去年の有馬記念で驚いたことがある。
それは僕が人気投票で出走できたことだ。
有馬記念は人気投票で出走が決まる。もちろん、収得賞金で出走できるが、優先出走権は人気投票で決まる。
調べてみたところ、人気1割、大きな舞台で僕を倒してほしい気持ち9割くらいで人気が集まっていた。
それは宝塚記念でも同じだった。
宝塚記念には僕を倒したスズカコバンちゃんが出走する。
また僕を倒してくれるのではないかという期待からスズカコバンちゃんの人気と共に僕への投票も多くなっていた。
パンパンと僕は自分の頬を張る。
気合は十分だ。
あの時、僕を覚醒させたのは間違いなくスズカコバンちゃんだ。
僕はライバルに恵まれていると思う。
シービーにモンスニーちゃん、そして、スズカコバンちゃん。
負けていいレースなんてない。
だけど、やはりライバルとのレースは勝ちたいと思う。
「トレーナー」
「なんだ?」
「僕の完成度はどのくらい?」
「そうだな、完成度というのは一概に測れるものではない。だが、あえて言うのであれば最高潮だ」
「うん、トレーナーのおかげだ」
「……ああ、やれるだけはやった。後は、お前次第だ」
「ありがとう。任せて」
僕は一度大きく深呼吸をして、顔を上げる。
「よし、行ってくる」
「ラック」
「うん? なに?」
「……ありがとう」
「え、なにさ? 急に?」
「いや、言っておこうと思ってな」
「もう、感謝してるのは僕だから。トレーナーがいなければここまでこれなかった。ありがとね、トレーナー」
「ああ、お前の道はこれからも続く。頑張れよ」
「はは、素直だね、トレーナー」
「今日くらいはな。勝ってこい、ラック」
「もちろん! 勝ってくるよ、トレーナー」
僕は拳をトレーナーに突き出すと、トレーナーはそれに拳をぶつける。
気合は、最高だ。
パドックへ行くと、そこにはすでにスズカコバンちゃんがいた。
僕はスズカコバンちゃんの元へ行く。
「スズカコバン」
「……ブラックトレイター。珍しいのね、そっちから声をかけてくるなんて」
「俺だって、ライバルには声をかけるさ」
そう言うと、スズカコバンちゃんは目を瞬かせる。
「ライバル……」
「ああ、そうだ。お前は俺を下した数少ないウマ娘だ。だから、鳴尾記念の借りは返す。本当なら、大阪杯で返そうと思ったんだがな」
「……大阪杯はトレーナーが止めて……」
「ま、それはいい。この大きな舞台でお前に勝つことができるんだ。文句はねえさ」
そう言うと、胸の前で手をきゅっと握りしめるスズカコバンちゃん。
そして、正面から僕を見る。
「私も、負けないわ。今日も勝ってみせる」
「楽しみにしている」
にっと笑って、僕は自分のアップに戻ることにした。
パドックでの紹介は間もなく始まる。
僕は14人中7番目だ。
スズカコバンちゃんは9番目。
僕らは真ん中くらいだ。
可もなく不可もなくといったくらい。
パドックの紹介が始まってから少しして僕は呼ばれる。
表に出ると、大勢の観客が僕を見ていた。
『4枠7番 ブラックトレイター』
僕は、仰々しい仕草で礼をする。
そして、不敵に笑う。
「よう、まず礼を言わせてくれ。人気投票ありがとう。お前らの期待に応えると誓おう」
「ひっこめえ!」
「誰がてめえに入れるか!」
「お前はスズカコバンにまた負けるんだ!」
「不正してるんじゃないのか!?」
「負けちまえ!」
その罵倒を僕は受け流す。
宝塚記念ということもあり、観客の人数も罵倒も多い。
冷静に見渡してみれば、僕のトレードマークである馬の意匠を凝らしたアイテムを持っている人もいる。
きっとルドルフが見せてくれたSNSの人たちだ。
物を投げられる前に僕は裏に引っ込むことにした。
いつものことながら、次のウマ娘の子には嫌な視線を向けられる。
ごめんね、こんな空気にしちゃって。
問題があるのは僕の番なだけで、パドックはつつがなく終わる。
そして、僕らはターフに移動する。
ターフは少し重めだ。
だが、僕のパワーなら問題はない。
……というか、僕は重い方が好みだったりする。
今でさえ等速ストライドでどんな芝でも適応できるが、クラシック期では小雨くらいなら降ってほしいなと思っていた。
『人気上位のウマ娘を紹介しましょう。この人気は不満か、3番人気ジャラジャラ。多くの人気が集中しました2番人気、スズカコバン! そして、連対率100%、その連対数はあのシンザンに迫りますブラックトレイター1番人気! デビュー戦から初めての1番人気です。……ゲートイン開始です』
確かに。
人気というと語弊があるが、それでもここまで僕に票が集中するのは未来永劫ないだろうな。
そんなことを考えながら僕はターフを見る。
禿げている部分もない。
なら、大丈夫だ。
今日は逃げのウマ娘が僕しかいない。
だから、ペースは僕が握れる。
順番が来たので、僕もゲートインする。
『各ウマ娘、ゲートイン完了しました。――今、スタートです!』
僕は勢いよくスタートを決める。
宝塚記念は最初の直線が長い。500mと少しある。その途中に急な上り坂もある。だからもし、他に逃げウマがいた場合、先頭争いはコーナー前までで終わっていただろう。
先頭争いをする必要はない今日、僕は抑え気味に走るのがセオリーだろう。
だが、そこで僕はあえて速度を上げていく。
『ブラックトレイター、するすると上がっていきます! すでに5バ身以上の差がついています!』
宝塚記念はそのレースの特徴からしてレースタイムは早くなってしまう。
だから、後の息の入れる場所が重要になってくる。
このままいけば僕は登り切った平坦なコーナーか、その先でしっかりと息を入れることができる。ちらりと後ろを見れば、後続が焦り始めているのが見える。その中で焦っていないのは、スズカコバンちゃんくらいだ。
やはり、このレースで勝負しないといけないのはスズカコバンちゃんだ。
ここで焦ってはいけない。
宝塚記念は末脚の粘り強さとその速さが重要になってくる。
僕につられて焦ったウマ娘はタイムの早いペースにつられて中途半端になってしまう。最後の直線の末脚が鈍る。
だが、僕はスズカコバンちゃんにそれでいいのかと押し付ける。
『ブラックトレイター、急勾配も止まらない! 来てみろとばかりに走る! とんでもないペースになっています! 後続もそれに引きずられるように速度が上がっていく! 縦長なレース展開となりました!』
坂でも止まってやらない。
僕はあのミスターシービーを相手にしてきたウマ娘だ。坂くらいいくらでも登ってやるさ。
それがプレッシャーになったのか、スズカコバンちゃんも速度を上げる。
だが、それすら抑え気味だ。
強い心臓だ。
坂を上り、コーナーに差し掛かった僕はいったん息を入れる。
ここでしっかりと息を入れておかないと、ラストがきつくなる。
『ブラックトレイター、早くもコーナーを曲がり切ります! 息を入れるが、以降はペースが落ちない! 後続は追い付くことができるのか!?』
宝塚記念は前半が重要なレースだと僕は考えている。
前半の強い競り合いの中でどれだけ足を残せるのかがポイントだ。
そう言う意味では僕はすごく有利だ。
後半は急展開となる。
そして、参加するウマ娘はそれがわかっている。
バックストレッチでは仕掛けてくることはなかった。
流石、上半期上位の実力者。
最初こそ、僕に惑わされることはあったけど、ちゃんと自分のレースをしようとしている。
なら、僕も僕のレースをするだけだ。
僕は一定の距離を保ちながらそのまま突き進む。
『さあ、バックストレッチを進み、もう少しでコーナーへ入ります! コーナーは緩やかな下り坂になっています!』
さあ、来るだろう。
君はここで来るはずだ。
そうでないと勝負にならないのだから。
『スズカコバンいち早く仕掛けた! スパートには長い距離だ! そのタイミングが吉と出るか凶と出るか!』
コーナー前でスズカコバンちゃんが仕掛ける。
差しウマであるスズカコバンちゃんはやはり末脚がある。
だが、ここの最終直線は短い。
最初の直線より200m近く短い。
だからこそ、どこで仕掛けるのかが重要になってくる。
だが、僕は大きく逃げている。
だからこそ、早めに仕掛け、僕を捕まえないといけない。
スタミナ不足を克服していなければこの時点で僕の勝利は確定していただろう。
スズカコバンちゃんは僕を追ってくる。
だが、僕とて追い付くことを許すことはしない。
『さあ、コーナーを曲がっていく! 先頭は相変わらずブラックトレイター! 懸命に追うスズカコバン! じりじりと追いすがる! ここで他のウマ娘も仕掛ける! 足は残っているのか!?』
僕はリードを保ったまま最終直線に入る。
ここからは根性勝負だ、スズカコバンちゃん。
「……っ! ブラック、トレイターっ!」
「来てみろ、スズカコバンっ!!」
迫ってくるスズカコバンちゃん。
だが、その距離を縮めるのにはあまりにも緩慢だった。
『ブラックトレイター、ゆるまない! 速度は落ちない! なんというスタミナ! なんという根性だ! 今、1着でゴールイン!!』
思わず僕は拳を握りしめる。
勝った。
今度は僕の勝ちだ。
直線の加速、上り坂の足、コーナーの息、末脚。
適確に走れたと思う。
この大舞台で、僕は自分の実力を確認できた。
着差以上の走りができたといえる。
周りを見渡すと、スズカコバンちゃんが膝に手をついて立っていた。
僕はスズカコバンちゃんに近づく。
「スズカコバン」
「……ブラックトレイター」
「今日は俺の勝ちだ」
「……ええ、そうね」
「次はいつだ?」
「え?」
「次の目標だ。天皇賞には出るか?」
「……ええ、出るわ」
「よし、じゃあそこでも勝負だ。次も勝つ」
スズカコバンちゃんは小さく笑った。
「負けず嫌いなのね、あなた」
「あのな、お前に言われたくないぞ。俺にここまで突っかかるのは今となってはシービーとお前くらいだ」
「そうね、そうかも。次は勝つわ」
「やってみろ」
僕は大満足の結果で宝塚記念を終えることができた。
しかし、僕の本当の闘いはこれからだったことをすぐに知る。
『英雄たちは人生を決める戦いの時には、一人で戦わないといけないのさ』
――レッドさんのその言葉の意味を本当の意味で知ることになるのだ。
今日は21時半にももう一度更新します。
御見逃しのないようお願いします。