。
みんなに勝ちたい。もう負けたくない。だけど、一番勝ちたいのはシービーだ。
シービーは次にどのレースに出れるのだろうか。それは僕が出れるレースだろうか。それは、僕が勝てるレースだろうか。
かちゃんとドアが開く音に僕は我に返った。
もう録画は終わっている。
リモコンで電源を切って、振り返るとトレーナーが立っていた。
「トレーナー! 愛バをほっといてどこ行ってたのさ」
「ああ、探した。ここにいたのか。足の調子は?」
「悪くないよ。というか、止められてなかったらトレーニングしていたし」
「少し確認しよう」
「ん」
トレーナーが近づいて来るので、大人しく足を差し出す。
トレーナーは触診をして、僕の様子を確認していく。
別にそういう趣味はないが、誰かが跪いて自分の足をいじるというのはなんとも言えない気分になる。
空中を眺めながら終わるのを待つ。
しばらくすると、トレーナーは満足したのか立ち上がる。
「やはり回復が早いな」
「でしょー? じゃあ――」
「だが、まだトレーニングは禁止だ」
「えぇー!! じゃーなにするのさ」
そういうと、トレーナーは難しい顔をする。
「俺としては、お前は十分頑張ったと思っている」
「まあ、僕は頑張っているよ?」
「ああ。もう走らなくてもいい、とは言わないが、これからこのまま走ったとしても十分な成果を出せるだろう」
「ふうん。トレーナーは今の成果で十分だって言うんだ?」
「ああ。お前にとっても、俺にとっても」
「え?」
意外なことを言うトレーナーの顔をまじまじと見つめてしまう。
「どうしたのさ、そんなことを言って」
「だから、今一度聞きたい。どうしても勝ちたいのか? そんなことをしなくてもいいのに」
もう、最近考えることが多すぎて、どうにかなりそうだった。
そう聞かれて、自問もして、また聞かれて。
僕は半ば考えるのを放棄していた。
だから、きっとこれは僕の心の奥底にあった答えなんだろうと、後から思う。
「勝ちたいよ。勝ちたくないウマ娘なんていない。僕は死ぬならターフで死にたいな。走り切って、自分の番号が掲示板の一番上に表示されて、『あー満足だった』って言って死にたい」
そういうと、トレーナーは悲しそうな顔をした。
そして、またしても意外なことを言った。
「一番最初に契約した時を覚えているか?」
「もちろん」
「あの時、俺は言った。『俺なら勝たせてやれる』と」
「そうだね」
「俺はお前をミスターシービーに勝たせる方法を知っている」
今度こそ僕は深く驚いた。
トレーナーがこんなことを言うなんて。
『勝てない』と何度も言われたのに、僕に向かって今更『勝てる方法を知っている』?
どうして?
「……どうして、今更そんなことを言ったの?」
「……」
「菊花賞の前に聞きたかった。僕は勝てる方法を捨てて、シービーと戦ったって言うの!? だって、そんなの……」
バカみたいじゃないか。
シービーの決意も、僕の努力もどうにも無意味だったみたいじゃないか。
だが、その言葉に応えたのはトレーナーじゃなかった。
再びドアが開いて、大きな影が入ってきた。
「そりゃ、お前に資格がなかったからダ。あの時、お前が勝てないのは、必然だったんダ。こいつがどうこうできることじゃなかった。今のお前の最大の成長効率だったろうサ」
その燃えるような赤い髪を見たのは菊花賞以来だった。
パドックでこっちに噛みつくマサルの隣にいたのを覚えている。
「レッドさん……」
「ヨォ。ブラックトレイター。初めまして、って言った方がいいカ?」
……そういえば、あの時はホワイトローヤルとして会っていたんだった。
でも、レッドさんはわかっているとばかりに肩をすくめる。
「マサルは北海道に帰ったゼ」
「……じゃあ、レッドさんはなんでここに?」
「ワタシは結構強くてナ。引退したんだが、このまま世界から消えるのは世界の損失だと思ったんダ」
半分返事になってない返事をするレッドさん。
ずいぶんと、大きく出ているなぁ。
だけど、そのレッドさんの雰囲気がそれが大言壮語ではないと感じさせた。
「つまり、後継者を探していたんダ」
「……だから、マサルのところに?」
「ああ、いや、あいつはただの親戚ダ。ワタシの後を継げるような構造をしているわけじゃなイ。あいつはあいつの道を見つけた方がいいサ」
ここまで言えばわかるだろう? とレッドさんは言った。
「ブラックトレイター。ワタシはお前に継がせたい。欲を言うと、もうちょっとタッパが欲しかったがナ」
「……それをすれば僕はまた勝てるんですか?」
「いや、それは知らなイ。勝てるか勝てないかはお前とライバル次第ダ」
「それは、そうですね。だけど、可能性はあると」
「ああ」
「じゃあ、やります」
「トレーニングはきついゾ?」
「いつもそうでした」
「いや、文字通り、『死ぬほど』きついんダ。失敗すればお前の選手生命だって消えル」
「関係ありません。慣れっこです」
そう言うと、レッドさんは愉快そうに笑った。
そして、ひとしきり笑うと、首を横に振った。
「だが、まだ足りないナ。まだ、資格がない」
「……その資格とは?」
「人は何故、ハンバーガーを食うのカ」
いつかの問答をレッドさんは言う。
もちろん、僕も覚えている。
「……ハンバーガーが美味しいから」
「そう。そして、ハンバーガーを食う人間と食わない人間、どちらが偉いのカ」
「自分のために節制し、自分の人生のためにハンバーガーを食べる人間」
ははは、とレッドさんは笑う。
「ブラックトレイター。あの時の続きダ。ブラックトレイターは本能と理性どちらで走るウマ娘なのカ」
「……僕は、理性かな……」
僕が理性的な人間だとは思わないけど。
「そう。その通リ。じゃあ、ワタシはどちらか、選ベ」
レッドさんは見るからに野性的なウマ娘だ。
大きな体にその気性。食べる量もとんでもない。
だが、その話は理性的だ。教え方も、野性的に見えてその実理性的だ。
「……理性ですか?」
「違ウ。ワタシは理性と本能で走るのサ」
そう言って、レッドさんはきれいな指で僕の胸を突く。
「お前はワタシを継ぐのに必要なものを持っていル。前に言った素質ダ。だが、足りないものがあっタ。本能ダ。何故だか知らないが、お前はウマ娘の本能を根本から避けていタ。だが、ターフでライバルと競うことで理性の蓋がズレ、あの菊花賞でお前は負けて目的以外の感情を知っタ。それは本能から来る、当たり前のことダ」
「本能……」
「そうダ。お前にはまだ約束があル。走る理由があル。だが、ここまで心をその体の奥に沈め、戸惑っているのは、目覚めてしまったからダ。本能ガ。その二つは反発し合い、お前を中から食い破ろうとしていル」
わかるようで、わからない話だった。
つまり、どういうことだ?
抽象的なのはあまり得意じゃないんだ。
「お前は本能を抑えようと理性を総動員していタ。それがぶつかり合って、0になっていたんダ。だから、本能も理性も力があるのに、それを発揮できずにいタ」
バカなことダとレッドさんは言った。
「……つまり、僕はどうすればいいんですか」
「本能を解放しロ。それが第一段階。それが資格」
「本能を解放……どうやって?」
「さア。そこはトレーナーを頼レ。ワタシは後継者が欲しいだけだから、トレーナーの真似事をしたいわけじゃなイ。良い選手が良い監督になるわけじゃないだろウ?」
それはそうだ。
トレーナーを見ると、トレーナーも少しだけ首を傾げた。
「トレーナー?」
「ああ……そうだな。本能か。……レースに出るか」
「やったー……?」
出たかったは出たかったけど、この流れで?
僕はどこに向かえばいいのかわかってないけど?
「というか、トレーナーとレッドさんも仲良くなってたんだ」
「……いや、それは……」
「ああ、いや、こいつとは昔からの仲ダ。こいつは小さい頃はアメリカにいてナ。アタシが選手だった時に、こいつは勉強していたのサ」
「え、じゃあ、なんでトレーナーあの時声かけなかったのさ」
そういうと、トレーナーはむっつりと黙って、レッドさんは口を開けて笑った。
「こいつ、ワタシに気づかなかったんだゼ! 何年も一緒に過ごした兄妹みたいな存在に気づかないとか、むかつきを通り越して笑っちまっタ」
「……最後に見たのは何年前だと思ってる」
「あーあ、可愛げがなくなっちまったナ。昔はあんなにワタシのことを褒めてくれたのにナ」
「昔のことを言うな」
「わからなかった所為でワタシを見つけるのも大分苦労したみたいだしナ」
幼馴染みたいなものか。
でもまあ、あの時は一瞬しか会わなかったしレッドさんの顔もあんまり見えなくて、気づかないのも仕方ない……のかな?
「……で、いい加減、レッドさんの正体を聞きたいんですけど……」
「ああ、こいつの本名はセクレタリアトだ。アメリカの三冠ウマ娘だな」
仰天した。
セクレタリアト。
その名前は僕でも知っていた。
伝説的名バだ。
日本の伝説はシンザンだが、アメリカ、ないし世界の伝説と言っても過言ではないウマだ。
僕はこの世界に来てアメリカのことをあまり調べなかった。
何故なら、アメリカの主流はダートだからだ。
吸収できるものは少ないと思ったのだ。
それでも知っている名前。
誇張なく、世界最強のウマ娘だ。
パクパクと口を開閉させて、体を震わせる。
ほんとに?
ドッキリでは?
え?
レッドって『ビッグ・レッド』?
マサルが言ってたこいつより強いやつはいないってマジだったの?
「じ、じゃあ、後継って……教えてくれることって……」
「ああ、等速ストライドダ」
その言葉にとうとう僕は言葉を失った。
等速ストライド。
それはセクレタリアトだけに許された最強の走法。
変幻自在のその走り方はスプリンターにもステイヤーにも、ターフでもダートでも通用するという。
だが、世界でセクレタリアト以外がその走り方を実現できたことはない。
「……僕にそれができると?」
「等速ストライド習得には条件があル。疲れないスタミナ、異常なほどのパワー、壊れない体、長い脚だ。もちろん、これはワタシの走法ダ。だから、お前が体得したとしても、ワタシほどにはなれないだろウ。だが、確実にお前は先のステップに進むことができル」
確かに、僕はその条件をクリアしている。
スタミナとパワーはトレーナーとのトレーニング。頑丈な体は小さい頃から作り上げたし……長い脚は、自分で言うのもなんだけど、元々。
日本の芝適正のウマ娘はスタミナを鍛えることはあっても、パワーとスピードだったなら、スピードを選ぶ。
それは芝の問題から、スピードが大切になってくるからだ。
だが、僕たちはステイヤーに体を改造した影響でパワーを鍛えざるを得なかった。
……いや、今になって思うと、トレーナーは僕の可能性の芽を潰さないようにしていたのかもしれない。
パワーを鍛えていなかったら等速ストライドという可能性は消えていたから。
僕がレッドさん……セクレタリアトと同じパワーとスタミナを持っているとは思えない。
けど、最低限の条件はそろっているみたいだ。
「トレーナー!」
「わかっているさ、それを教えるために俺がいるんだからな」
「あれ、でも、トレーナーに等速ストライドを教えられるの?」
考えてみれば、誰もできないからこその最強だった。
それは誰にも教えられなかったということにもなる。
「俺は、アメリカでトレーナーの勉強をしてきた。それも、セクレタリアトのトレーナーの下でだ。セクレタリアトとそのトレーナーが等速ストライドを編み出すところを一番近くで見ていた。できるとは言わない。だが、可能性が一番あるのは俺だ」
「そっか」
ともあれ、これがあれば僕はまた戦える。
まだ、走ることができる。
シービー。
また、待たせることになるけど、すぐに行くよ。