出会いがあれば、別れもある。
そんな歌が町で流れていた。
僕は今となってはくそくらえと思う。
確かに出会いがあれば別れがあるのは必定だけど、だからと言ってしたり顔でそんなことを言うのは間違っている。
それがどれだけ自分にとって重要なのかから目を背けているだけなのだから。
トレーナーは手紙と共に、僕のトレーニングメニューを考えていてくれた。
ずっと書いていたのはこれだったのだ。
ただ、怪我をしないように僕の面倒はカノープスやスピカ、リギルにトレーニングの監視は頼んだということらしい。
僕は理事長のところへ行った。
トレーナーの居場所を教えてもらうためと、話を聞くためだ。
トレーナーは待っても探しても会うことはできなかった。
理事長室に入ると、理事長とシンザン会長がいた。
「む、ブラックトレイター」
「やあ、久しぶりだね、ブラックトレイター」
「会長……」
「私はもう会長じゃないんだけどね……」
「どうしてここに?」
「君のトレーナーくんのことで理事長と話があってね」
「僕の……?」
僕はまじまじと会長の顔を見てしまう。
だけど、僕にはその話を聞く余裕なんてなかった。
「……理事長、トレーナーがどこにいるか教えてください」
「ブラックトレイター、それは……」
「残念だが、トレーナーくんは君とはもう会えない」
僕に返答したのは会長だった。
首を傾げて僕は問う。
「どうしてですか?」
「そんなにおっかない顔をしないでくれ。これは君のためなんだよ、ブラックトレイター」
「どうして……それが僕のためになるんですか?」
「君のトレーナーくんは罪を被った。だから、君と会っているところを知られればまたあらぬ噂が立つだろう。それだけは避けなければならない」
「だから! そんなことはどうだっていいんです! 僕の噂なんてどうだっていい! トレーナーに会わせてください! 僕はトレーナーがいないと……」
「走れないのかい?」
僕はその言葉に一瞬黙る。
だけど、すぐに返事をする。
「はい」
「嘘を吐くな、と言いたいところだが、君の場合わかっていないだけなんだろうね」
会長はため息を吐く。
そして、僕にソファに座るように言った。
僕はそれを無視しようとしたけど、会長は有無を言わさなかった。
このままだとトレーナーの居場所も聞けなさそうだったので、僕は従った。
「まず、説明させてほしい」
「それを聞いたら会わせてくれるんですか? 正直言うと僕はあなたたちを信じられなくなってきています」
「わかった。話を聞いてなお会いたいというのなら会わせてもいい。なんだったら一筆書いたっていい」
「シンザン! それは約束が違うのではないのか?」
「理事長、いいんです。それにあなたはお疲れでしょう。ここは私に任せてください」
理事長はその言葉に少し躊躇して、頷いた。
「まず、君はあのままだとトゥインクルシリーズで走れなくなる可能性があった」
僕は黙ってそれを聞く。
「君は悪役としてではなく、悪として広まりすぎた。それが誰かを助けるためだったとしても、君の存在は大きくなりすぎたんだ。君がトゥインクルシリーズの汚点と言われているのは知っているだろう?」
「……」
「このままだとURAは悪役をすることを許したことがバレてしまう。だから、君を切ることを考えていただろう。その前にどうにかする必要があった。ギリギリだったよ」
「それがトレーナーをスケープゴートにすることですか」
「その通りだ。我々は君の悪行は全くなく、騙されたウマ娘として扱うことにした。URAが君をレースに出し続けていた判断は間違っていないとすることにしたんだ。だから、おすすめはしないけど君の演技は続けてもらっていい。今度こそちゃんとヒールとして受け入れられるかもしれないね。それでもトカゲのしっぽ切りだとか言う連中は徹底的に潰している」
「……つまり、URAの保身のためですか」
僕は会長を睨みつける。
だが、会長は少しも表情を変えずに言う。
「そういう側面もある」
「ふざけないでください、そんなことのためにトレーナーは……」
「そんなことのためにトレーナーくんは君の罪を被ったんじゃない」
会長は僕の言葉を遮って言った。
「トレーナーくんはURAを憎んでいた。それだけじゃない。トレセン学園だって憎んでいたんだ。憎い相手に囲まれるという地獄に居ようとも成し遂げたいことがあった」
「じゃあ! どうして!」
「それは、それを捨ててでも君を護りたいと願ったからなんだよ、ブラックトレイター」
僕は目を見開いて会長を見た。
会長はゆっくりと目を瞑り、そして、僕を見る。
「何年も何年もやろうとしてきた復讐を捨てて、その憎い相手を護ることをした。君に、そんなトレーナーくんの気持ちがわかるか?」
「トレーナー……」
「その覚悟も君への愛も、君は踏みにじれるのか、ブラックトレイター」
「ぼ、僕は……」
「手紙を残したと聞いた。そこには何が書いてあった。トレーナーくんは君に何を残してくれた。私たちのことは信じなくていい。だけど、トレーナーくんは何を望んだのか、よく考えてくれ」
僕はとうとう言葉をなくした。
会長は優しい目をして言った。
「トレーナーくんから受けた愛を、疑わないでほしい。彼は何を犠牲にしてでも君を愛したんだ」
僕はトレーナーに会いたいなんて、もう言えなかった。
僕のやることは変わらない。
変われない。
だって、トレーナーが願ったのは僕の勝利だ。
だから勝たないといけない。
ちゃんとレースに出て、勝たないといけないんだ。
「そう思ってるんでしょ」
僕は顔を上げた。
シービーだ。
「どう、思ってるって?」
「勝たないといけないって。トレーナーのためだもんね」
「ふ、ふふ、僕ってそんなにわかりやすい?」
「アタシはずっと君を見てきたから」
「そっか」
シービーは僕に近づいてくる。
頬でも叩かれるかなと思った。
シービーは意外と厳しいから。
だけど、そんなことはなくて、ただ抱きしめられた。
いきなりのことで僕は体を固くすることしかできない。
「ラック、いいよ。それでいい。アタシは君がそう思うなら、それでいいと思う」
そう優しく言われる。
なんだよ。
ずるいなぁもう。
何度も泣いたってのに、また涙が出てくる。
「……わかってる。わかってるんだよ、シービー」
「うん」
「僕は悪いことをしていたんだって」
「そうだね」
「結局、誰かの為って言いながら、僕は自分のために走った」
「そっか」
「僕はそこにいてもいいって思うために走った! トレーナーは僕の理由だった! 僕の居場所だったんだ。だから、勝利を願ってるって書かれてて、僕は安心したんだ。まだ、走ってもいいって。嫌だ。僕はこんな僕が……嫌いだ」
シービーは僕の涙をぬぐう。
そして、微笑む。
「ラック、それでいいんだ。勝とう。君にできることはそれだけだ。だって――」
――そうやって、アタシたちは生きていくんだから。
「でもね、これだけは知っていてほしい。アタシは君が好きだ。ルドルフもマルゼンスキーも、モンスニーもカールもみんな君が好きだ。君一人が君を嫌いになったって、みんなが君を好きだ。ここが君の居場所なんだよ」
シービーは僕の頭を撫でる。
「それに、忘れた? 最強の座を懸けて走ろうって。だから、全部忘れていい。誰がいなくなっても、アタシがいるよ」
それは毒だった。
甘い甘い毒。
溺れたら、戻ってこれないような。
この世界に生まれた時から感じていた孤独感が最近は少なくなっていた。
僕はいつの間にかエーちゃんとトレーナー以外に居場所を見つけていたんだ。
だけど。
だけどね、トレーナー。
僕は君の隣にいたかった。
居場所があってもなくても君の隣が良かったんだ。
でも、もう戻れない。
自業自得だろう。
僕はトレーナーがどんな気持ちでいたのかなんて理解しようとせずに、自分のことばっかり押し付けていた。
そんな罪深い僕をトレーナーは愛してくれた。
許してくれた。
僕はトレーナーのことを悲しもう。
僕はトレーナーのことを惜しもう。
僕はトレーナーのことを想おう。
それが正しいことかはわからない。
けど、決心がついた。
もう弱い自分とは決別しないといけない。
せめて僕はトレーナーに報いないといけない。
『さよならだ、ブラックトレイター』
さよなら、弱い自分。
この涙と共に、決別しよう。
「ありがとう、シービー」
「いいよ、ラック」
それからシービーは僕の手を引いてスピカに誘った。
僕はその誘いを断ることはしなかった。
チームには所属しないけど、お世話になろう。
そんなわがままを沖野トレーナーは許してくれた。
「ブラックトレイター、お前はどのレースに出るんだ?」
「天皇賞とジャパンカップ。天皇賞はその前の毎日王冠も出たいです」
「そうか」
本当は高松宮記念も出ようと思っていたけど、僕はそれをやめることにした。
トレーナーがいない今、僕の精神が安定していない自覚はある。
だから、適正距離外のレースはやめることにしたのだ。
冷静じゃいられない時のレースなんて、常に出遅れと掛かりになっているようなものだから。
「沖野トレーナー、出走登録だけお願いします」
「……ああ、わかった。無理だけはするなよ」
「はは、もう正直無理してますよ。でも、やらないといけない。そういう時はあるでしょう?」
「……そうかもな」
トレーニングはトレーナーが書いてくれたものをすることにした。
等速ストライドは完成した。
だが、同時に等速ストライドは未完成だ。
何故ならこの走法はスキルを磨けば磨くほど、覚えれば覚えるほど強くなっていく走法だ。
基礎的な身体能力が限界値を迎えたのなら、それを補うものを得ればいいという理論の下作られたものだと今ならわかる。
夏合宿はスピカにお世話になる。
合宿所はいつものところではなく、リギルなどが使っていた場所を使うことになった。
まあ、シービーがいながらぼろい場所を使う意味はない。
沖野トレーナーは知り合いのチームは全部そこを使うだろうと言っていた。
あれから1ヶ月あまりが過ぎた。
僕の最後の夏が始まろうとしていた。
トレーナーは『わかりやすい指標』として復讐を捧げて、愛を証明してみせました。