URAの内情をずっと調べてきた。
そして、この組織が変わりつつあることを実感する。
純血主義は絶対ではなくなりつつあるし、今まで幅を利かせていた連中は世間体や良家におびえている。
だが、変わりつつあるだけで、変わってはいなかった。
差別はなくならず、特定のウマ娘だけを優遇し、利益を追求する。そして、自身の身が危なくなったら他人に責を押し付け逃亡する。
それがURAだった。
私はこの1年で重要なポストに座ることが出来た。
トレーナーくんが罪を被ってくれたことも立場という点においては私にとって有益になった。
本来ならばURAに大きな損害を与えるような事件だったにも関わらず、私はスケープゴートを用意してURAを救ったという風に考えられているのだ。結果的に悪役であるブラックトレイターを失ったが、罪を被っていた悲劇のヒロインという立場になったので、URAの何かが変わったというわけでもない。
こんな欺瞞に騙される民衆はバカだ。
とは言わない。
騙しているのは私なのだから。
それにあの記者会見がおかしいものだと気づいている人はいるはずだ。だが、ほとんど情報を持ち合わせない大半の民衆はわかりやすい悪者を叩く。だから、トレーナーくんが悪人だということになんの疑問も抱かない。そして、おかしいんじゃないかという意見はトレーナーくんが悪いという意見に圧殺される。
そうでなかったとしても、私たちが不都合な意見を消す。
URAは信用を落とさずに事件を切り抜けることが出来た。
そして、結果的に私はURA内部での不動の信用を得ることができた。
そこまでしてようやく知ることができたことがあった。
テンポイントの事件のことだ。
あの事件はURAとしても不慮の事故だったと言わざるを得ないが、それでもあの事件の元凶はURAの過失だった。それはURA関係者ならば誰でも知っていることだ。
だが、当時テンポイントの事故を誘発させた元凶に関しては誰もが口をつぐんだ。だから、私は元凶はまだ失脚しておらず、トレーナーくんの復讐がまだ完遂されていないことを推測できた。
トレーナーくんを犠牲に得た信用で私が知ったのはその元凶だ。
ここまでしてようやく知ることができたのだから、トレーナーくんは知らなかった可能性が高い。かたっぱしから怪しいやつを追放しようとしていたのだろうか。いや、手段は重要じゃなかったのかもしれないな。きっと、彼にとって復讐をしようとすることが大切だったのだろう。
そして納得する。
確かにその元凶を口にするのは憚られる。口にしたことがバレたらもうここにはいられないのだから。
テンポイントの事件の元凶は現URA会長だ。
私は部屋で一人、どうするのかを悩む。
URAは内部が腐っていたどころの話ではない。頭まで腐り切っていたのだ。現会長を失脚させるのは難しい。だが、もう歳だからそのまま会長が代わるのを待つのが正しいように思える。
もし仮に無理矢理頭を切り取ったとして、どれだけの被害が及ぶ?
信用問題は免れない。それは当たり前だ。どうあってもURAは揺れるのだから、今いるメディアもURAを変えようと叩くだろう。
それに頭だけを代えても意味がない。腐っているのは頭だけではないのだから。また時間をかけて頭まで腐っていくだけだ。
逃げられないように一挙に摘発しないといけない。
また被害が増えるだろう。
腐った職員もURAの一部ではある。それを切り取ったならどうあっても傷になってしまうだろう。
どうしても、徐々に浄化していくのが正しいように思える。
電話が鳴る。
内線ではないので外からだ。
取ると秋川理事長だった。
『失礼! 今時間はあるだろうか?』
「ええ、他でもない秋川理事長のためならば」
私と秋川理事長は親しい仲と言っても過言ではない。
理事長になる前からの関係であるし、選手だった私をずいぶんとサポートしてくれた恩人でもある。
そして、今はトゥインクルシリーズを良くしようとする同志でもある。
秋川理事長はずっと学園でウマ娘のために行動してきた。
自らが稼いだ私財を投じることになんのためらいのない人で、学園のウマ娘をずっと守ってきた人だった。
秋川理事長になる前まで学園はずっと殺伐としたもので、勝てなきゃゴミを地で行くような世界だった。だから、秋川理事長は天真爛漫なテンポイントを好いていた。
テンポイントの事件の前に、理事長は私に少しだけ話をしてくれたことがある。
『私はあのようなウマ娘が多く活躍できる学園を作りたい』
『テンポイントですか?』
『ああ。レースだけじゃない、みんなの夢になるようなウマ娘が活躍する学園だ。しのぎを削って、互いを敬い、レースに熱中する』
『確かにテンポイントとトウショウボーイのレースは熱かったですからね』
『ウマ娘が夢を叶える姿を見たい。それが私の学園のウマ娘だったら私は嬉しいんだ』
理事長はまぶしそうに目を細めて言った。
私もその夢に同調した記憶がある。
電話越しの理事長は真面目な声色で言う。
『シンザン、早速で悪いのだが、相談がある』
「相談? いいですよ。珍しいですね、理事長は思いついたらすぐに行動するから相談はあまりしないのに」
『今回ばかりはそうはいかないのだ』
そう言われて、私はいくつかの想定をする。
何かURAを通して大きなイベントでもしたいのだろうか。あるいは、学園で理事長だけでは解決できない問題ができたか。
後者の場合はすぐに対処しないといけない。外部にバレる前に対処できるならしておきたい。今は色々と世間も揺れているからだ。
「そうですか。私にできることならなんでもしますよ」
『ありがたい。……君は黒沼トレーナーの件に関して多くを知っていると聞いた』
「そうですね。黒沼さんが最初に相談したのは私だったと思います。URAの協力がなければできないことでしたから。それで、それがどうかしました?」
『うむ。彼の行動は私としては許容できるものではなかった』
「……それは彼に対して怒りを感じていると?」
『……そうかもしれぬ。どうして今なのだと何度も思った。私は彼にトレーナーを続けてほしかったからだ』
「それは……」
不可能だ。
もう無理な話。
だが、それは理事長もわかっているようだった。
『だが、もうどうにもならない。だから、彼が護ったものを護ると誓ったのだ』
「ブラックトレイターですか?」
『そうだ。だが、私だけでは護れないかもしれないと感じた』
「? もうブラックトレイターは悪者ではなくなった。だから、あのまま走っていけば名誉挽回とは行かなくても、虐げられることはなくなると思いますよ。そのために色々と動いているのですし」
ブラックトレイターはURAと一蓮托生と言っても過言ではない。
いざとなったらURAはブラックトレイターを切るだろうが、現状彼女を手放す方がデメリットだ。
『確かにそうかもしれない。だが、そうではないかもしれない』
「ずいぶん抽象的ですね。不安なのですか?」
『不安……いや、どちらかと言うと不信だ』
その言葉に私は目を閉じた。
そうか。
理事長が言いたいことが少しだけわかってきた。
理事長は具体的な問題ではなく、URAの在り方に疑念を抱いているのだ。
それもそうだ。
このままの腐ったURAだったなら、ブラックトレイターだけではなく学園のウマ娘がまたURAの思惑に踊らされるかもしれない。
もうそんなのは御免なのだろう。
『URAはウマ娘を食い物にしようとしているように思えてしまう。だから、私は学園とURAを変えたいんだ』
「具体的にはどのように?」
『今すぐにでもURAの腐った部分を切除したい。URAが利益を重視するのはわかる。金は必要だということも。だが、それでウマ娘を不幸にしてしまうのは間違っている。――だからシンザン、君がURAのトップになってくれないか』
その言葉に私は少し黙った。
URAのトップに。
私が会長になるということ。
今、私は会長補佐だ。
だから、確かに会長の立場は近い。
幾度もURAに利益をもたらしてきたから会長からの信頼もあるだろう。そう言う風に動いてきたのだから。実績だってないとは言わせない。そのために生徒会長の時からずっと関わってきた。
だが、それとこれとは別だ。
URAの上層部は保身に必死だ。
それは自分が助かればいいという考えをしているからだ。
そんなやつらが自身の立場を明け渡すわけがない。
「……理事長、聞かなかったことにします。あなたなら、その言葉の意味がわかるでしょう」
『ああ、わかる。URAはトレセン学園の運営母体だ。だから、URAに不都合な動きをしたなら私はクビだろう』
「そうです。だから、聞かなかったことにします。正確に言うのなら、あなたがクビになる可能性は低い。今、界隈全体が揺れている中、URAとしてもこれ以上の問題は避けたいはずだ。ですが、あなたはペナルティを課せられるだろうし、あなたの創った学園が壊されてしまう可能性が高いんです」
そう言うと、理事長は少しだけ黙った。
その沈黙を私は躊躇だと思った。そして、今の発言は撤回されるだろうとも考えた。
だが、秋川理事長は私の予想に反したことを言った。
『――私は、いくつもの罪を犯した』
「罪?」
『私は学園を自分の箱庭にして、その中の汚れも、その外にある世界にも目を向けなかった。私の創った学園に一体どれほどの価値があると思う? 私と、私が創った箱庭が一体どれほどの罪を犯したと思う? 私は変えたいんだ。もう逃げたくないんだ』
私にはわからなかった。
秋川理事長はただ努力した。
ウマ娘のために、学園のために、トゥインクルシリーズのために努力した。
その思想は決して罪などではなかったはずだ。
「私にはわかりませんね。あなたの努力は褒められこそすれど、罪ではない」
『肯定。私だって、全てを否定する気はない。だが、誰かの助けになるからと、犠牲を許容してもいいのか? それで成り立つ学園が正しいと言えるのか?』
「……だとしても、それはあなただけの罪ではないはずだ」
『そうかもしれない。自覚があろうがなかろうが、学園に……いや、トゥインクルシリーズに関する者は全員そうだ。ただ走るウマ娘も』
「……理事長。言いたいことはわかりました。ですが、それは無理です。あなたの気持ちがあろうと、URAをすぐに変えるのは難しい。あなたの言葉を借りるなら、それで新たな罪を犯しかねない」
そう言うと、私がどういう立場でどういう考えをしているのかわかったのか理事長は言葉を重ねるのをやめた。
「URAは変わっていきます。それは保証する。ですが、今は時間が欲しい。罪のない者まで巻き込みかねない」
長い沈黙だ。
ウマ娘は夢を見て、夢を見せる存在かもしれない。
だが、今の我々の前にあるのはただの冷たい現実だ。
それでも変えたいというのならば、新たな犠牲を覚悟しないといけない。
秋川理事長は最後にただ一言ぽつりと言った。
『……わかった。無理を言ってすまなかった』
そして、続けて言う。
『だが、気が変わったら言ってほしい』
そうして、電話は切れる。
秋川理事長。
あなたは覚悟を決めてしまったのですね。
私は机に肘をついて重ねた手の上に額を乗せる。
わかっている。
私は怖いのだ。
今の私が持っているものは全て必要になってくるものだ。
力も立場も功績もこれから必要になる。
私はずっと無駄を削いで生きてきたから、ここまでやれてきた。
そして、これからもそうだ。
だから、私が捧げられる犠牲は自分以外のものしかない。
言葉巧みに誰かを扇動し、スケープゴートにするしかない。
少なくとも周りから見た私は清いままでいないとどっちにしろURAを変えることはできない。
理事長が私にURAの会長になってほしい理由はわかる。
私以外に適任がいないからだ。
私以外に力を持ち、理事長に共感できる存在はいない。
だが、耐えられるのか。
また自分の所為で誰かが傷つくことに耐えられるのか。
マルゼンスキー。
彼女が私の所為で終わるのだと知った時の気持ちをもう一度味わわないといけないのか。
無理だ。
私にはできない。
できないんだ。
「シンザンさん!」
「ポイントか、どうした?」
「有馬記念、決まりました!」
「そうか、良かったな。トウショウボーイは?」
「あいつも出ますよ! 外に行く前にぎったんぎったんのぼっこぼこにしてやりますよ!」
「ふ、君たちは本当に合わないな」
「ライバルですからね! 譲れませんよ!」
「そうか」
昔の会話を思い出す。
ポイント……テンポイントとの会話だ。
ポイントは嬉しいことがあるといつも私に報告してくれた。
トレーナーが決まった時も、外国に挑戦することが決まった時も……グリーングラスやトウショウボーイと出会った時も、嫌そうな顔をしながらも私に報告してくれた。
「勝てそうか?」
「勝ちますよ」
「ふ、君の場合はビッグマウスではないのが頼もしいな」
「国内で走る、最後の本気です。これが終わったら次はきっと外国だ」
「ああ」
「世界一の冠を被るウマ娘をちゃんと見ててくださいね」
「もちろんだ」
これが国内最後のレースでも、ポイントが世界に挑戦することもなかったが、私はこの時本当に彼女を応援していた。
ポイントはそれから私の顔を見て微笑む。
「その後は任せますね」
「その後?」
「私が外に出たら国内にはスターがいなくなる。……あいつはいるけど。でも、次の世代になります。だから、生徒会長になるシンザンさんがトゥインクルシリーズをお願いしますね」
「そうだな、任された。この場所は私が護るよ」
「夢なら私が見せてあげますから!」
「ふ、期待している」
秋が深くなった時期の思い出だ。
私は天井を見上げる。
この部屋の椅子は生徒会長の時のものではない。
寄りかかっても、あの軋む音はしない。
あの時は何も知らなくて、ただその意味も考えずに約束した。
約束した場所はどこなんだろう。
この椅子ではないことは確かだ。
トレーナーくん。
彼を失った学園はポイントの言った場所だと言えるのだろうか。
言えなかったとして、もし彼の意志を折ってでも学園に残して意味があったのだろうか。
「ポイント、何が正しいんだろうな……」
応えてくれる声はない。
もうあの笑顔の似合う後輩はいないのだから。