急いで書くものではありませんね。
修正してくださった皆様、本当にありがとうございます。
過ぎる時間は早いもので、5月も終わる。
もちろん、そこにはビッグイベントが待ち受けている。
全てのウマ娘が一度は勝ってみたいと思う東京優駿。
つまり、『日本ダービー』がやってくるのだ。
ウマ娘にとってダービーというのは夏の甲子園に近い。
続けてきた努力を披露する場所。未熟だったウマ娘たちは夏が近くなり本格化も終わる。
だからこそ、このレースは新たなスターの誕生を意味するのだ。
シービーもマルゼンスキーも、僕でさえそうだった。
特に皐月賞を勝ったウマ娘の期待値は高い。
もしかしたら、今年は、今年こそは三冠ウマ娘が誕生するのではないかという期待からだ。
事実、長い間三冠ウマ娘は生まれなかったからこそシービーは最も愛される三冠ウマ娘と言われている。
もちろん、謙遜をしないのであれば僕という対極な存在がいたからという理由もある。
だが、きっと僕がいなくてもシービーは愛されていただろうと思っている。
ルドルフは今、無敗でダービーまで登ってきた。
同じ無敗だったビゼンニシキを弥生賞で打ち破り、皐月賞でその実力を証明した。
みんなは期待しているのだ。
無敗の三冠ウマ娘が誕生する瞬間を。
その伝説を。
あのシンザンでさえ成し遂げられなかった無敗という称号。
計り知れない栄光だ。
だが、だからこそその期待とは裏腹に観客は不安なのだ。
ダービーは運のいいウマ娘が勝つと言われるレース。
それは参加人数の多さから言われていることだった。
大外ではそれだけで負けが濃厚になる。
もし、外枠だったならシンボリルドルフでさえも勝てないのではないか。
みんながその不安を抱えているのだ。
枠順は……4。
その番号を見た時、みんな安堵した。
良くないが……悪くもない。
ならばシンボリルドルフならばやってくれるだろうと。
前々からルドルフは僕たち生徒会に頼みごとをしていた。
それはダービーの色々な雑用を手伝ってくれないかということ。
記者の誘導やウイナーズサークル設営の手伝いだ。
本当は生徒がやることではない。
だが、ルドルフは自ら進んでそれを申し出たのだと言う。
「君たちには……特等席で見てほしいんだ」
ルドルフはその代わりに特等席を用意したと言う。
僕たちは一も二もなくうなずいた。
用意された場所は実況席に近い部屋だった。
パドックの用意もあるので、僕たちは先に荷物を置きに来ていた。
確かによく見える。
ここならゴールする瞬間が良く見えるだろう。
「壮観だね」
「ルドルフも気が利くのねぇ!」
「アタシ覚えてるよ! あそこらへんにアタシのトレーナーがいたんだ!」
僕とマルゼンスキーとシービーはそう言い合う。
それに呆れたのはグルーヴちゃんだった。
「壮観だと言うが、この部屋も壮観だぞ。ここにいるウマ娘は4人中3人がダービーウマ娘なんだから」
そう言われて僕たちは顔を見合わせる。
確かにそうだ。
現役では最高峰のウマ娘が集結している。
「そういえば、グルーヴちゃんはティアラ路線なんだっけ?」
「ああ。私も必ずオークスで勝つ」
「私も?」
「ああ、マルゼンスキーは知らないんだっけ? グルーヴちゃんはカールちゃんの親戚なんだって」
「あら! 道理で! いいわよねオークス! ダービーとは違う熱さがあるわ」
「ええ、私の憧れです。……荷物も置いたし、そろそろ行きましょうか」
「おっけー」
僕たちは早速パドックへ向かうことにした。
パドックは混みあうことが予想出来ていたので、しっかりとロープを巡らせて列ができるようにしていた。
去年は転倒などが起きて大変だったと言う。
……たぶん半分は僕の所為だろうなぁ。
準備が終わると、パドックに先に選手がやってくる。
もちろん、その中にはルドルフもいる。
こちらに気づくと声をかけてくる。
「やあ、悪いね。雑用を押し付けて」
「いいよ。そうしないとあの特等席はゲットできなかったんでしょ?」
「ああ、だが、本来仕事じゃないことを……」
「いいの、ルドルフ。この前ラックがなんて言ってたか知ってる? 『シービーなら無理矢理実況席ジャックできるんじゃない?』だってさ。未然に防げて良かったね」
「あ! 言わないでよ!」
「約束してないもーん!」
「君たちは本当に……」
呆れかえったようなルドルフだったが、キリっとした表情になる。
「君たちの通った道だ。私は今日、私の存在を証明しよう。見ていてくれ」
「もちろん!」
「頑張ってね!」
「お姉さんは信じてるわよ」
「応援しています」
「ああ、では、行ってくる」
ルドルフはそのまま体を温めに戻る。
胸元には一つだけメダルが付いていた。
「いくつ冠を被るつもりなんだか」
「連対記録はシンザン会長に迫る勢いのラックが何を言ってるんだか」
「え?」
「え?」
「連対?」
「……呆れた! マルゼンスキー! こいつまだ自分が弱いと思ってるよ!?」
「これはお姉さんも呆れるわ? ラック、あなた今何レース走ったと思っているの?」
弱いと思ってるわけじゃないけど……。
そう言われて僕は指を折って数える。
公式レースはシンザン記念を抜いたら……17?
「17」
「3以下は?」
「……ないね」
「シンザン会長の連対記録は19よ。あなたの世代で連対率100%なのはあなたしかいないわ」
「僕、すご」
そういうとズビシとチョップされる。
「ちゃんと自分を客観視しておきなよ? 悪評なかったらアタシと並ぶスターウマ娘なんだから」
「うーん、よくわかんないけどわかった」
まあ、そう言われて記録はすごいと思うが、G1に出た数自体は少ない……わけではないがシンザン会長と比べるとなぁ。
シンザン会長はG1は全部勝ってるし。
まあいいや。
そこはジャパンカップに勝ったら自慢になるし、そこで勝ったら胸張って自慢しよう。
さて、準備が終わりつつがなくスケジュールは進行し、パドックが始まる。
去年のように、あるいはそれ以上の観客が押し寄せる。
『英雄叙事詩から1年。再び現れたスターは王だった』
『ある人は言った』
『レースに絶対はないが、そのウマ娘には絶対があると』
『絶対の皇帝。それが彼女の称号。彼女の存在の名』
『その走りは他の追随を許さない』
『シンボリルドルフ』
『あのシンザンを超えしウマ娘』
『選ばれし優駿たちが集う東京レース場ではクラシック2つ目の冠を狙っている』
『勝つのは、絶対か、絶対を超える誰かか』
『今、東京優駿が始まります』
そうアナウンスが始まり、パドックが始まった。
僕たちが見守る中、パドックが開かれる。
観客はルドルフの名前を呼ぶ。
一人一人、闘志を巡らせたウマ娘が紹介される。
ルドルフが出てきた時、パドックは爆発したような歓声に包まれる。
その音にも臆することなくルドルフは威風堂々と立つ。
『今日、二つ目の冠をいただこう。どうか、その瞬間を見ていてほしい』
ルドルフは短くそう言い、パドックを後にした。
調子は絶好調らしい。
誰かが失神してもおかしくないレベルの熱狂だ。
マイクを使ったアナウンスすら遠く聞こえる。
そして、とうとう日本ダービーが始まる。
僕たちは自分たちの仕事をそそくさと終わらせ、部屋に戻る。
未だに観客たちの熱が体にあるようだった。
マルゼンスキーも熱に浮かされたように言う。
「やっぱりいいわね、ダービー」
「そうだね。アタシも、まだ自分のダービーを覚えてる」
「私もよ。熱いレースだったわ」
「きっと、今日もだ。今日も熱いレースになる。……アタシも出ちゃダメかな?」
「はーい、ダメでーす。バカ言ってないの」
「ちぇー」
そんなことを言っていると、入場が始まる。
実は今日のレース、回避するウマ娘が相次いだ。
なので、21という数字ではあるが、異例の少なさである。ちなみに、去年は僕とシービーがいたので似たようなものだったらしい。
今年の回避の原因はもちろん、ルドルフだ。
『さあ、クラシックレース2つ目の東京優駿、通称『日本ダービー』が始まろうとしています。人気上位のウマ娘を紹介します。3番人気、ハートアンドゴー、気合十分です。続きまして皐月賞2着になりました、ビゼンニシキ! 2番人気とは思えない人気になっています』
『私一押しのウマ娘です、頑張ってほしいですね』
『そして、堂々の一番人気! シンボリルドルフ! 絶対の皇帝は今日もその実力を示すことができるのか! ……今、ゲートインが始まります』
ここからだと、すさまじい集客だというのに粛々とレースは進んでいるように見えた。
ルドルフはすさまじい集中力でその時を待っている。
ターフの状態も確認しているようだ。
今日のバ場は悪くはない。
だが、今年のターフは春になっても芝が戻らず、砂を多めに入れられている。なので、走るにはそれなりのパワーが必要になってくる。
『一番はやいウマ娘が勝つ』と言われている皐月賞で結果を残したルドルフとビゼンニシキちゃんはどう出るのか。
そう考えると最初から前に出た方が有利。
マイル型のビゼンニシキちゃんには厳しい戦いになりそうだ。
選手たちはゲートに入っていく。
ルドルフもそのまま入る。いつも通りのようだ。
そして、それに伴って、観客も静かになっていく。
最後のウマ娘が入る頃には何万人もいるとは思えないほど静まり返っていた。
『各ウマ娘、ゲートインが完了しました』
そして、その時がやってくる。
『――東京優駿、今スタートです!』
ガコンとゲートが開く。
ウマ娘たちが一斉に飛びだした。
ルドルフは好スタートを決める。
だが、前には出ない。
敷かれた砂が舞い上がり、ウマ娘の軌跡となる。
『前に出たのはハートアンドゴー! 先陣を切っていきます! ビゼンニシキは7番手、シンボリルドルフは8番手です!』
先行から差しの中間地点でルドルフは走っている。
ビゼンニシキちゃんは明らかにルドルフを意識した位置取りをしている。
正面の直線はそのままの位置取りで進み、コーナーへ入る。
ルドルフは動かない。
……ように見えているだけだ。
ここにいる僕たちウマ娘はそのレース運びに思わず唸る。
上手いレース運びだ。
重いバ場ではスタミナの消費が多い。そして、今回の砂の多い芝ではスピードが出きらない。
だから、前に行く必要があるが、ルドルフは微妙な位置取りをしている。
前に行く必要があるのに、あのシンボリルドルフがその位置にいる。
それは前を走るウマ娘たちにとってプレッシャーとなる。
速すぎたのではないか。逆に、あの位置から上がってこれるのではないかという恐怖を植え付ける。
その結果、疑心暗鬼になりスタミナを消費、自分のレースができなくなる。
その証拠にルドルフはちらちらと周りをしきりに見て、位置の調整をしている。
ルドルフはそこにいるだけで、周りを惑わす効果を発揮しているのだ。
そういう意味では、ルドルフかビゼンニシキちゃんが実質的な先頭と言ってもいい。
土ぼこりを巻き上げ向こう正面を走っていく。
遠いというのに、ウマ娘たちの熱量がここまでくるようだ。
ルドルフはまだ動かない。
まだ動かない。
行くべきだという気持ちを抑え、ただ心を鎮めてその時を待つ。
いつか、レッドさんがルドルフは理性で走るウマ娘だと言ったことを思い出す。
ここで動かない選択を取れるウマ娘が一体世界で何人いるだろうか。しかも、この日本ダービーという最高峰のレースでだ。
ルドルフは完全に本能と恐怖を理性で制御している。
ゾッとするほど冷静にレースを進める。
『まだシンボリルドルフ動かない! どうした、スタミナが持たないのか!? ビゼンニシキ、ここで我慢できずに動き出す! 早めの仕掛けだ!』
日本ダービーにはポイントがある。
それは第三コーナー前だ。
ここで好位置を取っていないと勝てない。
なぜ勝てないのかというと、ここが一番低い場所だからだ。ここからはコーナーを曲がり、急な上り坂がある。そこからは平坦だが、この第三コーナー前でちゃんと前を狙える位置を取っておかなければ直線で追いつけないのだ。
ルドルフの位置はギリギリ好位置と言ったところ。
そのポイントに差し掛かる直前だった。
ルドルフが悠然と動き出した。
『シンボリルドルフ動いた! すうっと前に上がっていきます!』
その光景を僕たちは過去に見たことがある。
その進出の仕方は、加速の仕方は……ルドルフの領域だ。
ここでさえ、雷鳴が聞こえてくるようだ。
皇帝の神威。
それがその走りに現れていた。
『上がっていく、シンボリルドルフ! 最終コーナーを曲がって、最終直線! ビゼンニシキ届かないか! ビゼンニシキ届かない!』
ルドルフはそのままの勢いで、どんどんと抜かしていく。
5番手、4番手、3番手……。
そして、さも当たり前のように先頭に立った。
観客は騒然とする。
その異常なほど強いレースをしているのにも関わらず、ルドルフには余裕すら見えたのだ。
僕にはにっとルドルフが笑った気がした。
そして、そのまま堂々と1着でゴールを駆け抜けた。
『ゴール!! シンボリルドルフ、着差以上のレースを見せました!! そして、2冠目! 残すところ、後1つで三冠ウマ娘の称号を取ることができます!』
終わってしまえば、危なげのないレースだった。
思わず、僕は笑ってしまう。
こんな暴力的な才能があるのか。
努力する天才に、僕たちはどう立ち向かえばいいんだ?
ちらりと隣を見ると、シービーも笑っていた。
まるで、自分のおもちゃを自慢するような笑みだった。
ルドルフがこちらを見る。
そして、2本の指を突き立てて、それを掲げた。
なんだよ。
そういうことか。
勝つところを見てほしいなんて、嘘じゃないか。
勝った時に僕たちがどこにいるかわかるようにここを用意したな。
この暴れん坊め。
爆発したように上がる歓声の中、ルドルフは満足そうに立っていた。
さて、僕たちはまだ仕事がある。
ウイナーズサークルの準備だ。
関係者の誘導を行う。
記者たちはそれに従って入っていく。
僕が来るように枠を空けた乙名史記者もいる。
僕の時はいろんな記者がいるが、ルドルフのウイナーズサークルに来るような記者は選別するように言ってある。
みんなちゃんと列を守って入ってくれている。
誘導が終わると、僕たちは配置に付く。
僕とシービーは入り口で遅れてくる人がいないかの確認。マルゼンスキーは舞台裏で待機。……というが、同じリギルかつ同じダービーウマ娘なのでマルゼンスキーは舞台で話してもいいと許可をもらっている。グルーヴちゃんは舞台前で記者たちが前に出すぎないように立っている役だ。
「……よし、いい感じだね」
「うん、もう少ししたら始まるね」
「長くなるだろうなぁ。あんなレース見せられたらアタシ走りたくなっちゃう。帰ったら走らない?」
「いいよ、トレーナーが許したらね」
「やった!」
そう話していると、誰かが廊下から来たようだった。
僕とシービーがそちらを見ると、子供が入って来ていた。
ウマ娘の子供だ。
鹿毛をポニーテールにし、見事な流星がついている。
キョロキョロと周りを見ているので迷子かなと思ったら、僕たちを見つけて近づいてくる。
「あ、あの」
「どうしたの? 迷子?」
「え、えっと、その……」
「焦らなくてもいいよ。ゆっくりお話ししよっか」
「うん、あの、人を探してて……」
「誰を探してるのかな?」
「し、シンボリルドルフさんです!」
その言葉に僕とシービーは顔を見合わせた。
「そうなんだ。僕はホワイトローヤル。君の名前は?」
「ボクの名前はトウカイテイオーって言います」
僕は目を瞬かせた。
トウカイテイオー。
知っている。
あのシンボリルドルフの息子の馬だ。
前世の世界ではシンボリルドルフは無敗の三冠を達成し、そして、その息子であるトウカイテイオーは同じく無敗で二冠まで上り詰める。
誰もが愛したと言われる名馬中の名馬だ。
なるほどねぇ。
僕は一人納得した。
「ちなみにこの人はミスターシービー」
「あ、その、こんにちは」
「はい、こんにちは」
シービーを紹介すると、トウカイテイオーちゃんはもじもじとしながらお辞儀をする。
シービーには憧れていないようだ。
「シンボリルドルフさんに会いたいの?」
「うん、さっきのレース、すっごくキラキラしてて、ボク、居ても立ってもいられなくて……」
「そっかそっか」
僕は悩む。
今はウイナーズサークルの時間だ。だが、それもいつ終わるかわからない。
トウカイテイオーちゃんはまさか一人で来ているわけではないだろう。だったら、帰る時間も決まっているはず。
ルドルフのウイナーズサークルの時間は長くなる。
終わってからだと会えないだろうなぁ。
「よしわかった、お姉さんが会わせてあげる」
「いいの、ラック?」
「いいのいいの。シンボリルドルフさんはこの部屋でインタビューを受けてるから、会いに行きな」
「えっと、その、怒られたりしないかな?」
「怒られる時はお姉さんが怒られてあげるから、大丈夫!」
「それ、アタシも怒られない?」
「このお姉さんも一緒に怒られるから大丈夫!」
「わかった!」
「わかっちゃったんだ」
「ありがとう、お姉さん!」
「いいよ、行ってらっしゃい」
トウカイテイオーちゃんはちょこちょこと歩きながら記者の群れに突撃していった。
ああ、何も正面から行かなくても……。
舞台ではマルゼンスキーとルドルフが丁度話している時だった。
「おめでとう、ルドルフ」
「ああ、マルゼンスキー。ありがとう」
「最高ね、この記録、この栄誉!」
「君たちが出走していたらわからなかったけどな」
そう話していると、「ごめんなさい!」とトウカイテイオーちゃんが記者たちをかき分けて前に出る。
それを見て、マルゼンスキーとルドルフとグルーヴちゃんは僕たちの方を見る。
ルドルフに手を振ると呆れたように肩をすくめた。
トウカイテイオーちゃんは意を決したように言う。
「ぼ、ボクは……ボクは! シンボリルドルフさんみたいな強くてかっこいいウマ娘になりますっ!」
その言葉に辺りは弛緩した空気が流れる。
ほほえましい光景だ。
「ふ、そうか」
「ふふ、君、それは大変よ? ルドルフみたいになるには才能と努力と運、この三つが完璧に備わっていないと、だからね」
「才能と努力と、運?」
「まだ子供には難しいよ。そうだな、それにはまず、トレセン学園に入学してくるんだ」
「はいっ!」
ルドルフはトウカイテイオーちゃんに視線を合わせる。
「君の名前を聞いてもいいかい」
「と、トウカイテイオーですっ」
「うん、覚えておこう」
ルドルフは優しくトウカイテイオーちゃんの頭を撫でた。
「さ、親御さんもいるだろう。あのお姉さんたちのところに戻れるかな?」
「はい!」
「いい子だ。行っておいで」
そう言って、ルドルフは僕たちのところへトウカイテイオーちゃんを戻す。
「……かっこよかったぁ」
「良かったね、トウカイテイオーちゃん」
「うんっ! ありがとう!」
「いいって。それで、お父さんか、お母さんは?」
「あ、置いてきちゃった」
「……そっかー、置いてきちゃったかー」
僕たちはトウカイテイオーちゃんの親御さんを探し回る羽目になったのだった。
実害が出始めた。
それを予期していなかったわけではない。
ずっといたずら電話やファンレターと言う名の誹謗中傷を握りつぶしてはいたが、それでも俺が対処すればいいだけであって、害というほどではなかった。それに何かをされる前に対処できるように準備をしていた。移動はこちらで徹底的に管理をしていたし、知らない人間が近づくようなことをさせなかった。
実際、あいつは知らないが、俺も一度暴漢を捕まえている。だが、それも偶然だ。暴漢はあいつに気づかれることさえできなかった。
だが、とうとうウマ娘にまでそれが波及することになった。
トレーナーはレースに手が出せない。
それは当たり前のことでそもそもターフにはウマ娘しか出ないからだ。
あいつにもいつも口を酸っぱくしてラフプレーをするようなやつとは一緒に走るなと言っておいたのだが、あいつは走りを完成させることを優先させたようだった。
それにひき逃げで捕まった男。
一部の盲目的な者たちの中では、「よくやった」とはやし立てられている。
犯罪を肯定するのかというどす黒い気持ちが腹の中で渦巻くが、そういう人間をこの世から消すことはできない。
むしろ、この事件はそういう人間をはっきりさせた、ともいえる事件だ。
あいつが身を削ったものは、どんなものだろうと無駄にはしない。
俺が作ったそういうやつを集めたブラックリストは理事長やシンザンが有意義に使っている。
人気のレースは席が抽選になるのだが、その中の者は弾かれたりするようになっているのだ。
あいつへのいじめもある。
ラックは精神的に成熟しているし、それに対処しているようではあるが意味を成しているのかはわからない。
時間がある時は俺がそばに居られるようにはしているが、普段トレーナーは学び舎に入ることはない。……一度それをしようとしてラックに怒られたこともある。
そして、なにより京阪杯でのURAの対応だ。
URAは京阪杯での事件の対応をミスした。責任問題から逃げ、学園の処罰の決定に従っただけだった。大半の人間にとっては学園=URAと考えているようだから大きなバッシングを受けることはなかったが、水面下では様々な噂が錯綜しているようだった。
それはラックへのヘイトと合わさって、『URAとブラックトレイターは癒着しているのではないか』というものも出てきていた。つまり、ラックの悪役としての一連の騒動がURAの所為ではないかという噂が出てきたのだ。
リボンパックに処罰が下ったが、ラックには処罰が下らずに説明もなかったからだ。明らかにヘイトが暴走し始めていて、それをURAは制御しきれていない。
『トゥインクルシリーズの汚点』という蔑称は急速に広まり始めてしまっている。
もう、URAがラックを守る理由よりもラックを切る理由の方が大きくなり始めてしまった。
ラックは自覚がないようだが、ここが限界だった。
「やあ、来る頃だと思っていたよ、トレーナーくん」
「シンザン……いや、URA会長補佐と言った方がいいか?」
「ふ、シンザンでいいよ。この地位は君たちを利用して築き上げたものだ」
俺はURA本部へ来ていた。
シンザンに会うためだ。
その部屋はシンザンに個別で割り当てられたものだ。
どこかトレセン学園の生徒会室に似ているように思えた。
そこで俺はシンザンと二人きりで会っていた。
シンザンは驚くほどのスピードで出世していた。
まず、自分のアイドル性を最大限に利用し、広告塔になりURAに必要な立場を作った。
そして、広告塔として意見をするという名目でURAの重要な会議に自分をねじ込んだ。
そのまま魑魅魍魎渦巻くURA役員会議を政治的な立ち回りで圧殺し、会長補佐という地位を手にした。
それをたったの1年でやってのけた。
それはもちろん、ラックのおかげでもある。
ラックをURAに推薦したというのはシンザンの切り札でもあった。
そして、その切り札は今なお成長し、URAにとっても重要なものとなっていっている。
むしろ、ラックがいなかったら今もURAの平社員みたいなものだったと本人は言った。
「それで? 憎きURAに何の用だい?」
「来る頃だと思っていたと言った。お前は俺が来ることを知っていたんだろう? そういう問答は止せ」
「ふ、私もここに染まってしまったかな。すまなかった。君の用はわかっているとも」
シンザンは憂いのある表情をして肘をつく。
そして、俺を見ながら言う。
「その前に、お礼を言っておこうかな」
「礼?」
「ああ。君たちは私の力になってくれた。君たちの活躍もそうだし、君とブラックトレイターが作ったブラックリストは大いに役に立った」
「ラックのブラックリスト?」
「そうだよ。あの子も作っていたんだ。主に記者たちのブラックリストだよ」
そんなことをしていたのか。
だが、俺に言えば作ったのに。
いや、言われなくても作ったのだが。
「君たちはよく似ているね。一部、ほとんど同じ書類を提出するからデジャヴでも起こったのかもと思ったよ」
「……礼はあいつに言え」
「それに、君たちが起こした事件はこの組織の問題点を浮き彫りにしてくれることが多かった。本当に感謝するよ」
「俺はほとんど何もしていない」
「それでもさ。……だって、もうお礼も言えなくなるのだろう?」
シンザンは確信を持った声色で言う。
「お前が言ったんだ。俺の復讐も、望みも叶うことはないと」
「ああ、確かに言ったとも。だけどね、トレーナーくん。私はそんなことをしなくてもいいと思っているんだ」
その言葉に俺は返事を返さない。
俺の中では決定事項だからだ。
シンザンもそれがわかっているだろうに、言葉を続ける。
「君の憎んだ役員は未だ失脚していない。ずいぶんと重役になったようだしね。あれだけ必死に心を固めて進んできた復讐を手放すって言うのかい? ここまで来たらもう少しなんだよ。トレセン学園だって憎かったはずだ。その中でずっと過ごしてきた甲斐がなくなってしまうぞ。今のままだって、私はできる限りのことをすると約束する」
「いいんだ。確かに憎い。今もそうだ。だけど、俺はあいつとの約束がある」
「……約束?」
「あいつの後輩をしっかりと支えることだ。だけど、それももう叶わない。俺じゃ……いや、誰にもあいつを守れないからだ。だったら、せめてできることをする。このままだとあいつは害されるだけだ。こびりついた悪評は『悪役』をするには悪すぎた」
「ブラックトレイターは傷つくだろう。もしかしたら走ることを辞めるかもしれない」
「大丈夫だ。あいつは成長した。何者にも負けない精神を持っていることを俺は知っている」
「それがブラックトレイターを傷つけていい理由になるのかい?」
俺は少しだけ笑った。
「独りよがりだと思うか?」
「もちろん」
「そうかもな。だけど、俺があいつのためにできることの最後の一つだ」
「よしんばそれでブラックトレイターが進んだとしても、レースで勝てるかは別問題だ。そこはどう思うんだい?」
「舐めるなよ。俺が育てたウマ娘だ。俺の愛バだ。あいつは……世界一のウマ娘なんだぜ」
そう言うとシンザンはため息を吐いた。
そして、立ち上がる。
「いいだろう。君は度し難いほどにトレーナーだ。バカ者め」
「ありがとう、シンザン」
「いいさ。わかっていたことだ」
シンプルなタイトルも好きです。
皇帝と帝王、どちらもエンペラーなんですね。なんとなく別の英単語なんだと考えてました。
明日は3話投稿です。
お見逃しのないようお願いします。